第2話 私が愛するのはアナタだけ


 暗い暗い空間。光もなく、前も後ろも分からない。自身の姿すら視認することはできない常夜の世界。


 音も無い、何も無い。どれほどの時が経ったのかも分からない。寒さも暑さも感じない場所にユエは横たわっていた。


 瞼を閉じて祈るように手を合わせてユエはただただ、想っていた。まだ見ぬ愛するモノのことを。愛するために生まれたという言葉を信じて。


 かつり、かつり。


 ふと、聞き慣れない音がした。ユエは瞼を上げて真っ暗な真っ暗な世界へ目を向けた。小さな光が見えた。それがゆっくりと近寄ってくるのが分かる。


 ユエは身体を起こした。此処に落ちてから光など見たことがなかった驚きと、迎えがきたのかもしれないという淡い期待に胸を鳴らす。


 その光は最後に見た月を思わせる輝きだった。それが人型へと変わり、そして姿を現す。


 男だ。男が面倒くさげに見下ろしていた。

 月のように白い短い髪に浅褐色の肌の男は暗闇と同じ肩を出した黒い衣に、輝くように白く長い衣を腰に巻いていた。そんな出で立ちの人離れしたように端麗な青年が立っている。



「やっと、見つけた」



 紅い瞳を細めて男はやっと見つけたぞと疲れた顔を見せた。どれだけ歩いたと思っているのだと愚痴りながら。



「お前が最後の歌姫で間違いないか?」

「私の家族はもういないの?」



 男の問いにユエは問い返す。男はお前の一族は皆、死んだと答えた。あぁ、そうなのかと分かっていたことではあったけれど、事実を知って悲しくなった。


 ワルドばばさまも、可愛がってくれた民たちも、父も、母もいない。ユエはそれを理解して、私で最後と頷いた。



「アナタが私を迎えに来たの?」



 男はユエの問いに笑った。お前を迎えに来たのかと。



「しかし、そうだな。此処まで迎えに来たのはオレだ」



 男の答えにユエはやっとかと思った。彼が私が愛する存在かと。



「迎えに来てやったんだ。ついてくるだろう?」

「アナタの名前は? 私はユエ」



 男はユエの問いに眉を寄せるも、頭を掻いて答えた。



「カマルだ。お前はこっちの問いに答えろ」

「ごめんなさい。私はアナタと共に行く」



 ユエの返事にカマルは最初っからそう言えと呟いて彼女を横抱きに抱えた。そして、背から金の翼を生やして羽ばたかせる。


 空を飛ぶように金の翼が羽を広げて駆けた。ユエは怖さからカマルに抱き着く。


 どれほど飛んだだろうか。明るさを感じてユエが見上げてみれば光がそこにあった。それに飛び込むように二人は入っていく。


 すっと視界が正常に戻る。闇しか映していなかった星影のように瞬く真っ青な瞳が景色を捉える。それはあの夜に見た神殿の変わり果てた姿だった。


 ぼろぼろになった外壁に蔦が這っている、天井はもう崩れ落ちていた。あまりの変わりようにユエは目を瞬かせる。


 カマルはそんなユエなど気にも留めることなく、彼女を抱えたまま歩いていってしまう。神殿の門をくぐれば、目の前に人がいた。


 太陽の日を浴びながら数えきれない兵士、そして目を惹く青年がいた。白と青を基調とした立派な服を着た、深緑の短髪の青年はカマルの姿を見て膝をつく。



「カマル様、ご無事で」

「お前の願いは叶えてやったぞ」



 カマルはそう言ってユエを下ろした。

 何が起こっているのかわからず、ユエはただ二人を交互に見る。青年は一礼して彼女の前に立ち、金の瞳を向けた。



「星影の歌姫。俺はラビーウ国の王子、アーシファだ。貴女を妻に迎えるために来た」



 どうか、その歌を我が国のために使ってほしい。アーシファは手を握り――振り払われた。


 それにはアーシファだけでなく周囲にいた兵も、カマルも驚いた。ユエは眉を下げて首を左右に振る、それはできないと。



「私は愛するために生まれた。私を迎えに来た存在を」

「ですから、俺が……」

「私の前に現れたのはカマル。私をあの暗き底から迎えに来たのはカマルだった。だから、私が愛するのは彼だけ」



 ユエの言葉にカマルは何を言っているのだと言いたげな表情を向けた。


 アーシファは迎えを寄越したのは俺だと主張する。俺が契約したからだと。ユエはそれでも迎えに来たのはカマルだと言う。



「私の手を取って迎えに来た存在だけ。アナタじゃない」



 それを聞いてカマルは笑った。だから、あの時に確認したのかと納得したのようだ。アーシファはどうにかならないのかと問う。それに無理だろうと彼は返した。


 神殿の封印を解く鍵に彼女の言う迎えにきた存在というのがある。彼女はさらに縛りとして愛すると心に決めていた。それは契約と同じだ。


 歌姫には唄う為の制約がある。それは個々によって違うが、ユエの場合は愛するモノのために使うことが条件だ。そして、彼女が愛すると決めたのは迎えに来た存在。



「邪神などに頼って己自身で試練に挑まなかった貴様が悪い」



 カマルはそう言ってまた笑った。

 迎えに来た存在を愛するために。ユエの言葉にカマルはまた笑う。



「オレは愛など知らぬよ」



 天界より堕ちた愚かな邪神は愛など知らない。カマルは聴かせるでもなく言う。それでユエは彼の正体を知った。彼は神の僅かな力を持った哀れな者なのだと。


 聞いたことがあった。天界から堕ちた神は殆どの力を奪われ、邪神となる。僅かな神力しか持たない、人間と契約しなれば力がまともに使えない哀れな存在。それが邪神だ。


 制約はあれど対価を支払えばそれを糧に力を振るえる邪神に、人間は自身の欲望のために願うのだという。


 記憶にある邪神の知識を思い出しながらユエはカマルを見つめた。彼はその視線にさて、どうするかなと笑みを浮かべる。



「アーシファ。お前との契約は終わっている。お前に支払える対価はそれほど残されてはいないぞ」



 でも、お前は国を守りたいのだろう? カマルの問いにアーシファは頷いた。歌姫の力も欲するほどに、今のラビーウは危機的状況だった。



「シターア国は待ってくれないだろうからな。お前の島国など」



 ラビーウ国からそれほど離れてはいない小さな島とはいえ、お前自ら来たというのに歌姫の力すら手に入らないとはな。カマルは笑う。



「ただ、そうだ。〝今は〟まだ歌姫はお前の物だな?」



 契約では歌姫の封印を解き、連れ帰ってくることだった。それは達成されている。今ならばまだ歌姫はアーシファの物だ。カマルはどうする? と問う。


 邪神かみはただ、笑みを見せるだけだ。アーシファは言っている意味を理解した。もうこれしか残されていない。



「俺の国を守ってください、カマル様。対価に歌姫を差し出します」



 アーシファは頭を下げた。その言葉にカマルは笑った、それでいいと。



「歌姫とそうだな、住処を寄越せ。食事もだ。歌姫がオレのために歌を捧げ続けるかぎりはラビーウを守ってやろう」



 だが、歌姫が死ねばそれも終わる。カマルは低く言った。



「歌姫だけじゃない。オレだって死ぬかもしれない。シターアがお前と同じように邪神と契約するかもしれないからなぁ?」



 天界から堕ちた哀れな邪神かみは数える程度に散らばっている。その一片を見つけることができれば、対価を支払える人間なら契約はできるのだから。カマルの話にアーシファはそれでも構わないと返した。



「どんなことであろうとも、抗わねばならない。国を任されたのだから」



 アーシファの苦しげに零した言葉にユエはなんとなくではあるが、二つの国が争っているのだということを理解する。


 カマルは小さな島国同士が争うなどと可笑しそうにしていたが、ユエのほうを見て考えるように顎に手をやった。



「お前はオレのものになったわけだが、望みはあるか?」



 多重契約はできないが契約しない程度にできることがあれば、やってやろうと言うカマルにユエは彼の手を取った。



「私は愛するために生まれたの。だから、アナタにずっと傍にいてほしい。私が望むのはそれだけよ」



 カマルはユエの望みに目を丸くさせる。おもわず、こんな邪神と永久にいたいというのかと口に出ていた。それに彼女は居たいと答える。


 笑った。笑ってしまった。なんと欲のない人間なのだろうかと。いや、不老となった彼女は最早、人ではないか。カマルは笑い、そして頷いた。



「お前はオレのものなのだから手放すことはない。愛は知らぬがオレのために唄え、ユエ」



 そう言ってカマルはユエの手を握り返して歩き出した。もうこの場所に用はないというように。


 あぁ、やっとだ。ユエは隣を歩きながら思った。やっと愛せると。


(私、愛するわ)


 だから、ワルドばばさま。どうか遠くから見守っていて。



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