第126話:願いの器

 爆発的な魂の奔流として溢れ出た力が、あっという間にカルベローナを追い抜き、巨大な赤いドラゴンとなって[紅蓮の騎士]に喰らいかかった。

 同時に、リィーンドの怒りがミラベルの心の内に走る。

 無論、それはミラベルに向けられた怒りだ。

 あわよくばこのまま此方側に襲いかかろうという魂胆までは見通したミラベルは、更に[言葉]を重ねる。


『〝わたしたちを、守れ!〟』


 波動が駆けると、[言葉]がリィーンドの意思を縛り付けた。


 ――小娘共が――。


 リィーンドの憎悪がミラベルの心の内を走る。

 ……繋がりすぎたのかもしれない。

 暗い感情がミラベルを少しずつ蝕むが、今は先に成すべきことがある。


「カルはブランを! こいつは、わたしが――」


 言いながらも、ブランはもう助からないかもしれないと思っていたミラベルであったが、かすかに漏れた邪悪な魔力に反応し、とっさに別方向への〝魔法障壁〟を全力で張り巡らした。

 しかし――。

 その方向、すぐ近くで、胸元を抑えながらゆっくりと立ち上がる、邪悪な魔力の主がいつもの調子で言う。


「自分は問題ありません、ミラベル殿は陛下を――!」


 ……ブランダーク、は――。

 邪悪な魔力は既に消えている。

 ブランダークの胸元の傷は既に消えている。

 だが、敵の剣は完全に彼の体を両断していたはずだ。

 何を、したのだ?

 何なのだ……?


 爆炎が巻き起こると、炎の中から無傷で姿を現した[紅蓮の騎士]がリィーンドの翼を両断した。

 [紅蓮の騎士]が返す刃を女王に向け振り下ろした瞬間、真横からリディルが脚部スラスターを全開にさせ、思い切り体当たりを仕掛けた。

 [紅蓮の騎士]がわずかにバランスを崩すと、更に追い打ちとばかりにリディルの腹部拡散魔導砲がばらまかれ、[紅蓮の騎士]はたまらず距離を取る。

 ミラベルがそのまま[八星]を爆裂させ、嵐のように[紅蓮の騎士]目掛けて撃ち放つ。

 しかし、[紅蓮の騎士]は更に距離を取りジグザグな飛行を続けることで全てを回避しきった。


 リディルがぜえ、と肩で息をし、[貪る剣]を大地に突き立て失った体力を回復していく。

 ふと、ビタリと動きを止めた[紅蓮の騎士]が、低く通る声で言った。


『――[古き翼の王]とお見受けする』


 男の視線は、女王に注がれていた。

 ミラベルは意味がわからず、困惑する。

 女王が、[古き翼の王]……?

 この男は、何を言っているのだ?

 しかし、女王は言った。


「――如何にも。だが、それは貴公も同じである」


『ほ、お。俺が――?』


 リディルがじわり、と迂回しながら距離を詰める。

 見れば、メスタとブランダークも同じようにして[紅蓮の騎士]を取り囲みつつ合った。

 先程から一切戦闘に参加していない役に立たずのバーシングがようやく興味を惹かれたのか、女王を守護する盾のように翼を広げた、覆った。

 女王が言う。


「お前こそが、〝願いの器〟。千年前の無垢な願いを叶えるためだけに行動する、[古き翼の王]の成れの果てよ」


 背後で、リィーンドがボロボロの翼を使い、何とか起き上がる。

 そして今まさに、息絶えようとしていたブラスターと呼ばれたドラゴンが、リィーンドの姿を見て安堵する。


「リ、リィーンド。戻ってきてくれたのか……。か、彼らを、頼む……願いを、我らの、悲願を、本当の、[古き翼の王]を――」


 すると、ブラスターの身体がゆっくりと崩れ、淡い輝きとなって[紅蓮の騎士]へと吸収されていく。

 [紅蓮の騎士]は、どこか納得した様子で言った。


『ならば、全てのドラゴンを殺し終えた後、俺も消えよう』


「――ティルフィングを、殺したな?」


 一瞬、回り込んでいたリディルの身体が硬直する。

 [紅蓮の騎士]は一度考えてから、『ああ……』となにかを思い出し、言った。


『かわいそうなことをした。あれの死も、誰かが願ったのだろう』


「……〝壊れた器〟が、未だに彷徨っている。――既に、ドラゴンと我らは同盟関係にある。貴公の理屈は間違っている」


『だが願いは続いている。恐れているのだ。憎んでいるのだ。だから、叶えてやらねばならない。そうでなければ、報われない』


「まさしく、怨念である」


『[古き翼の王]には、消えてもらう。――かわいそうに』


 [紅蓮の騎士]が跳躍した瞬間であった。

 四方からブラン、メスタが同時に仕掛け、翼で女王を守りながらバーシングがいくつもの灼熱の[言葉]を撃ち放つ。

 その全てを[紅蓮の騎士]は横薙ぎの一太刀で薙ぎ払った瞬間、下方から現れたリディルが加速し、[貪る剣]を突き立てた。

 [紅蓮の騎士]はくるりと身を翻し、リディルの剣撃が振るわれるよりも早く更に懐に潜り込むと、そのままリディルの腕を無理やり掴み取った。

 メスタが叫んだ。


「リディ――!」


 [紅蓮の騎士]が素早くリディルの首元に赤黒い刃を宛てがい、唐突に動きを止める。


『ン――! リディル・ゲイルムンドか?』


「な、に――」


 リディルが苦しげに呻く。

 すると、すぐに[紅蓮の騎士]はリディルを突き飛ばし、淡々と言った。


『俺の中の誰かが、お前の無事と幸せを願っている。――良かったな』


 同時に、更に上空から[紅蓮の騎士]目掛けていくつもの灼熱の砲火が撃ち放たれた。

 それらを縫うようにして回避しながら、[紅蓮の騎士]は呻く。


『ドラゴンの死を願う者が、大勢いる』


 と。

 三十を超えるドラゴンたちが、[紅蓮の騎士]に同時攻撃を仕掛けた。

 ミラベルは周囲を警戒しながら言う。


「わたしも、援護に――」


 だが、不意にリィーンドが低く呻いた。


「ブレインは、俺などに、託したというのか……俺などに……」


 一瞬、ミラベルは再び束縛すべきか迷った。

 だがリィーンドから感じていた烈火の怒りは既に消え、哀愁と悲哀の感情が強く漏れているのを知覚したミラベルは、迷ってから言う。


「あいつを倒すまでで良いので、力を貸してください、リィーンド」


 リィーンドは一度だけ怒りの形相をミラベルに向けたが、すぐに悲しげに視線を落とし、灰となったブレインの亡骸をじっと見詰めた。

 不死身のドラゴンでも、封印はされる。

 だが、捕食されたとなればどうなるのだろう。

 [魔術師ギルド]で学んだドラゴン研究によれば、それは封印と同意義でもあると記されていた。

 即ち、永久に魔力を放出し続ける動力となるのだ、と。

 無論あまりにも残酷すぎるため、技術だけを残し存在は破棄されたとあった。

 だが、[紅蓮の騎士]なる者は、まさしくそういう存在なのだろうと予測はつく。


 上空で何かが爆裂すると、三体ほどのドラゴンの首が両断され、吸収され、灰になっていくところだった。

 リィーンドはその様子を忌々しげに見つめ、つぶやく。


「[嵐を起こす者ストレイン]、[腐敗の王アドリン]、[大地の守護者アーディアン]――」

 それは、今屠られた者たちの名なのだろう。

 言葉が意味となってミラベルの内に刻み込まれる。

 バーシングが言った。


「リィーンド! 迷ったのならやってみろと御老体は良く言っていたぞ!」


「……バーシング、お前は必ず殺してやる」


「そうか! 今でも良いぞ! 協力してくれるのだなリィーンド、助かる!」


 リィーンドは一度バーシングに吠えてから、苛立ちを隠さず吐き捨てた。


「乗れ。取るに足らぬ人間共。――盟約の何たるかなど知らぬが、我が友ブレインの願いは叶えてやる」


「この俺を、こ、こうも足蹴にする――」


 とぼやいた傷だらけのウィンターの背に、メスタとブランダークが乱暴に着地する。

 女王とミラベル、カルベローナを乗せたリィーンドが飛び立つと、バーシングが少しばかり慌てた様子になる。


「お、おい剣聖の――!」


 見れば、リディルは単身で加速し、上空のドラゴンたちと激戦を繰り広げる[紅蓮の騎士]へと斬りかかっていた。

 女王が言う。


「このまま向かいます!――我々では、あの子の足かせにしかなりません」


 ドラゴンが飛び立つのとほぼ同時に、左手に刻まれた刻印が灼熱を帯び、激痛となって

 ミラベルを襲った。

 しかし、奇妙なことに同じ刻印を持つはずの女王もメスタも不調は無いように見える。

 ミラベルの様子に気づいたメスタが慌てて、


「ミラ――!」


 と声を駆ける。

 同時に、ミラベル自身の胸の奥深くから、底冷えのする男の声がした。


『――そ、こ、に、い、た、の、か』


 思わず、ミラベルは呻いた。


「う、く……ザカールに、居場所がバレた……!」


 彼方の空が輝くと、三十隻を超える[飛空艇]艦隊が次元を撃ち破りながら無理やり姿を現し、同時にドラゴンとリディル、[紅蓮の騎士]目掛けて一斉に砲撃を仕掛けた。

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