第44話:次の一手

 戦闘の後。

 族長の部屋に招かれたメリアドールは、告げられた内容に言葉を失って立ち竦んだ。思考がフリーズし、自分の心臓の音だけが妙に大きく聞こえる。

 思わず、「母、は、このことを――」と縋るように声を絞り出すと、族長が静かに首を振った。


「知る者は、リドル卿と族長である私の二人だけです。

 だが、リドル卿がああなった以上……ガジット姫。

 貴女は、メスタ・ブラウンが黒剣のゼータそのものであることを、知るべきです」


 メリアドールは視界が遠くなったような錯覚に陥り、ぐるりと意味もなく族長の私室の壁を見渡した。

 古ぼけてはいるが、ところどころに近代化の波を感じる。最低限の通話用[魔道具]や、遠距離通信用のものが備え付けられているのが見て取れる。

 だが、メリアドールは現実から逃げるようにして、


「そんな、馬鹿な話が――」


 という言葉を息と共に漏らしただけだ。


 だって、あのメスタだぞ? 出会った時は無口で、死人のような目をしていた、だけど今はあんなに元気に笑う――[翼]の彼と共に、ザカールに連れ去られた、メスタ・ブラウンが――。


 だが、冷静な部分でこうも思っていた。


 ――ありえない話では、無いのかもしれない。


 竜人種の角は、耳の後ろからまっすぐに後方に伸びている。

 歴史上、それが捻じ曲がり正面に向いているのは、黒剣のゼータとメスタだけだ。

 そういう種なのかと思っていた。人ですら、時折変わった風貌が生まれることがある。それは白髪であったり、あるいは遠い遠い先祖の中で紛れた違う種の血が目覚め、ヒュームとヒュームの子にエルフが生まれることだって、極々稀にではあるが存在しているのだ。


 魔導医学の発達によって、魔力の質を正確に判別することができるようになった現代では、例え種族が違っても確かに血のつながった子であることが証明できるようになってはいるが、それでも忌み嫌われ捨てられる赤子は未だにいる。

 メスタのことは、その類だと思っていた。


 だけど、それが……リドル卿が、彼女を拾い育てる理由にはならないはずだ。

 国にだって、そういう子供らを育てる施設はある。

 リドル卿は、意味のないことはしない人間だ。

 彼は、理由があってメスタを、わざわざ愛弟子として育て上げたのだ。

 そして――。


「リドル卿は、賢王の血筋の中では――メリアドール・ガジット姫。

 貴女を最も信頼していた」


 族長が懐かしむ口調で言った言葉が、メリアドールの心臓をどきりとさせた。

 先ほどと同じく思考がフリーズし、何故、という言葉が喉の奥からでかかると、たたみかけるようにして族長が言った。


「初代様に良く似ていると、リドル卿は言っていた――」


「僕……私が、ビアレス王に……?」


 それは褒め言葉なのだろうが、男に似ていると言われたメリアドールは内心複雑な気持ちになって族長を見る。

 彼は静かに頷き、続ける。


「リドル卿が――他の誰でもない、貴女にメスタを託したということには、

 意味があるということです。

 ――弟子のカトレア様にすら、教えていないのですから」


 わからない。

 メリアドールは、決して優秀な人間ではない。自覚があるのだ。剣ではリディルに歯が立たず、魔法では……ミラベルに、大きく劣る。

 何故、リドル卿はこんな自分に――。

 しかし、そんな疑問を心の奥底に押し込めてでも、メリアドールにはやるべきことあるのだ。

 メリアドールはまっすぐに族長を見、言った。


「なればこそ、メスタ・ブラウンを救出しなければなりません」


 彼女がゼータそのもの、という件は、メリアドールの身に余る。それを横に置いてしまえるのは、彼女の利点であり欠点でもある。

 所詮、母や兄姉らと違って目先に囚われることしかできないのか。微かに自嘲し、それでもメリアドールは現状への対応を求めた。

 族長が頷き、


「無論です。リドル卿は、ザカールの復活を予見していました。

 卿の研究塔ならば、何か手立てが見つかるやもしれません。こちらへ――」


 と言って立ち上がり、知覚遮断魔法を解除しメリアドールを外へと案内する。

 扉を開けると、メリアドールの護衛のために付き従っていたリディルがいた。

 族長は一度立ち止まり何かを言いかける。だが、メリアドールは言った。


「リディル・ゲイルムンドは私が最も信頼している者です。

 彼女にも――同行を願いたい」


 族長は短く沈黙してから言った。


「姫様がそうおっしゃるのでしたら」



 ※



 極彩色の空とは、不気味を通り越して異質である。

 あらゆる色が入り混じり、ぐにゃりとゆがみ続けている。だが決して色が混ざることは無い。


 ――ここは、何だ……?


 黒竜が顔を上げるのと、鈍く冷たい〝重さ〟が体全体に伸し掛かるのはほぼ同時だった。


「う、ぐ――」


 とくぐもった声が肺から漏れると、その様子を見て取った男、ザカールがせせら笑う。


『この程度の封印術にすら対抗できない。やはり――中身は別物か』


 空の様子と同じく、むき出しの岩と草と泥の沼が入り混じったかのような奇妙な大地。そしてそこからいくつもの小枝が捻じれて伸び、ザカールの玉座のようにして形作られている。

 彼はその奇妙な玉座に腰をかけたまま、興味深げに続けた。


『だが、お前の体は確かに[古き翼の王]そのものだ。

 この状況こそが、奴らの秘策だったのだろう。

 私ですら知らない知と力によって、

 確かに[暁の勇者]は[古き翼の王]を無力化したということだ。

 ……称賛に値する。だが――』


 ザカールが軽く右手を上げると、何もない空間が歪み、その中から気絶したメスタが姿を現した。

 同時に、黒竜に伸し掛かる〝重さ〟が少しばかり緩和される。


「くっ……。メスタ君――」


 黒竜は、ぜえ、と息を吐きメスタの名を呼ぶが、彼女はぴくりとも動かない。

 そのままザカールは軽く上げた右手で魔法のような力場でメスタを束縛したまま、岩と草と泥が混じった大地に寝かせる。

 即座に大地から小枝が伸び、成長し、メスタの体を縛り付ける拘束具となった。

 ザカールが黒竜に向き直る。


『私を滅ぼすことまではできなかった。

 ――我が[古き翼の王]の肉体を奪いし者。質問に答えてもらおう』



 ※



 リドルの書庫に案内されたメリアドールは、族長と共に彼の日記や研究成果を読み漁っていた。

 ザカール攻略のヒントが無いものかと探したが、それらしい記述は見つからない。

 概ね世界情勢に対しての彼の個人的な見解や、メスタの当たり障りの無い成長記録、あるいは既に説明され尽くした魔導科学に関しての知見ばかりである。

 それでも、メリアドールと族長は諦めずに何かヒントは無いものかと探し続けた。


 ふと、この書庫に来てから数時間、何もせずにただ辺りを眺めていただけのリディルが口を開く。


「メリーちゃん、たぶん違うよ」


 その言葉は同時に族長へも向けられた言葉であったが、リディルという人となりを知るメリアドールだけが反応し、顔を向ける。

 リディルが高い天井を見上げ、言った。


「たぶん、ここそのものがダミーだと思う」


 すると、ようやく族長も本を読む手を止め、リディルを見て眉をひそめる。


「そうは言いますがな、ゲイルムンド卿――」


「それはリドルさんが、襲名制だと思ってる人の言葉でしょ?」


 族長の言いたいことを先読みし、被せるようにしてリディルが断言する。


「あたしたちは、リドルさんが千年前の人だって知ってる。

 それをわざわざ族長さんだけに教えたのはどうして?」


 族長が難しい顔になり、考え込む。リディルは続ける。


「その情報、意味無いですよね? 千年前の人、だから何ってなりますよね?

 ――だから、ここで何かを探すなら、

 それを前提に探さないと駄目なんじゃないかなって……」


 ふと、語りながらリディルは本棚に並べられた一冊の本を見つける。

 それは、真新しい綺麗な装飾の施された、[料理本]である。

 族長がふと、何かをひらめいたように言う。


「リドル卿は……元々魔導師では無かったと――」


 それは、歴史に記されている。

[暁の勇者]たちの、伝説。

 賢王ビアレスは最初から賢者だったわけではない。優れた戦略家ではあったが、当初は度々仲間といざこざを起こしていた。

 そこに、後に初代剣聖となるガラバや、カトレアの祖母であるローレリア・オーキッドら[暁の盾]がいて、[勇者]たちの仲をなんとか取り持っていたのだ。

 旅は過酷を極めたが、それでも彼らが決定的な仲違いをせずに済んだのには、理由があった。

 それこそが、リドルの存在である。

 彼は――


「元、コック……だっけ?」


 記憶をたどりながらメリアドールが言うと、リディルはおもむろに真新しい[料理本]を手にとった。



 ※



 幾度となく黒竜の身体に放たれた雷の魔法が止むと、その魔法の主であるザカールが深く落胆した様子でため息をついた。


『絞りカスに、[古き翼の王]は身体を奪われたというのか』


 既に、黒竜の知る情報は聞き出されている。

 黒竜の意志に反して勝手に口が動き、答えてしまったのだ。尋問用の魔法とでも言うのだろうか、それに対抗する術を黒竜は持たない。

 とは言え大部分の記憶を失っている黒竜の話せた情報は少なく、それがザカールを苛立たせたようだ。

 やがて彼の尋問は拷問に変わり、そしてようやくそれが終わったのが今である。


『貴様ごとき小石が、この私を阻んだというのか――』


 ザカールの声に怨嗟の色が混ざる。彼はもう一度、長大な槍として作り出した雷の魔法を黒竜の身体に撃ち込んだ。

 ばちん、と鈍い痛みと痺れが身体全体を襲うが、それだけである。

 幸いなことに素の状態でも魔法に対しての耐性はかなりのものがあるようで、黒竜はザカールの加えてくる肉体的な拷問には耐えることができていた。それは救いではあるが――。


「なぜ、こんなことをする……」


 思わず問うと、ザカールの仮面の奥の瞳が黒竜をまっすぐ見据えたような気がした。


「[探求と知略(ザカール)]と、言ったか。[遺産]とやらを狙って、何がしたい」


 ザカールは、〝この私を阻んだ〟と言った。我々では無く、私、と。

 それは違和感であり、ザカールという男の得体の知れなさである。

 この男、ドラゴン側の人間では無いのか……?

 疑問がそのまま、言葉となる。


「ドラゴンすら信用していないように見える」


 それが、黒竜の感じたありのままである。

 ザカールの言葉の一つ一つが、作り物のように聞こえるのだ。

 耳障りの良い言葉の羅列で扇動しようとしているようにも感じ取れる。

 それを見抜いたからこそ、族長はザカールの語ったグランドリオを女王にという言葉を信用しなかったのだろう。

 全てが、戯言なのだ。


 ふと、ザカールが嘲笑ったような気がした。

 唐突に右手をメスタに向けると力場のようなものが放たれる。

 ザカールが言った。


『――貴様は[古き翼の王]では無い。

 ……ビアレスが今に向けて放った隠し玉だと理解した』


 メスタを縛っていた枝が崩れていく。

 だがメスタの体は浮いたまま静止している。


『捻じれた角の竜人は、ゼータ以外には確認されていない。

 この小娘とゼータの関係を、

 [古き翼の王]に入り込んだ羽虫のごとき貴様が知らぬのは無理も無いことだ。

 若くして病に倒れたと聞いているが――子を生んでいたということか……?

 そして、それを代々リドルを継ぐ者が、隠し育ててきた……?

 リドルめ、死して尚私の邪魔をするのか――』


 同時に、黒竜はザカールの弱みも見出していた。

 この男は未だに、その体が千年前のリドル卿そのものだということに気づいていない。


 なるほど、[探求と知略]というだけのことはある。

 ザカールは未知に対して貪欲であり、誠実だ。

 自らの無知を認め、知識に対しては誠意を持っている。


 だが、既知に対してはどこまでも傲慢なのだ。


 既にわかっていると思い込んでいることに対しては疑問を持たない。


 ――おそらく、賢王らもそれを見抜いたのだろう。


 不意に、ザカールの指先からどす黒い光がメスタに向かって放たれる。

 それはアメーバのように広がり、メスタの体を包み込んだ。


「ま、待て――」


 何をする、と言うよりも早くザカールが黒竜を見、嘲笑った。


『この小娘がゼータの血を引くのなら、

 かつてのヤツと同じように、〝竜化〟の暴走を引き起こす。

 自らが取り込んだドラゴンの魂を御することができない愚か者。

 だが使いみちはある』


 彼女を包み込むどす黒い光が強くなると、メスタの肉体がどくんと震えた。彼女の顔に苦悶が満ちていく。


『我が配下のドラゴンにしたことと同じように!

 ビアレスの雑兵、貴様の魂をこの小娘に奪わせるとしよう――!』

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