第29話 表題のない本
レオニスの頬ずりが落ち着いた後、ライトは本を探し始めた。
その前に二人とも、手や顔を綺麗に拭いてからでないとね。貴重な書籍類を汚しちゃいけないし。
店の中をさらっと回ってみたが、ライト達以外の客はいないようだ。
そもそもこの世界における書籍とは、基本的に大変高価なものらしい。
紙こそそれなりの質と量で出回っているが、活版印刷などの大量生産技術的なものは普及していないようで、本格的な書籍となると手書きの一点物の本も多いのだとか。
有用な著書ならば、同じく手書きの複写本も存在するようだが、何にせよものすごく手間暇のかかる高級品であることに変わりはない。
一冊1万G以上なんてお値段もザラにあるようだし、中身をさっと検めるだけにしても取り扱いは慎重にしなければ。
……もう一度、手と顔をよーく洗ってこよう。レオ兄といっしょに。
店の中をゆっくりと移動しながら、本棚を眺める。
首都ラグナロッツァ随一の蔵書数と言われるだけあって、本の高さ別にピシッと揃えられて整然と綺麗に並べられた書架。その
通路はいくつもあり、しかも二階や三階も同様の光景が広がる売場らしい。
これはもう、ちょっとした図書館以上だ。
そんじょそこらにある図書館程度では、到底太刀打ちできない規模である。
これ、一日で回りきれるだろうか?いや、絶対に無理くね?
ライトは内心で嬉しい悲鳴を上げた。
レオニスはレオニスで、自分で読みたい本を探しているようだ。
現役バリバリの冒険者で、一見脳筋の塊のように思われがちなレオニスだが、実は結構な読書家でもある。
知識を得ることが重要なのは、何も魔職や賢者などに限ったことではない。命懸けの冒険や討伐で、臨機応変に対処するには豊富な知識と経験が欠かせないのだ。
危険な現場で生き延びるため。生きて命を繋ぐため。レオニスは平和な日常生活の中においても、自らの研鑽を怠らない。
ちなみに文字や言語に関しては、ライトが見た感じでは一切問題ない。
そもそもが前世の現代日本で作られたゲームの世界だ。その言語や文法も、当然日本語として捉えることができる。
言語同様に、数量や面積、長さなどの単位も現代日本で使用しているものと同じなので、そこら辺のことを理解するための苦労は不要そうだ。
ライトはこの世界の歴史や本質を知るべく、慎重に本選びを始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうだ、ライト。お前の欲しい本は見つかったか?」
入店してから二時間くらい経過した頃、レオニスからライトに声をかけた。
「うん、読みたい本がいくつかあったよ。まだ二階や三階は見に行けてもいないし、一階部分も全部は見きれてないけど」
「まぁな、この店の本をざっと見の背表紙チェックだけでも全部見て回ろうと思ったら、半日どころか丸一日居ても終わらんだろうな」
「だよねぇ。また今度、日を改めて連れてきてもらってもいい?」
「もちろんいいさ。ラグナロッツァには、アルの食糧買い出しにも頻繁に来ているからな」
「レオ兄ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
ライトが選んだのは、今日は5冊。
【近代魔術大全】【古代遺跡調査とその考察】【サイサクス大陸の歴史と変遷】【アクシーディア公国旅行記】の4冊に加え、表題のない薄い本が一冊の、計5冊である。
職業に関する本は、残念ながら今回は見つけられなかった。
まだ見に行っていない二階か三階になら、あるのかもしれない。次回またこの書肆に来た時に探してみよう。
「……お前、またすんげーものを選ぶね……」
ライトの選択ラインナップを見たレオニスの頬は、若干引き攣り気味だ。
「二階三階部分は、次回のお楽しみ、だね」
「そうだな。今日買っていく本を読み終えたら、また来るか」
「うん、レオ兄ちゃん、またよろしくね!」
そう言いながら、二人はお会計を済ませるべく、店の奥のグライフを呼んだ。
「お二人とも、お疲れ様です。御所望の書籍は見つかりましたか?」
「ああ、ライトが選んだ5冊と俺の選んだ3冊、全部で8冊の本を買うよ。代金は現金払いだ、合計金額を出してくれ」
「畏まりました。少々お待ちください」
レオニスが8冊の本をグライフに手渡す。
レオニスが選んだのは【全世界植物大全/最新版】【魔物のいろは】【動物図鑑/サイサクス大陸編】の3つである。
自分のため、と言いつつ、実はライトに買い与えるためのものであろうことは、傍目から見ても一目瞭然である。
「……おや?この本は……」
代金の合計金額を算出していたグライフの手が、一冊の本を手に取った途端に止まる。
「はて……こんな本、うちにありましたかね……?」
グライフが手に取った本、それはライトが選んだ表題のない薄い本である。
表紙や裏表紙、タイトル部分など、しばし無言になりつつ様々な角度から眺め続けた。
中身をパラパラと捲り、ささっと見ている。本の後半部分は少し湿気っていて、何頁かへばりついてしまっているようだ。
「ふむ……魔術開発者の日記のようですね。価格も書かれていないし、さて、どうしたものか……」
「ん?この本屋の中にあった本だぞ?売り物じゃないのか?」
「いえ、こうして現に店頭に出ている以上は、売り物であることに違いないとは思うのですが」
「ふーん、店番のお前でも分からないものなんてあるんだな」
「私も万能ではないですからね。とはいえ、この店の本の中で記憶にない書籍など初めてなのですが……お恥ずかしい限りです」
「いや、まぁ、そういうこともあるんじゃね?」
ライトは二人の顔をキョロキョロと見ている。
その表題のない本は店の一番奥の書架にあり、ちょうどライトの目線の高さにあった。
見渡す限りピシッと揃えられた棚の中の本、その中にあってほんの少しだけ手前に浮いていた本であった。誰かが手に取って、その後棚に戻したのだろうか。
何となく目についた本だったが、気になって手に取り中をさらっと見てみると、先程グライフが言った通り魔術師の魔法陣開発の記録と覚書のようであった。
魔法陣の開発過程に興味を覚えたライトは、その日記もどきも購入品リストに加えたのだ。
「なぁ、グライフ。この本、買ってっていいのか?」
レオニスは、グライフに向かって再度確認した。
「……ええ、大丈夫でしょう。このスレイド書肆の書架にある品ですから」
「そうか、問題ないならいいが」
「このようなケースは私も初めてのことですので、全く問題がないとは言い切れませんが」
「おいおい、大丈夫か?」
「ええ。もし世に出せない禁書の類いならば、そもそもお客様の目のつくところに置かれるはずもありませんので。その点は心配ないかと」
「え、お前んとこ、禁書まであんの……?」
「当然ありますよ?それより、これはもしかしたら本の方からライトさんに選んでもらいたかったのかもしれません」
「ん?そんなこともあるのか?」
「ええ、人間や動物だけでなく、本にもまた運命の出会いというものがあるのですよ」
「ふぅん、世の中不思議なこともあるもんなんだな」
レオニスは感心したように呟く。
「では、8冊の合計金額は20万1000Gになります」
「ッッッッッ!!!!!」
その金額に、ライトの目は極限まで見開かれた。
1G約10円相当のこの世界で、20万Gといえば200万円相当である。
本8冊にその金額、驚くなと言う方が無理ぽである。
「レレレレオ兄ちゃん、20万Gとか、だだだ大丈夫?」
「ん?別にこれくらい平気だぞ?つーか、今日の買い出しの予算の範疇以内だから心配すんな」
「え、でも、そんな……ぼく、本がここまで高いものだなんて全然知らなくて……」
「子供が遠慮なんてするもんじゃないぞ?俺が平気だと言ってるんだから、平気なんだ。お前はお前のために、勉強も頑張るんだろ?」
「うん……ごめんね、レオ兄ちゃん」
「ライト、それは違うぞ」
「え?」
レオニスの思いがけない言葉に、ずっと俯いていたライトは思わず顔を上げてレオニスの顔を見る。
レオニスは穏やかな笑顔を浮かべながら、ライトを見つめる。
「そこは、ごめんね、じゃなくて。ありがとう、って言うんだ」
ライトは一瞬だけポカンとした顔をし、すぐにパッと明るい笑顔を浮かべた。
「うん!レオ兄ちゃん、ありがとう!!」
その力強い言葉を聞いたレオニスは、満足気な表情をしてライトの頭をくしゃくしゃと撫でた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ちなみに、今回二人が購入する本8冊の値段の内訳は、以下の通りである。
【近代魔術大全】……3万G
【古代遺跡調査とその考察】……2万2000G
【サイサクス大陸の歴史と変遷】……1万8000G
【アクシーディア公国漫遊記】……1万7000G
【全世界植物大全/最新版】……5万G
【魔物のいろは】……2万5000G
【動物図鑑/サイサクス大陸編】……3万8000G
表題のない本……1000G
これらの代金、締めて20万1000Gは冒険者ギルドの口座経由で支払うようだ。
確かにね、20万=200万円相当の大金をジャラジャラ持ち歩く訳にはいかないもんね。空間魔法陣から引き出すにしても、代金受け取る側も困るだろうし。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「この謎の本?は、1000Gでいいんですか?」
レオニスに空間魔法陣に収納してもらうために、ライトからひとつひとつ丁寧に手渡していた書籍類の最後の一冊、表題のない薄い本。
他の高額な書籍類に比べ、かなり安い値段に感じられる。
それ故に、ライトは本を手に持ちながらグライフに問いかけた。
「ええ、問題ないですよ。どこにも本の価格が書かれていませんし、そもそも後半部分が読めないような欠落品ですし。ならば店の番をしている私が売価を決めても、全く問題はありません」
グライフは冷静な態度で返答した。
「ありがとうございます。大事に読ませていただきますね」
「是非ともそうしてください。本は貴方の人生を豊かにしてくれます。どうかこれからも、本との良き出会いがありますように」
「……はい!」
件の本を大事そうに胸に抱き、嬉しそうに返事をするライトの顔を見て、グライフも嬉しそうに微笑んだ。
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レ「なぁ、グライフよ。欠落品を売ってもよかったのか?」
グ「そこは私も迷ったのですがね……せっかくライトが自ら選んだ本ですし、彼の見初めた本を譲らないというのも、ねぇ。彼が欲している知識を取り上げてしまうような気がしまして……」
そう、グライフは書肆を預かる者としての矜持よりも、ライトの本に対する探究心を育むことを優先したのです。
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