第132話 滂沱の涙
カタポレンの家に移動したライトとフェネセン。
フェネセンにワゴンを渡したライトは、レオニスの書斎に様子を見に行く。
書斎に入ると、レオニスはまだ机の上で突っ伏しながら寝ていた。
さすがにもうそろそろ起こさないと生活のリズムが大幅に狂うので、ライトはレオニスを起こしにかかる。
寝ている人間相手にこちょこちょしても通じないので、レオニスの肩や背中をゆっさゆっさと揺さぶるライト。
「レオ兄ちゃん、起きてー。晩御飯持ってきたよー」
「……んぁ……ライトか……ぁぁ……すまん、寝ちまってた……」
「レオ兄ちゃんもお疲れ様。さ、目覚ましに顔洗ったら食堂に来てねー。フェネぴょんも待ってるよー」
「……ぅぃ、了解ぃー……」
寝ぼけ眼をこすりながらあくびとともに背伸びをし、のそのそとした動作で洗面所に向かうレオニス。
ライトは先に食堂に向かい、フェネセンとともにレオニスの食事の支度を整える。
食堂に入ってきたレオニス、まだ若干眠たそうだ。
「レオぽん、お疲れサマンサねー」
「……おう、フェネセンも来てたのか」
「うん、ライトきゅんが吾輩にも是非ともいっしょに来て!と言うのでね?ついでにレオぽんの寝顔を拝みに来たのさッ」
「……俺の寝顔なんて見て、一体何が面白いんだ?」
レオニスは半目になり、半ば呆れ顔でフェネセンを見る。
その横でライトがレオニスに、こしょこしょと耳打ちする。
「……ほら、例の表題のない本。あの話はラグナロッツァの家よりこっちでした方がいいと思って、フェネぴょんにも来てもらったの」
「……ああ、そういうことか」
まだ若干寝ぼけ眼ながらも、ライトからその理由を聞かされたレオニスは納得する。
表題のない本の中には、世界規模で禁忌とされる『円卓の騎士』のことが書かれている。そのことについて触れるならば、たとえラグナロッツァの屋敷といえど絶対に安全ではないし、それこそラウルやマキシに聞かれでもしたら彼らを巻き込んでしまうことにもなりかねない。
故にその話はカタポレンの家でした方がいいと考えたライトの判断は、実に正しいものであった。
レオニスの晩御飯を済ませた三人は、食後の飲み物とともに居間に移動し思い思いに自分の好きな位置の椅子に座り、一息つく。
ライトはフェネセンに向かって、徐に話を切り出した。
「実はフェネぴょんに見せたいものがあってさ」
「ン?吾輩に見せたいもの?何ナニなぁに?」
その見せたいものが何かを知らないフェネセンは、ワクテカ顔でライトを見る。
ライトは少し離れたところにあるテーブルの上に置いてあった、表題のない本を持ってきてフェネセンに渡した。
「フェネぴょん、この本なんだけど……読める?」
「ぬ?読める?って、どゆこと??」
「うん……この本、実はちょっと特殊でね。とりあえず、開いて読んでみてくれる?」
「ぬーん、よく分かんないけど、ライトきゅんがそう言うなら……」
フェネセンにしてみればよく訳の分からない話だが、他ならぬライトの頼みとあらばよほど無茶な要求でもない限り、それに否やを唱えるつもりはない。
ライトの催促に従い、フェネセンは表題のない本を開き目を通し始める。
最初のうちこそ若干不審げな様子のフェネセンだったが、その表情はすぐに変わっていく。
ページを捲る度にその目は大きく見開かれていき、眉間に皺が寄り、本を持つ手が小刻みに震えている。
「ライトきゅん……これ……」
「……こんなものを、一体どこで……」
フェネセンは驚きのあまり絶句しながらも、何とか絞り出すようにして言葉を発している。
フェネセンのその様子から見るに、彼もライトと同じく真の文面が見えているようだ。
「フェネぴょんにはその本、読めるんだね?」
「……うん……」
「レオ兄ちゃんやグライフには、その本は主に生活魔法の使い方とかが書かれているように見えるらしいんだけど」
「……だろうね……」
「何故かはよく分かんないんだけど、ぼくにはこの本の中に『円卓の騎士』という言葉が書かれているのが読めるんだよね」
「…………!!!!!」
ライトの言葉を聞き、フェネセンの顔はそれまで以上の驚愕に染まる。
「だから、フェネぴょんにこっちのカタポレンの家の方に来てもらったの。ラグナロッツァの家でその言葉を出す訳にはいかないから」
「この本はね、ぼくが初めてラグナロッツァに行った時に、レオ兄ちゃんに買ってもらったものなんだ」
「ぼくが本屋さんに行きたいって言って、連れて行ってもらったスレイド書肆でたまたま見つけてね」
「その時は、ぼくやレオ兄ちゃんだけでなくスレイド書肆の店主であるグライフでさえも、この本の真の本質に全く気づいてなかったんだけど」
「ぼくがこの本の中にある『円卓の騎士』って言葉を口にした時に、レオ兄ちゃんが血相を変えてすごく慌ててね。それで、どうもお互い違う文面が見えているようだってことに気づいたの」
二の句が継げないフェネセンに、ライトがゆっくり丁寧にその経緯を説明していく。
「でね、最初入手した時にはこの本、後半部分のページがへばりついてて読めなかったの」
「フェネぴょんがこのカタポレンの家に来る一週間くらい前、だったかな?レオ兄ちゃんに復元魔法をかけてもらって、ようやく全部読めるようになったんだ」
「え……復元魔法って……あんな危険なものを、この本を読むために使ったの……?」
フェネセンは未だ驚愕の表情のまま、その視線を今度はレオニスの方に向けた。どうやらフェネセンも、復元魔法のことを知っているようだ。
それまで静かに二人の会話を見守っていたレオニスは、フェネセンからの驚きの視線を受け、静かに口を開いた。
「……ああ。廃都の魔城の根絶は、人類の長年の悲願だ。そしてそれは人類のみならず、この世界に生きとし生けるもの全ての命運を左右する重大な命題でもある」
「ライトの話によると、その本はラグノ暦が使われているんだってな。そこから察するに、廃都の魔城が出現する以前に書かれたものだ」
「その上、廃都の魔城を生んだ元凶とされる『円卓の騎士』に関わった人物が著者となればな。どんな犠牲を払ってでも復元させて中身を確認する価値がある、俺はそう判断しただけのことだ」
レオニスは腕組みをしながらソファに深く腰掛け、その背凭れに思いっきり背を預けながら慎重に言葉を選ぶ。
「そういやライト、復元した後半部分はどうだったんだ?読めたか?」
「うん、ちゃんと読めたよ。旧都ファウンディアが廃都の魔城と化した原因と思われる実験のことも書いてあった」
「そうか……ライト、この間まで読めなかった後半部分、読み上げてもらっていいか?」
「分かった」
ライトは半ば呆然としたままのフェネセンから、一旦本を返してもらう。
そして先日そうしたように、今回もレオニスの要請に応え表題のない本の内容をゆっくりと丁寧に読み上げて、レオニスに聞かせていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ラハイルにジャックの協力もある、必ずや成功するであろう。―――以上、ここまで」
ライトはその内容を一通り読み上げ終えた後、静かに表題のない本を閉じた。
ライトが本の内容を読み上げている間、レオニスとフェネセンは静かに聞いていた。
いや、フェネセンの場合レオニスとは様子が全く違う。ライトが本を読み進むにつれ、大きく見開かれたその瞳から大粒の雫がパタパタと、とめどなく零れ落ちる。
ライトが本を読み終えた頃には、フェネセンの顔には滂沱の涙が溢れていた。
フェネセンはその震える両の手をゆっくりと、ライトの方に伸ばす。
その仕草は、表題のない本をその手に取りたいと望んでいるのだ、とライトは解釈し、無言で本をフェネセンに差し出す。
震えの止まらない手で本を受け取ったフェネセンは、自分の目の前に本を掲げた後―――ゆっくりと、その存在全てを愛おしむかのように、本を己の胸に抱いた。
その目はあらん限りの力でギュッと閉じ、もはや涙を堪らえようともせず―――むしろ今ここで枯れ果てても構わないとばかりに、歯を食いしばりながらも漏れ出る嗚咽とともにポロポロと零れ落ちる数多の雫。
フェネセンと知り合ってまだ間もないライトはともかく、かなり付き合いの長いレオニスでさえもフェネセンのそんな姿は一度も見たことがなかった。
あの本の内容の、一体どこにそんな反応を引き出す要素があったのか、ライトにもレオニスにも全く分からない。
だが、フェネセンにとってその表題のない本に書かれていることは彼の感情を相当に刺激することだけは見て取れた。
「フェネぴょんはこれから、廃都の魔城の奴等が世界中で奪い続けている魔力を断つために、穢れを見つけて祓う旅に出るでしょ?」
「なら、もしかしたらこの本が何かの役に立つかもしれないと思って話してみたんだけど……」
「フェネぴょんにとって、この本はどう?役に立ちそう?」
ライトはフェネセンの様子に気遣いながらも、有用かどうかを問うた。
フェネセンは、本を胸に抱いたために前屈みになっていた上体をゆっくりと起こし、服の袖で顔を拭いながら呼吸を整える。
しばらくしてようやく気分が落ち着いてきたのか、フェネセンがその口を開いた。
「……うん。この本は、吾輩にとってものすごく大事な、とても大切なものなの」
「その……今はまだちょっと気が動転してて、詳しいことは話せないけど……いつか明かすべき時が来たら、二人にも必ずきちんと話すから……」
「もうちょっとだけ、待っててくれる……?」
ライトもレオニスも、無言だが力強くしっかりと頷く。
「ありがとう……そしてごめんね、こんなみっともない姿を見せちゃって」
「ううん、そんなこと気にしなくていいよ。誰だって泣きたい時や悲しいことはあるもの」
「そうだぞ。俺達ゃ男だが、それ以前に皆一人の人間だからな。我慢のし過ぎも良くないぞ」
いつの間にかフェネセンの左右を囲むようにして、それぞれ隣に座っていたライトとレオニス。
ライトはフェネセンの手をそっと握り、レオニスはフェネセンの頭にぽん、と手を軽く置いた。
「……うん……うん……ありがとう……」
ライトとレオニス、全てを優しく包み込むような二人からの労りの言葉と仕草に、一度は止まったフェネセンの涙がまたも溢れだす。
その涙はそれまでの哀しみを含んだ涙とは違い、嬉しさと喜びに満ちたものへと変わっていった。
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稀代の天才大魔導師フェネセン。その偉大なる業績と類稀なる才能、奇抜な言動等々により、彼に気軽に近寄れる人は少ないし心を許せる友人もそう多くはいません。
ですが、そんなフェネセンもやはり人の子。彼がどれほど非凡で神がかった力を持っていようとも、皆と同じく笑いもすれば号泣することだってあるのです。
未だ謎多き人物ですが、その謎もいつしか明らかになっていくことでしょう。
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