第270話 マキシの誇り
八咫烏一族の長たるウルスが、膝を折りマキシに縋るように崩れ落ちる。後悔などという言葉ひとつでは到底表し尽くせぬほどの、強烈な悔悟の念や罪悪感に苛まれているのだろう。
ウルスはまだそこまで老いてもいない現役の族長なのに、何故だかその背が小さく侘しいものに見える。
「……父様、お顔を上げてください」
「もしどうしても誰かが犠牲にならなければいけなかったのだとしたら……それが僕で良かったと思います」
「その時拐われたのが僕ではなく、ミサキや母様だったら……そう考えただけでも恐ろしくて、きっと僕には耐えられない」
「だから、僕で良かったんです。それに―――」
マキシがしゃがみ込み、父の背をそっと撫でつつ身体を支えてウルスを立たせる。
「僕は、皆の犠牲になって不運を背負わされていたとは思ってません。犠牲どころか、僕は皆の盾となり役に立てていたんです」
「母様やミサキだけでなく、奴等の真の狙いだった大神樹ユグドラシア様をも守ることができたのだから」
静かな口調ながらも、誇らしげに語るマキシ。
その言葉にウルスはハッ!とした顔になり、マキシの顔を見つめた。
「僕は生まれつき無能で、落ちこぼれで、役立たずで。皆に迷惑ばかりかけて、一族のお荷物でしかないんだと……今日までずっとそう思いながら生きてきました」
「ですが、そうじゃなかったんです。僕に穢れを植え付けたことで、奴等が満足して去っていったのなら。結果的には僕が皆を、この八咫烏の里を守ることができたんだ―――そう思えるから」
誇らしげなマキシの瞳から、ひと粒の雫がぽろりと零れ落ちた。
そしてマキシは改めてライトの方に身体を向き直し、礼を言った。
「ライト君、ありがとう。さっきのライト君の話を聞いて、僕は自分が役立たずじゃなかったんだと知ることができました」
「本当に……本当にありがとう」
礼を言い終わるか終わらないかのうちに、マキシはライトに抱きついた。
マキシの艶やかな漆黒の翼が、ライトの首回りにマフラーのようにぐるりと巻きつく。
もう年の瀬も押し迫ったこの寒い時期には何ともありがたい、実に温かいぬくぬくマフラーもどきである。
「うん、マキシ君は無能や役立たずなんかじゃないよ!ましてや絶対に落ちこぼれなんかじゃないし、魔力も取り戻せたんだから。これからは胸を張って堂々と生きていけるよ!」
「それもこれも……人族の里で出会った皆さんのおかげです」
ライトはマキシの背をゆっくりと、幼子を宥めるように優しく撫でる。
それでもマキシの涙は止まらず、むしろ加速度的にライトの肩を濡らしていく。
その時、大神樹ユグドラシアの声が響いた。
『私からもお礼を言わせてください』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ユグドラシアからの思わぬ言葉に、その場にいた全員が驚愕に染まる。
『マキシ、貴方のおかげで私は廃都の魔城の魔の手から救われていたのですね。そんな大事なことに100年以上も気づけなかった私は、大神樹失格です』
『そして、ライト。貴方のおかげで、マキシは元来の魔力だけでなく心をも取り戻すことができたのです』
『我が恩鳥であるマキシの心を救ってくださって、本当にありがとう』
『貴方は我が恩鳥の恩人。このユグドラシア、その大恩は幾星霜を経てこの身朽ち果てる時が来ようとも―――未来永劫決して忘れません』
ライトとマキシの周りに、温かい風が優しくそよぐ。
ユグドラシアは大樹故に下げる頭などない故に、優しい風を送ることで礼として表現したのだろうか。
しかしライト達を包むその風は、勢いこそ頬を撫でるくらいの優しいそよ風だが、ライトとマキシは何故か己の身の内から強大な力が湧いてくるのを感じていた。
「ユグドラシア様……これは一体……?」
『マキシにライト、勝手ながら貴方方に私の加護【大神樹の恩寵】を付与させていただきました』
「えッ!?大神樹ユグドラシア様の加護なんて……そんなとんでもないものを、八咫烏でもないただの人族のぼくがもらっちゃってもいいんですか!?」
『ええ、全く問題ありません。そうですね?ウルス』
「はい。ユグドラシア様が決断なされたことに、我等八咫烏が異を唱えることなどありません」
ユグドラシアの問いに対し、その幹に向かって跪き頭を垂れるウルス。ウルスだけでなく、アラエルや他の兄弟姉妹達もウルス同様に頭を垂れて恭順の意を示している。
マキシが今まで人知れず果たしてきた役割、そしてライトはそのマキシを救った恩人であることを思えば、ユグドラシアがその礼として与えた厚意に異論を挟むことなどウルス達にとっても絶対にあり得ないことだった。
『あの当時、何故スケルトンの集団がこの里を執拗に襲撃してくるのか、私を含めて誰もその真意を知ることはできませんでした』
『ですが……あれは八咫烏達を襲ったのではなく、この私を狙ってのことだったのですね』
『廃都の魔城の四帝の目的が魔力の簒奪ならば、確かに八咫烏よりも大神樹であるこの私を狙うのが当然でしょう』
大神樹ユグドラシアも、ライトの述べた推測が正しいと認める。
『その結果、マキシがその悪意を一身に被り、長い間魔力を奪われ続けて……あまつさえ100年以上もの間皆に誤解され蔑まれ続けてきたなんて―――私はこの里の守護者として、悔やんでも悔みきれません』
『この身を八つ裂きにされて数多の薪の山に変えられようとも、文句の一つも言えません。それほどに我が無知は罪深く、私は私の無力さが憎い』
大神樹が罪深き己を罰するがために口にした、自らを切り倒して薪にするという案。
もし銘をつけるとしたら【カタポレン産・大神樹ユグドラ薪】とかになるのだろうか。
確かに魔力たっぷりで霊験もあらたかで、ものすごーく温かい炎を灯しそうだ。そして特に何を加工せずとも、数日は燃え尽きることなく非常に長持ちしそうではあるが。
長持ち云々の品質問題以前に、原材料が大神樹なんて逆に畏れ多過ぎてそうおいそれと使えなさそうでもある。百歩譲って、仏像などの彫刻物には非常に最適かもしれないが。
そして価格の方も、薪一本でウン万Gとか恐ろしい値がつきそうだ。
だが、幹だけで数十メートルはありそうな巨木だけに、もし薪にしたら何百万本、何千万本もの薪になるに違いない。
それならそれで、値段も下がって平民でも買えるようなお手頃価格になるのかもしれない。
もっとも、そもそも大神樹の薪なんて罰当たりな代物が市場に出回ることなど絶対にある訳がないのだが。
そんなしょうもないことをライトが脳内で考えていたら、先程までの温かい風から一転、憂いを含んだような冷たい風に温度が変わる。
ユグドラシアが己の非力さ、無力さを嘆き、悲しみに包まれているのだ。
そんなユグドラシアに、突如マキシがその太い幹にガバッ!と抱きついた。
「シアちゃん!そんなこと言わないでください!」
「僕は……僕は八咫烏族の一員として、シアちゃんを守れたことを誇りに思っているんです!」
「シアちゃんは、たった今僕が得たばかりの誇りを……取り上げてしまうんですか!?」
『それは……』
マキシの突然のシアちゃん呼びに、ウルス達八咫烏は目を真ん丸に剥きながらピシッ!と石のように固まる。だが、とてもじゃないがそれに抗議したりツッコミを入れられるような空気ではない。
一方でライトとラウルは「「おおー」」と、マキシのシアちゃん呼びに感嘆の声を挙げながら小さく拍手をしていた。
そして大神樹ユグドラシアは、マキシの悲痛な叫びにそのまま何も言えなくなる。
確かに守られた側のユグドラシアが後悔に染まってしまうのならば、盾となり守った側のマキシの立つ瀬がなくなってしまう。
そしてそれは、今マキシが得たばかりの誇りを即否定してしまうことに他ならなかった。
「シアちゃん、僕のことを憐れまないでください。僕はシアちゃんや皆のお役に立てたことが本当に、本当に嬉しいんです」
「過ぎた過去を嘆き悲しむより、これからの僕をたくさん褒めてくれる方がずっとずっと嬉しいです」
『マキシ……ええ、そうですね。私はまた、一度ならず二度までも……貴方に救われるのですね』
『ありがとう、マキシ。貴方は本当に……大きく立派に成長しましたね』
「はい!!」
悲しみに暮れ冷たくなっていた風が、また一転して温かいものに変わる。
八咫烏マキシと大神樹ユグドラシアの絆がより深く結びついた瞬間だった。
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マキシの長年に渡る苦境と苦悩が報われた瞬間です。
その苦悩の続いた期間が100年以上にも及ぶことを思えば、これからのマキシにたくさんの幸あれ、と願わずにはいられません。
そして、大神樹ユグドラシアの薪。我ながら、何と罰当たりなことを……
本文中にも書きましたが、あまりにも畏れ多過ぎて常人の神経ならば絶対にできません。現代日本に例えれば、由緒正しい神社内にある樹齢数千年を誇る御神木を正当な理由なく己の私利私欲のためだけに伐採して売っ払うようなもんです。
そんな罰当たりなことができる者など、そうはいないでしょう。『絶対にいない!』と断言できないところが人間という種族の業の深さにして悲しい性なのですが。
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