第205話 危急の知らせ

 ウィカの導きにより、カタポレンの家の浴槽から目覚めの湖まで瞬時に移動したライト。

 浴槽が見えたと思ったら、次の瞬間には全く違う広大な水の世界が広がる。少しだけ濁っていて、でも全体的にきれいな水質の水底。

 光が差す方を見ると、水中からでも空の青さが分かる。ここは目覚めの湖の浅瀬のようだ。


 前世でいうところのマリンスポーツのような、見たこともない景色に思わず見惚れるライト。

 普通ならできない水中での呼吸も、ふと気がつけば地上で過ごすのと全く変わりなくできている。どうやらウィカがライトに結界のような保護膜?を張ってくれていたようだ。


 水の中から湖面に浮上し、泳いで岸に上がるライト。

 以前この目覚めの湖で着衣水泳した時には、本気と書いてマヂ!と読むくらいにはキツい思いをした。だが不思議なことに、今回は苦しくもなければ身体が重たくもない。

 岸に上がってから全身を見回してみると、髪や顔だけでなく着ている服も全く濡れていない。これもウィカの保護膜結界のおかげか。


 相変わらずウィカはライトに『早く、早く!』と急かすようにライトのズボンを引っ張っては、先の方に行こうとする。

 その方向からして、やはり小人族のナヌスの里にライトを連れて行こうとしているようだ。

 そのことを理解したライトも、小走りで森の奥に向かっていく。

 ナヌスの里に到着すると、里の中も騒然としていて小人族の大人達もバタバタ動き回っている。


「これは……一体何が……?」


 ライトが狼狽えていると、ライトとウィカが来たことに気づいた小人達の一人が声をかけた。


「おお、ウィカ様がライト殿とともにお出でくださったぞ!」

「長や長老達にお知らせしろ!」

「ライト殿、こちらに来てください!」


 衛士のエディの案内に従い、ライトとウィカはより奥の方に移動する。

 ナヌスの里の人達が住むエリアの本当にギリギリ端の方まで来た時、そこには長のヴィヒトがいた。

 ヴィヒトはとても険しい顔つきで、目の前に広がる森をじっと見据えていた。


「長!ライト殿とウィカ様をお連れしました!」


 エディの大きな声に、ヴィヒトがライト達のいる方向に身体を向き直す。


「おお、ライト殿!よくぞいらしてくださった」

「ウィカ様もありがとうございます。水の精霊たる貴方様に対し、此度は使い走りのような真似をさせてしまい誠に申し訳ございません」

「うなぁぁぁん」


 ウィカに向けて深々と頭を下げるヴィヒトに、ウィカは『気にしなくていいよー』といった感じの返事を返す。

 普段はのんびりとしたこの里が、このような緊張状態に陥っていることにライトは矢も盾もたまらずヴィヒトに問うた。


「ヴィヒトさん、これは一体何事ですか?」

「……先日、我等ナヌス族はオーガ族と盟友関係にある、という話をしたのを覚えておられるか?」

「はい、もちろんです。ナヌス族からオーガ族に魔法を提供して、その見返りとして行商の護衛や里への不可侵を約束して友好的な関係を長年築いてきているんですよね?」

「ああ、その通りだ」

「……オーガ族と、何かあったんですか?」

「………………」


 沈痛な面持ちのヴィヒトの表情が一向に晴れないことに、ライトは不安を募らせる。

 しばらくの沈黙の後、ヴィヒトは重たい口をようやく開いた。


「オーガ族の里が……何者かに襲われたらしいのだ」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 オーガ族とは鬼人族の一種で、ナヌスの里と交流のあるオーガ族は鬼人族の中では比較的温厚な種族だという。

 だが、如何に比較的温厚といってもオーガ族も立派な鬼人族だ。荒事となればその強靭な体躯で大抵の他種族は撃退できよう。

 屈強さと勇猛さで名を馳せるオーガ族を白昼堂々と襲撃するとは、命知らずもいいところだ。そんな愚行を犯すとは、一体何者だろう。


「ライト殿、こちらに来ていただけるか」


 ライトが頭の中で懸命に考え込んでいると、ヴィヒトから声をかけられて言われるがままに別の場所に移動する。

 移動した先は、少し拓けた空き地のような平坦に均された場所で、そこに誰かが寝かされていることにライトは気づいた。

 しかし、そのサイズがどう見ても小人族のサイズではない。それどころかライトよりも一回りも二回りも大きそうだ。


「これは……」

「オーガ族の子供だ。オーガ族の里が襲われていることを我等に知らせるために遣わされたのだ」


 確かに寝かされているオーガをよくよく見ると、あどけない顔をしている。小麦色の肌に生成色の真っ直ぐな髪。これがこのオーガ族の特徴だろうか。

 そしてその額の左右からは、まだ小さな角がちょこんと出ているのが分かる。


 見たところ大きな怪我はしていないようだが、切り傷や擦り傷などがあちこちにあるのが見え、貫頭衣のような服もところどころ破けている。

 ここからオーガ族の里までどの程度の距離があるか分からないが、このナヌスの里に来るまでの間に走り続けて転んだり木の枝に引っかかたりしてできた傷なのだろう。


「この子は今寝てるんですか?」

「ああ。睡眠魔法により一時的に眠らせている」

「睡眠魔法で、ですか?」

「ここに着くなり『オーガの里が襲われてる!お前らも気をつけろ!』と我等に危機を知らせた後、すぐにオーガの里に戻ろうとしてな。襲撃の最中に戻るのはあまりに危険だから、ひとまずここに留めおこうとしたのだが。戻るの一点張りで何しろ聞く耳持たなくてな……已む無く魔法で強制的に眠らせたのだ」

「そうだったんですか……」


 ヴィヒトとライトは心配そうにオーガの子供の方を見た。

 確かにここで子供一人がオーガの里に戻ったところで、襲撃者の撃退に貢献できるとは到底思えない。それに、オーガ達にしても緊急事態の連絡という体で子供を避難させるという思惑もあっただろう。

 だが、里のことを思い皆のもとに戻ろうとする子供の気持ちも痛いほどよく分かる。


「それで、ぼくはどうすればいいですか?」

「ウィカを通じて連絡をくれたということは、ぼくにも何か手助けできることがある、ということですよね?」


 ライトは単刀直入にヴィヒトに問うた。


「さすがライト殿、察しが良過ぎて恐れ入る」

「こんなことを知り合ったばかりの、しかもまだ子供であるライト殿に頼むのは本当に気が引けるのだが……」

「そんな悠長なことも言っていられなさそうなのだ……」


 伏し目がちに語るヴィヒトに、ライトは力強く声をかけた。


「だったら遠慮なく言ってください!ぼくにできることであれば、何でもお手伝いしますから!」

「レオ兄ちゃんももうすぐここに来てくれます!ウィカの案内でぼくだけ先にここに来ちゃったけど、レオ兄ちゃんならきっとすぐに追いついて来てくれるから!」


 ライトはヴィヒトを励ましつつ、フォルとウィカに指示を出す。


「フォル、ウィカ、多分レオ兄ちゃんは目覚めの湖を目指して来てると思うから、目覚めの湖の小屋周辺にレオ兄ちゃんが現れたらこの里に案内してくれる?」

「あっ、でもここ結界があるからレオ兄ちゃんまだ里の出入りができないか……そしたら湖側じゃなくて、こっちの奥の方に回りながら連れてきてくれる?」


 フォルとウィカはそれぞれに「フィィィ」「にゃうん!」と返事をしながら目覚めの湖の方に駆け出していく。

 その後ライトは改めてヴィヒトの方に身体を向き直す。


「ヴィヒトさん、ぼく自身はまだ非力で戦うことはできません。ですが、怪我をした人達に回復剤を出すくらいならいくらでもできます」

「オーガの里にポーションを渡しに行った方がいいですか?」

「それともレオ兄ちゃんの到着を待った方がいいかな?多分10分くらいでこっちに来てくれるとは思うんですが」


 そんな話をしていると、横で寝かされていたオーガの子供がもぞもぞと動き出した。どうやら睡眠魔法の効果が切れて、目を覚したようだ。


「ん……んん……ここ、は……」

「おお、オーガの子よ、気がついたか」


 のっそりと起きながら、眠気を飛ばすように頭を軽く左右に振るオーガの子供。

 寝かされている時は分からなかったが、その声や身体つきを見るとどうも男の子のようだ。


「……何で俺、こんなところで寝てたんだ?俺、里に戻らなきゃ……」

「これ、無理をするな。今お前がオーガの里に戻ったところで、大人達の戦いの足を引っ張るだけだ」

「……そんなことないっ……俺だって、オーガ族の一員だ!」


 オーガの子はまだ完全には覚めきっていない身体を無理矢理起こして立とうとしたが、身体がふらついて思うように動けない。

 ヴィヒトは懸命にオーガの子を宥めようとしている。


「オーガの子よ、ひとまず落ち着くのだ」

「これが落ち着いていられるか!」

「とても心強い援軍が今こちらに向かってくださっている。気が逸るのは分かるが、もう少しだけ待つのだ」

「援軍?そんなの頼んだ覚えはない!」


 オーガの子は頑なにヴィヒトの言葉を拒否し続ける。

 ヴィヒトは小さなため息を洩らしながら、オーガの子を鋭い目つきで見据えた。


「……お前はオーガの里を救いたくはないのか?」

「ッ!!そりゃ救いたいに決まってる!!」

「なればこそ落ち着くのだ。焦って右往左往するだけでは、何の解決にもならん」

「…………」

「我等小人族の者達では、到底力不足なのは重々理解している。だが我等とて、ただ指をくわえて眺めてはいられん。長年の友の窮地を救いたいのだ」


 ヴィヒトの一貫した真摯な姿勢が、ようやくオーガの子にも伝わったようだ。


「オーガの子よ。援軍が来るまでの間、オーガの里の状況や戦況を我等も把握しておきたい。これまで起きたことや襲撃された時の状況を話してくれるか?」

「あ、ああ、分かった……」


 オーガの子は胡座に座り直し、ぽつりぽつりと話し始めた。





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 オーガ族の少年の子がナヌスの里に入ってこれているのは、オーガ族が所持している【加護の勾玉】を少年がその手に持たされていたからです。

 オーガ族とナヌス族は互いに盟友と呼び合う仲ですからね、種族間の友好の印と行商時の通行手形も兼ねてナヌス族の方からオーガ族に二つほど【加護の勾玉】を渡してあるのです。

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