第60話:昔の話し
『良い魔法剣士になれますぞ、姫様』
ガジット家の四女、メリアドール・ガジット。そして彼女の指南役であるブランダーク・ダイン。
二人の模擬戦の様子を遠目で眺めていたアンジェリーナ・マリーエイジは『どこがだ』と鼻を鳴らす。
もう噂になっている。
天才と謳われたガジット姫が、[魔導師ギルド]から無様に逃げ帰ってきたのだ、と。
そしてその相手が――。
記憶の中の父の台詞を思い出す。
『オリヴィア・G・ランドリオのおかげで[G(ギネス)]の血統への不信感が湧き出ている。今の剣聖も、そうだ。ランドリオの出奔を――あまつさえ殺害を未然に防げなかったG・イルムンドの名声は地に落ちた』
父は、古い人間だ。
古風、と言えば聞こえは良いかもしれないが、父の場合は時代についていけていないだけだ。
故に、父は古い時代の呼び名を好んで使う傾向がある。
だから、[魔導機関]と[戦前の技術]の復活による近代化の波が訪れる今になっても、自身の家名をマリーエイジでなくM(ミュール)・アーリーエイジと呼びたがる。
千年前の、[暁の勇者]たちが現れた時代の王家の名。
ビアレス・ギネスに国を奪われた、ミュール家の末裔。
……本当にそうか?
アンジェリーナは、疑問を抱いていた。
それは、司書の家系であるM・ランビジーの長女、アリスと友人になれたからこそ湧き上がった違和感だったのかもしれない。
国を奪われたのなら、どうして今こうしてミュールの血統が存続できているのだ?
本当に奪ったのなら、わざわざミュールの血統を生かしていく必要があっただろうか?
父はそれを、民からの厚い支持があったミュール派を恐れてのことだと言っていた。
……本当にそうか?
深く、深くアンジェリーナは思考する。
民からの厚い支持があったのなら、何故王位を奪えたのだ?
だから、アンジェリーナはアリスとはよく昔の話をした。
ミュール家は王位を奪われたのでは無い、譲り渡したのでは無いかと。
それを最初、ビアレスは拒んだのでは無いかと。
いろんな可能性の話を、二人でしたのだ。
そしてそれはきっと、善意による行動だったはずなのだ。
人の出会いは、奇跡だと思う。
めぐりあいという差配は、決して自分で呼び込むことができるものではない。
だから、父の教育で当初はメリアドールを見下していたアンジェリーナは、少なくとも今の環境に置かれている彼女に同情できるくらいにはなっていた。
煽てて使わなければならないのか、あるいはブランダークが褒めて伸ばすタイプなのかはわからない。
それでも、必死の形相で汗だくになりながら、歴戦の勇士であるブランダークに向け剣を振るう彼女は滑稽であり、もの悲しくもあるのだ。
メリアドールは、アンジェリーナからしてみれば子供の割に少しばかり勘の良い凡庸である。
剣を仕事と考えているだけの騎士や魔導師相手ならば、楽に圧倒できる子供。
だが、所謂[本物]には遠く及ばない、ただの、子供。
それから時間を見つけては、アンジェリーナはメリアドールの訓練の様子を覗き見るようになっていた。
思っていた通り、彼女はわずか半年で他の大人たちを圧倒する剣の腕を身につけた。
だが問題は、その大人たちが剣と魔法を書類の特技欄に記述するだけのステータス程度にしか考えていないことだ。
それに勝ったところで、何の意味があるのだろう。
そうやって本人をその気にさせて……。
嫌だな、とアンジェリーナはメリアドールから視線を外す。
希望を持ち、ひたむきに努力し、だがそれが報われないことがアンジェリーナにはわかっている。
――同じ経験を、したから。
アンジェリーナに向けられた父の期待は、文字通り無限大であった。
いずれは剣聖の座を、アンジェリーナに。
その野心のために生きてきた人なのだとわかる。
家族なのだ。
嫌という程、わかってしまう。
だが――。
現剣聖の、一人娘。アンジェリーナより三つも年下の、体格にも恵まれなかった小柄な子供。
アンジェリーナは、一度足りとも勝つことができなかった。
一太刀入れることすらできなかった。
明るくて聡明な子だったのを、覚えている。
剣で戦うのが大好きだといった様子だった。
母親に褒められたい一心なのだろうとはすぐにわかった。
好きこそものの上手なれ、とは誰が言った言葉だったか。
勝てない、とアンジェリーナが実感したのと同時に、父から向けられていた期待が苛立ちに変わっていくのもまた、実感してしまった。
アンジェリーナが十二歳になった時、ついに父は彼女を見限った。
自らが、次の剣聖になるべく行動を起こしたのだ。
父は、古い人間である。
故に、父は正規の手続きを踏み、家名を賭け、退路を立ち、現剣聖であるティルフィング・ゲイルムンドに決闘を挑んだのだ。
それは、古い時代の名残であり、強者こそが女王の傍らにいるべきであるという思想と、剣聖が腐敗した場合の救済措置として残されていたシステムでもある。
父は、努力の人であった。
その実力だけは、アンジェリーナも認めざるを得ない。
父は、本物の側にいるのだ。
再び自らを鍛え直し、多くの賛同者を集め、彼は闘技場で剣を抜く。
真に女王を守るためならば伝統よりも強さをという建前で、野心を覆い隠し――。
彼は、現剣聖に打ち勝った。
一時間にも及ぶ死闘。古い人間である父はひたすら正攻法で、実力で、正々堂々と現剣聖を打ち破ったのだ。
青天の霹靂であったのだろう。
父の肩は震え、あらゆるものから開放されたような、そんな様子でただ天を仰ぎ見ていたのを覚えている。
歴代続いてきたゲイルムンドの剣聖は、今、潰えたのだ。
ミュールの悲願は、父の代で達成されたのだ。
しかし――。
場内から拍手が漏れ聞こえ始めようとしたその時だった。
一人の少女が舞台に上がった。
その顔に、見覚えがあった。
あの時見た、笑顔が眩しい少女――。
だが今そこにいる少女の顔は、不気味なほど無機質に思えた。
少女の瞳は、黒く濁っていた。
――何だろう?
奇妙な違和感を覚えた。
『勝てば剣聖なの?』
舞台上でわれこそが新たな剣聖だと高らかに勝利宣言をする父に、少女がそう投げかけた。
それが誰なのかを知っていた父から出た言葉は、優しい声色だった。
『そうだ。強い者が、剣聖だ』
すると、少女は笑って言う。
『じゃあ、あたしが勝てばあたしが剣聖?』
一瞬の沈黙の後、少女がゆっくりと剣を抜き、『リディル・ゲイルムンド』と名乗る。
新たな剣聖となったばかりの父は、少女の様子を見ると表情を変え、真剣な面持ちで剣を構える。
[本物]だからこそ、何かを感じ取ったのだろう。
試合開始の合図は、無かった。
そして、全ては一瞬であったのだ。
九歳のリディルはぞっとするほどなめらかな動きで父の懐に入り込み、その右腕を容易く切り落とす。
そのまま、トドメを刺そうとしたリディルに他の[盾]たちが慌てて止めに入る。
リディルは笑いながら、その場にいた二十数名の[盾]を、静止しようとした母親もろとも切り捨てた。
リディル・ゲイルムンドは異常だった。
いかに現剣聖の娘とは言え、わずか九歳の少女に現役の[盾]全員が実力で打ち負かされたなど、ありえるはずがない。
そしてそのありえるはずが無い現実が、[盾]怠慢があったと捻じ曲がり、気づけばその時まで猛威を振るっていた[盾]の権威は失墜した。
マリーエイジ家には、不注意の事故で右腕を失ったという汚名だけが残ったのだ。
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