第283話 ドラグエイト便との商取引

 スライム飼育場を出た後、ライトは冒険者ギルド総本部の三軒隣にあるドラグエイト便の本社事務所に行った。

 その目的は、ビッグワームの大顎を入手するためである。

 ほぼ商談のようなそれは、円満かつトントン拍子で話が進んでいった。


「では、ビッグワームの大顎1個につき10Gでお譲りいただける、ということでよろしいですか?」

「ええ。物は翼竜牧場にあるので欲しい時にいつでも、いくらでも持っていってくれて構いませんよ。お代は牧場の窓口にて買い取り個数分を現金にてお支払いください。あちらの窓口にはそのように話を通しておきます」

「よろしくお願いします、ヴルムさん」

「こちらこそ。これからもよしなにお願いいたします、ライト殿」


 前回翼竜便を予約する際に窓口で受付を担当していた老人、ヴルムはライトに向かって恭しく礼をする。

 実はこのご老体、シグニス兄妹の実の祖父にしてドラグエイト便の会長である。

 年の頃は70代前後だろうか。物腰こそ柔らく人当たりも良いが、ドラグエイト便の本社において、受付窓口、経理事務、営業担当、その他諸々一切の事務仕事を仕切る凄腕の経営者だ。


 ちなみにシグニス兄妹は獣人族特有の猫耳を持っていたが、ヴルムには獣耳や尻尾などの獣人族の特徴は一切ない。シグニス達の獣人の血は、祖母もしくは父母のどちらかから受け継いだものなのだろう。


 ヴルムは事務机から紙を一枚取り出してきて、そこにサラサラと何か文字を書き記していく。どうやら素材売買に関する契約書のようだ。

 ライトのような小さな子供相手でも、れっきとした商取引として扱い契約書を交わす。それはヴルムの商売に対する真摯さの証であり、ライトもその姿勢に好感を抱く。


 そもそもこの商取引は、素材が欲しいライトだけでなくヴルムにとっても利のある話だ。

 シグニスが語っていたように、ビッグワームの大顎はもともと捨てている部位である。それが僅かなりとも金になって、しかも廃棄の手間も減るならドラグエイト便側としても万々歳なのだ。


 ライトはヴルムから契約書を受け取り、固く握手を交わしてドラグエイト便本社事務所を後にした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「さて……これからどうしようかな」


 ドラグエイト便本社事務所から出たライトは、今からまたすぐに翼竜達のいる翼竜籠の発着場兼牧場に行こうかどうか迷っていた。

 今日の昼食後に牧場やらスライム飼育場見学やら素材買い取りの契約やら、あちこち動き回っていたらあっという間に日が暮れてきたからだ。


 だが、思いがけず緑のねばねばを入手できた今、クエストイベントの最新ページクリアの見通しが一気に立った。この勢いでビッグワームの大顎を手に入れれば、いつでもイノセントポーションが製造可能になる。

 ここはちょっと無理してでも翼竜牧場に行こうかなー……と考えるライト。

 しかしここでライトは思い直す。


「あー、でもあんまり帰るの遅くなるとラウルに心配させちゃうよなぁ。それに明日はプロステスにも出かけなくちゃならないし」

「……って、プロステスでの俺の出番は午後からで、レオ兄との合流は昼だったよな」

「そしたら、ビッグワームの大顎をもらいに行くのは今すぐじゃなくてもいいか。明日の午前中にちゃちゃっともらいに行こうっと!」


 そう決めると、ライトはラグナロッツァの屋敷に戻っていった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 翌日の朝。ライトとレオニスはラグナロッツァの屋敷で朝食を摂りがてら、今日の打ち合わせを再確認していた。


「俺は今からプロステスに行って、大教皇やオラシオンとともにラグナ教プロステス支部の再調査に向かう」

「ライト、お前を再調査には連れていくことはできんから、昼間までは自由行動してていい」

「正午になったら、転移門で冒険者ギルドプロステス支部に来てくれ。俺が先に迎えに行けていれば良し、俺がまだいなかったらプロステス支部内で待っててくれ」

「合流したら、どこかで適当に昼飯食ってからプロステス領主邸に行こう」


 そう、実はライトはラグナ教の内部調査には加われない。特に今回の再調査では生き残りの魔の者達も同行するため、ライトが持っている破邪魔法が付与されたラペルピンで元の魔物の姿が暴かれてはマズいのだ。

 そんなのラペルピンをどこかに仕舞っておけばいいんじゃないの?と思わなくもないが、懸念したことが実際に起きてからでは遅い。事前に考えて起こり得るリスクは、極力排除しておいた方が賢明かつ無難である。


「うん、分かった。レオ兄ちゃんも再調査のお仕事頑張ってね!」

「おう。午後のプロステス領主邸訪問はお前の伝手で行くからな、そっちは頼んだぞ」

「うん!ハリエットさんに頼まれたアップルパイ、ラウルからホールで10個もらってあるから大丈夫!……あ、それ、今のうちにレオ兄ちゃんの空間魔法陣に入れといてもらおうかな」

「おお、そうだな。人前で堂々とお前のアイテムリュックから取り出す訳にはいかんからな」


 そういうと、二人はアップルパイをバケツリレーのように受け渡しして、ライトのアイテムリュックからレオニスの空間魔法陣にせっせと移動させていく。


「さて、と。こんなところかな。じゃ、俺はそろそろ出かける。ライトもプロステスに遅れずに来てくれよ」

「はーい!レオ兄ちゃんも再調査気をつけていってきてねー!」


 ライトは仕事に向かうレオニスを玄関の外まで見送った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 その後、ライトはラウルに頼んで馬車を出してもらい、ドラグエイト便の翼竜牧場にともについてきてもらう。

 そう、ラウルは万能執事なので馬車の御者もできるのだ。さすがラウル、万能執事の肩書は伊達ではない。


「おはようございまーす」

「いらっしゃいませー!」


 ライトが挨拶をしながらドラグエイト便の建物に入っていくと、すぐに元気な返事が返ってくる。その声の主はもちろん、翼竜便発着場の受付嬢にしてシグニスの妹である。


「えーと、昨日ドラグエイト便の本社事務所でビッグワームの大顎を売ってもらえることになったんですが……」

「あっ、はい!ライトさん、ですよね?話は会長から聞いております!」

「はい、そうです、ライトといいます。失礼ですが、お姉さんのお名前をお伺いしてもよろしいですか?」


 昨日ヴルムと交わした商取引の件、ちゃんとこちらの翼竜牧場の方にも伝達済みのようだ。

 今後何度か顔を合わせるであろう受付嬢であるシグニスの妹に、改めてその名を問うライト。


「申し遅れました。私、ナディアと申します!翼竜の御者である兄シグニスとともに、これからもよろしくお願いいたします!」

「ナディアさん、ですね。こちらこそよろしくお願いします。ラウルー、こっちおいでー!」


 猫耳をピンと立て、ペコリと頭を下げながら元気一杯明るく応答するナディア。

 ライトは外が見える窓で翼竜を眺めていたラウルを呼び寄せた。


「こちらにいるのはラウルといいまして、レオ兄ちゃんの屋敷で執事として働いています。ビッグワームの大顎を引き取りに来る際は、ぼく一人では大変なのでラウルにも手伝ってもらうことになります。ラウル共々よろしくお願いします」

「レオニスんところで執事をしているラウルだ。よろしくな」

「ラウルさんですね!こちらこそよろしくお願いいたします!」


 そう、何故ライトがラウルを翼竜牧場に連れてきたかというと、ただ単に馬車に乗って移動するためではない。ビッグワームの大顎を持ち帰る手伝いをしてもらうためだ。

 ビッグワームの大顎の現物はまだ見ていないが、ビッグワームなんて名がつくくらいだからそれなりの大きさがあるはずだ。素手で持ち帰るにも二個三個が限度だろう。


 それに、今日の午後にハリエットに届ける予定のアップルパイ同様、まだアイテムリュックを人前で堂々と使う訳にはいかない。

 ならば、馬車で乗り付けてその馬車の座席に積めばいいのだ。

 馬車に積んでさえしまえば、後はライトのアイテムリュックにちゃちゃっと仕舞えば万事解決である。


「早速ですけど、ビッグワームの大顎の現物を見せていただけますか?」

「分かりました。大顎の置いてある場所にご案内いたします」


 ライトの申し出に、快く対応するナディア。

 ライトとラウルはナディアの案内に従い、後ろについていく。


「ぼく、今までビッグワームを見たことがなくて……その大顎も今日初めてなんです」

「そうですよねぇ、普通の人はビッグワームなんてあまり縁がないてすもんねぇ。ビッグワームに関係するのなんて、冒険者関連もしくは私達のような翼竜飼いくらいのものですし」


 ターミナル的な建物から移動しながら、軽く雑談を交わすライトとナディア。

 ナディアの軽快な受け答えは接客慣れしていて、ナディアが優秀な受付嬢であることが分かる。


 とある小屋の前に到着し、ナディアが引き戸を開ける。そこには、山と積まれたビッグワームの大顎が大量に積み重ねられていた。

 その無造作な積み方は雑然として見えたが、一応崩れないように鋭い歯の部分を噛み合わせて崩壊しないようにしてあるようだ。


「うわ……結構大きいものなんですね」

「他の翼竜飼いは、有無を言わさず頭から丸ごと食べさせるようなんですが。うちは翼竜達にストレスを与えないように、嫌いな部位は予め取り除いてから餌として与えるようにしているんです」

「ああ、シグニスさんからも聞きました。頭の部分の鋭い歯が翼竜達の歯に詰まりやすいから、翼竜達はこの部分が好きじゃないって」


 確かにこのビッグワームの大顎の歯は鋭く細かい。しかも、大顎自体の大きさも結構ある。

 輪っか状で内側に鋭いノコギリ歯が生えていて、その輪の円周は子供のライトの両腕の長さよりも長い。大人で長身のレオニスやラウルでも、その腕に抱えて指先が届くかどうかといったところか。


「今日は何個お買い上げですか?」

「んー、当面で欲しいのは20個なんですが……この大顎って、ある程度割るというか、二つか三つくらいに砕くことは可能ですか?」

「もちろんできますよ!うちでももっと細かく砕いてから処分しますし。ただ、それには力の強い冒険者さんへの依頼を要しますが」

「よし、なら俺の力で割れるかどうか試してみよう」


 輪っか状そのままでは嵩張って馬車に積むのも大変なので、いくつかに割って分けられればいいなー、と考えたライト。

 それには力の強い冒険者への依頼が要るとナディアが答えたところで、ラウルが名乗りを上げた。

 常日頃から軟弱者を自称して憚らないラウルが、何とも珍しいことである。


 鋭い歯を外側に向けながら輪っか状の大顎を垂直に立て、足で押さえながら頂点辺りを手のひらで軽く押し込めるラウル。

 すると、パキッという音とともにいとも簡単に二つに割れたではないか。


「おお……ラウル、力持ちになったねぇ」

「ッしゃ、シアちゃんやツィちゃんの加護が効いてるな」

「こんなに簡単に割るなんて、すごい……!この大顎、いつも月に一回冒険者ギルド経由で割る依頼を出して、それから兄ちゃんや父さんや私が必死に細かく砕くくらいに硬い代物なのに……!」


 拳をギュッと握りしめて、力が強くなっていることを実感するラウル。

 ライトはラウルが力持ちになったことに軽く感心し、ナディアは信じられないものを見たような面持ちで感動している。


「じゃあ、とりあえず今日は20個分欲しいので。ナディアさん、代金の精算をお願いできますか?」

「あ、はい、では窓口にて承ります」

「ラウルはその間に20個取り分けておいてくれる?割るのはナディアさんの目の前でやらないとね」

「了解」


 こうしてライトは20個分のビッグワームの大顎を入手し、1個あたり四分割に割って分けた大顎を馬車の座席部分に乗せて持ち帰ることに成功した。





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 クエストイベントに必要な素材、地虫の大顎。そのもとがビッグワームな訳ですが、イメージはサンドワームとかモンゴリアンデスワームです。

 口が輪っか状で、内側に鋭い歯がギザギザに生えていて、身体はほぼミミズなアレですよ、アレ。

 あんなのが実在したら怖いなぁ。もし遭遇したら、作者は絶対に腰抜かす自信あります!


 そして、ドラグエイト便のじいちゃんとシグニス妹。この二人の名前がようやく表に出てきました。地虫の大顎はイノセントポーションの素材なので、その作成のためにライトも翼竜牧場にちょこちょこ通い、その度に会うことになるでしょう。

 でもって大顎1個につき10G=100円という価格ですが。かねり良心的な価格です。

 廃棄物が金になるだけでも御の字ですし、子供相手にぼったくるような阿漕な商売はしない、というヴルムの方針および人柄が分かるというものです。

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