第62話:かつて父親だったもの

「んああもう! 出撃命令出てんのに、どうしてうちだけ!?」


 最新の[分離型]飛空艇である[ロード・ミュール]の艦橋で、艦長が叫んだ。

 マランビジー家に仕えて今年で四十年に差し掛かろうとする老兵であるが、初の実戦である。

 言ってしまえば、[城塞都市]でごっこ遊びをしていたアリスにも劣る騎士である。

 通信士が、


「黒いドラゴンが敵巨大ゴーレムを引きつけてくれています!」


 と報告すると、艦長は困惑した顔になる。


「え、ええ!? そう……! ドラゴンってお嬢様の友達の[翼]くん……?」


 すぐに副長が続く。


「援護はできるか?」


「無茶言わんでください! これずっと使ってなかったんですよ!」


「ちょ、ちょっと、他の隊は!? うちだけ飛んだら的になっちゃうでしょ!? 全艦で魔法障壁貼るって戦法どうしたの!? それが[分離型飛空艇]の基本的な戦法でしょう!? マニュアルくらいは守りなさいよ!」


 なおも狼狽する艦長に、別の通信士が、


「動力を完全に落としていたようでして……」


「なんでよ!?」


「[帝都]出身者が多いので……家に帰りたがっていまして」


「命令出てたでしょうが! 女王陛下の警護とか、宮殿の警護とか、そういうの!」


「はあ……たぶん……」


「くああああ!」


 と自分の髪の毛をかきむしゃる艦長を見ようともせず、副長が緊迫した様子で更に続ける。


「これが最大望遠か?」


「はい」


「魔導通信は――軍用の[アンチマジックフィールド]が展開されてるんだな?」


「はい、まるで霧の中にいるみたいで、短距離の通信だって雑音が酷くて……。こんな濃さは初めてです。歴史の資料でしか見たことありませんよ」


 それは、三百年前の[魔法大戦]で使われた人間側の技術である。

 空気中に漂う精霊、魔力の流れを乱すことで、対[ハイエルフ]との戦争を勝利に導いた特殊な技術。

 噂では、当時の女王が民を守るため[禁書庫]から持ち出した知識だとされているが――。

 副長が、拡大された黒竜と[紅蓮ゴーレム]の戦いを睨みつけながら言う。


「私もだ。目視による砲撃は……」


「うちじゃどうにも。優秀だった連中はテモベンテに取られちゃいましたから」


 背後で艦長が、


「あぁ……なんでこんなことに。[分離型]の装甲は薄いのに……。そ、そうだ! 舵を、舵を取れ! 艦を上昇させて[アンチマジック]の範囲外に行けば、こちらからの[魔導砲]は当たる!」


 と目をきらめかせて宣言する。

 すぐに副長が冷ややかに言った。


「それではこちらも良い的になります。[分離型]一隻の魔法障壁では――」


「んじゃあどうしろって言うの!? ただ浮いてるだけで、何もしてないんじゃあ旦那様に顔向けが……! お前たちも旦那様がお優しい方だと知っているだろう!? 私らの所為で旦那様の顔に泥を塗ってしまったらと思うと……! 思うと!」


 その全ての様子を艦橋の副長席に座らせてもらっていたアリスは見ていた。

 もちろんアリスは指揮官として何かできるわけでも無いし、戦闘だって正直な所[ハイドラ戦隊]最弱だと自覚している。

 それでも、マランビジー家の長女という肩書は健在なのだ。

 ただそこにいるだけで、彼らの士気にいい影響があれば良いと思ってここにいるのだが……。


 そうかぁ、艦長さんはそれで空回りするタイプの人だったかぁ。

 アリスはちょっぴり自分の判断が間違っていたかもしれないと考え始めた。

 一声かけるべきだろうか?

 しかし、何を――?

 アリスは彼らの扱いに困っているのだ。

 副長が冷静であるのは幸いだが、彼女もまた初の実戦である。緊張の色が見て取れる。

 それに眼下の街は、燃えているのだ。

 いまこの瞬間にも失われている命はあるはず……。

 その時だった。

 ふと、甲板の様子を映し出すモニターに見知った人影を見つけた。


「あれ、お父様……?」


 反射的に言ってしまったことを少しばかり後悔すると、艦長がすぐに顔をモニターにびたりとくっつけ、叫んだ。


「だ、旦那様! 旦那様だ! 良かった、ご無事だった! そ、そうか、そうだよ! こうして空に浮かんでいるだけでも意味があったんだ! 旦那様に見つけてもらえたのだから、旦那様に!」


 通信士が困惑した様子で副長の顔を見るが、彼女は首をかしげるだけだ。

 そのまま艦長はだっと駆け出し、副長に言う。


「出迎えてこなければ! 指揮は任せた、ああそうだ、まだ旦那様が甲板にいるのだから危ないことはよせ! 旦那様にもしものことがあったら――」


 そのまま艦長は背後の扉を開け、


「旦那様ぁ! いま行きますぅー!」


 と言って甲板を目指し駆けていく。

 先日から、妙な違和感が拭えない。

 父は、どうしたのだろう。

 ここ数年家を留守にすることが多かった。

 大切な仕事だと言っていたが……。

 父が仕事のことを話さないのは、アリスからしてみれば珍しいことなのだ。

 父の身に、何かあったのだろうか……?

 [宮殿]勤務だとは聞いていたが……。


「あ、あのぉ、わたしも一応、行ってきます……」


 気がつけば、アリスはおずおずと手を上げて艦長の後を追っていた。

 遅れて甲板にたどり着くと、艦長は父の両手をギュッと握りしめながら泣きじゃくっているところだった。


「旦那様、レドラン坊っちゃん! 良く、良くご無事で! 旦那様の世話係を命じられて三十年、これほど恐ろしかったのは初めてでございます……! それにこの高度への[飛翔]魔法! わたくしめの知らない間に坊っちゃんは一流の魔術師に成長してくださって……!」


 感極まって崩れ落ちる艦長を冷ややかに一瞥した父は、まるで人が変わったように感じられた。

 人が、変わる――。

 微かに思い浮かんだ一つの可能性。

 馬鹿な、という感情が沸き立つが、アリスはそれが正常性バイアスという心理要素だと知っている。

 知っては、いるが――。

 それはあくまでも知識としての話でしかない。

 だが、しかし――。ありえるのか?

 父と、ザカール。接点が無さすぎる。

 宮殿勤務の父が、[支配]されたのだとしたら、それは既に国の中心が全てザカールの手に落ちていることを意味する。

 既に、女王も――。

 遠方で爆炎が上がる。

 今、五体目の[紅蓮ゴーレム]が黒竜とブランダークによって屠られた。

 父がその様子を遠目で捉え、


「ほう」


 と楽しげに口元を歪めた。

 今まさに倒れんとする[紅蓮ゴーレム]が断末魔の如く、その巨体からいくつもの熱線をデタラメにばらまいていく。

 艦長がその様子を見ながら慌てふためき、父の腕をぐい、と引く。


「だ、旦那様、中へ! 早く! この[飛空艇ロード・ミュール]は常に旦那様のお部屋をご用意しておりますので――」


 同時に、[紅蓮ゴーレム]はそのまま海に倒れながら、右腕に装着された[魔導砲]を撃ちはなった。

 言葉を発する間も無く、放たれた高速の熱線が[帝都]の上空をなぎ払い、そのまま灼熱の光が[ロード・ミュール]とアリスたちに襲いかかる。

 一瞬、[ロード・ミュール]が張り巡らした魔法障壁が熱線をわずかに防ぐも即座に障壁は破られ、衝撃と共に全ては光に飲み込まれた。

 アリスは魔法障壁崩壊の余波で弾き飛ばされる。

 甲板の手すりに背中をぶつけ、やや遅れてアリスは困惑する。

 アリスと同じように余波で転がった艦長が、ぎゃあぎゃあと喚く。


「がああ、痛い! だ、旦那様! お嬢様、ご無事ですかぁー!!」


 ぐらり、と艦が斜めに傾くと、アリスはバランスを崩し尻もちをついた。

 ばくん、ばくんと心臓の鼓動の音が妙に大きく聞こえる。

 アリスは、混乱していた。

 今、確かに[紅蓮ゴーレム]の光に飲まれたはずだ。

 そもそも[分離型]一隻の魔法障壁で防げる攻撃では無い。

 直撃だったはずだ。

 死んでいたはずだ。

 死――。

 何故、無傷で――。


「良い艦だ」


 父がはゆっくりと船体を見回しながら感慨深げに述べる。

 すると、艦長は「そうでございましょう!」と自分のお尻を擦りながら胸を張った。


「昔取った何とやら、不詳わたくしめも設計に携わっております! 新造艦[ロード・ミュール]は快適さ、即ちレクリエーションと高速戦闘の両立を高い次元で融和させた艦でありますので!」


 父は、くく、と笑う。


「快適さか。――いや、良い。重要なことだ。長期間の作戦行動に置いて、士気に関わる。今となってはそういう形の艦はあるべきだったと、私は思う。未知とは、想定できぬ場所から生まれ出るものだ」


 それは、父らしくない言い方ではあるが間違いなく賛辞の言葉である。

 艦長は感極まった様子で嗚咽と共に涙をこぼす。

 そしてアリスは思う。

 今、わたしは父らしくないと思った。

 ……おかしくないか?

 [支配の言葉]なら、父は父のまま敵に回るはずだ。

 違和感など覚えるはずが無いのだ。

 だからこそ、最も恐ろしい[言葉]として歴史の記されているのだ。


 ……いくつかの仮設がある。

 リドル卿の体に仕掛けられていたという罠についてだ。

 この目で見たわけではないが、報告によれば[支配の言葉]の発動と同時にザカールの左腕が千切れ飛んだと聞いている。

 リドル卿の罠のトリガーが[支配の言葉]の発動だったとして、それは果たして一度きりなのか……?

 永遠に続くものなのか……?

 例えば、別の肉体に乗り移るようなことをしても、残り続けるものなのか……?

 ――左腕。


 燃える街の熱風が吹くと、父のローブが微かに揺れる。

 その左腕には、[魔術師ギルド]で作られた最新の義手が装着されていた。

 ばくん、ばくん、と心臓がはちきれんばかりに鼓動する。

 吐く息が熱を帯び、背中にじとりとした嫌な汗がびっしり浮かんでいる。

 艦長が言った。


「こ、高度、下がっています! 旦那様、戻りましょう! 不時着するかもしれません!――ええ、なんで? 攻撃防いだのに……魔力不足か、出力の問題か、それとも別の? と、とにかく、旦那様こちらです!」


 父らしき男はすぐに言った。


「先に行け、キャプテン。私はやることがあるのでな」


「で、ですが……!」


「良い艦だと言った。沈めるな。そして、貴公が技術者であるのなら次に繋げろ。私の――誰も知らない世界を、見せてくれ」


「そ、それは――もちろんです、旦那様!」


 艦長が敬礼して艦橋へと駆けていく。

 男は、笑った。


「……賢しいな。小娘」


 それは、決定的な言葉であった。

 アリスは咄嗟に自らの切り札である、ローブに予め[付呪]による術式を全て展開させ、攻撃の耐性に入る。

 二十を超える魔法陣がアリスの周囲に現れ、いつでも魔法を放てる状況となる。


「ザカール――」


 不安と恐怖と共に呻くと、父の姿をしたザカールは、なぜだか嬉しげに笑う。


「私の知らない技術を平然と使う。……いや、これは[付呪]か? ああ……転移魔法を……武器庫に繋げて――ハハハ、良い案だ。昔私も一度考えはしたが、物資が不足していてな。それに拠点を敵に奪われればそれが致命的にもなり得る。だが――今の世ならば、最も良い手段の一つかもしれん。……私が使うのは、無理そうだな。武器庫を確保するだけでも一苦労だ」


「お、お父様は――」


「死んだ。私が殺した。我が[言葉]は精神と魂を殺し空っぽとなった肉体を奪うものである」


 一瞬、父の穏やかな顔が脳裏に浮かび、アリスの喉の奥がきゅっと閉まったような気がした。

 ザカールはゆっくりと視線をアリスの顔から肩、指先に落とし、呟いた。


「魔力の……残照を感じる。微かではあるが、染み付き、皮膚の一部と貸している。[付呪]の魔力と良く似ている。……そうか、レドラン・マランビジーの娘は[付呪士]だったか」


 そう言ってザカールはまた楽しげに口元を歪め、言った。


「いるではないか。まだ、こういう者が――」


 そのままザカールは感慨深げに長い息を吐き、アリスを見て言った。


「ミュールの血を継ぐ者よ。私はここにいるぞ。――戦いはまだ、続いている。以前は少数精鋭の貴様らに遅れを取ったが……今度は立場が逆になる。私が、攻める番だ」


 ザカールは音も無く飛翔し、アリスを見下ろす。


「足掻く者は好きだ! 私を超える知恵を、ミュールの末裔が生み出すのなら! もう一度私を止めてみろ! ビアレスの戦士たち!」


 アリスは武器庫に繋いだ魔法陣から無数の魔法を撃ち放つ。

 ザカールはその全てを右手の一振りで薙ぎ払うと、燃える街の中へと消えていった。

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