第96話:泥沼

 飛空艇艦隊の最後尾に、最も巨大で最も堅牢な、飛ぶ城とも取れる外見の空母がしずしずと空をゆく。

 名を、〝グラン・ドリオ〟。

 二百年ほど前に、戦争終結百年を祝して建造された巨大飛空艇だ。

 当時残されていた最高品質の〝妖精鉱〟をふんだんに使用しているため、最低限の維持を行うだけで艦内の設備や装甲が自己修復を行い、理論上は永遠に使用可能な艦となっている。


 この技術も、[ビアレスの遺産]の一つだ。

 ブランダークはふと、自身の騎士団に任された護衛対象が座る、広い艦橋に備え付けられた玉座の主をちらと視界の端に入れ、考える。

 やはり、女王陛下は全てを知っている。


『[遺産]が本物ならば、ギネス家の命令に従う』


 女王自らそう述べ、こうして前線に赴いたのだ。

 今、本国の玉座は女王の子らと、ドラメキア・テモベンテ、そしてロベル・パイソン率いるそれぞれの騎士団が守っている。


 だが、ブランダークの疑問は別のところにあった。

 事態が性急すぎるのだ。

 本来ならば、なぜそうなるのか、あるいはその情報が正しいのか、様々な要因を試行錯誤する段階がある。

 だが今回はそれらを全てすっ飛ばしてしまっている。

 まるで最初から、何があるのか全てわかっているかのようで不気味だ。

 そしてそれが、今となっては[禁書庫]の全てをしる数少ない一人、女王の指示なのだから――。


 そしてようやく、[特命コード]によってもたらされた、[遺産]の眠る地をはるか遠方に捉えることができた。

 場所は、帝都のはるか南。

 ハイエルフの国の一郭だ。

 ややあって、来客があり、〝グラン・ドリオ〟の応接室へと彼女たちは通された。

 やってきたハイエルフの女性は、女王に頭を下げようともせず開口一番に言った。


「老婆心ながら、助太刀はさせていただく。我が方の管轄にも不備があった」


「助言に感謝いたします、レリア・オーキッド卿」


 女王は柔和な態度を崩さず、穏やかに微笑んだ。

 ハイエルフの国、五大氏族の内の一人、穏健派のオーキッド家。

 だがかの国の穏健派とは、人との友好を深めるという意味では無い。

 二度と三百年前のような事態を起こさないため、徹底した排他主義を振りかざす家なのだ。

 それに、とブランダークは思う。

 助太刀なわけが無いだろう。

 帝国が無理を言って、他国の領土に騎士団の大部隊を入れたのだ。

 それも、先の戦いで起こったエルフ側の失態を突く形で。

 関係は一層悪化するだろう、というのがブランダークの見たところだ。

 三百年経っても、ハイエルフと人は相容れることができなかったのだ。

 何せ、人は三百年も昔のことをと記憶の彼方に忘れさり、ハイエルフは自分の親兄弟が殺されたことをつい昨日のように覚えているのだ。

 溝がうまるわけが無い。

 彼女は言った。


「連絡は聞いた。我が方にある[遺跡]が、そうだと?」


 女王は頷く。


「[禁書庫]には、[遺産]の所在と正体が記されています」


 思わず、ブランダークは息を飲んだ。

 そしてそれは、レリア・オーキッドも同じだった。


「……我が国の、情報すらも記されている? 事もあろうに、貴重な財産を――[塔の跡地]を他国の者が我が物顔で荒らし回る。帝国であるな」


 また、女王は柔和な様子で微笑み、静かに頷いた。


「ビアレス王と、エルフの関係。貴女なら知っているはずです。――彼はきっと、我々と貴女方の間で永遠の友情を信じていたのでしょう」


 すると、一度だけオーキッドは寂しげに視線を落とし、しかしすぐに前を向き、言った。


「寿命が十倍も違えば、見るものも変わる。どだい、我々はわかりあえぬ」


「……貴女の、母君のこと。娘と[翼の彼]から聞いています」


「フランギース女王は、それを信じると? 証拠も何も残っていない世迷い言を」


「信じます。[翼の彼]が見たのなら、それは間違いなく真実です」


 オーキッドは一度黙り、静かに言った。


「あれは、[ベルヴィン]では無い」


 すると、女王は口を閉ざし、しかし穏やかな面持ちで静かに目を閉じる。

 オーキッドは続ける。


「ビアレスの願いは、叶わなかった。別人が入っている」


 女王は黙ったままだ。静かに彼女の言葉に耳を傾けている。


「それも、似ても似つかない全くの別人だ。……言葉よりも先に剣を走らせる魔人とまで言われた、戦いの権化が[ベルヴィン]だ。私が――母から聞いているのは、ビアレスの晩年の様子だ。彼は常に、後悔と罪悪感の中にいたという。……その男が残した[禁書庫]とやら。[魔法大戦]においてもとうとう開示しなかった。……それだけの価値があるのか?」


 やがて女王は、少しずつ、しかし慎重に、言葉を選ぶようにして口を開いた。


「――人は、変わっていくものです」


「……そうやって煙に巻く物言い。我々は、ビアレスの期待に応えてやれなかった。その溝は、埋まりそうに無いな?」


 女王は穏やかな様子で口を閉ざし、それっきりだった。


 ※


 振動があった。

 遺跡の遥か地下深くからでもわかる。

 ――これは飛空艇による、長距離爆撃。

 みんなが来てくれた、という思いは希望となり、メリアドールの心を奮い立たせた。

 黒騎士がちらと兜を上方に向け、言う。


『どいつもこいつも、死人に縋って――なあ? メリアドール姫様も、ふふ、そう思うだろう?』


 捕まってから数日。メリアドールは水だけを飲まされ衰弱していた。

 それでも、心を折らなかったのは必ずメスタとリディルが来ると信じているからだ。

 しかし、もしもという恐怖は彼女にだってあるのだ。

 だがそういう感情を、責任感で覆い隠せるほどの力は彼女にある。

 メリアドールは、全身に巻かれた[妖精布]で身動きが取れないでいる。

 それも、最も[妖精]の濃度の濃い純正品だ。

 こんな貴重なものを、どうやって――。

 黒騎士はおもちゃを自慢したがる子供のように語りだす。


『興味はあったのだ。本当に血統で遺産は動くのか? ビアレスとか言うあったこともない、本当に王だったのかも疑わしい男を、信じ過ぎちゃあいないか? とね! フフフ!』


 戯言にメリアドールは付き合ってやるつもりは無い。

 ここまでの道のりは全て頭に入っている。

 すきがあるとすれば、その遺産の鍵にされた時なのだろうが、どいう形で鍵にされるのかもわからないため、そうなる前に脱出をしなければならない。

 もちろん、先に誰かがこの地底深くまで到達してくれれば良いのだが――。

 リディルならきっと、誰よりも先に来てくれる。

 そういう子だ。

 だから、まだ頑張れる。

 まだ――。

 やがて、薄暗い遺跡の更に奥深く深く、巨大な吹き抜けに差し掛かったその時だった。


『雇い主がお怒りだ』


 闇の中からぬらりと姿を現した黒い影が高圧的な様子でそう言った。

 ぎょっとし息を飲むと、その黒い影――魔人ヴァレスはメリアドールを見てにたりと笑った。

 眼下には、先日の[紅蓮ゴーレム]に似た天をつくほどの巨人が胸元まで地中に埋まっている様子が見える。

 その発掘作業は、国で普及している採掘用のゴーレムと、ヴァレスとそっくりな異形の怪物が行っている。

 雇い主――黒幕は本当に[ボーン商会]、で良いのか?

 メリアドールは必死に考えを巡らす。

 ここまでくればもうザカールだけの仕業では無い。

 内部の者。

 ……内通者では無く、主犯だ。

 だが、口ぶりから……黒騎士は命令に背いたのか?

 ――本当に、ボーン商会か、あるいは[聖杖騎士団]が直接手を下していると考えて良いのか?

 そこまでのリスクを犯すのか?


 ……まだ現段階では、追求したとしてもはぐらかされて終わるだろう。

 それはメリアドールが[ハイドラ戦隊]を完全に掌握するために使ったやり方でもあるし、その程度のことをどこかの誰かがやっているのは当然のことだ。

 自身の組織と、それを追求する組織両方を掌握してしまえばことは容易いのだから。

 ヴァレスがメリアドールをもう一度視界に入れ、あざ笑った。


「いつぞやの小娘。お前がアークメイジで無いのは、時代が進んだからか――」


 ぎちり、と開いた爪をメリアドールに向けると、黒騎士が割って入る。


『私の客人だ、魔人ヴァレス殿』


 メリアドールは、その様子を不思議な気持ちで見つめていた。

 この男は、人を思い切り殴り飛ばしたと思えば今のように甲斐甲斐しくかばってみせる。

 拘束だって、きつく縛りすぎないよう奇妙な配慮がなされている。

 意味がわからない。

 まるでちぐはぐで、行きあたりばったりな――違和感を覚えるのだ。

 こいつは一体何がしたいんだ?

 何が……目的なんだ。

 ヴァレスが言った。


「おーおー。剣聖殺しの黒騎士とやらは、我らの後ろ盾なくして戦えるのかな?」


 ぞくり、と背筋が震えた。

 こいつが、リディルの母を……?

 ……こいつが?

 こんな、ちっぽけな男が?

 ちょっとした挑発で癇癪を起こし、喚くような小者が……?

 黒騎士が言う。


『ならば雇い主の前でもう一度無様な姿を晒してみるか?』


 ふいに、ヴァレスの瞳がぎらりと怪しく瞬く。

 黒騎士がずいと前へ出、息がかかるほどの距離で漆黒の兜の奥から呪詛のように低く言った。


『我が剣は貴様よりも強い。それは既に、証明した』


「新たな[古き翼の王]となったことで図に乗っているようだなぁ!」


 思わず、メリアドールは黒騎士を見た。

 新たな、[古き翼の王]。

 何を……。

 では、あの黒い彼は……。

 ふいに、ヴァレスのギラついた瞳とメリアドールの視線が交差する。

 ヴァレスはにたりと笑ったような気がした。


 ――こいつ、戯れているのか?


 わざと情報を流したのか、あるいは遊んでいるのか。

 メリアドールは苛立ち、同時に恐怖した。

 人の命を、弄ぶ者たち――。

 黒騎士が言った。


『[古き翼の王]は、怨念と共に我がものとした』


「ハハハハ! 御せるものか! あれはなぁ! そういうんじゃ無いんだよ! 一時的に、お前の中で眠ってやってるだけだ! 目が覚めればお前ごと食い破り、本物が姿を現す!」


『その時は永遠に来ない。私こそが[古き翼の王]。全ての命の頂点にいる』


「可愛いよ! だがなぁ! 俺がここに来た理由を察することもできないんだもんなぁ!?」


 ヴァレスがばちんと稲妻を走らせると、メリアドールを拘束していた[妖精の布]がするりと解けた。

 メリアドールは意味がわからず、動けないままだ。

 ――何を。

 問うよりも早く、黒騎士が短く、


『メリアドール』


 と名を呼び、剣を抜いた。

 ヴァレスが叫ぶ。


「お嬢さんになぁ! [古き翼の王]の掌握なんてぇ! できるわきゃあねえだろ!!」


 作業をしていたゴーレムと魔人たちが、一斉にメリアドールに視線を向ける。

 黒騎士が、言った。


『逃げなさい』


 と。

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