第96話

 エルミナとシナリスは小屋に戻り、ベッドで待つ想次郎に水を飲ませた。


 喉の渇きの所為か、生ぬるい川の水が妙に心地良く感じられ、想次郎は一息にコップ一杯分を飲み干し、すかさずおかわりを所望した。


「どうですか? 想次郎さん」


「ありがとうございます。とても美味しかったです」


 その返答を確認すると、エルミナは小屋に置かれていた手頃な布切れを水に浸し始める。


「エルミナさん何を?」


「想次郎さん、服を脱いでください。汚れたままでは気持ち悪いでしょう」


 言われて初めて自身の身体を確認する想次郎。確かに戦いの最中で付いた砂埃が汗と混じり合って肌の所々にこびり付いていた。


「い! いいですよ! 自分でやりますから! 傷だってほら、もうすっかり塞がってますし!」


「いいですから黙って言うことを聞きなさい」


「子供扱いはやめてくださいって!」


 想次郎の言葉など意に介さず、ベッドに上がり、上着を無理矢理捲り上げようとするエルミナ。


「えっと……俺は外で待ってた方がいいか?」


 何を思ったのか、シナリスはばつが悪そうに頭を掻きながら想次郎に確認する。


「なんで!?」


「いや、ベッドの上でいちゃいちゃと楽しそーだからよ」


 その言葉を聞いてハッとなるエルミナ。ベッドの上で想次郎に跨り、服を脱がそうとしている己の姿を俯瞰して想像すると、彼女の中で急に羞恥心が混み上げてくる。


「わたしは真剣に想次郎さんの為を想ってやっているのに、そうやって四六時中いやらしいことしか考えられないんですね……」


 そう言うとエルミナは鋭い八重歯を覗かせた。


「ちょっと待って! 今のはシナリスが悪いでしょ! 僕何も言ってないし! っていうか、最初から自分でやるって言ってます!」


「辞世の句はそれで良いですか?」


「良くないです!」


「ホント、仲良いんだな」


 その様子を大人しく眺めながらシナリスはポツリと呟いた。


「そ、そんなこと言ってないで、助けて! 本当に殺されちゃう!」 


「みんな! 大変だ!!」


 エルミナが想次郎の首筋あたりに噛み付こうと狙いを定め始めたちょうどその時、ナツメがドアを蹴破る勢いで小屋に飛び込んで来た。


「あ? どうした猫娘。でっかい昆虫でも見つけたか? 良かったな。でも俺は食わねーぞ」


「違うって、バーカ!」


「どうしたの? ナツメ」


 只ならぬ形相のナツメに、想次郎が改めて問う。


「い、いいから! 外! 外見て! 外!」


 ナツメに促される形で一同は揃って小屋の外へ出た。




「な……んだ……あれ……」


 シナリスが遠くの空の異変に気付き、その方角を指差す。


 まるで黒雲が地表まで降りて来たかのように、どす黒い靄が街のある方角一帯に満ちていた。


 その霧は無数の蛇が互いに絡み合うかのように蠢き、絶えず対流し、一面を染めている。


「ちょっと前まではこんなのなかった筈だよ」


「ええ……」


「みんな話があるんだ」


 異様な光景に釘付けになる一同。そんな中、想次郎は切り出す。四人は再び小屋へ戻った。





「魔王の配下……ですか」


 想次郎が一通り説明をすると、エルミナはぽつりと呟くように言った。


 先のドラゴンとの戦いを経て想次郎の中に蘇ったとある記憶。それはゲーム内でのイベント。


 ある程度ゲーム内における本筋のストーリーを進めると最初の街、すなわちエアストとその一帯は、大量の魔物と強大な力を持つ魔王の配下によって壊滅させられる。そしてゲーム内の主人公はそれをキッカケに次の街を目指すこととなるのだ。


 想次郎が一度だけゲームを進めた折にセーブデータを消去したのは、その魔王の配下襲来イベントで、街だけでなく付近一帯、つまり地下墓地のあった辺りも破壊されてしまい、EXシナリオである地下墓地への進行が不可能となる為であった。


 最初の街の壊滅を目の当たりにしたゲームの主人公が、本来どういった目的や感情でもって冒険に出るのかは想次郎にはわからない。


 想次郎にはそんなことは関係なかった。興味すら微塵もなかった。


 想次郎にとってのゲームプレイの意義は、愛しの彼女に会うこと、ただそれだけだったのだから。


「なんです?」


 想次郎が無意識にエルミナを見つめてしまうと、彼女は怪訝そうな顔をした。


「ところでメガネ、どうしてお前はそんなに詳しいんだ。酒場で誘った時は馬鹿にしてんのかって思うレベルで無知だったクセによ」


「そ、それは……」


 現実世界のゲームのことを説明できる筈もなく、想次郎は返答に苦しむ。


「とにかく! なんとかしなきゃ!」


「なんとかって?」


 しばらく傍らで静観していたナツメが徐に尋ねる。猫耳を寝かせ、何故か不思議そうな表情をしていた。先程はあんなにも騒いでいたというのに、まるで事態を気に留めていない様子だった。


「あたしらがなんとかする必要ある?」


「え……?」


 あまりの淡々とした物言いに、想次郎は面食らってしまう。


 確かにナツメは街に住んでいるわけでも、街の住人と繋がりがあるわけでもない。返り討ちの為とはいえ、むしろ人間を襲っていたくらいだ。よくよく考えれば当然の反応だと言えた。


「ナツメ、で、でも――!」


「俺もこればっかは猫娘に賛成だ。俺らが何をするっつーんだ」


 何とかナツメの説得を試みようとするが、今度はシナリスが割って入った。


「うっへ、きんもー!」


 シナリスが珍しく賛同するとナツメは舌を出してあからさまに嫌がる。


「いいか? これは魔物どもを甘く見た国の御偉方のポカだ。俺らが気にすることねぇ。ここいらも危なくなんねーうちに早いとこずらかろーぜ」


「そんな……」


 二人の反応に落胆する想次郎。


「心配事と言えば、例の討伐報酬がちゃんと支払われるかだな。もしチャラになったってんなら、首都に乗り込んで暴れてやる」


「お前ひとりでな」


「あぁ? お前も来いよ」


「誰が行くか」


 シナリスとナツメの二人は、既に想次郎の話など上の空の様子だ。その光景を虚しく眺めることしかできない想次郎。


「想次郎さん」


 今度はエルミナが口を開く。


「わたしも、二人に賛成です」


 彼女ならわかってくれる筈と、エルミナに視線を向ける想次郎だが、期待した言葉とは真逆のものだった。


「あの街にはクラナさんやミセリだっているんですよ!」


 二人の名を出した瞬間エルミナの表情がやや曇ったが、すぐに眉を上げ、毅然とした表情に切り替える。


「それでも、自分たちの命の方が大事です」


 この時ばかりはお決まりの「既に死んでいますが」という冗談は出なかった。それだけ本気だということだ。


 それでも想次郎には耐えられなかった。このままでは彼女を悲しませることになると。


「それにっ! このままじゃっ! あの場所が……」


 そこまで口に出したところで想次郎は咄嗟に口籠る。


「このままじゃ、なんです? 〝あの場所〟とは?」


 想次郎の様子を不審に思ったエルミナが問う。


「…………」


 無言になる想次郎だが、既に出てしまった分は取り戻せない。


「もしかして、わたしの為…………ですか?」


 何かを察したエルミナが尋ねる。深紅の眼光が鋭く想次郎の双眸を捉えていた。想次郎はまともに視線を合わせることができず目を泳がせる。エルミナはそれを無言の肯定と取った。


「やめてください。そんなこと」


 そしてそう一言、言い放つ。


「でも! 僕が何とかしなきゃ! 僕が――」


「いい加減しつこいです」


 エルミナの言葉が遮る。その言葉は想次郎が一番最初に聞いた彼女の言葉だった。


 あの時はその凍てつくように冷たい声が〝綺麗〟だと感じた想次郎だったが、焦燥感で一杯の今は、冷たさしか残らなかった。


「なら僕だけでも!」


 言葉の冷たさを振り払うように、想次郎は立ち上がる。


「想次郎さん!」


「うぐむっ!」


 しかし、エルミナが行く手を阻み、想次郎に抱き付いた。身長差の為、想次郎の顔は豊満な彼女の胸に埋まってしまう。物理的、精神的双方の事由から声を出せない想次郎。


 そして心地良さを意識するより先に、想次郎は首元に痛みを感じた。既に慣れ親しんでしまった痛み。エルミナは想次郎の首に噛み付いていた。


「毒なんて、薬を飲めば……」


 想次郎はエルミナから離れると、ポーチから解毒薬を探す。が、何故か取り出した巾着を手から取りこぼしてしまう。


「あ……れ……?」


 手が上手く動かない。そう自覚できた時には今度は足が痺れ、膝が崩れ、やがてその場で倒れ込んでしまった。


「エルミナ……さん……。なにを……」


「ふん……、所詮子供ね」


 それは以前想次郎が〝第三の眼サードアイ〟で見た時には確認できなかったスキルだった。先のドラゴン戦でレベルアップし会得したのだろうが、今の想次郎にはそんなことを考察している暇はなかった。


 完全に首から下の自由を奪われてしまった想次郎は、もがくことさえもできず、うつ伏せのまま必死でエルミナを見上げ続けた。


「そこまで仰るなら、わたし一人で行きます」


「エルミナさん……、ダメです……」


 想次郎の言葉も虚しく、エルミナは小屋の戸へ手を掛ける。


「エルミナさん……」


「あなたのそういうところ、うんざりです」


 エルミナは振り返らないまま、最後にそう吐き捨てた。







------------------フレーバーテキスト紹介------------------

【特殊スキル】

C1:痺れ毒の牙

対象一体へ物理属性弱ダメージを与える。また確率で麻痺状態を付与。

麻痺毒により身体の自由を奪われた者は、視界や思考が明瞭なまま魔物に食われる恐怖を味わいながら絶命することなる。致死性の毒を使用しない理由は獲物を新鮮な状態で保存する為と考えられているが、恐怖に慄く人間を食う魔物の愉悦に満ちた表情からは、何か違う理由が読み取れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る