第88話:騙し合い
かは、と息を吐ききり、ケルヴィンは意識を取り戻した。
慌てて飛び起き、周囲の様子を伺う。
特徴的な赤い髪、ジョットの背中を見つけ、安心してしまったケルヴィンは慌てて首を振り、他の者たちを探す。
誰もいない、それにここは……?
見慣れた景色、帝都よりも透き通った星空、遠くに見える街並み――。
ジョットが自分の手を睨みつけ、
「くそっ」
と毒づいてからケルヴィンを見る。
「お目覚めかい? 騎士様よぉ」
「あ、ああ。……その、キミは、怪我とかは」
「あるか、ンなもん」
「――?」
その確信しきった口ぶりに妙な違和感を覚えたケルヴィンであったが、その僅かな感情はジョットの、
「[グランリヴァル]にまで飛ばされたみてえだ」
という言葉でかき消された。
ここは[グランリヴァル]の東、[アガレス峡谷]へと続く[バルト大草原]だ。
「団長たちは――」
「さあな。アタシが起きたときはいなかった。ほったらかしにするような人じゃねえんだろ? なら、別の場所に飛ばされたんだろ」
「べ、別の場所って、どこ!?」
「アタシが知るか! ああ!? なんで騎士様のてめぇが知らねえことをアタシが知ってなきゃなんねぇんだ!?」
「あ、す、すまない」
ケルヴィンは、自分が混乱していることを自覚しながら、髪をくしゃとかき言った。
「まずは、連絡を取らないと。ここからでも[グランリヴァル]には通話用[魔道具]は通じるから、[帝都]にだって――」
「……試したよ、とっくに。[グランリヴァル]には繋がった。んで、[帝都]には繋がんなかった」
そんな馬鹿な、とケルヴィンは慌てて備え付けの腕輪型通話装置に指を触れ、軽く魔力を走らせた。
確かに[グランリヴァル]へは繋がる。
だがその先、[帝都]側でなにか問題が起こったのか、全ての通信が遮断されてしまっているようだった。
※
激しい地鳴りと衝撃でバランスを崩し、びたんと尻もちをついたアリス・マランビジーであったが、先程から続いている[魔断]状態の原因は、全ての[魔導力]が強制的に吸われていることなのだということは理解していた。
そうでなければ、予備魔導力も含めた全ての魔力が消失することなどありえないのだ。
ここは、[幽世の塔]の対極に位置する[次元の塔]の地下深く。存在そのものが[次元融合]にて隔離されており、凶悪な魔獣や悪魔を『保管』しておくための設備。
力だけの怪物ならば、ここである必要は無い。
『保管』されているのは、どれもこれも――。
魔力を必要としない緊急時用の[光石]の明かりを頼りに、アリスは他の研究員たちと同じく足早に避難通路をゆく。
しかし、とアリスは思う。
この塔は、独自に[魔導力]を生み出す[魔導炉]も保持しているのだ。
何故――?
この施設よりも、[魔導力]が優先される何かが……[帝都]に存在しているのか?
知らされていない、ということはありえない。
断言できる根拠と自信が、アリス・マランビジーにはある。
そういう家系なのだ。
つまるところ、マランビジー家が知らない施設ということは、この国の誰もが知らない施設。
であれば――原因はビアレスの時代から存在している何か。
だが、賢王と謳われるほどのものが、こんな単純なミスをするか……?
思考し、仮設を建てる。
[魔法大戦]だ。
あれによって[魔導力]を生み出す塔が失われたことで、計算に狂いが生じたのだ。
――いや、まだだ。
まだ足りない。
それだけでは、アリスが知識として知っている賢王の人となりには足らない。
少なくとももう一手、賢王は対策をしているはず……。
「もうじきだ、ここを抜ければ――」
研究員の誰かが言うと、通路の出口が見えてくる。
やや遅れて、全ての[魔導力]が復旧し、明かりがついた。
数人の研究員たちが悲鳴を上げるのと、囚えていたはずの実験体のドラゴンがアリスの目の前にいた研究員たちの体を噛み砕くのはほぼ同時だった。
吹き抜けになっている高い天井に、やや遅れて魔法障壁が張り巡らされていく。
緊急避難を告げる警報がけたたましく鳴り響くと、[魔導力]の行き届いた施設が異常事態を検知し、鎮圧用のゴーレムたちが四方の壁から出動した。
だが、もう遅い。
すでに獣は解き放たれたのだ。
警報に紛れて、ぞっとするような嘲笑が響き渡る。
クスクス、クスクスと幼子のような声が、今まさに蹂躙されつつある人々の様子を嘲ると、どす黒い光の粒が巨大なカーテンのようになって揺れ動き、やがて幾重にも折り重なった[魔法障壁]を素通りし上方へと消えていった。
ぞわり、ぞわりと悪寒が強くなる。
取り返しのつかないことが、起こってしまったかもしれない。
[次元の塔]は、[ミュール王朝]よりも前の時代に作られたもの。
それを、ザカールが改良し、[竜戦争]の後にビアレスが引き継ぎ、現在に至る。
所々が[次元融合]によって隔離されており、施設の巨大さもあって現在に至ってもなお、全てが解明できたわけでは無い。
結局マランビジー家は、有るものを騙し騙し使ってきただけなのだ。
再び大きな振動が建物を襲う。
また別の研究員が、巨大な食人植物の蔦に絡め取られ、悲鳴をあげた。
アリスははっとし、ようやく自分の置かれている状況を理解する。
――逃げなくちゃ……。
でも、どこに――?
塔は全体に魔法の発動を阻害する付呪と防壁が備え付けられている。
それはあくまでも、捉えられている怪物たちを檻から出さないためのものであり、いざという時は、塔そのものを巨大な檻とするためなのだ。
[実験体のドラゴン]が暴れ狂い、絶叫した。
『人ごときが、この俺を、よくも――!』
そうして[実験体のドラゴン]は、巨大な口をアリスに向け、叫んだ。
『〝ブレックス――〟』
同時に、吹き抜けの最下層から雷の槍が撃ち放たれ、[実験体のドラゴン]の顎を貫いた。
そして、闇の底から這い上がるようにして出てきたその仮面の男が、崩れ落ちる[実験体のドラゴン]を踏み台にし、言った。
『[イドル・ドゥ]が解き放たれたか』
アリスが思わず、
「ザカール――」
と仇の名を呼ぶ。
踏み台にされている[実験体のドラゴン]が、
『裏切り者め――』
と怨嗟の声を漏らした。
――裏切り者?
ザカールが不愉快そうに鼻を鳴らす。
『[オルヴィンド]がまだ生きていたのには驚いている』
『貴様さえいなければ! 貴様さえ――』
『愚か者の言うことは聞かない』
檻を破った怪物とゴーレムの戦いが至るところで繰り広げられている。
一人、また一人と研究員が巻き添えで犠牲になっていく。
『ならばここは[イドル監獄]か。ビアレスめ……』
ザカールは一人ごちると、おもむろに自分の右手に視線を落とす。
『私の魔法が弱まっているのはそういうことか――』
そして、ゆっくりと仮面の瞳を足元のドラゴン――オルヴィンドに向ける。
すると、オルヴィンドは途端に怯えた様子になり、悔しげに呻いた。
『そうやって、我らドラゴンすらも騙し――人間どもに、情報を売っていた……!』
ぞわり、と背筋が震えた。
ザカールが、人間側に――?
いや、それはおかしい。
だって、そもそもの発端が……。
ザカールがゆっくりと呼吸し、オルヴィンドに顔を向ける。
『都合の良い夢だけを、理想だけを見させて、人間を我らに売り、我らを人間に売り、俺すらも殺すのか――!』
そのドラゴンは、泣いているように見えた。
ザカールが叫んだ。
『[オルヴィンド・ロブ・リゲイト]!』
雷鳴が轟くと、オルヴィンドは恐怖に怯え、
『よ、よせ、やめろおおお!』
と絶叫し息絶えた。
同時に爆発的な力の本流が動かなくなったオルヴィンドの体から溢れ、ザカールに吸収されていく。
すぐさまザカールの体から、魔法阻害の付呪すらも防ぎきれないほど強大な魔力が溢れ上がり、形作り、魔力の塊そのものがアメーバのように広がって周囲の怪物たちを襲った。
アリス思わず、
「……[ユグドラシル]」
とザカールが使った魔法の名を口にした。
アリスを見ろ押すザカールが、かすかに笑ったような気がした。
ザカールの放った[ユグドラシル]の魔力は成長していく枝のように魔獣を貫き、吸収し、術者の魔力へと還元していく。
その魔力の枝が同僚の研究員に伸びた時、思わずアリスはザカールに向けてこう叫んでいた。
「と、取引を、したい!」
ぴたり、とザカールは[ユグドラシル]の魔力を静止させ、
『ほう』
とアリスを見た。
アリスは続ける。
「私達を、全員、無事に地上へ戻してください! 怪我してる人も、みんな助けて、地上に!」
『見返りは? それで私は何を得られる?』
ザカールが冷ややかに言う。
アリスは、賭けに出た。
「み、見返りって、何言ってるんですか」
ザカールは右手にバチンと雷鳴を走らせ、アリスに向けた。
アリスは一度友人の顔と、妹と、今ザカールの肉体に使われている父の穏やかな顔を思い出し、それを真正面から睨みつけ、叫んだ。
「マランビジーは知恵を司る家系! 我が配下は皆、知識と知恵の探求者! 全員を無事に戻すことそのものが、あなたの、本当の目的に合致しています! で、ですから、見返りは――」
一度言葉を区切り、考え、考え、考え抜く。
報告で聞いた、ミラベルとザカールの会合の内容。
[遺産]を、どうするかというザカールの答え。
つい今聞いた、裏切り者という怨嗟の声。
――ザカールは、ドラゴンを使い、人間たちに戦争を仕掛けた。
そして同時に、人間側にドラゴンの情報を売っていた。
金銭が目的では無い。
ならば、このイカれた男の、狂った目標は――。
アリスは言った。
「わ、私達の、力で……未来を、豊かにすること、です……」
[魔法大戦]で、[付呪]の技術は飛躍的に発達した。
魔法に頼らず魔法を使うという概念が、世界に広まったのだ。
そして三百年前は確かにあった、魔力による才能主義は衰退し、新たな視点、新たな力、新たな世界の流れが生まれたのだ。
後は、完全に勘だ。
この男は、遠い遠い遥か未来を豊かにするために、今という世界に戦乱をばらまいている。
人々を豊かにする、何かを生み出す希望を求めて。
やがて、ザカールは『クク』と笑い、アリスを見、言った。
『なるほど、ご尤もだ。マランビジー卿』
ザカールはアリスに向けていた雷を天に向けて撃ち放った。
やがて雷は弾け、〝雷槍〟の豪雨となって魔獣だけを正確に撃ち抜いていく。
そうして、力尽きた魔獣を〝ユグドラシル〟の枝が絡め取り、ザカールの魔力としていくのだ。
アリスは絶句し、全身の体から力が抜けていくのを知覚した。
こいつは、折れない。
あの殺戮が、千年前の凄惨な戦いが、正しかったと思っているから。
正義は、絶対に折れない。
正義は、絶対に負けないのだ。
――クソ野郎が……!
アリスは悔しくて悔しくて、血がにじむほど拳を握りしめた。
こんな低俗なクソ野郎に、大勢の人が、父が、殺されたのか。
ザカールは背を向け、言った。
『卿の父の体だったのは、すまないとは思っている』
なめらかに繰り出されたその言葉で、アリスの肌は粟立った。
――よくも、ぬけぬけと……!
ザカールは死生観、あるいは死、生という存在への何かが決定的に欠けている。
故に、未来のための犠牲を人に容易く強いる。
おそらく、今の謝罪も本心だろう。
本当に申し訳なかったと、心から思っているのだろう。
だが未来のために殺した。
そうして、ザカールは永遠に、未来のために、未来のためにと知識を追い求め、今を殺し続けるのだ。
生かしてはおけない。
今、すぐにでも殺さなければならない。
だが、力の無いアリスにはザカールの背をにらみつけることしか出来ない。
それが弱者にできる精一杯なのだ。
ザカールは続ける。
『だが――妙だ。私の知り得た情報と、卿の父君の実態がかけ離れている。何故、[暁の教団]にいたのだ?……何故、教祖に成り代わり私に近づいたのだ? 私の忠実な配下であった教祖は、殺されていたらしいな? 私は、手を下していない。何故だ?』
「何故――?」
問われた言葉の意味がわからず、アリスは押し黙った。
ザカールはそれで察したのか、おもむろに自分の右手を見据え、言った。
『私が思っているよりも、この体は優秀なのやもしれぬ。ならば、卿には借りがあるということだ』
「な、に――」
『此度の件は、卿の言うとおりだ。ならば、別の形で借りは返そう』
ザカールはその体溢れんばかりの魔力を迸らせ、叫んだ。
『〝リィーンド〟! 来い!』
雷鳴とともにザカールの体から、先刻捕獲後に砂となって消滅したはずの赤いドラゴンが姿を現す。
赤いドラゴン、リィーンドは吹き抜けの研究所の壁から壁へと跳躍し、灼熱の[息]を小さな球体として断続的に撃ち放つと、それらは正確に暴れ狂う実験体の魔獣へと吸い込まれ、爆発した。
『〝ウィンター〟! 研究員を守れ!』
同じくドラゴンが姿を現すと、ウィンターと呼ばれたドラゴンもまたリィーンドと同じく壁から壁へと跳躍しながら、ちらとザカールを見て不満の声を漏らす。
「相も変わらず無理難題を押し付ける。我らドラゴンが小さき者を守ることの難しさは知っているはずだ――」
『だからお前を呼んだのだ。――〝バーシング〟、行け!』
すると、三匹目のドラゴンがザカールから姿を現し、言った。
「年を考えろ御老体。無茶をしている」
『無茶でもやる道理がある。ここは[イドル監獄]だ。ビアレスめ……[イドル・ドゥ]の封印が解けた。どこかの代のミュール王が歴史を正しく後世に伝えなかったのだ』
「それで、何をする?」
『支援と、調査だ』
そう言って、ザカールは仮面の奥の視線だけをアリスに向け、言った。
『マランビジー卿は、我らごと[イドル監獄]を封印するつもりだろうからな』
アリスは、息を呑んだ。
背中にびっしりと嫌な汗を浮かべ、何も言えずに固まっていると、ザカールはアリスを見、嬉しそうに語りだす。
『さあ、ここから先は競争だ、マランビジー卿。ミュールの血筋の者。私とキミの知恵比べと行こうではないか』
背後でドラゴンの放った火球が魔獣を燃やしていく。
同時に別のドラゴンが研究員を守り、それら全てを天井に張り付いたドラゴンが監視し、必要に応じて攻撃と補助を織り交ぜる。
研究員が一人、また一人と緊急用の転移魔法陣で脱出していく様子をアリスは目の端で捉え、じわりと後ずさる。
施設の封印は、外部から操作できる。
だが、脱出に成功した者たちは、党首のアリスの無事を確認できない限りは封印の起動はしないだろう。
そういう判断をしてしまえる人らでは無いのだ。
彼らは、父の部下だったのだから――。
同時に、万が一のためにと用意していた新しい切り札に指を触れ、使用条件が整っていることを確認し心の中で安堵する。
[リドルの鎧]と[八星の杖]から得たデータを元に、完成したばかりの、試作兵装。
――彼はちゃんと、来てくれているのだ。
『キミには、こちらに来てもらう。ここでまた封印されては、些か骨が折れるのでな?』
ザカールが体にまとわせた魔力を、アメーバのようにして伸ばすのと、遠くの転移魔法陣から、
「ご当主―! 自分で最後です!」
という声が聞こえたのはほぼ同時だった。
アリスは瞬間的に、ふくらはぎの裏側に装着したレギンス型の[魔導推進装置]を全開にさせ、一気に後退し転移用魔法陣を目指す。
ザカールが舌打ちして跳躍、そのままアリスを捕獲しようと手を伸ばした。
アリスは咄嗟にローブの袖の裏にいくつも書き連ねたかつての切り札を起動させ、武器庫からの[魔道具]による一斉砲撃を仕掛けた。
ザカールは右手で薄い魔法のカーテンのようなものを作ると、アリスの周囲に展開した魔法陣から放たれた雨のような砲撃を全ていなし切る。
ザカールが嘲笑う。
『芸が無いな、マランビジー卿』
全ての怪物を制圧し終えた三匹のドラゴンの首が、一斉にアリスに向く。
同時にサカールが右の掌を開き、何かを握りつぶすような動作をした。
すると、アリスが目指していた転移魔法陣がぐにゃりとひしゃげ、破裂し、溜めこまれていた魔力が弾け飛び力場となって研究所内を振動させた。
ザカールは言った。
『所詮は――』
小娘。そう言うよりも早く、覚悟を決めたアリスは最新の切り札の発動準備に入る。
左手で閃光を放つ小さな破裂玉を放る。
同時に、腰の後ろで〝次元召喚装置〟を起動させ叫んだ。
「――来い、[古き翼の王]!」
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