第46話 依里子、天敵認定する
真剣な顔で掲示板を見上げる女。その姿に見覚えがあると感じて、吉松幸樹はふと足を止めた。そう、あれだ、貴禰さんのところの、生涯後見人。熱心に見上げる掲示板は、本業があることが前提の、軽作業中心の副業求人だった。仕事を増やすつもりか? 屋敷と施設の仕事と、すでに2つの仕事を抱えているのに。副業だから転職するつもりではないんだろう。そう思いはしたが、あえて近づき、ちょっと意地悪く、転職を考えているのか、と訊いてみた。…なぜわざわざそんな質問をしたのか、自分でもよくわからない、と思いながら。
声をかけると女は変な声を出して跳び上がり、逆にこちらを驚かせた。そんなに驚くことか? …もしや、疾しいことでも? と思ったら、すぐに普通の声であいさつを返された。変わり身が早い。大人しげな態度でいてもちょっとしたことですぐに表情がころころ変わり、表情が隠せていない。嘘が付けないタイプってやつか。
「別に! 転職なんて、考えてませんから!!」
貴禰さんとはとてもうまくやっています! 正式な後見人として認められた書類が来たから、こうして手続きに来たんです。それに以前から勤めている職場でも、引き続き働くことになっていますから!!
面白い―。ぐいぐいとこちらに歩み寄り懸命に言い募る様子が、本当に面白すぎ。わざと眉を顰めて疑わしげな表情を作って見せると、さらにきゃんきゃんと小型犬のように吠え出した。
遠くから職員が、あの、お静かに願います、と声をかけると、依里子ははっとした顔で口を噤んで青年を数秒睨み、それから、
「あなたこそ、何してるの? 転職予定?」
と、挑みかかるような調子で訊いた。その言葉に、少しだけムッとする。
…いちいち引っ掛かるんだよな、こいつ。
まあ、俺にとっては未だストレンジャーだけど、1つわかった。彼女は、割と嘘が吐けないタイプ。貴禰さんにとって、害がある存在ではなさそうだ。
***
帰り道、依里子はぷりぷりと怒りながらずんずんと歩き続けた。
結局、適当な副業は見つからなかった。というか、あの宅配のあいつに会って早々に掲示板の前を退散したというのが、本当のところだけど。本当にムカつく! 反りが合わないどころじゃない、あれは、そう、あれは天敵、天敵だわ!!
…まあいいわ、要はお屋敷での“特訓”をいかに回避するかということなのだから、副業をジョブマッチの掲示板で探す必要もない。と言うか、むしろ、あそこで探すのは避けるほうが賢明だわね。サイトでいろいろ見て、考えてみよう。
そんなことを考えつつ、小さく『ただいま』と呟いて、正門脇の小さな門を潜る。ちょっと不思議な気分、こんなお屋敷に、この私が、ただいま、とか言いながら帰るなんてね。ふ、と笑いが漏れる。と、
「やだ、何をにやついているの?」
「あ? あ、た、ただいま戻りました」
庭先の木の下から現れた貴禰に声を掛けられて、どぎまぎして応えると、
「はい、おかえり。どうしたの、にやにやして?」
そんな言葉が返って来た。おかえり―。不思議な気分にくすぐったさが加わって、依里子の呼吸が浅くなった。別に何でもないです、と応えると、そう? おかしな人ね、と貴禰はけらけら笑って屋敷のほうへと歩きだした。おかしな人って何ですか、ちょっとだけ憤慨した口調を作って言いながら、後に続く。少し鼓動が速くなった。
…これにも、そのうち慣れる日が来るのかしら。
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