第164話 鮮緑と紅緋の渾沌魔女

 祭壇の前に立っていた人物は、誰かと楽しそうに会話しているように見える。

 その人物は、神殿の様子を遠目で窺っていたライトの存在に気づき、ライトの方に身体を向き直した。


「おや、こんなところに来る者が私以外にもいるとは……」


 先程のライトと全く同じ所感を口に出しながら、その人物はライトのいる方に近づいてくる。

 肩より少し長いレイヤーシャギーの鮮緑色の髪に鮮やかな紅緋色の瞳、殷紅色のローブを着た女性のようだ。年齢は二十歳前後くらいの若さに見える。


 ライトの目の前まで来たその女性は、静かに微笑みながらライトに話しかけてきた。


「見たところ、十歳にも満たないような子供のようだけど……」

「何か用事があってここに来たのかい?それとも、山登りしてて道に迷い込んでここまで来てしまったのかな?」


 子供相手だからか優しい口調で話しかけてくる女性だが、ライトにしてみればこの転職神殿という場所にいるというだけで胡散臭いことこの上ない。そしてそれは、ライト自身にも当てはまる特大ブーメランなのだが。


 しかし、自分のことを棚上げにして云々など、今のライトにセルフツッコミをかます余裕など微塵もない。今この場をどう対処し切り抜けるべきかを、脳内で必死に考えていた。


 ここが転職神殿であることを自分が知っているということは、絶対に隠し通すべきだ。

 だが、この女性とてここにいる以上は何らかの理由や目的があってわざわざ来ているに違いない。彼女の目的は、一体何なのか。

 ライトは顔色一つ変えずに、懸命に脳内で考える。


「えっと……ぼく、この山の麓のディーノ村の出身で、ライトと言います」

「この近くにぼくの父さんと母さんのお墓があって」

「お墓参りした時にはいつも周囲の探索してて、ここに来たことも何度かあります」

「お姉さんは、どうしてここにいたんですか?」


 よっしゃ、我ながら無難な受け答えができたぞ!と、内心ガッツポーズを取るライト。

 あどけないライトの質問に、女性は微笑みながら話しかけ続ける。


「そうなんだ。お父さんお母さんのお墓参りとは、親孝行な子だね!」

「確かにね、ここら辺はディーノ村が一望できる見晴らしの良い場所がいくつかあるもんね」

「お父さんとお母さんも、ディーノ村出身なのかな?」


 女性がライトの頭を撫でながら、ライトを褒めつつ雑談を続ける。


「はい、ぼくの父さんも母さんもディーノ村の出身です。父さんはぼくが生まれる前に、母さんは生まれてしばらくして亡くなったと聞いてますが」

「そっかぁ……まだこんな幼いうちから、君はとても苦労してるんだねぇ」

「……で、お姉さんは誰なんですか?」


 ライトの再度の質問に、その答えを一向に返そうとしなかった女性はハッ!とした顔をして、改めて名乗りを上げる。


「ああ、ごめんごめん。君の方はちゃんと自分から名乗ってくれたのに、私だけ名乗らないままなんてズルいよね。私の名は―――」



『鮮緑と赤緋の渾沌魔女ヴァレリア』



 女性が名乗ると同時に、ライトは頭の中で答え合わせをした。

 女性の『ヴァレリア』と名乗る声と、ライトの答え合わせが見事に重なる。


 そう、ライトにはこの女性に見覚えがあった。

 一番最初に遠目で見た時には気づかなかったが、彼女の方からライトに近づいてきた時には既に思い出していたのだ。


 ヴァレリアと名乗るその女性は、ブレイブクライムオンラインの冒険ストーリーに出てくるキャラクターだ。

 今ライトの目の前にいる女性と全く同じ、鮮緑色の髪に鮮やかな紅緋色の瞳、殷紅色のローブを着た女性で、画面越しに見ていたグラフィックそのままの姿形をしていた。


 彼女の二つ名は『鮮緑と紅緋の渾沌魔女』。鮮緑と赤緋は彼女の髪と瞳の色を指す。

 そして、彼女のその見た目からでは分からないが、相当強い魔力と魔術を持っていることから渾沌魔女の名が付いたようだ。


 その渾沌魔女が、この転職神殿で一体何をしていたのか。

 ライトとしては非常に気になるところだが、仮にも初対面の相手にあれやこれやと根掘り葉掘り聞く訳にもいかない。

 さて、どうしたもんか……とライトが考えあぐねていた時、ヴァレリアの方から口を開いた。


「でも、君みたいな小さな子がこんな山奥に一人でいるのは感心しないなぁ」

「ここら辺はまだ麓の村から近いとはいえ、魔物とか絶対に出ないなんて保証はないし」

「もし魔物に襲われでもしたら、どうするの?山奥じゃ誰も助けになんて来てくれないよ?」


 ヴァレリアはライトを諭すように窘める。


「……そうですね。今日は天気が良くてついあちこち歩いちゃいました」

「うんうん。君にもしものことがあったら、君のお父さんやお母さんは心配のあまり泣いちゃうかもしれないよ?……あ、君は既にお父さんお母さんはいないのか」


 天然ボケなのか、ライトがツッコミを入れる前にヴァレリアがセルフツッコミをする。

 ライトとしてはそんなことはどうでもいいから、彼女がここにいる目的をとにかく一刻も早く知りたかった。


「お姉さん……いえ、ヴァレリアさんはどうしてここに?」

「ん?えーっとねぇ、私は普段上の方に住んでるんだけどね?今日たまたま下を見たら、ここの子が何やらとても機嫌が良さそうだったから。話を聞きに下りてきたの」


 ヴァレリアは左手の親指でクイッ、と神殿の祭壇のある後方を指差す。

 そこは転職神殿のエルフ風の名も無き巫女が立っている場所だ。


「ここの子、ですか?」


 ライトはヴァレリアの指差す後ろの方、名も無き巫女が立っている場所をヒョイ、と見る仕草をした。

 名も無き巫女は、ニコニコしながらライトの方に向けて軽く手を振っている。


「君にはあの子は見えるかい?大抵の人には見えないんだけど」


 ヴァレリアに問われたライトは、懸命に考える。

 ここでどう答えれば、最も良い結果を得られるだろうか?ということを。

 ヴァレリアの背後を見るフリをしながら、脳をフル回転させて考察を重ねていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 今ライトの目の前にいるヴァレリアという若い女性が、この神殿跡地の正体を知っているかどうかはまだ分からない。だが少なくとも、この神殿にいる名も無き巫女のことは知っているようだ。

 そして、その名も無き巫女のことを『ここの子』『あの子』と呼ぶあたり、知己を得た間柄らしい。

 しかも、ヴァレリアがライトの存在に気づく前までは、彼女は名も無き巫女と向かい合いで楽しげに会話をしていた。


 一方ライトは、名も無き巫女とはゲームシステム的な会話を交したことしかない。そもそもこの手のNPCには自由意志などなく、決まりきった言葉しか言わない。それがNPCというものだ、とライトは今までそう考えていた。

 だが、それはライトの勝手な思い込みであり間違いであることに思い至る。


 ヴァレリアは、NPCである名も無き巫女と会話をしている。

 いや、そもそもよく考えたらこのヴァレリアも名も無き巫女同様NPCであり、それを言い出したらクレアやクー太、まだ見ぬ破壊神イグニスだってもともとサイサクス運営が生み出したNPCなのだ。


 だが、この世界の彼らはゲーム内の操り人形ではない。それぞれが己の意思を持ち、思い思いに言葉を語り、自由に行動する。

 ならばこの転職神殿に仕える身の名も無き巫女とて、その職の性質上移動の自由こそ全くないとしても会話くらいは普通にできても何ら不思議ではない。


 もし名も無き巫女が、他のNPC同様自由意志を持って会話ができるのならば。ヴァレリアとの会話の中で、既にライトのことを話している可能性がある。

 いや、可能性がある程度のレベルでは済まない。おそらくその可能性は大と見ていいだろう。

 何しろライトは、散々破壊され尽くして人々から禁忌とされた挙句、その存在すらも記憶の彼方に追いやられようとしているこの神殿に何度も足繁く通う、唯一の人間なのだ。

 名も無き巫女にとって、人間がこの神殿を訪れてきたことだけでなくその訪れた子供が自分を認識して、しかも職業選択までしていったことがとにかく嬉しくてヴァレリアにそのことを嬉々として話している可能性は非常に高い。


 そう考えると、もう既に名も無き巫女からライトの存在を聞き及んでいるとみて間違いない。ならば、ここでヴァレリアに下手に嘘をついても無駄だろう。

 この渾沌魔女を相手に、完璧な嘘をつき通せるとは思えないからだ。むしろ嘘をついたことがすぐにバレて、不信感を買うことになりそうだ。

 鮮緑と紅緋の渾沌魔女とまで呼ばれた彼女の実力の程は不明だが、そんな二つ名を持つ相手をそう簡単に敵に回していい存在とは到底思えない。


 また、もしライトが知らんぷりすることにより名も無き巫女が深く傷ついても困る。

 名も無き巫女は職業システムを運用する上で絶対に欠かせない相手だし、その彼女の機嫌を損なうのはライトにとってこの上なく悪手だ。

 だがそうした打算だけでなく、今笑顔でライトに手を振ってくれている彼女を悲しませたくなかった。


 何らかの理由により破壊され尽くしたこの神殿で、誰にも顧みられることなく長い間―――おそらくは何十年何百年とずっとひとりぼっちで過ごしてきた、名も無き巫女。

 その彼女の笑顔を踏み躙るような真似は、ライトにはできなかったのだ。


 これらの考察を踏まえたライトは、意を決したようにヴァレリアに答えを返した。


「……はい。神殿の中にエルフのような巫女さんが立っているのは見えます」

「はっきりとした姿形ではなく、うっすらと見える程度ですが」


 ライトの答えを聞いたヴァレリアは、目を大きく見開いたかと思うとライトの肩をガシッ!と掴んできた。


「……やっぱり君には、あの子が見えてるんだね!?」

「そうか、君があの子が話していた『職業選択して【斥候】を選んだ子』で、『その後も何回か上級職業に鞍替えしに来た子』なんだ!」

「ああ、今日は何という幸運な日だろう!」


 ヴァレリアは興奮しながら、ライトの肩を揺すり続けた。





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 何だか!とっても!久しぶりに!そりゃもう!壮絶に!話が!進展!した気がします!

 えぇえぇ、これもきっと神のお導きでしょう!

 そう、『神殿シンデン』だけに『進展シンテン』……って、何でしょう既視感バリバリなんですが。

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