第56話

 シナリスは想次郎の魔法を目にしてやや警戒したのか、じりじりにじり寄るような足運びで間合いを詰めて行く。しかし、依然としてその口元には不敵な笑みを張り付かせていた。


「おら。どうした。魔法が使えんだろ? 火の玉でも飛ばしてみろよ」


「だめ……」


 想次郎は自身の魔法を受けた魔物たちの有様を思い返していた。


「そんなことしたら……あなたが死んじゃう……」


 想次郎は目元に涙を溜めて哀願するように訴える。


「はっ! 舐められたもんだぜっ!」


 想次郎が思わず発したその言葉は、シナリスの逆鱗に触れるには十分であった。シナリスは先程までの慎重な足運びとは打って変わり、魔法を撃たれる危険などお構いなしと言わんばかりに一気に間合いを詰めに掛かる。


「ひっ!」


「そーやって、いつまでも舐め腐ってるとお前が先に死んじまうぞ!」


 横薙ぎに襲い来る刃。想次郎は身を屈めてそれを回避する。しかし、想次郎は視界の端でシナリスが口元にこれまでで一際凄惨な笑みを作ったのを見た。


「撃連斬っ!」


 瞬間、想次郎の頭上を通り過ぎた長剣が、まるで重さを感じさせないような挙動で弧を描きながら宙で翻り、呼吸の間もなく二撃目が想次郎を襲う。


 重心を落としたままの想次郎は先に防いだように双剣を交差させてその刃を受ける。


「ぐぅっ……」


 しかし剣技を発動したシナリスの剣撃は、先程までとは比べものにならない程の重圧だ。想次郎は受けながら短い呻きを漏らす。


 シナリスは二撃目の防御それすらも予期していたかのように、想次郎に密着したままの刀身を振り回し、そのまま放り投げるようにして想次郎をの身体を吹っ飛ばした。


「があっ!」


 場内の壁に叩き付けられ、その場にへたり込む想次郎。しかしシナリスの剣技はまだ終わってはいなかった。


「風牙ぁっっ!!」


 刀身を再び翻させると、シナリスはその場で流れるような三撃目を振る。剣は空気を裂く鈍い音をさせながら誰もいない宙を切った。すると空気中に風の刃が形成され、未だ体勢を持ち直せずにいる想次郎目掛けて飛んだ。


 風の刃がぶつかった衝撃で砂煙が立ち上り、想次郎のいた筈の場所は一時見えなくなる。ぱらぱらと降り注ぐのは想次郎が背を付けていた決闘場の壁の破片だ。


 次第に砂煙は収まり、想次郎の陰が見えてくる。観客たちは固唾を飲んで勝負の行方を見守っている。


「ふん、運のいい奴……」


 誰よりも先に想次郎の様子を察したシナリスはそう言って鼻を鳴らした。


 地面にへたり込んだまま起き上がれずにいる想次郎。その体勢が幸いし、風の刃は想次郎の頭上すれすれのところを通過したようであった。


 風の刃が当たった壁には大きく抉れたような傷ができている。


「はぁっはぁっはぁっはぁっ……」


 想次郎の呼吸は酷く荒い。最早意識を保つので必死だった。


「…………」


 シナリスは肩に担いでいた剣をだらりと下げると、切っ先を地面に擦るようにしながらゆっくりと想次郎の元へ向かう。


 そして想次郎の眼前に立ち塞がった。未だ起き上がれない想次郎。


「終わりだな……」


 シナリスはつまらないモノを見るような目で、そっと剣を振り上げる。


「――さん……です……」


「あ?」


 想次郎が発した言葉を聞き、シナリスは振り上げたままの姿勢で剣を止める。


「こう……さんです……ぐす……ひっく……」


 想次郎は大粒の涙をぼろぼろと溢しながら、懇願するようにシナリスを見上げていた。


「降参です……ひっく……。降参しますから……許してください……。お願いです……ぐすっ……。死にたくない……」


「期待外れだぜ」


 シナリスは剣を振る代わりに唾を吐き捨てると、乱暴な手つきで剣を下ろし、想次郎に背を向ける。


「おい! 審判! 降参だってよ! くそが」


「…………。降参……。降参が宣言されました! シナリス・ガリュウサ! たった今彼の13連勝が確定しましたぁ!!」


 一息遅れて、司会の男がシナリスの勝利を告げた。





 まるで廃墓所で遭遇するグールのような足取りで決闘場を後にする想次郎。


 負けが決定した後、改めてアウルムの部屋に通された想次郎は説明を受け、100オウクの借用書にサインをさせられた。


 100オウクの支払いは月々10オウクずつという取り決めになった。


 決闘前と同様で、想次郎の意識はその間もずっと曖昧だった。ただ言われることに「はい」と機械のように返事だけをし、言われるままに書類にサインをし、促されるままに退室した。


「エルミナ……さん」


 泣き腫らした目元を擦り歩いていると、目の前にエルミナが立っていた。


「もしかしてずっとここで待っていたんですか?」


 エルミナは色のない視線で想次郎を見つめる。


「ひどい有様ですね」


 エルミナは砂と擦り傷まみれになった想次郎の成りに、溜息混じりに言う。その言葉に、想次郎はこの街に来てすぐに金を巻き上げられた時のことを朧げに回想していた。


「ええ……ぐすっ……」


 こうして無事にエルミナと再開できた安堵感と自身の不甲斐なさで、せっかく収まり掛けていた涙が想次郎の目元から溢れた。


「想次郎さん……」


 エルミナは徐に手を差し出す。


「帰りましょうか」


「……はい」


 想次郎はその手を握った。


 体温のない筈のエルミナの手は、しかし生気を失った今の想次郎には不思議と熱く感じた。






------------------フレーバーテキスト紹介------------------

【剣技】

C2:風牙

他の剣技との同時使用で、斬撃の瞬間に限定して風属性を付与。

さらに攻撃範囲拡大効果。

魔法の力を持たない剣士が戦場で魔法に対抗する為に編み出した特殊な剣技の一つ。他の剣技と併用することにより風の力を刀身に纏わせた斬撃を放つ。力の発生源は魔力ではなく〝剣気〟と呼ばれる特有の体内エネルギーであるが、難しい理屈を嫌う剣士たちの間ではしばしば〝気合〟や〝気力〟といった言葉で誤魔化される。

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