第109話 カイの願い

 その後レオニスはアイギス三姉妹に謝り倒し、何とか許しを得た。

 プンスコと鬼怒りしていたセイとメイも、別にレオニスを苛め倒したい訳ではないので、あっさりと和解を受け入れる。

 だが、それでもまだ腹の虫が収まらないのか、セイもメイも不満気に口を開く。


「ったく……カイ姉さんを泣かすなんて、100億年早いのよ!」

「そうよそうよ!次にまた同じようなことしたら、今度こそうちの店出禁にするからね!よーく覚えておきなさいよ?」

「ハイ、分かりました……」

「ほら、セイもメイもそのくらいにして……ね?そんなに怒ってばかりだと、ライト君に怖がられちゃうわよ?それに、姉さんも悲しくなってくるわ」

「「カイ姉さん、ごめんなさい!」」


 カイの鶴の一声で、セイとメイの怒りははピタッと止まった。

 この三姉妹のヒエラルキーの頂点に君臨しているのは、間違いなくカイであることが傍から見てもよく分かる。


「じゃあ、お仕事の話の続きをしましょうか。レオちゃん、材料のヒヒイロカネが全く足りなさそうだけど、どうする?」

「ああ、ヒヒイロカネの方は俺が何とか調達する。作ってもらいたい輪っかは鳥の足に着けるから、完全な輪状ではなく取り外しが簡単にできる形状で頼みたいんだが」

「取り外しの簡単なもの、ね……ちょっと考えてみるわ。他には何かある?」

「そうだな……材料を俺が調達して届けたら、品物は何日くらいで仕上がる?」

「そうね……レオちゃんとフェネセン閣下からのご依頼だから、最優先で作るとしても……最初の1個を作り上げるまでに最低でも五日、10個全部揃えるまで二週間は見てほしいところ、かしら?」

「カイ姉、いつもありがとう。毎回無理言ってすまないな」


 それまでテキパキと仕事の内容を詰めていた二人だったが、難易度の高い仕事を二週間で仕上げてくれるというカイの回答に、レオニスは改めてカイに礼を言った。


「ふふっ、いいのよ、そんな畏まって礼を言うほどのことでもないわ。他でもないレオちゃんとフェネセン閣下の頼みですもの、姉さん頑張ってとびっきり良い物作っちゃうわよ?」

「期待してるよ。この恩は、代金以外にも必ず返すから」

「本当に大丈夫よ。……ああ、でも、そうねぇ。もし私のお願いを聞いてくれるなら、ひとつだけあるかしら」

「何だ?俺でできることなら何でも言ってくれ、カイ姉の望みなら死ぬ気で叶えるから」


 普段滅多に自分の願望や我儘を口にしないカイが、レオニスに対し何か望みがあると言う。

 今現在だけでなく、それこそ孤児院時代の小さな頃からいつも世話になってばかりのレオニスは、ここぞとばかりにカイの願いを聞こうとした。


「あら、それじゃあレオちゃんには叶えてもらえそうにないわ」

「え?そうなのか?」

「ええ。だって私の願いは『レオちゃんが大怪我しないように』『仕事で死にませんように』なんですもの」

「……カイ姉……」


 穏やかな表情ながらも、寂しそうに笑うカイ。

 そんなカイの願いを聞き、レオニスは言葉が上手く紡げなくなる。


「私達の父さんや母さん、レオちゃんのお父さん、お母さん、そしてライト君の両親であるグラン君にレミちゃん……皆、子供を置き去りにして、遠くに行っちゃった」

「もちろんそんなの、父さん達だって好きでそうなった訳ではないだろうけど……それでもやっぱり、長生きしてほしかった、ずっといっしょにいたかったって……そう思っちゃう」

「だからね……レオちゃんには、そんな風になってほしくないなって……姉さん、そう思うの」


 それまで俯き加減で話していたカイが、つい、と顔を上げてレオニスを真っ直ぐに見つめた。


「レオちゃん、約束して?冒険や討伐に出かけても、絶対に生きて帰ってくるって」

「出来れば元気で無傷なのが一番いいけど、冒険者という仕事柄を考えたら多少の怪我はしょうがないことだし」

「冒険者という仕事がとても危険で、絶対に安全なんてことはないって、私も頭では分かってるの。でも……」

「それでも、お願い。命に関わるような大怪我だけは、絶対にしないで。危険だと思ったら、何をさて置いても自分の命を繋ぐことを最優先して」

「そして、冒険者稼業を年齢による体力減退を理由に引退するくらいに、うんとうんと長生きして」

「レオちゃん、姉さんのお願い……聞いてくれる?」


 それは、幼い頃から両親や大事な人達を亡くしてきたカイの、心からの切実な願いだった。


『私達を置いていかないで』

『もう残されるのは嫌だ』

『愛する人達を失くす悲しみはもう味わいたくない』


 そんな悲痛な叫び声が聞こえてきそうなくらいに、カイの気持ちが痛いほど伝わってくる。

 真剣なカイの眼差しに、それまで何も言えなかったレオニスが小柄なカイの身体を引き寄せたかと思うと、優しく包み込むようにそっと抱きしめる。

 そして、意を決するように口を開いた。


「……ああ。他ならぬカイ姉の頼みだ、絶対に叶えてみせるさ」

「本当に?姉さんのお願いを、叶えてくれるの?」

「ああ、約束する。俺も男だ、男に二言はない。約束は必ず守る」

「レオちゃん、ありがとう。その言葉を聞けて、姉さんとても嬉しいわ」


 カイがその瞳に涙を滲ませながら、レオニスの腕の中で心底嬉しそうな笑顔になる。

 約束を守る、と力強く断言したレオニスも、穏やかな笑みを浮かべながらカイを優しく抱きとめている。


 いつものレオニスならば、こんな軽はずみな約束など絶対にしない。

 それはレオニスのみならず、冒険者という稼業を生業としている者ならば当然のことだ。常に死と隣り合わせの仕事をしているのに、絶対に死なないなどと誰にも保証できないのだから。

 それを口にして約束するということは、口約束ですらない、もはや詐欺にも等しい。

 むしろ、冒険者を舐めてかかるような冒涜行為ですらあり、普段のレオニスならば絶対に相手を窘めるか食ってかかるところだ。


 だが、レオニスはそうしなかった。いや、できなかった。

 それは、幼い頃からずっと世話になってきたカイへの気遣いというのもある。だが、それ以上に

「俺は絶対に冒険で死なない。大事な人達を残して、悲しませる訳にはいかない」

 という強い思いを抱いたからだ。


『冒険者が長生きするなんざ、とんでもない』

『床の上で死ねると思うな』

『冒険者たるもの、現場で死ねれば本望だ』


 そんなことを誰憚ることなく声高に宣言する、古風な冒険者達もそれなりにいる。

 だが、レオニスにはそれが全く理解できなかった。

 妻や我が子、親兄弟、恋人、親友、そういった最愛の人達を残してこの世を去ることの、一体何が本望だというのか。

 とはいえ、それを口にすれば考えの異なる古風な冒険者達との間に要らぬ軋轢を生んでしまうので、今まで一度として公然と反論したことなどなかったが。


 しかし、今こうしてレオニスの目の前で懇願するカイは、そういった類いの者達とは違う。そもそも冒険者ですらない、身近な親しい者を失いたくないと願うだけの、ごくごく普通の心優しい女性なのだ。

 その彼女を安心させるためなら、どれほど軽く意味のない口約束であろうともいくらでも口にするし、何なら決意も新たに自分への戒めとしてより一層強く心に刻みつける―――レオニスの言葉とカイへの約束には、そんな覚悟を伴っていた。


「レオちゃん、約束は絶対に守ってね?もし破ったら、姉さん怒るからね?」

「はは、そりゃ困ったな。カイ姉に怒られて絶交でもされたら、俺絶望のあまり生きていけないよ」

「あら、それは困ったわ。レオちゃんには絶対に長生きしてもらうんだから。じゃあ、怒らない代わりに……そうねぇ、セイとメイに私の分までお尻ペンペンでもしてもらおうかしら?」

「……お尻ペンペン……」


 二人のやり取りをずっと静かに見守っていたセイとカイは、ここぞとばかりに張り切りだす。


まッかせて!カイ姉さんのご指名とあらば、このセイ、いくらでもレオにお尻ペンペンするわ!」

「セイ姉さんだけじゃ絶対にお仕置きし足りないわ、私だってじゃんじゃんお仕置き追加するわよ!」


 セイとメイ、二人からの追撃にレオニスは顔面蒼白になり、心の底から震え上がる。


「カイ姉、まずあれを何とかしてくれ……あんなん追加されたら、俺本当にカイ姉との約束守る前に命の危機に晒されて、国外逃亡せにゃならん……」

「あらあら、ますます困ったわねぇ……セイ、メイ、レオちゃんをいじめちゃダメよ?」


 変わらずおっとりとした口調で、二人の妹を困ったように優しく窘めるカイ。

 キャイキャイと騒がしいながらも、楽しげに姉の横につき笑顔を振りまくセイとメイ。

 この世界で通じるかどうかは謎だが、「女三人寄れば姦しい」とはよく言ったものだ。

 文字通り姦しくも家族ならではの絆を感じさせる温かいその光景を、レオニスとライトは羨望の眼差しで見つめていた。





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 カイ姉さんというお人。普段はぽやぽやした感じのおっとりお姉さんですが、しっかりした腕を持つ職人さんでアイギスの要にして大黒柱でもあります。

 セイやメイは、そんなカイ姉さんに孤児院時代も卒院後も育てられ、その背をずっと見てきたので尊敬というかもはや崇拝に近い敬愛を抱いています。


 しっかり者だけど守ってあげたくなるような天然系お姉ちゃんは、最強にして無敵ングなのです。

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