第102話
母を置いて部屋を出ると、ミセリはまず浴場横の物置部屋に向かった。
掃除用具と客室用の予備家具が敷き詰められているさらにその奥。壁際の棚に父の残した武器の類が仕舞われていることをミセリは知っていた。
無論クラナが告げたことはなかったが、以前ミセリが掃除をサボろうと逃げ込んだ際に偶然見つけたものであった。
すっかり錆びてしまったランタンや薄闇でもわかるくらいに変色した火打石、その他細々としたサバイバル用具と一緒に大きな剣が置かれていた。
「んーっ!」
ミセリは剣を両手で何とか持ち上げるが、その金属の塊は見た目以上に重く、棚から僅かに浮かせるのが精一杯であった。どう考えても敵に向かって振り回せる代物ではなかった。
刻一刻と危機が迫っている中、ミセリは未練がましい視線でその剣を元の位置に戻した。諦めて先を急ごうとした時、サバイバル用具の中に、一本のシースナイフがあるのがふと目に入った。
「…………」
手に取ると、見かけは小ぶりながら幼いミセリの手には十分にずっしりとした重さだった。だが、これならば扱えそうだ。
シースから半分ほど刃を抜いてみると、その刃は他の道具とは違い、いっさい錆がなく、入口から届く僅かな光を反射して怪しく輝いた。
「パパ……どうかわたしとママを守って」
ミセリは刃をシースに戻すと、ぎゅっと強く握り締め、一度も会ったことのない父に願った。
「っ!?」
宿の入り口が目に入るなり、ミセリは思わず足を止めた。
母と協力して入口の戸を抑えるように置いていた棚や机の類は全て倒され、ドアの嵌め殺し窓を破るようにして幾本もの青白い死人の腕が伸びていた。まるでその一本一本が何かを求めるかのように蠢いている。その他にもドアの周囲の壁の古くなった部分を突き破り、腕が数本伸びていた。
素手で無理矢理木製の壁を破った為か、爪は剥がれており、僅かに黒い粘液のような血が滴っている。
その蠢く腕に、群がる毒虫を見たかのような嫌悪感を催し、ミセリは本能的に口元を抑えた。
その間にも幾重もの圧を受け、ドアを支える蝶番が軋む。
ミセリは扉から十分に距離を保ちつつ、視線を外さないまま手にしていたナイフをシースから抜いた。
「さあ、来るなら……来なさいっ!」
言葉の通じぬ相手にそう凄んではみたものの、ナイフの柄を握る右手は酷く震えていた。ミセリは震える右手首を抑えるように左手でそっと支える。
「ああぁぁぁぁ……」
やがて入口のドアが破られ、無数のグールがなだれ込むよう入って来た。急にドアが壊れたことでドア諸共三体のグールが床に倒れ込む。
「フラン!」
ミセリは床でもがくグール目掛け、すかさず炎の魔法を放つ。拳大の火球が飛び、倒れるグールの一体の頭部を焼いた。
「ぐああぁぁぁぁ……」
頭部を焼かれた一体は醜い声を発しながらぐねぐねと首を振り、より激しくもがいた。が、しかし一撃で倒し切れる程の火力はない。
「フラン! フランフランフランフラン!!」
ミセリは無中で魔法を唱え続けた。火球の乱れ撃ちを受け、倒れていた三体のグールは炎を纏ったまま動かなくなった。
「ハァっ! ハァっ!」
その呼吸の乱れは、慣れない戦闘への緊張だけが要因ではなかった。短時間に魔法を連続使用した所為で激しく魔力を消耗してしまったことによる疲弊だ。
だが、呼吸が落ち着くのを待たず、後に控えていたグールが宿への侵入を図ろうとしている。
「わたしたちの宿から出て行け!」
これ以上、無暗に魔法は撃てない。ミセリは意を決すると、手にしていたナイフを両手で構え、グールの胸の辺りに刃を突き立てながらほとんど体当たりするように、宿の外へ押し返した。
決して反応速度の速くないグールはミセリの突進をまともに受け、勢いそのままに外へと押し戻される。
「こっちよ!」
倒れるグールから刃を抜くと、ミセリは素早く宿から離れ、グールの群れを引き付けようと声を上げる。
外にはミセリの一撃を受け、それでもなお起き上がろうとしているものを含め、五体のグールがいた。
ナイフを握る手の震えは止まらない。死者とはいえ、肉を突き刺す嫌な感触がまだミセリの手に残っていた。
ミセリの声に釣られ、五体のグールは緩慢な動作で向きを変えると、ミセリの方へゆっくりと迫って来る。
「フラン!」
これ以上の魔力消費は芳しくない。しかし今のミセリに迷っている暇はなかった。
接近していたグールの頭部目掛け魔法を放つ。そして炎を纏いもがくグールの首にナイフを突き立て、思い切り真横へ振り抜いた。
ミセリの手に再びあの嫌な感触が伝わる。加えて骨のような何か固いモノに刃が当たるような感触もあった。ミセリの目には涙が浮かんでいた。
ナイフの切れ味は十分にあったが、扱いに慣れないミセリの一太刀はグールの頭を落とすには足りず、半分程繋がった状態でグールの首が不格好に折れ曲がる。
仕留め損ねたかと思われたが、攻撃を受けたグールはミセリに向かって二、三歩近付き、そのままふらふらと倒れ込んだ。
「あと4匹……」
目に溜まった涙の所為で視界がぼやける。ミセリは袖で目を拭うと、再びナイフを構えた。
「フラン!」
ミセリは先程と同様の戦法で次の一体の頭を魔法で焼くと、すぐさま接近、ナイフで首を狙う。
やはり首を落とすとまではいかなかったが、先程よりも深く、今度は首を三分の二程切り裂いて倒すことができた。
「これなら……いける……」
彼女は次いで残った三体のうちの一体に向け、手を構える。
「フラン!」
そしてミセリは炎の魔法を唱えた。が……、
「あ……れ……?」
確かに魔法は発動したのだが、明らかにおかしい。拳大程はあった火球は今度のはその半分もない。
「フラン! フランっ!!」
ゆったりとした足取りで迫るグール。ミセリは焦りから魔法を連続で唱えた。
ついには蝋燭の燈火程の大きさになってしまった火球は、グールに当たる前に消えてしまう。
「そん……な……」
ミセリは魔力を使い果たした疲労と、死への絶望からその場で膝を折るようにへたり込んだ。
「ママ…………、パパ…………」
グールが眼前に迫り、その様を力なく見上げるミセリ。
(ああ……、わたしどうなっちゃうのかなぁ……。やっぱりこのまま食べられちゃうのかなぁ……。痛そうだなぁ……。嫌だなぁ…………)
一筋の涙がミセリの頬を伝った。
(お願いママ……逃げて……)
死を目前に、少女は母の無事を願った。
「ああぁぁぁ……」
頭上でグールの呻き声が聞こえる。ミセリは顔を伏せ、ゆっくりと両目を閉じた。
「ああぁぁぁ……」
闇に閉ざされた視界の中で、グールの声だけがもう一度耳に入った。
「…………」
たっぷり一秒程経過し、
「……………………?」
ミセリは恐る恐る目を開いた。
おかしい。覚悟を決めたというのに、グールが襲って来ない。やるなら一思いにやって欲しい。でなければ恐怖で気が狂ってしまいそうだ。彼女はそう思った。
ミセリは目を開けたままゆっくりと面を上げる。
そこには先程までミセリを襲おうとしていたグールの姿。しかし様子が妙だ。ミセリの眼前で立ち止まり、見開いた目をぐるぐると回している。そしてそのまま倒れ込んでしまった。
グールが視界から失せ、新たに目に入る女の姿。無機質な純白の仮面に漆黒のドレス。わけがわからず混乱するミセリ。
「無事ですか?」
そんなミセリに、女は仮面と同じ無機質な声を掛ける。
「仮面の…………お姉さん?」
ミセリはようやくその人物が宿泊客のエルミナだと認識でき、そして余計に混乱した。
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【スキル】
C1:魔法耐性
魔法によるダメージが30%減少。
魔法を極めし者は意識しなくとも常に薄っすらとした魔力を全身に纏う。未熟な魔術師の放つ魔法ならば、その身に纏う魔力だけで掻き消してしまうだろう。
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