第72話 所長、目論む

 ようやく言えたよ、ほっとした、そう照れくさそうに報告してきた歩実に、3人は口々に激励の言葉を伝えた。

 よかったわ、気を付けて行ってきてね、帰ってくるときは絶対遊びに来て、みんな待ってる―。その言葉に、彼は、うん、ありがとう、と笑って言った。


「そういえば、みつもりさん」

 つかさが、アイが職場に戻るのを待って、改まった声で依里子に告げた。

「所長が、お話があるそうですよ。私たち2人に」

「話? 何かしら。私たち2人に?」

「ええ。アイさんへの信頼が戻ったわけです。つまり―」

「…ああ」

 それで想像がついた。仕事はまた、減るのかしら。


「やあ、お忙しいところすみませんね。どうぞ座って」

 そのまま2人で所長室に行くと、彼は上機嫌でそう言って、ソファを示した。

「仕事中ですので、できれば手短にお願いします」

 つかさがズバッと言うと、所長は意に介さず、そうですねえ、と応じた。


「勤務先について、ご相談したくてね」

「勤務先?」

「そう、アイさんはとても頼りになる。だけど、残念ながらこちらの入居者の方にはいまひとつウケが悪い。でも、三森さんが行ってくれているもう1つの施設は、アイさんをアンドロイドと認識している人ばかりなんです。つまり、人間じゃないみたいで怖い、といったクレームにはならない」

「…そうでしょうね」

 アンドロイドとわかっているなら、違和感を覚えることはない。そう思いながらも探るように返事をすると、所長は大きく頷いた。

「そこでですね。アイさんの勤務を、昼はあちらの施設で、夜はこちらで、と考えています。入居者の皆さんが眠っている時間帯なら、こちらの施設でもそう問題はないでしょうし、譫妄などで暴れる方が出ても、アイさんの力があれば楽に対応できる。そう、皆さんの夜勤勤務の負荷を、質量ともに軽減できるわけです」

 夜勤―今は、1晩に4人でやっている。所長の言うとおり、暴れたり動き回る人がいたら、2人3人では手が回らなくなり、他の入居者の方のケアが手薄になってしまう恐れがある。正直、この4人体制でもときに十分と言えない状況になったりするんだけれど。

「夜勤を、どのように減らすおつもりでしょう? それにアイさん、そんなにフルに働いてだいじょうぶなのでしょうか?」

「ああ、アイさんならだいじょうぶでしょ? だって、人間とは違いますからね。

 だから、ねえ、アイさんが2人分活躍してくれると考えて、人間の皆さんの夜勤の人数は半分にね、できればと思うんですよ。夜勤は体に堪えるでしょう?」

「では、減るのは夜勤だけということですか?」

「え? ええと、そうですね、こちらの施設では、減るのは夜勤だけ。でもですね、あちらの施設では昼間の勤務もその、若干、そう若干ね、皆さんの負担を減らす方向で、考えているんだよね、うん」

 忙しなく揉み手をしながら、だんだんしどろもどろになる。結局、私たちの夜勤を半減させて、あわよくば昼間の勤務も減らして(これは私には深刻だ)人件費を減らそうって魂胆じゃないの。なのに、いかにも私たち職員の健康を気遣ってますみたいな言葉に乗せてくるのが癪に障る。

 AI導入を理由とする業務削減は、働く側がNoと言えば雇う側は無理強いは法的に許されない。だからこそ、こんな回りくどいことを言っているんだろうけれど。

 私たちはNoと言えるけれど、ここで働きづらくなる可能性もありそう。どうしたもの? ちらりと隣に座るつかささんを見るけれど、彼女はまったく無表情のまま。そしてやおら口を開いて、言った。


「具体的な計画書は、ありますか? 試算レベルでもよいですが」

「あ、ああ、ありますよ」

「いただけます? お話だけでは詳細がよくわかりませんから、資料を拝見しつつ、じっくり検討したいです。ですので、すぐにはご返答はいたしかねます」

「はあ、そうですね、はい」

 完全にペースを奪われた所長が首筋の汗を拭き、じゃあ、資料のデータを送りますね、とモバイルをいじり出す。と、

「私だけでなく、みつもりさんと、他の勤務者の皆さん、そう、アイさんも含め全員にお願いします」

「え? アイさんにも?」

「はい。“皆で”話し合いたいですので」

「いや、その…」

「何か問題でも? 皆で話し合ってからでないと、回答は致しかねますが」

「…ああ。はい」

 つかさの有無を言わせぬ声に、所長は一瞬動きを止め、それから、口の中で何事かもごもごと言いながら、再びモバイルを操作しはじめた。

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