第42話:奪われたもの 前編
「後手に回っているな」
ふと、アークメイジが冷ややかにつぶやいた。
アークメイジは終始冷静であり、冷徹である。
人が砂に変えられた瞬間ですら表情一つ動かさなかった。
黒竜は思わず目をそむけてしまったというのに――。
今でも心臓がばくんばくんと大きな音を立てている。
目の前で繰り広げられている殺し合いが、たまらなく恐ろしいのだ。
怖いな、と表情を曇らせた黒竜を見ようともせず、彼女は続ける。
「個々の力量は、なるほど。師の教えを従順に守り、研鑽を重ねてきたのが見て取れる。
だが柔軟性にかける。……これは族長共が原因だろうが。――ミラ」
突然アークメイジに名を呼ばれたミラは、慌てて「は、はい」と顔を向けた。
「最後の兵士の声はこちらでも聞こえていたな?
〝次元融合〟はザカールの最も得意とする魔法だ。
が、あのような使い方をしたという記録は無い。ミラ、お前はどう見る」
その問いにミラは少しばかり考え、答える。
「とても、非効率に思えます。
そもそも転移なら、〝次元融合〟をあえて使う必要はありません。
……けど、それはわたしたちが知っている〝次元融合〟の話、で――」
ミラが顔を上げ、アークメイジを見て言った。
「ザカールが改良した新しい〝次元融合〟のようなものであれば、
それはあり得るものだと思います」
アークメイジが満足気にうなずく。
「そうだ。常に敵側がこちらの上を行く可能性を、想像力を持つことができれば――」
彼女は周囲の里の情景を見渡し、寂しげにつぶやいた。
「――こうはならなかったはずだ」
そうか、と黒竜は思う。
彼女もまた、この[竜人の里]で過ごしていた時期があるのだ。
リドル卿の愛弟子として。
国と家族を捨て、巡り会えたリドル卿は彼女にとって二人目の父であり、ここは第二の故郷なのだろう。
それでも、彼女たちは冷静だ。今まさに目の前で、戦いが繰り広げられているのだというのに――。
見れば、メスタもリディルも恐怖の表情などは浮かべていない。戦士の顔だ。
唯一メリアドールが、肩を震わし、青ざめた表情を浮かべている。
黒竜は理解する。
彼女、メリアドールだけがこの中で唯一、殺し合いから遠い人生を送ってきたのだ。
この里で育ち、冒険者でもあったメスタ、幼い頃から魔導に携わってきたミラベル、剣聖リディルらとは本質的に違うのだ。
そしてそれは、黒竜も同じなのだ。
眼の前で繰り広げられている命の奪い合いに飲まれ、恐怖を覚える側の、者。
黒竜はメリアドールの背中にそっと翼を触れさせ、アークメイジに問う。
「我々はどうするのだ?」
同時に思う。
この子はこの場にいて良い子では無い。
普通の子なのだ。
そしてそこに、俺と同じ、という枕言葉をつけるつもりもない。
それは、大人と子供の線引である。
怯えている子供がいるのなら、大人の自分は虚勢だろうと前に出ようとする気概が、彼にはある。
そしてそれこそが、今ここにいる理由なのだ。
――俺は、妹の代わりにここにいる。
その事実が、彼を奮い立たせる。
俺は望んでここにいるのだ、と――。
だが、アークメイジは鼻で笑った。
「どうもしない」
「――何故。苦戦しているように見える。
……強い[言葉]を使う相手なら、私だって力になれるはずだ」
それは、黒竜にとっては勇気のいる言葉であった。
だが、望む望まないにしろ力を持ってしまった以上、それは必要な時に振るわねばならない。
それが兄としての挟持である。
[古き翼の王]の真実に近づくにつれ、その思いは一層強くなっていく。
家族を守った結果、ここにいる。巻き込まれたのでは無い。
自らが選んだ選択。
妹の身代わりになるという、確固たる意志で、選択した。
ならば、後悔は無い。
そしてむざむざとやられてやるつもりもない。
生きて家族に再び会うために――。
アークメイジは、考え、言う。
「ザカールの目的は支配であって破壊では無い。
ヤツはあくまでも、その為の手段に破壊を使っただけだ。
それに[支配の言葉]を出し惜しんでいるようにも見える。ならば次の手は――」
やがて、最後の竜人兵を砂に変えたザカールが、闇を纏い里の上空に差し掛かった。
張り巡らされた魔法障壁の上方でその闇は静止すると、闇からザカールが姿を現した。
『私は、[古竜帝国]のザカール。貴公らと話し合いがしたい。応答を願う』
ぞおん、と一帯に響き渡った[言葉]の波動が鼓膜でなく頭蓋に響き渡る。
これも、[言葉と息]の技か何かか。
アークメイジが、
「戯言だな。長の返答次第ではここを出る。――その後に、この地ごと封印する」
と冷ややかに言うと、メスタがぎょっとして向き直った。
「え、でも……」
「未だに未練があると見える。捨てよ、くだらん。
リドル卿を守れなかった時点で、既に価値など失っておる」
彼女は、第二の故郷を捨てるという選択を選べる人なのだ。
畏怖と敬意を同時に感じ、黒竜はぶる、と背筋を振るせた。
――人生観が、違いすぎる。
ふと、リディルがメリアドールに身を寄せた。
彼女はぎゅっとメリアドールの手を握ると、
「あたしは、ここにいるから」
と小声で囁いた。
ややあって、里の中枢に半透明の巨大な人影が姿を現した。
それは、[魔道具]を使って投影された族長の姿だった。
彼は言う。
『かつて世界を支配した古の者、[古竜帝国]、
最初の[司祭]にして[古き翼の王]を生み出した魔導師、ザカール卿』
空中で静止していたザカールが静かな声色で返す。
『いかにも。応答に感謝する。交渉の余地があると見てよろしいな?』
『我が方の兵、二十名の命を屠っておいて良くも言える』
『それは誤解だ。彼らはまだ、生きている。
我が魔の力を持ってすれば、無傷で人の姿に戻すことも可能だ。
貴公らの優秀な兵の攻撃に晒され、それでも殺さずに無力化したこちら側の意を汲んで欲しい』
『爆発を確認した。それに巻き込まれた者の遺体は、既にこちら側で回収済みだ』
『貴公らの実力が私の想定を超えていた。力が拮抗すれば、全てをというわけにはいかない』
『……ザカール卿は我らに何を望む。この里は忘れ去られた地。
時代の流れに取り残された、隠れ里。卿の望むものなど無い』
微かに、木々がざわめいた。
眼下の山々の合間を縫って、竜人の兵士たちがジリジリとザカール迎撃の為に動き出している。
ザカールが言った。
『私は[暁の教団]の意に従っている。我が方の女王に、ミラベル・グランドリオを迎えたい。
それで、我々は引こう。[ガジット派]の貴公らに取っては、悪い話ではあるまい』
微かにミラの肩が震えると、アークメイジの指がそっと触れた。
アークメイジが冷たい笑みを浮かべる。
「欺瞞である。……見ればわかる。あの魔力は、そういう為のものでは無い。
狙いは――リドル卿の研究成果、そこからの[遺産]だろう」
その感覚はエルフ種特有のものか。あるいは彼女が熟達した魔導師だからか。
そして彼女と同じく、それに気づいていた族長が投影された姿で言った。
『だが、卿の体からは見知った魔力を感じる』
ふと、ザカールの気配が変わったような気がした。
ビリビリと指すような何かを、黒竜でも肌で感じる。
『卿は何者だ。その体の本来の持ち主は、どうなった』
里長の声には明確な怒りがはらんでいる。
ザカールがさして興味もなさげに『そうか』とつぶやいてから、おもむろに自分の仮面を剥ぎ取った。
メスタが、思わず呻く。
「――先生……」
長い白髪と髭を蓄えた老人が、不気味に口元を歪め、言った。
『我が領界に足を踏み入れた不届き者。彼には罰は受けて貰う必要があった。
私の新たな肉体として、大切に使わせてもらおう』
『――卿の目的がわかった』
被せるように言った里長の投影は、上空のザカールを憎々しげに見据えている。
『ほう?』
『リドル卿の体を奪ったのと同じく、グランドリオの体を奪い帝国を我が物にしようという魂胆、
見過ごすわけにはいかぬ』
ザカールが薄く笑う。
『発想の飛躍だと言っても、聞き入れてはくれそうに無いな?』
『それに卿は誤解している』
微かに、ザカールが訝しげな顔になる。
族長は言った。
『我々は[ガジット派]では無い。現政権、国の安寧に尽くしているだけだ』
ザカールが小さくため息をつき、首を振った。
『残念だ。――ならば全員、死んでもらう』
里長の投影が霧のようにかき消えると、ザカールの眼下四方から同時に一斉放火が始まった。
すぐさまザカールは飛び退き、仮面をつけ直すと闇を纏いジグザグの飛行で地表から撃ち放たれるハリネズミのような火線の合間を縫うようにして高速な機動を繰り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます