第55話:アリスの見解

 [暁の盾]が黒竜を連れて去ると、アンジェリーナが深くため息をつき、脱力した。

 何もできなかった護衛のトランは肩を落とし、額の汗を拭う。

 アリスは内心で舌打ちをし、つぶやいた。


「釣った魚がデカすぎました」


 失敗だった。やりすぎた。

 もう少し小物というか、理屈と我儘と権力でやり込める相手が来るものとばかり思っていたのだ。

 だが、その想定は遥かに甘く、理屈でも我儘でも権力でもやり込めない相手が来てしまったのは不幸なことである。

 内心で、[翼]君ごめん! と謝ってからすぐに、ま、仕方ないっか! と切り替えができるのはアリスの美点であるし欠点でもあるのだろう。

 即ち、薄情者である。


「……裏でコソコソと動いてたみたいだけど?」


「コソコソなんてしてないですよぅ。

 ちょっと女王様の方に掛け合って、

 [翼]君と一緒に[禁書庫]の方なんとかなんないかなーとか、そんな感じ。

 管理者の誰かでも来りゃめっけもんだと思ってたんですけどねぇ……」


「貴女への警告の意味もあるってこと、わかってる?」


「んまっさかぁ! ティルおばさまがそんなことするわけ無いじゃないですかぁ!」


 アリスは思いっきり笑い飛ばした。

 するとアンジェリーナは少しばかり真剣な顔になって言う。


「もう少し真剣に考えた方が良いと思うのだけど」


 しかし、アリスは言った。


「逆ですよぅ、逆。みんな固く考えすぎなんですぅ。

 ティルおばさまはやさしー人ですから、

 建前としては警告かもしれないですけど、本気で怒ったりなんてしませんよぅ」


 それがアリスの見立てである。

 というより、皆必要以上に恐れているのだ。

 確かに、[暁の盾]、そして剣聖という肩書は大層なものだろう。

 歴史的に見ても立派な肩書だ、見事だ。

 だが、それとは別の見方もしなくてはならない、とアリスは常々考えている。

 つまるところ、その[盾]の長にして剣聖の女性は、アリスの友達の母親なのだ。

 それ以上でもそれ以下でも無いのだ。


「……そうは、思えないけど」


 アンジェリーナは尚も真面目な顔で言う。


「んへっ、アンジーってティルおばさまには弱いですもんね?」


「べ、べつに、弱いってわけでは――。[盾]の団長なのよ?」


「あたしぃ、肩書で人を判断しないタイプなんですぅ」


「強さだって――」


「うちの副団長の方がずーっと上でしょ? リディルさん」


 母よりも遥かに強い、娘。

 その名を出してやると、アンジェリーナは言葉を詰まらせた。

 ふいに、護衛のトランが[魔力]で動く[通話魔道具]を使い、どこかに連絡を取り始めた。

 おそらくは上司に先程のことを掛け合っているのだろう。

 あっちもあっちで大変だ。

 [盾]のやり方は、基本的に横暴なのだから。

 ややあって、アンジェリーナがどこか苦々しげな顔になって言った。


「……アリスって、平気で言うよね」


 アリスはすぐに答えた。


「あたしぃ、腫れ物に触るようにって方が嫌いなんですぅ。

 うちの副団長さんの方が強い。それは事実でしょ?

 誇らしいし、立派なことです。どーんと胸を張ってりゃ良いんです。

 おらぁ[盾]がなんぼのもんじゃいって。

 あたしたちに何かありゃあうちの副団長が黙って無いぞおんどりゃあ糞ボケカスぅ、みたいな?」


「そんな単純な問題じゃ無いと思うけど……」


「ですから、難しく考え過ぎなんですぅ。

 世界は複雑で単純なんだとご先祖様もおっしゃってましたしぃ」


 マランビジーの家系は、分家ではあるが古代王朝の系譜である。

 それを辿れば神話の時代、[闇の神]を打ち倒した最初の[暁の勇者]の物語にまで遡るのだ。

 とは言えそれは、今となりで納得できないと言いたげな顔をしているアンジェリーナも同じである。

 彼女は言った。


「……うちとご先祖様同じでしょ」


「そーなんです、実は同じなんです。だからアンジー、お願い」


「……今度は何?」


「散らかったゴミ片付けといて?」


「……はぁー…………」


「お願いアンジー! 一生のお願い!」


 とすがりついたところで、アンジーの軽いげんこつが頭に落とされ、アリスは、


「ぐぇあ」


 と悲鳴を上げた。

 すると、ようやく上司との連絡を終えたらしいトランが、慌てて言った。


「あ、片付けなら自分が――」


「わーいありがとうございますぅじゃあ後お願いしますね!

 お元気でトランさん!」


「え、あ、はい。では……」


「駄目っ! アリスにやらせてください!」


「はー? なんでです? 片付けなんてやりたい人がやりゃぁ良いんですぅ」


「トランさん、ほんっと駄目ですからね! アリスが駄目人間になっちゃう!」


 と、問答の後結局三人でゴミ拾いをする羽目になり、アリスたちは散らかったピザやチキン、ポテトの空箱や倒れたコーラの空ボトルをまとめ終えた。

 ゴミ袋を持ったトランが言った。


「自分は戻ります。団長に報告もしなくてはなりませんし――」


「あ、そーだ、騎士トランさん? 質問があるのですけど」


 それは、タイミングを見計らってずっと聞こうと思ってたことである。


「トランさんって、確か[翼]君と最初に出会った人なんですよね?」


「それは……そうです。しかし自分は――」


「で、どーでした? 初代剣聖[ガラバ]って感じしました?」


「……自分にはわかりかねます。一介の冒険者でしたので」


「将来有望で、元神殿騎士団長にスカウトされて、

 ティルおばさまから直接[盾]に誘われたこともあって、

 そんで冒険者になる前には村で一番の剣の使い手だったトラン・ドールさんの直感を聞いてるんです」


 そんなのはとっくに調べてある。

 知識と知恵は武器だが、経験者の直感と実感だけは得られないのだ。

 だから、アリスはトランに対しては敬意を持って接している……つもりだ。

 トランはひとしきり考え込むと、ゆっくりと語りだす。


「……戦いを、するような人――いえ、ドラゴンには見えませんでした」


「ふ、む?」


「生き物を殺した経験どころか、本気で殴ったことも無いんだと思います。

 一挙一動に、怯えと遠慮が――たぶん、ですけど」


 アリスは考える。

 おそらく、彼はガラバでは無い。

 彼を、ガラバにしようとしているのだ。


「ふむ」


 とアリスは呼吸し、トランに言った。


「じゃ、ちょっとあたしたちもトランさんの上司さんに用ができました!

 ついていきますので護衛と連絡をどうもありがとうございまぁす!」



 ※



 ブランダークは、先日[ビアレス湾]で起こった事件の捜査に負われていた。

 [蒼炎騎士団]の船が行方不明になってから、数日が経っている。

 [盾]の動きがより活発になっているのは当然だろう。

 [古き翼の王]の護衛を横から無理やりかっさらっていったのも無関係ではあるまい。

 護衛と同時に、容疑者としての監視。

 あるいはもっと別の――。

 それに、[蒼炎騎士団]の船に関しては目的も見えない。

 国境付近で起きた事件故に、真っ先に隣国のハイエルフの国、[ルミナス連合]が疑われたが、すでに無関係である旨の報告と、捜査への全面協力の申し出があったと聞いている。

 [ルミナス連合]は、どうやらかなり慌てていたらしいという情報はすでに仕入れてある。


 ――何かが妙だ。


 誰かからの警告があるわけでも無く、その後の進展があるわけでも無い。

 ただの事故として片付けるにしても、不可解な部分が多すぎる。

 首謀者がいたとして、その意図が読めないのだ。

 そしてその首謀者の目的がわからないまま事態が進展してしまえば、最悪の場合――。

 ブランダークは、目に見えない何かに少しずつ絡め取られていくような錯覚を感じ、身震いする。

 まるで暗闇の中を歩いているようだ。

 ザカールの復活という一大事が、より一層疑心暗鬼に陥らせているのだと頭では理解している。

 理解はしているのだが――。


 ふと、ブランダークは護衛の任につけていたトランが戻ってきたとの報告を受け、励ましの言葉でもかけておくべきかと考える。

 おそらく、嫌味の一つも言われたはずだ

 なにせ彼は、一度[盾]からの直接の誘いを蹴っているのだ。

 だと言うのに、村を飛び出し一介の冒険者となり、神殿騎士に就職したのは彼らとしては面白く無いだろう。

 事実だけ淡々と述べれば、愛する人が村にいるから残り、愛する人と共に村を出、愛する人の願いで冒険者を辞めたというロマンチシズムな恋の結果なのだが、それくらい[盾]は調べているだろう。

 ならば後は、理屈を超えた醜い嫉妬か、妬みかでしか無いのだ。

 それが人の業なのか、あるいは知性を持つ全ての生物の業なのか――。


 やれやれと肩を落とし、ブランダークは疲労と心労を奥底へと押し込め穏やかな笑顔を作ると、ようやく戻ってきたトランを出迎えた。


 が、報告に無い来客がトランの背後からひょいと現れ、ブランダークはぎょっとした。

 非常に、面倒な来客だ。

 望まぬ客人だ。

 特に、国境付近での未知が差し迫る今という危うい時期に至っては。

 その客人の一人、アリス・マランビジーがにへらと笑って言った。


「あ、どもぉー。ブランダークさん、お久しぶりですぅ。十年ぶりくらい?」


 幼い頃、神童と謳われ、八歳の頃に[古き鎧]に使われている[古き翼の王]の生きた素材を、[妖精鋼]で再現する論文と実験データを発表してからは、本家であるマリーエイジ家を脅かすほど名を馳せたのだが、ある日を堺に一切の研究を辞め、だらけきった生活を送るようになった子だ。

 現在先行量産が始まっている、[妖精鋼]による[古き鎧]の廉価版は、少しずつだが精鋭と呼ばれる騎士たちに配備されつつある。

 敬意と畏怖と、少しの侮蔑を込めて彼女は[ザカールの再来]と呼ばれたこともあったのだ。


 もう一人の客人、アンジェリーナ・マリーエイジに関しては――。

 彼女の件でいくつか上がっている情報を思い出し、ブランダークは警戒を強めながらも、上辺では何事も無いように振る舞った。


「少し前に、冒険者ギルドでお会いましたな?」


「え? あー、[翼]君の時です? んへ、あれあたしサボったんで」


「……でしたら、五年ぶりですな」


「あそーですか。ところで[古き翼の王]はガラバなんですか?」


 唐突に投げかけられた質問に、ブランダークは困惑した。


「ガラバ、で……ありますか……?」


 とただ彼女の質問を反芻する。

 なぜ今、そんな突拍子も無い話を……?

 困惑したまま返答に詰まっていると、アリスは意外そうな顔になって目をぱちくりとさせる。


「ありゃ。んじゃ本当にティルおばさまんとこだけが言ってる感じなんですか。

 ありゃー」


 ようやくブランダークは、彼女にかまをかけられたのだと気づき、呆れた。

 この子は、この忙しい時に……。

 そして居心地の悪そうにしているトランに言う。


「トラン殿、報告に無かったようですが?」


 彼は申し訳無さそうに頭を垂れたが、アリスは得意げな顔になって言った。


「五年ぶりのおじさまを驚かせようと思ったのです」


 それはきっと、質問の意表をつくために。

 だが、怒りよりも別の興味のが沸いたブランダークは問う。


「ガラバ、と申しましたな?」


 そしてブランダークは、トランからの報告も兼ねて、詳細を聞いた。

 やがて、過去の[盾]の行いを思い出し、ブランダークは苦々しい気持ちになって言った。


「権威を、より強くさせたいのでしょうなあ……」


 かつて、たった一人の――幼子にやろうとしたことを、今度は彼でやろうというのだ。

 すると、アリスはいつになく真面目な声色で言った。


「ティルおばさまは優しいお方です」


 ……それは、現実を――政治の裏を知らない子の発言だ。

 しかし、とも思う。

 ブランダークは、未だにアリスを神童だと信じている男でもあるのだ。


「それがゲイルムンド卿の意思で無くとも、結果として許してしまったのなら責任は彼女に」


 つまるところ、責任ある立場にいるのなら、止められなかった責任も彼女にある、というのがブランダークの考え方である。

 アリスは、


「うっ……」


 と押し黙る。

 ブランダークは続けた。


「[翼]の彼には、

 千年前の戦いで犠牲になった人々の魂が多く混ざっている、

 という話は聞いております。

 それでも、メインとなっている人格は彼という人なのです。

 [盾]は、それを消しさり、別の人格を植え付けようとしている。

 ――少なくとも、今聞いた情報の限りではそう見えますなあ」


 それに、と思う。


「十一番隊の面々は、ビアレス王に見殺しにされたという話もあります。

 無論、神話の時代であります故それが真実なのかどうかはわかりかねます。

 ですが――ある種の危険性ははらんでおりますな?」


 それは、すなわち――。

 アリスが考えながら視線をわずかに落とし、言った。


「[古き翼の王]の体を奪ったガラバが、復讐をしたがる――」


「今の彼は、間違いなく善なのだとはわかります。

 短い間でしたが、人となりを見ました故。

 ですがそれは、奇跡的なバランスで成り立っているやもしれぬということは、

 頭に入れておくべきかと思いますな。

 ――ビアレス王が、どのようにして[古き翼の王]を倒したのかは、

 ついにわからずじまいでしたので」


 未知が怖いのは、ブランダークも同じである。

 だからこそ、未知から生まれる最悪の可能性を知ってか知らずか、それを成そうとしてしまう[盾]という組織に、ブランダークは強い不信感を抱いているのだ。


 ――彼らは、知の道から遠ざかっているように見える。


 彼らもまた、焦っているのだろう。

 味方同士で争っている場合では無いというのに……。


「さて――」


 一度、付添のアンジェリーナに視線をやってから、ブランダークは言った。


「ガラバのことを探りに来たのでしたら、我々はその情報を持ち合わせてはおりませぬ。それでよろしいですかな?」


 アリスが、


「むー」


 と唇を尖らせる。

 ついに最後までアンジェリーナは一言も発さず、警戒しているのはあちらも同じかとブランは内心でため息をついた。

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