第118話:封印の真実

 展望室の扉を抜けると、そこは外部カメラで撮られた周囲の状況が全体に広がる、少しばかり手狭な空間だった。

 空は快晴。しかしながら、周囲には氷の大地が広がっている。

 地面が近いことから、カルベローナの情報の通り[グラン・ドリオ]は不時着したのだろう。


 そこに、女王もいた。

 展望室の端で、ただ彼方を見据えている。

 女王の左手には、黒い奇妙な素材でできた包帯がぐるぐる巻きにされていた。

 今も女王の傍らにいる、ジョット・スプリガンなる者が定期的に封印を施すことで、かろうじて封印が解かれるのを抑え込んでいるのだと聞かされている。

 だが、そのジョットとはどういう者だという問いにカルベローナは言葉を濁した。

 リディルはわずかに苛立ったが、黙っておく。

 どうせ、これから聞いてやるのだ。

 甲斐甲斐しくもついてきたカルベローナは、女王がこちらに視線をやるとすぐに深々と頭を下げた。

 だが、リディルはそのまま女王をまっすぐに見据え、言った。


「メリアドール・ガジットの剣として、答えてもらいたいことがあります」


 女王は静かに目を閉じ、何かを決意した表情で、


「勿論。最後の剣聖、リディル・ギネス・イルムンド」


 と答えた。

 リディルはゆっくりと左手の甲を女王に見せ、問う。


「全部、知ってましたね?」


 それは、リディルの中の僅かな怒りからでた言葉である。

 女王が何かを言いかける前に、リディルは言った。


「少なくとも、メリアドールが[古き翼の王]になることまでは、知っていたはずです」


 リディルの武器は、観察力である。

 だからこそ、女王の様子を見、ある種の確信を得た。

 女王は、[古き翼の王]が蘇ったことに対して、驚くほどに冷静なのだ。

 無論、今蘇ったことに対しての驚きはある。うろたえもしただろう。

 だが、女王の落ち着きすぎている息遣いと視線が、それは予期していたことなのだと裏付ける。


 時期は知らない。

 だが、メリアドールがそうだということを、知っていたからこそ――。

 彼女の答えによっては、リディルは女王を恨み続けるだろう。

 許せないだろう。

 しかし――。

 女王はさみしげに微笑み、言った。


「全てを託された子。――我々が、そうしてしまった子。リディル・ゲイルムンド」


 まるで何かを懺悔するかの如く、女王は震える息を吐く。

 リディルは苛立ち、言った。


「質問に答えて無いですよね?」


「――そうですね。でも、見た方が早いのです。[リドルの鎧]を、戦闘状態に」


 リディルの左手の甲と同化した、[リドルの鎧]。

 それはリディルの僅かな魔力だけでも、意思を介し、魔法と同じ原理で展開し、リディルの小さな体を一瞬で包み込んだ。

 不思議と、今までよりもずっと軽く、それでいて大きな力を感じる。

 まるで、縛っていた何かが解かれたような――。

 女王が言った。


「私は、何と表示されていますか?」


 リディルは遅れて頭部モニターに表示されている女王を見、息を飲んだ。

 咄嗟に[貪る剣]を鞘走らせ、女王に――[古き翼の王]と表示されているその者に向ける。

 何故、どうしてとただ疑問が湧き上がり、答えが出ない。

 女王は言った。


「これが、千年前に[暁の勇者]が施した、封印術」


 女王が穏やかに続ける。


「……彼らは、[古き翼の王]を複数に別けて封印しました。まず最初に、魂だけが卵の形として残っていたことを発見し、次に肉体を[古き鎧]を始めとする武具や素材として。そして力を、この[刻印]の中に――」


 女王は語る。彼女が[禁書庫]で得た知識を――。

 やがて、ビアレスらは[刻印]の本当の意味に気づく。

 倒したはずの、滅ぼしたはずの[古き翼の王]の[言葉]が、彼らの夢を蝕み始めたのだ。


 だが、ビアレスらはそれを逆手に取った。

 この[刻印]が、[古き翼の王]の魂のスペアであり、復活のための卵なのだと気づいた彼らは、逆にこの[刻印]を起点にし、更なる[封印]を編み出したのだ。


 [刻印]には、確かに[古き翼の王]の精神の残照がある。

 まずビアレスたちは、十三あった刻印を、約半分に減らした。

 二つの[刻印]を統合し、一つにする。

 少しずつ、少しずつ新たな封印を試み、より強固にしていきながら更に減らし――。

 最終的に、刻印は三つになった。


 一つは、ゼータに託された。

 理由は記述されていなかった。


 二つ目は、ビアレスが保持することになった。

 やがてそれは[盾]の最初の犠牲者の娘、ソフロ・オーキッドに受け継がれた。

 そして三百年前、彼女はザカールとの戦いで[刻印]の力を発動させ、ザカールの復活を未然に防いだ。

 だが結果として[刻印]の封印は解かれ、[古き翼の王]の復活をわずかに早める事になった。


 三つ目を、グランイットが持つことになった。

 ――この三つ目こそが、最も重要な役割を果たすことになる。

 一つ目と二つ目の[刻印]は、あくまでも三つ目の封印を強める鍵でしかなく、事実上[古き翼の王]の力と精神は全て、グランイットから子供たちへと受け継がれたのだ。


「力と……精神――」


 リディルは言われた言葉を反芻し、しかしと疑問に思う。


「で、でも、メリーちゃんは……メリアドールは、全然そんな様子は――」


 意味がわからないのだ。

 実感はまるで無く、もしやと思い当たる節も無い。

 彼女は息遣いも、何もかも普通の人であり、出会った時からずっとメリアドールだった。

 悲しい時やからかいすぎた時は泣くし、怒る。

 楽しいときは笑うし、みんなで一緒に過ごしてきたのだ。

 女王が穏やかに頷く。


「それが、ビアレスの編み出した、[古き翼の王]の……無限の命を持つ者への、封印なのです」


 彼女は静かに目を閉じ、問う。


「貴女は、赤子の時のことを、覚えていますか――?」


 何を、とリディルは困惑し、首を振った。

 覚えているわけがない。

 誰だって、そんな幼い時のことなど――。


 ぞわり、とリディルは背筋が震えた。

 その考えにたどり着き、驚愕して女王の顔を見る。

 女王は言った。


「私も、母も、オリヴィア・グランドリオも、ミラベルも――メリアドールも、赤子の頃は間違いなく[古き翼の王]の意思を宿していたのです。邪な精神を持ち、しかしなんの力も持たず、[言葉]も使えず、ただ泣きじゃくるだけの――小さな小さな、[古き翼の王]」


 精神の――意識の、記憶の、上書き。

 邪竜の精神を持った赤子として生まれ、しかし穏やかに育て、邪なものを人としての意識で上書きする。

 人の心を持った、[古き翼の王]を作り上げるのだ。


「――長い時を経て……千年もの間、[古き翼の王]は戦士の魂を少しずつ[刻印]が喰らい続けました。計算に、狂いが生じたのです。力が解き放たれてしまった。――二つ目の[刻印]が失われたことが、原因なのでしょう。だから、オリヴィア・グランドリオは、当時の[暁の剣]の団長レイジと協力し、ミラベルの中の[古き翼の王]を封印したのです」


 ……どうやって、という問いが喉から出てこない。

 その類の封印魔法を、リディルは知っていた。

 それは、即ち――。


「オリヴィア前女王が一度、不完全な[古き翼の王]として復活を果たし、レイジ団長が討ち、ミラベルの[刻印]へと封印したのです。前女王の、魂ごと――」


 しかし、とリディルは問う。


「メリーちゃんは、どうして――」


「欠片が、逃れたのです。産まれたばかりのミラベルでは、器が小さすぎた。封印しきれなかった。そして逃れた欠片が、同じ日に産まれた血統、メリアドールの中へと逃げ込みました。唯一の幸運は、彼女が類まれな才を宿していたこと。生まれながらに[全属性]を持ち過去に類を見ないほどの[強属性]を宿していたのです。我々は、彼女の身に宿した強大な魔力と、今持てる技術を使い、再び[古き翼の王]を封印しました。ですがそれは、その場しのぎの封印でしかなかったのです」


 気に入らない、とリディルは思った。

 自分の娘だろうが。

 母親なのだろうが。

 それを、まるで他人事のように――。


「メリーちゃんは、[弱属性]のせいで、いっぱいつらい思いをしてきました」


 恨みが口から吐き出され、リディルは初めて憎悪の目で他人を見据える。


「メリーちゃんは――それなのに、みんなのために、頑張ってくれてたのに……」


「それは――知っています。優しい子に、育ちました」


「だったら――!」


 怒りで拳を握りしめると、女王の瞳に逡巡の色が滲み、リディルはその先の言葉を詰まらせた。

 女王が初めて母親らしい表情を見せ、呻くようにして言う。


「我が子に、もうじきお前は敵になると――」


 だが、女王はその先の言葉を飲み込み、静かに言った。


「きっと、伝えておくべきだったのでしょうね。――皆に、そのことを」


 ああ、そうか。

 この人は、自分を押し殺せる人なのだ。

 滅私、他が為に尽してしまう人なのだ。

 ――メリアドールの、母なのだ。

 女王が、おもむろに言った。


「全ての罪は、私にあります」


 彼女はリディルの目を真っ直ぐに見据える。


「[暁の盾]は、ごく近い未来に迫った[古き翼の王]の復活に備え、手を尽くしました。しかし、長い平和の時代がそれを困難にさせ――」


 女王はリディルからゆっくりと視線を落とし、静かに、ゆっくりと、深く頭を下げた。


「貴女という天賦の才に、縋りました」


 ――この人も、弱っているのだな。

 そんな感想をリディルは持つ。

 立場が、人を作る。

 この人は、女王になったメリアドールなのだ。

 それでも、許せと言われて、好きになれと言われてはいそうですかと思えるほどリディルは大人では無い。

 嫌いなものは嫌いだし、憎いものは憎いのだ。

 しかし、とも思う。


 きっとこの人が言ったことも、半分は嘘で、半分は本当なのだろう。

 昔の[盾]の、母の様子を思い出して見れば、そして今の話と照らし合わせてみれば、それは少しずつ繋がってくる。

 [盾]の騎士たちは、必死だった。

 彼らも人の親である。

 我が子がいて、孫がもうじき生まれる年齢だった者もいる。

 だのに、皆が寄ってたかってリディルを戦闘兵器に作り上げたのだ。

 彼らは間近に迫る地獄に対して、家族のために、国の為に、世界の為に善意をかなぐり捨ててしまったのだ。


 ――かつて、無関係の世界から〝次元融合〟で[勇者]たちを呼び寄せたように。


 追い込まれていたのだろう。

 差し迫った災厄に対して――。

 対ドラゴンの必勝は、不意打ちと接近戦だ。

 [言葉]が放たれるよりも先に近づき、喉元を裂き[息]も[言葉]も封じ、殺す。

 きっと、リディルを使うことは、誰が言い出したわけでも無いのだろう。

 皆が皆不安に苛まれながら、あらゆる手段を尽くし、その中の数少ない成功例がリディルだっただけなのだ。

 だから、縋るしかなかったのだ。

 未知とは恐怖であり、その恐怖が[古き翼の王]の強大さを無限にしたのだろう。

 この人は、それを抑えられなかっただけの人なのだろう。


 だから、リディルは許すとは言えず、気にするなと言う言葉をかけることもできず、ただ話題を反らした。


「――記憶って、言いましたよね」


 同時に、それはリディルの中の恐怖の可能性でもある。

 女王は予測していたのか、わずかに頭をあげ、首を振った。


「貴女のせいではありません」


 だが、リディルはその言い草が気に入らなかった。


「あたしが、メリーちゃんの、記憶を――」


[古き翼の王]の、記憶を……呼び覚ました。


「あたし、が――」


 言葉にできず、リディルは俯いた。

 人は、多くのことを忘れて生きているのだろう。

 リディルだって、嫌な思い出の全てを覚えているわけではない。

 けれど、メリアドールやメスタと一緒にいるときは、忘れることができていたのだ。

 昔のことを思い出させるというのは、即ち、そういうことなのだろう。

 だが、女王は今度こそ真っ直ぐにリディルを見、リディルの考えを力強く否定する。


「あれは、希望です」


 最初、リディルは気安い慰めだと苛立った。

 だが、女王は本気でそう言っているように見えた。

 感覚でわかるのだ。

 彼女は、本気だと。


「本来ならば、ミラベルの時と同じように、[古き翼の王]は完全にメリアドールを内側から食い破り、復活を遂げるはずでした。ですが貴女は、そこから[古き翼の王]を無理やり引きずり出したのです」


「――だけど、それじゃメリーちゃんは……」


「希望だと言いました。その鎧と、貴女の[言葉]で、[古き翼の王]に、もう一度思い出してもらうのです。メリアドールの、あの子の記憶を――」


 そんなこと、できるのか――。

 考え、リディルは言う。


「あたしだけの力じゃありませんでした」


「報告は聞いています。[翼]の、彼の助力があったと」


「――あの人は、誰なんですか。これも知ってるんですよね?」


 問うてみて、リディルはすぐに気づく。

 女王は困惑しているのだ。


 ――まさか、本当に知らないのか……?


 ふと、空の彼方に七つの影を見つける。

 それが人型[魔導アーマー]なのだと気づき戦闘準備に入ろうとするリディルであったが、女王も接近する影に気づき、言った。


「偵察部隊が戻ってきたようです。皆、貴女が目覚めるのを待っていたのですよ」


「……どういう意味です?」


 少しばかり苛立って言うと、女王は頷いた。


「これより、ミラベルがドラゴン召喚を行います。――従うまで、貴女にはドラゴンを殺し続けてもらうことになります」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る