第37話 冒険者の血

 大反省会という名の、怒濤の修羅場を経た翌日。

 ライトが目覚めたのは、もうそろそろお昼になろうかという頃合いの時間だった。


 昨晩盛大に号泣したせいか、頭は痛いし目もボンボンに腫れて満足に開かない。

 若干ふらつきながら洗面所に向かい、パシャパシャと顔を洗う。

 気分的にもさっぱりしてから、ライトは居間に向かった。


「お、ライト、今起きたか。おはよう」


 何事もなかったかのように、いつもと変わらぬ軽やかな挨拶をするレオニス。

 ライトは少しだけ気まずそうな顔をしながら、挨拶をする。


「……レオ兄ちゃん、おはよう」

「よく眠れたか?」

「……うん、今日はすごく寝坊しちゃった……」

「昨日はラグナロッツァに出かけて、たくさん歩いたからな。さすがに疲れただろう」

「……うん、そうだね……」

「まだ疲れが取りきれてないなら、もうちょい休んでていいぞ?」

「いや、大丈夫……」

「そっか。んじゃ朝飯兼ねて昼飯にするか?」

「うん……」


 ライトだけが、ぎくしゃくした気分で会話を交わす。


「レオ兄ちゃん、あのね……」


 ライトが意を決したように、レオニスに話しかけたその時。

 部屋の外から、アルが飛び込んできてライトに向かって猪突猛進してきた。


「ワウッ!ワウワウッ!!」

「きゃっ!ちょ、アル、待っ、ひゃああああッ」


 勢いあまってアルに押し倒されたライト。

 慌てるライトにお構いなしに、アルは嬉しそうにライトの顔をペロペロと舐める。


「ハハハッ、アルは今日も元気いっぱいだな」


 じゃれ合う二人、もとい一人と一匹を優しい眼差しで眺めながら、レオニスは軽やかな笑顔を浮かべた。


「さ、今日は天気もいいし、んじゃとりあえず昨日の串焼をパンに挟んで、いつもの丘に食べに行くとするか」

「ワォン!ワォン!」

「ライト、昼飯作りは俺がするから、敷物とか飲み物の用意頼んだぞー」

「はぁーい」


 何となくその場の雰囲気に流されつつ、ライトはお出かけの支度を始めた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 いつもの丘の、いつもの大樹の下に到着した、ライト達一行。

 いつもの大樹の下で、木陰と木漏れ日を浴びながら、ライト達は大きく広げた敷物の上で串焼バーガー?を頬張る。


「んー、やっぱり青空と森の大きな樹の下で食う昼飯ってのは美味いなぁ」

「うん、とっても美味しいよねー」

「バウワウッ」


 家を出る前より和やかな空気で、昼ご飯を食べる。

 カタポレンの森の恵みである薬草茶も飲み、おやつに持ってきた果物もちょこちょこと摘む。

 時折吹いてくる、二人と一匹の頬や尻尾や髪を優しく撫でてゆく風が心地良い。

 昨夜の修羅場がまるで嘘か夢の中の出来事だったかのような、穏やかな時の流れだ。


「……なぁ、ライト」


 そんな穏やかな時の流れを遮るように、口を開いたのはレオニスだった。


「ん、レオ兄ちゃん、なぁに?」


 ライトは思わず聞き返す。


「昨日のことは、本当にすまなかった」


 二人は顔や目線を合わせることなく、大樹の幹を背にして眼下に広がる広大なカタポレンの森や空を眺めていた。


「うん……ぼくの方こそ、あんな言い方しちゃって……ごめんなさい」

「いや、お前が謝ることはない。全部お前の言う通りだし、俺が悪かったんだから」

「でも……ぼくがまだ冒険者登録もできない、小さな子供であることは変わらないし」

「うん、だから俺もお前に、いつから、何を、どこまで、教えていいもんやら分からなくてな」

「そうだよね……なのに、ぼく……ひどいこと、言っちゃった……」


 散々大爆発した反動か、ライトは今になって罪悪感が出てきたようだ。

 胸の内に瞬時に湧き上がる、猛烈な後悔の念に襲われたライト。昨夜の修羅場を思い出してか、目尻にうっすらと涙を浮かべる。


「だから、昨日のことはもう気にするな。俺もお前に対して怒ったりなんてしてないから」

「……本当に?ぼく、レオ兄ちゃんにあんなに、たくさんひどいこと言っちゃったのに?」

「ああ、俺は本当のことしか言わないぞ?」


 レオニスは、ライトの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「それにな、俺も昨晩考えたんだ。そして、ようやく思い出したんだ」

「思い出したって……何を?」

「ライト、お前は―――グランの兄貴の子だったんだ、ってことをな」


 その瞬間、一陣の風がレオニスとライトの頬を打った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ライトは思わずレオニスの方を見た。

 レオニスは変わらず、目の前に広がる森や空を眺めている。


「ライト、お前の父親であるグランの兄貴―――グラン兄は、俺が小さな子供の頃からずっと、ずっと憧れてきた人だ」

「あの人は、孤児院の皆のためにいつも身体を張って生きていた。誰に対しても分け隔てなく接し、何事にも全力でぶつかっていく」

「どこまでも大きく、どこまでも強く、広く、熱い人だった」

「グラン兄は、俺の人生の中で一番尊敬する人だ。それはこれからも絶対に、一生変わることはない」


 静かな声で、優しく語り続けていたレオニスが、ライトの方に顔を向けた。


「そんな、最も尊敬する人の息子。それがライト、お前だ」


 ライトは思わず息を呑む。

 レオニスの真剣な眼差しが、ライトを捉えて離さない。


「ライト。お前には、俺が尊敬して止まないグラン兄の血が流れている」

「グラン兄の熱い血が、全身に流れているお前が、冒険者というものに対して熱い思いを抱かない訳がない」

「どんなに幼かろうと、どんなに小さな子供であろうとも、お前の魂は―――いや、魂だけじゃない。身も心も全て、根っからの冒険者なんだ」

「恥ずかしいことに、昨日までの俺はそのことを失念していた」


 レオニスはふと目線を外し、再び空を眺める。


「そうだよなぁ。グラン兄の息子なら、狂おしいまでに冒険者になりたがって当然だよなぁ」

「グラン兄の背中を見ていただけの俺ですら、その姿に憧れて迷わず冒険者になったってのに」

「グラン兄の血を引く実の息子なら、誰が何を言わなくても、黙ってたって勝手に冒険者になるよなぁ」

「何で俺、こんな簡単で当たり前のこと、今までずっと忘れてたんだろうな」

「俺も焼きが回ったな……平和ボケもいいところだ」


 右手で自分の頭をガリガリと掻きむしるレオニス。

 レオニスは、己の中に己の言葉を刻むように、再び忘れることのないように。ライトは、レオニスに言われた言葉を噛みしめるように。それぞれ互いに、ゆっくりと心の内で反芻する。


 ライトはレオニスの紡ぐ、更なる言葉を静かに聞き続ける。


「お前ももうすぐ8歳になる。冒険者登録できるのは10歳、それまでにあと2年ある」

「うん」

「『まだ2年「も」ある』、もしくは『もう2年「しか」ない』、どっちで考えるかは、ライト。お前次第だ」

「そうだね。ぼくにとっては、『もう2年「しか」ない』と思ってる」

「そうか。ならば、今日からもう一日も無駄にできんな」

「うん。ぼく、今日からもっともっと、今まで以上に勉強する。座学だけでなく、体力作りの訓練とか、今のぼくでもできることは、何でもやっていきたい」


 ライトの瞳は、今までになく強い光を湛えている。

 その強い光は、固い意思を滾らせている様に他ならない。


「その意気だ。剣技や体術、魔法理論や応急処置、他にも冒険者としてやっていくために覚えなきゃならんことが山ほどある」

「だが、結局最後に物を言うのは、意志の強さだ。固い決意、揺るがない信念、人の強さというのはそういった芯の強さが不可欠なんだ」

「その決意や信念のもとは、何でもいい。大事な人を守りたい、愛する者を危険から遠ざけたい、そういう理念でもいいし」

「あるいは、地位や名誉、金やいい女を得たい、そんな俗物的な欲望でもいい」

「自分の心が奥の奥の底から求め、欲するもの。己の願いを叶えたい、叶えるためなら何でもする。そう思えるものがあれば、強くなるための勉強や修行がどんなに辛いものでも耐えられるし、心が挫けることもない」


 神妙な面持ちで、レオニスの展開する持論に聞き入るライト。


「お前にはもともとグラン兄の熱い血が流れてはいるが、そこに驕ることなくお前が心底欲するものを見つけろ」

「お前が叶えたい願望、目標。その実現のために、日々邁進する。その原動力、行動の源を作れ」

「ちょっとやそっとのことじゃ挫けない、何が何でも手放せない願いってやつをな」

「そいつが見つかったら、後は俺に任せろ。ビシバシしごいてやるから」


 ここまで言って、レオニスは不敵に笑った。

 普段なら少しだけビビりそうな場面だが、今のライトにはビビる理由などなかった。


「うん。ぼく、もう叶えたい願いや目標は、とっくの昔に見つけてるよ」


 そう。ライトはいずれ、目に見えない大いなる力―――シナリオ強制力という名の敵と戦わなければならない。

 そのためならば、どれだけ辛い修行でも厳しい特訓でも耐えてみせる。


 ライトがもっと幼い頃から見据えてきた願望にして目標。

 そのための道程、そのスタート地点にようやく立てる。

 ライトの心はどこまでも奮い立つのであった。

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