第15話 水嶋蓮

 俺の人生の大半は、決めつけられたレールの上を何も考えずに走っていくようなものだった。




 父、水嶋英明は市議会議員として町に貢献。多くの部下を持つ上司となっていた。


 母、水嶋凛子は塾の経営者、そして講師として手腕を振るっていた。




 両親ともに日本最高峰の大学を卒業しこの町の発展に尽くしてきた。俺はそんなエリート二人の間に生まれ、親戚や町の人間からは常に期待されていた。


 両親もそれにこたえるように幼い俺を自らの野望のための道具として育て上げた。




 俺は二人の後を追うために幼稚園に入る前から母による英才教育が始まった。俺の感情など一切無視で、どれだけ嫌がっても俺は母が経営する塾に連行され、よくわからない大人たちが話す知識を嫌というほど押し込まれた。




 小学校に入学する頃には小学六年生のテストでオール満点。教師や地元の役員からは神童扱いされ、俺のことを一切褒めない両親も鼻が高かったようだ。


 俺が小学生になってからは中学生の範囲を徹底的に叩き込まれた。俺は初めて学ぶ英語が壊滅的なほどにできなかったため、その分両親は俺に厳しく当たった。




『これは前に教えたことよ! どうして一回で覚えられないの!!』




 母には何回も頭や頬を叩かれ、テストで満点を取れなければ食事抜きということも度々あった。俺は目を盗んで冷蔵庫を覗き最低限の栄養を摂れるように何とかしのいでいた。




『どうしてこんなこともできないんだ!? お前は俺の息子だろ!!』




 小学校のテスト中に俺は腹を壊した。原因は俺が昨日食べた残り物の残飯だった。


母が本格的に料理を作ってくれなくなった時、俺はシンクの生ごみやごみ箱に捨てられたその日の料理を漁っていた。運がいい日はきちんと栄養を摂ることができていたが、どうやらとうとう当たってしまったらしい。


 その時のテストはクラスの平均は超えていたのだが、俺が今まで取り続けてきた点数を大きく下回った。




『体調管理なんて、子供でもできることだろうが!!』


『まったく、隣の奥さんに知られたら恥ずかしいのは私なのに・・・』




 両親は俺の言い分を聞かずただただ俺を責め続けた。父は家の状況など知らず毎晩遅くまで同僚と飲み歩いていた。そもそも、これくらいのことはできて当然だと疑ってない。母も自分に責任があるとは思っておらず、俺の能力不足のせいだと責めてくる。




 質が悪いのはこの二人が社会人としては非常に優秀なことだ。


 父は町の発展のために日頃から町中を駆け回って遅くまで会議を続けている。


 母も塾の経営者として多くの教え子を難関校や名門大学に進学させていた。




 俺はその評価を周りから聞かされ続けていたため、両親がすべて正しいのだとそう思ってしまっていた。 そもそも、外と関わる機会なんてあまりなかったのだ。




 三年生に上がる頃、俺はとある少女と出会う。




『水嶋蓮君でしょ? あたしは璃子っていうの。よろしくね!』




 鳴崎璃子。クラス替えをした時、俺の隣になった女の子だった。


 俺は今までクラスの連中には気持ち悪がられていた。俺は圧倒的な頭脳の代償としてコミュニケーション能力を欠いていたのだ。


 初対面の子に話しかけられた俺は困惑したが、彼女の陽気な性格もあって俺たちはすぐに仲良くなり、一緒にいる時間が増えていった。


 放課後にこっそり商店街に寄ったり、バカみたいな話をして笑いあったりと、少しだけ解放された気分だった。




『ねー蓮。ここおしえて?』


『まったく璃子は・・・』




 俺の小学校では珍しく三年生から英語が時間割に組み込まれる。内容はもちろん簡単なものだが、初めて英語に触れるものには未知の存在だった。多くの者が頓挫する中、既に高校の範囲まで手を付けていた 俺はよく璃子の勉強の面倒を見ていた。




『えっと、水嶋君、その・・・私にも教えてくれないかな?』


『あ、それじゃあ僕も!』


『頼む、俺にも教えてくれー!』




 俺が璃子に英語を教えているのを見たクラスメイトが次第に俺の元を訪れてくるようになった。


 最初は戸惑ったが、俺は次第に彼らと会話を交わすようになり、気が付けば友達も増えていた。




 俺が六年生になる頃、二つの転機が訪れる。




 一つは父がとある家に目を付けたことだ。




 鳴崎家。それはこの荒神町に代々続く名家で、この土地の大半を持つ地主だった。




 当主はその人柄からこの町の多くの人の信頼を得ていた。次の市長はどうか彼を、という声も少なくなかった。


 当主の名は鳴崎透矢なるさきとうや。父が狙ったのはその家の一人娘である鳴崎璃子だった。


 俺と同い年のその少女は周りからも信頼され、近所でもいい子と評判。


 さらに俺と仲がいいということがあって、俺の父は鳴崎家と秘密裏に婚約を結ぼうとした。


 そうすればこの町の人間から父は多くの信頼を勝ち取ることができると思ったのだろう。


 普通は子供の将来を勝手に決めるなどありえないことだ。しかし意外なことに、鳴崎家はOKを出してしまったのだ。




 原因は俺は璃子の家に何度か訪れ、璃子の勉強の面倒を見たり一緒に遊んだりしたことだ。




『いつもありがとね、蓮くん。璃子と遊んでくれて』




 透矢さんは噂に違わずとても温情深い人で、俺のような人間でも優しく扱ってくれた。


 俺と透矢さんはすぐに打ち解けあい、気づけば鳴崎家から認められる唯一の子供になっていた。




 帰りが遅くなるため両親にはその度に失望され、ひどい目にあっていた。だがその結果、俺は気づかぬうちに鳴崎家の信頼を勝ち取ってしまっていた。


 そうして俺の知らない間に大人たちの間で婚約の話が勝手に進んでしまったのだ。


 父は今までの実績がなした結果だと思い込み、より野望に貪欲となっていった。


 そして気が付けば気味の悪い家族ぐるみの付き合いとなっていたのだ。




 もう一つの転機は、俺が初めてやってみたいことができたということだ。




 IT分野。近年発達が目覚ましく、俺はその中でも新しい仕組みやテクノロジーを創り出すというテレビのCMに影響された。




 俺がその道に進みたいと両親に生まれて初めて人生相談したところ、父は俺を殴り飛ばし胸ぐらをつかんで怒鳴りだした。




『今まで何のためにお前を育ててやったと思っているんだ・・・お前はこの町のために国会議員を目指してもらわなくちゃ困るんだよ!!』


『そうよ。大体パソコンが欲しいだなんて・・・あんなのオタクが持つものでしょ!?』




 俺の両親はアナログな人間だった。携帯電話などはさすがに持っているが、パソコンなど資料作成に使う道具を持つことはなく、すべて手書きでまとめていた。


 そんな影響もあって、俺の夢は一度完全に潰えてしまった。




 ここで俺に初めて小さな反抗期が訪れる。




(ダメだっていうなら、何も言えないくらい凄いことをやってやる!)




 俺は部屋にこもって、狂ったように机に向かい続けた。両親に新しい教材をねだると、両親は快く俺が求める教材のお金を出してくれた。そして俺はあらゆる分野の知識を吸収し始めた。


 こうして中学に上がる頃には大学の範囲まで勉強を進めていた。


 苦手だった英語も得意教科の一つとなり、もともと得意科目だった数学は今や世界レベルのものとなった。




 両親は小学校に入る頃のように俺にやさしく接してくれるようになり、好きなことをやらせてもらえる時間ができた。これが生まれて初めて与えられた自由時間だった。




 部活などは許してもらえなかったが、念願のプログラミングの勉強ができるようになり俺はそれに没頭した。そして気づけばプロのエンジニアレベルにまで知識を蓄えていた。




『蓮! あそぼー』




 そしてたまに俺の家に訪れてくれる幼馴染の存在が俺の両親を抑えつけていた。


 俺は知らなかったが、両親は婚約相手のご機嫌を取っていたらしい。だからこそ彼女の要望はある程度受け入れざるを得なかった。だからこそ俺はほんの少しの間両親から解放されるようになったのだ。




 そして中学二年生に上がる頃進路調査が始まった。俺は両親の言いつけで都会にある偏差値の高い高校を受験することになっていた。この高校は両親の母校であり俺もそこへ進学することが幼いころから決められていた。




『え、蓮そんな遠くいちゃうの!?』




 そんな時璃子が泣きそうな顔をして俺のことを見ていた。幼馴染のこんな顔を見るのは初めてで、俺は当時非常に困惑した。




『一緒のとこに・・・行きたかったな・・・』




 俺はその言葉の本当の意味を理解することはなく、受験のため復習を重ねていた。




 そんな時だった。久しぶりに鳴崎家を訪れた俺がここで初めて違和感に気付く。




『そういえば蓮くん、璃子とはどこまで進んだんだい?』


『はい?』


『いやいや、何も隠すことはないよ。君たちは付き合っているんだからね』


『いや、違いますけど』




 俺はここで初めて婚約についてのことを知った。もちろん俺は意味が分からなかったし、当事者であるはずの透矢さんも困惑していた。




 不審に思った透矢さんは俺の家庭について調べ始めた。もちろん俺は今まで両親にされてきたことを余すことなく伝えた。何せ俺はこの時まで両親がすべて正しいと思い込んでいたのだ。




 普段は温厚な透矢さんはこの時怒り狂った。この時の顔は今でも忘れないだろう。それほどまでに怖い顔だった。


自分が信頼していた人間が虐待まがいのことをしていたのだ。しかも、一番の被害者である俺それを自覚していないという異常。


俺は透矢さんに連れられ精神科など心理カウンセラーのもとを何度か訪れることになった。




 両親が町に大きな貢献をしてきたことから警察沙汰にはならなかったものの、鳴崎家とは絶縁された。そして同時に婚約の話は白紙に戻った。




 中学三年生の秋、俺は鳴崎家に引き取られることになった。そしてそれ以来両親と連絡を取っていない。そもそも電話番号を知らなければ、帰りたいとも思わないからだ。


鳴崎家は俺のことを温かく迎えてくれた。璃子が反対するかと思ったが、意外なことに大賛成してくれた。そもそも彼女が言い出したことだそうだ。


璃子と鳴崎家で一緒に過ごし始めて、家族の温かさを俺は初めて知ることになった。俺は今までの人生を振り返り、自分がおかしくなっていたことにようやく気付き始めたのだった。




『野菜を切るときは猫さんの手をするのよ?』




 優しく俺に話しかけてくれたのは璃子の母である鳴崎美鈴なるさきみすず


 俺は初めて料理というものを教わっていた。否、それだけではなく家事全般を彼女から教えてもらった。俺は水嶋家の料理の味を忘れるため、鳴崎家の料理を習い始めていた。そもそも味を覚えられるほど、あの母親に料理を振舞ってもらったことはなかった。


 今では家事をそつなくこなすことができるようになった。彼女には生きるための力をつけてもらったと言っても過言ではないだろう。




『蓮くん。私たちのことを家族だと思っていいからね』




 透矢さんは俺が泣きそうになるたびそんな言葉を投げかけてくれた。璃子と美鈴さんもいつも俺にやさしく接してくれたのだ。




(ずっとここにいたいな・・・)




 そんなことを思い始めるくらい俺は鳴崎家の一員として馴染んでいた。


しかし、俺はいつまでもここでお世話になるわけにはいかなかった。




(さすがにずっとお世話になると迷惑だもんな)




 俺は高校入学と同時に一人暮らしをするため、唯一持っていた愛用のパソコンを使って役に立つであろう情報を調べまくった。


 家の情報だって探しまくったし、進路先も見直した。


 そしてその結果俺はとある学園を見つける。




『荒神学園・・・』




 それは璃子が第一希望とする私立高校だった。偏差値はこの辺では高く、部活動などの文化活動で大きな成果を出しているらしい。なによりその生徒数がすさまじく、さまざまな人材を育成するためのカリキュラムが設けられていたことに興味を惹かれた。


 何より俺はこの学園独自の制度に目を付けた。




『成績優秀者は学費免除・・・ね』




 どうやら一定の成績を保っていれば学費の心配はしなくてもいいらしい。俺は近くの安い物件を適当に見繕い透矢さんに自分の意見を伝えた。




『そうかい。蓮くんがそう言うなら、僕たちも力を貸すよ』




 そう言った透矢さんはどこかへ出かけ、数日の間忙しそうにしていた。




 これは後から聞いた話だが、どうやら透矢さんは俺の両親と連絡を取っていたらしい。


 弁護士を通して俺の教育費や生活費などを払わせるそうだ。


 今までは透矢さんのご厚意で俺を鳴崎家で養ってくれていたそうだ。


 両親は今までの引け目からその要求を吞み、俺の生活にかかる費用を負担することになった。


 透矢さんは学費や生活費は心配しなくてもいいと言ってくれている。


しかしそれだけでは生活できそうもないし、これ以上お世話になるのも引け目があったので俺は独自に仕事を探すことにしたのだ。




『プログラミングか・・・結構儲かるな』




 ここで俺の蓄えていた知識が大いに役立った。なにせ月の家賃どころか当面の生活費を稼げるほど、プログラミングの仕事は割高だった。こうして俺はフリーのエンジニアとして働き始めたのだった。






  ※






『ほんとに行っちゃうの?』




 高校に難なく合格し俺が新しく住むことになった家に移る日、悲しそうな顔をした璃子が俺を引き留めようとした。




『今までありがとうな。でもこれ以上お世話になるのは悪いからな。俺は俺で頑張ってみることにしたんだ』


『そんな・・・もっと住めばいいのに・・・あたしはっ・・・』


『たまには遊びに来るからさ。また美鈴さんのご飯が食べたいし』




 それでも璃子は納得していない様子だった。それをみかねた透矢さんが璃子をいさめる。




『そうだよ璃子。蓮くんが決めたことなんだ。何も一生の別れじゃないんだよ? 私たちは笑顔で蓮くんを見送るべきじゃないかな?』


『お父さん・・・でも!』


『璃子』




 今度は美鈴さんが璃子のことを慰めていた。俺と璃子の頭に手を置き優しくなでながら俺のことを見てくれた。




『蓮くん。これから大変なことがいっぱいあると思うわ。けれどいつでもここへ帰ってきて。ここはあなたの家なんだから。そうでしょ璃子?』


「・・・うん」




 そう言って落ち込んでいた璃子が無理矢理作った笑顔で俺のことを見つめてくれる。




『蓮! 絶対無茶はしないでね。困ったらいつでも帰ってくること。たまには私と一緒にお出かけすること。これ以上約束を破ったら私の奴隷だからね!』




 俺は今まで感じたことのないやさしさに包まれながら、泣きそうになるのを堪えてもう一度鳴崎家全員に感謝を伝える。




『今までお世話になりました。こんな俺と一緒に暮らしてくれてありがとな璃子。そして・・・ありがとう透矢さん、美鈴さん』




 そう言うと三人は満開の笑みで俺のことを送り出してくれた。




 ちなみにこの後璃子は、髪を金色に染めバンドに目覚めるのだがそれはまた別の話。




『いつか俺も誰かを救えるように・・・』




 まあこんな俺じゃ無理か。




 そんなことを思いながら俺は新しい鍵を握りしめ、透矢さんに買ってもらった自転車に乗りながら見慣れた街を駆けるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る