第43話:奪われたもの 後編
「始まってしまった――」
黒竜は思わず呻く。
とは言え、自身も未だに状況を完璧に把握できたわけではない。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか――。
だが、このままというわけにもいかない。
死ねば、家族に会えなくなるのだ。
あの少年との約束を果たせなくなる。
アークメイジが難しい顔になる。
「[支配の言葉]を出し惜しんでいるのか……それとも使えぬのか?
条件が揃っていない……?」
やがて彼女はメスタとメリアドール、黒竜を流し見、言った。
「行け。貴公らには[支配の言葉]が通用しなかった。
それが果たして信頼のおけるものなのか、確かめておきたい」
メスタは一度迷う素振りを見せたが、すぐにぶんぶんと首を振る。
「わかった」
決意を込めた目でそう頷くと、彼女は黒竜の首の後ろに飛び乗った。
……強い子だ。
それは、率直な感想である。
自分の師の、言うなれば親の体を使う敵なのだ。
憎くもあるし、それと戦うということは即ち親と同じ顔の相手に剣を向けるということだ。
――俺には、できないかもしれない。
故に黒竜は、メスタに敬意を払う。
「できることはしよう。私も全力を尽くす」
ふと、メリアドールが何かを言いかける。
彼女の肩は、震えている。
ああ、やはり――。
黒竜は、ある種の確信を持つ。
優しい子なのだ――。
リディルの指がメリアドールの震える体に触れる。
「メリーちゃんは――」
「剣聖に情はいらぬ。――行けと言ったのが聞こえなかったのか?」
アークメイジが言うと、一瞬リディルの瞳がギラついたように見え、黒竜はたじろいだ。
リディルは直ぐにいつもの無表情に戻し、言う。
「メリーちゃんは、お姫様だから。後ろに下がってないと」
「剣聖は女王を守る[盾]になる。
メリアドール・ガジットがその地位に付くことは無い」
メリアドールの腕を掴むリディルの指先に、ぎゅっと力が籠もる。
しかし、と黒竜は思う。
それは、現実である。
剣聖の家系。最高傑作とまで言われた一人娘のリディルと、女王の家系とは言え四女のメリアドールでは本来釣り合う間柄では無いのだ。
将来において、必ず引き裂かれる友情なのだ。
それが、彼女たちの未来に待ち受けている現実。宿命、と言っても良い。
しかし――。
黒竜は彼女たちの間に首をぬっと挟み込んだ。
アークメイジが怪訝な顔になる。
黒竜は彼女の目を真っ直ぐに見、言った。
「やはり、気が合わないな。
――すまない、嫌っているというわけでは無いんだ。
でもね……俺は、戦うべきではない者を、戦わせるような真似はしたくない」
黒竜はそのままアークメイジの返事を待たず翼を広げ、リディルを見た。
「メスタ君と二人で行く」
一瞬、彼女の瞳が瞬いたような気がした。
すぐにアークメイジが冷ややかに言う。
「その甘さは、お前自身を殺すことになる」
「……ああ、わかる」
「母は、それで死んだ。感情を制御できないから――」
「すまない。……たぶん、そうなのだろう」
「不愉快だ、失せろ。使えぬクズが」
アークメイジが苛立たしげな様子で視線を外す。
黒竜は、それでもなるべく優しい声色を意識して言う。
「ああ、行くよ。何かあれば呼んでくれ、貴女の助けにもなりたい」
それが、ソフロに対しての手向けにもなるはずだ。
黒竜は跳躍し、高度を上げ、遠くなりつつある眼下を見やる。
アークメイジがミラを守るようにして一歩前へ出たのが見え、彼女はそのままリディルをミラの護衛につかせるように促している。
アークメイジもまた、母親を殺されているのだ。
ミラと、同じく――。
そう考えた時だった。
地表の竜人兵から一斉に放たれた〝雷槍〟を片手でなぎ払ったザカールが、静かに、世界に対して語りかけるように、一帯を震わせる声で囁いた。
『〝デスティア〟』
冷たい波動が駆け巡ると、〝陽光〟の空が灼熱に染まる。
冷気が嵐となって吹き荒れると、上空から飛来する無数の影が里全体を覆った。
それは[竜戦争]の時代、[古き翼の王]が使った破滅の[言葉]である。
即ち、雨のように降り注ぐ流れ星の[言葉]。
猛スピードで降り注ぐ流星の雨を竜人兵らが確認すると、彼らは皆ぞっとして遥か上空から迫る質量を持った破壊そのものに対して慌てて迎撃を始める。
塔で待機していた兵たちも合わせれば、その弾幕はハリネズミのように放たれた閃光であるが、質量の雨というのは恐ろしく、全てを破壊できるものでは無い。
再びザカールは闇に紛れ、ジグザグの飛行で旋回し、地表の竜人兵たちに襲い掛かった。
「[破滅の言葉]――」
首の後のメスタが驚愕してつぶやくと、黒竜は、
「ど、どうする! これちょっと無理かも……!」
と慌てふためいた。
そして、また[言葉]の意味を理解できなかったことにも疑念を抱く。
わかる[言葉]とそうでない[言葉]の違いは、何だ――?
が、降り注ごうとする流星の解決策は見いだせない。
黒竜が使える広範囲な[言葉]は、正確な狙いはつけられないのだ。
それどころか、質量を持って降り注ぐタイプは破片を細かくしたところでこちらのダメージをゼロにすることはできない。
里に多くの被害をもたらすことになる。子供の姿だって、あったのだ。
痛み分け覚悟で、やるべきか――。
迷った瞬間には、既に後方の塔――アークメイジがいるところだ――から強大な魔力が溢れんばかりの波動となって解き放たれていた。
首の後のメスタが振り返る。
「なんだ、ミラか――? いや、あのカトレアとかいうアークメイジ!」
アークメイジが両の手を掲げると、無数の木々、山々、川から全ての水という水が柱のようになって立ち上り、〝陽光〟よりも更に上空の大空に巨大な海を作り上げた。
その空に浮かぶ海は次第に層を厚く厚く重ねていく。
それの様子を見て取った竜人兵は、即座に標的を再びザカールへと変え、攻撃に移る。
同時に大空の海が輝き、巨大な氷塊へと姿を変えた。
傍らのミラが何かを詠唱すると、大地から土で形成された柱が氷塊を支え、更に氷塊からいくつもの氷の柱がうねるようにして空へ空へと伸びていく。
氷塊の壁のはるか上空で一気に膨れ上がり、蜘蛛の巣のように広がった。
氷で作られた蜘蛛の巣が、隕石の衝突で割れ、同時に周囲の水分を吸収し、再び結合し、破壊され、修復しを高速で繰り返す物理的な障壁となった。
やがて、全ての氷が降り注ぐ流星を絡め取ると、ザカールは、
『やるな、現代のアークメイジ』
と呻き、アークメイジらのいる塔に狙いを定めた。
同時に、メスタが強化魔法を自分にかけると、膨れ上がってた筋肉を蓄えた太ももで思い切り黒竜の首を蹴り、跳躍する。
同時に黒竜はザカール目掛け、[息]を撃ち放った。
その[息]はすぐさま細く収束し、灼熱の光線となる。
即座にザカールは体を捻り灼熱の光線を回避すると、ほぼ同時に上空から飛来したメスタの両手剣がザカールの頭上に振り下ろされる。
ザカールは何もない空間から一振りの曲刀を抜き去り、メスタの両手剣の一撃を片手で受ける。
メスタが叫んだ。
「先生の、剣を――!」
『ゼータの縁のものか――?』
「な、に――」
『理解ができぬのなら、ここで消えてもらう』
ザカールが滑らかな動きで腕をメスタの首に伸ばすと、メスタは即座にザカールを蹴り飛ばす。
同時に入れ替わるようにして別の竜人兵が長大なランスを構え突撃すると、ザカールはランスの切っ先を蹴り、ふわりと宙を舞った。
そのままザカールは空中でビタリと静止し、眼下にいる竜人兵に向けて叫んだ。
『〝殺す・粘着・
赤黒い死の閃光がベタベタと雨のように大地に降り注ぐ。
その赤黒い粘着したなにかに触れた箇所から、ぞわりぞわりと死が広がり、大地と人の命を終わらせてゆく。
それは、一ヶ月ほど前の戦いで黒竜が使った[言葉]に似ていた。
しかし、と思う。
言葉の数は少ないが、威力は遥かにザカールのものが凶悪に思える。
それはイメージの違いか、込めた魂、即ち意志の違いか。
「これ以上、被害を広げるわけには……しかし!」
黒竜の攻撃は概ね全てが広範囲の破壊力のある[言葉]である。
乱戦、あるいは防衛戦には不向きなのだ。
メスタを首の後ろに回収し、黒竜は飛行を続ける。
眼下には、ザカールの放ったたった一つの[言葉]で死がみるみるうちに広がっていく。
地表に落ちた竜人兵の一人が、広がっていく死に足の先を取られる。あっという間に赤黒い死が竜人兵の体を覆うと、悲鳴すら上げる間もなく肉体がぼろと崩れ落ち、文字通り消滅した。
少しずつ、少しずつ、赤黒い死が地表を通じて里の集落へと伸びていく。
ぞわり、と悪寒が走った気がした。
これが、こういうことができるのが[言葉と息]なのか。
同時に、僅かな思考が可能性を気づかせる。
[言葉と息]は[概念の魔法]と、聞いた。
概念――。
首の後のメスタが、かすかに怯えた声を出す。
「あれを、止めないと! 里が――」
友人の、故郷。概念。
ザカールの[言葉]は、たったの三つの概念。死をこびりつけ、広げる。ただそれだけの――。
喉の奥が熱を帯び、気がつけば黒竜は大地に向けて[言葉]を走らせていた。
「〝概念・反転・言葉・
言葉はやがて波動となり、大地に降り注ぐ。
里に襲いかかりつつ合った赤黒い死の概念が、まるで波が引くようにしてザカールに集中し、襲いかかる。
再び漆黒を纏ったザカールが、空中をジグザグに飛行し逃げ惑うも、赤黒い死の概念は正確にザカールだけを追い詰めていく。
ふいに、魔力が走るとザカールの姿が消失した。
首の後のメスタが、
「〝次元融合〟――」
と呻くと、行き場を失った死の概念が再び蠢き出す。
赤黒い死は、黒竜の放った青い波動と混ざり合い、まるで意志を持ったようにして黒竜へと襲い掛かった。
すぐさま複数の竜人兵が黒竜の正面に魔法障壁を張り巡らすが、その全てが無効化され、反転し衝撃が竜人兵を弾き飛ばしていく。
黒竜は、己の失態を呪った。
しかし、何故――。
メスタが何かを言うよりも速く、上空に再び〝次元融合〟で姿を現したザカールが黒竜目掛け叫んだ。
『〝殺す・粘着・
咄嗟に放った〝力場・障壁・無効化〟の息はあっという間に無力化され、黒竜はメスタをかばうように反転する。
ザカールが笑った。
『自らを否定する[言葉]を生み出した愚か者よ!
やはり貴様は[古き翼の王]では無い! その愚行を存分に味わうが良い!』
遅れてやってきた赤と青の入り混じった[言葉]が、黒竜とメスタを包み込む。
メスタが咄嗟に口元から衝撃を撃ち放つが、それすらも赤と青の[言葉]に飲み込まれ、二人の肌にべたへたとまとわりついていく。
どくん、と黒竜の心臓が締め付けられ、強い熱が体全体を支配していく。
全ての[言葉]が黒竜に飲み込まれていくのを確認したザカールは、周囲に一度雷撃の雨を降らせてから、黒竜とメスタに向けて言葉を撃ちはなった。
『〝ディサー・ゲイン〟!』
視界が揺らぎ、全てが闇に染まっていくと、彼の意識はそこで途切れた
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