第22話

 白い陶器の大皿に目玉焼きとベーコン、トーストに、ミニサラダ。ガラスの器に、ヨーグルト。スチール製の籠には、オレンジとリンゴ。コーヒーとミルク。これが、依里子が次に作った朝食だった。2人分ともなると結構な重さとなったが、それらを大きなトレイに全部乗せ一気に食卓に運んだ。

 ダイニングに入ると、テーブルの上にはランチョンマット、ナプキンリングに麗々しく納まったナプキン、ナイフとフォーク、スプーン、バターやジャムが貴禰の手により並べられていた。こんな風に小道具で整えられた中に置くと、ワンプレートの朝食でも随分と見映えがする。


「どうぞ」

「じゃあ、いただきます。ほらあなたも」


 手を合わせ、いただきますのあいさつをした貴禰にそう促され、依里子も慌てて席に着き、目を閉じて、手を合わせる。そうして再び開けた目に映ったのは、日の光が差し込むダイニングの、絵に描いたような幸福な朝食の風景で。


『ああ、こんなことが私の身にも起こるのね―』

 依里子は、なぜだか不意に涙が出そうになるのを感じた。


        ***


 密かに感動に打ち震えていた依里子に気付くことなく、貴禰は、料理をしげしげと眺め、それから大真面目な顔で言った。


「見た目は悪くないわ。お味は…あら? お醤油がないわ、取ってくださる?」

「失礼しました。って、お醤油? ソースではなく?」

 すっかり現実に戻り、立ち上がりながら問う依里子に、貴禰は当然、と頷いた。

「目玉焼きには、お醤油でしょう」

「ソースのほうが一般的で、美味しいと思いますけど?」

 本当は、丸ごとの卵料理なんて数えるほどしか口にしたことないけれど。心の中でそう言葉を足しながら冷蔵庫を開けて、醤油とソースの小瓶の乗った小さなトレイを取り出す。テーブルに置いて再び席に着くと、2人はそれぞれが主張する小瓶に手を伸ばした。


「お醤油よ。試してごらんなさい」

「ソースですって。ちょっとかけてみてください」

 手がクロスし、2人同時に相手の目玉焼きに推し調味料をかけ、

「ちょっと! 何するの!?」

「やだ、何するんですか!」

 これまた2人同時に非難と困惑の声を挙げた。


        ***


 せっかくのごちそうなのに、貴禰さんてば、なんてことを! 目玉焼きにお醤油だなんて、気持ち悪い―。

 そんなことを考えながら依里子が顔を上げると、貴禰もまたソースのかかった目玉焼きを見て固まっていた。

「こ、交換します?」

 依里子が提案するのを、貴禰はきっぱりと首を振り、

「いいわよ、私はこのままで。せっかくだし試してみるわ」

 と、意を決したように宣言した。そう言われてしまっては、依里子のほうもトライせざるを得ない。じゃあ、私もこちらをいただいてみます、そう呟くように言い息をひとつ吐き、目玉焼きの白身に少量の黄身を掬って口に入れた。


「あれ? 案外美味しいかも?」

「あら? 案外美味しいわね!」


 またも2人同時に声を挙げ、そのあまりのユニゾンぶりに、思わず顔を見合わせて笑い出す。その笑い声もユニゾンっぽくて、2人はさらに笑い続けた。少し涙が出るほどに。


        ***


 朝食後、依里子が慌ただしく出かけてしまうと、屋敷の中はしんと静まり返った。一人残された貴禰は、今朝のことを思い返し、また密かに笑みを漏らした。


 久々に、楽しい朝食だった。誰かと食卓で笑い合うだなんて、すっかり忘れていた感覚で、新鮮な気持ちになった。あの子にいろいろ体験させよう、なんて思っていたけれど、実際は私のほうが新しい(もしくは忘れていた)経験を、よりたくさん得ているかもしれない。


「これだから面白いのよね、人生っていうのは。いくつになっても、何が起こるか、わからないんだから」

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