第38話:少しずつ終わる日常

 [ハイドラ戦隊]の執務室で、ミラは魔導副団長という名のただの雑用の為に設けられた机の上で突っ伏し、長いため息をついた。


「……疲れた」

 だが、そうも言ってはいられない。

 今日も今日とて[竜人の里]に行けるよう頼み込まねばならないのだ。

 幸か不幸か、目を覚ましてからここ数日、仕事中は基本的に事務室に半ば監禁され、メリアドールと二人で貯まっていた仕事の片付けに追われている。

 だから話す機会は非常に多いし、頼みごとのタイミングなどいくらでもあるのだ。

 とは言え、山のように積み上がった書類と格闘しているメリアドールを見ると、流石に躊躇が生まれてしまう。


 ここ最近は特にひどい。

 アークメイジ率いる魔導師団がミラベルの護衛についてくれたのは、嬉しいことである。ミラにとっての母親代わりは義姉であるが、親戚の叔母がいたらこんな感じなのだろうという想いをアークメイジには抱いている。

 アークメイジは、唯一ミラベルを甘やかしてくれる存在なのだ。

 だが、極端な才能主義者であることも理解していた。

 即ち、彼女の訓練は厳しいのだ。

 それでも、怠け者の隊から離脱者が一人も出ないのには、理由があった。

 才能主義者であるアークメイジは、徹底して長所を伸ばす方針を取る。


 既にミラの机には、所属する隊全ての人員に対して、個別の訓練方法や指示が事細かに書き記された書類が束になって積まれている。


 アークメイジによれば、カルベローナ・テモベンテは魔法剣の才能があるようだ。剣士としての反射神経とセンス、魔法に対する親和性、双方が高い次元でまとまっており、彼女自身の性格も相まって補助魔法を主体とした魔法剣士としての訓練を行わせているようだ。


 [ハイドラ戦隊]きってのサボり魔であるアリス・マランビジーには付呪と召喚魔法に関して褒める内容が多分に書かれている。それどころか、訓練に参加せず独自学習を認められたのだ。それは他の[魔術師ギルド]学員としては驚くべき事態なのだが、ミラもかつてそれを認められた者の内の一人なので、


(おー、割といるもんだ)


 くらいの感想しか抱かない。


 十三番隊のケルヴィン・マクスウェルに関しても比較的良く書かれており、彼には剣技と自己強化魔法を徹底的に鍛えてもらうそうだ。……感情的になりやすい傾向があるため隊長に向いていない、とも書かれているが。

 書類の端に、『商人としての才があるように見えるが何故剣を振るってるのだ?』という記述も有り、ミラは少しばかり笑みをこぼす。

 本当に、よく見ている人だ。


 結果として、隊総勢四十余名全員分の細かな報告書全てに目を通さねばならず、訓練に必要な道具や諸々をまとめていかねばならない。

 それを、ミラとメリアドールの二人でやるのだ。

 故に、ミラとしては、『今日もメリアドールを押しまくってやるぞ!』ではなく、『今日もこの人の仕事を増やさねばならないのか……』という申し訳無さの方が勝りつつある。

 だが、[翼]の彼に言ってしまった手前、引っ込めないのもミラである。


 そもそも、メリアドールとリディルの二人の頃は、そこそこ真面目に訓練をする十名分の仕事しかなかったのだ。

 それを人数はそのまま、しかし上がってくる報告書が四倍に増え、更にアークメイジからの人数分の毎日の報告書も合わさればこうもなる。

 人数に対して仕事が多すぎるのだ。


 現代社会において、大抵の仕事は[魔術師ギルド]が作りだしたゴーレムによって自動化されている。

 予算の計算だって、自動書記によって行われている。

 だが、それら全ての確認作業だけはずっと人の手で行われてきたのだ。

 それが、本人であることの証明の為に使う[魔法ペン]である。

 魔法によって契約がなされた自分だけの[魔法ペン]は、インクでなく魔力を使って書くペンだ。

 それが偽装を防ぎ、同時に管理者の仕事を大変なものにさせている。

 上がってきた報告書をミラベルが確認し、サインをする。

 そして最後にメリアドールがもう一度確認をし、同じく彼女の[魔法ペン]でサインをし、それは本国に送られるのだ。


 傍から見ていて、ミラは思う。

 メリアドールは、超がつくほど真面目な人だ。

 小言を言いつつ、文句を言いつつ、結局投げ出せずに全部自分で背負い込むタイプなのだ。

 ミラは、メリアドールのことを少しだけども好きだった。

 こういう人もいるのだなと、希望を持てるのだ。

 貴族なんて、王族なんてと嫌気が指していたミラにとって、メリアドールのような人は救いであり、希望である。


 執務室の扉が開かれる。

 隊の訓練から戻ってきたリディルが言った。


「ねー、メリーちゃんさー、それもう辞めちゃいなよー」


 あっけらかんと述べられた彼女の言葉に無反応のままメリアドールがひたすら書類にサインをしていく。

 リディルの背後にいたメスタがひょいと彼女を避けメリアドールに言う。


「カルベローナ、強くなってるよ」


 すると、メリアドールはサインを止め視線をメスタに移す。


「実戦の経験、かな?」


「たぶん、そう。あいつ真面目だし、やる気もある」


「だよね」


 と返したメリアドールの言葉で、なぜだかミラは少しばかり嬉しい気持ちになった。

 嫌いではない一応友人が影で褒められているのは、良いことなのだ。

 先程から無視され続けているリディルがさして気にした様子もなく、口を挟む。


「ねー、これ本来あたしらやらなくて良いことじゃん? 隊の者たちの手本となるって理想掲げるのは良ーけどさー、もっと別のことしよーよー」


「え、そうなんです?」


 思わずミラは手を止めリディルを見る。

 やらなくて良いとはどういうことなのか。


「そだよー」


 と、リディルが説明する。

 曰く、そもそもミラたちのやっている仕事の大半は人を雇えば解決するものであり、それをしないのはメリアドールのただの意地なのだそうだ。

 [魔法ペン]だって、本国で『これペンじゃなくて良くないか?』という疑問から既に更なる自動化が進められており、自身の魔力を吹き込んだゴーレムに作業をさせることで、大幅に時間を短縮できつつあるのだそうだ。


「じゃ、じゃあこれもう無駄じゃないですかっ!」


 ミラが絶句して叫ぶと、メリアドールが怒鳴り返した。


「無駄じゃないよ!」


「どこが!? 無駄じゃないですか!」


「……高いんだよ! あれは!」


「ああ!?」


 日頃の疲労もあって、ミラは半ば驚愕と怒りで口調を荒くする。


「高いんだよ! この[グランリヴァル]がどんだけ田舎かわかってんのか!?

 本国の[商人ギルド]が大量発注して、他国に輸出とかもして!

 そんで生産が追いついていないから!

 僕たちみたいなのが割りを食ってこういうことになってんの、わからないか!」


「な、なにをっ……!

 そういう……そういう、優先順位とか、無理やりやるのが貴族なんじゃあないですか!」


 これは、ミラの偏見である。だが口から出た言葉は飲み込めず、メリアドールを苛立たせただけだ。


「できるか、そんなもん! まかり通るかっ! 王家って言ったって、僕は四女だぞ!?

 姉が三人いて、兄が二人いるんだぞ!? もっと優秀な妹までいて!

 そもそも権力闘争嫌でわざわざこんなど田舎に来たから変人の姫様とか言われてるし、

 それが歴代最強の剣聖とか連れてきちゃってるから、疎まれてんだよ、僕は!」


「そ、それは――わかりません、けど……」


 つい言ってしまった手前、そしてそれに気づいてしまった手前バツが悪く、ミラはこれ以上は何も言えなかった。

 ふと、リディルが素っ頓狂な声をあげる。


「うひゃー、メリーちゃんが怒ったー」


「ほんとだ、怒ってら」


 とメスタが苦笑しながら続く。

 実際、隊の中に入ってみてよくわかった。

 税金で豪遊していると噂されていた[ハイドラ戦隊]であったが、実際はそうではなかったのだ。

 それは意外であり、しかし理由を聞けば納得することでもあった。

 曰く、


『何故安物のソファーに座らなければならないの?

 父が一声かければ明日にも最高級のソファーが全員分届くというのに』


『節約? 言っている意味がわからないわ。国から降りる微々たる予算で何をしろと?

 あの程度ではパーティの一回すら開くこともできません』


『あんな小銭はメリアドール団長が好きに使って結構。

 わたしたちはわたしたちのやりたいようにさせていただきますので。

 それよりもこのドレスご覧になって?

 わたしがデザインしたものが完成したの。よかったら貴女もいかが? 差し上げます』


『昨夜、お母様から連絡がありました。少し痩せたんじゃないかって。

 それで心配して、こんなにたくさんの果物を送り届けてくれました。

 でも流石に食べきれないので、皆さんよかったらどうぞ』


 つまるところ、彼女たちは[ハイドラ戦隊]に支給されている予算など頼る必要が無い本当の大金持ちなのだ。

 実際、案内された隊の地下金庫には全然手を付けていない金貨が天井に届くほど山積みにされていたのだ。

 だが、それが隊設立以来ほとんど手付かず(最も腐敗していた時ですら)の結果であると知れば、千年の歴史があるにしては金貨の量は少なすぎるのだ。

 それを、魔導副団長として報告書に目を通していけば、国から[ハイドラ戦隊]に支給されている予算はかなり削減されていることもわかる。

 煙たがられていることも――。


 しかし、そんな[ハイドラ戦隊]にも、初めて本国からの命令が届いた。

 それは、ドラゴン関連であり、完璧に懐柔するか討伐するか……とにかくどうにかしろという本国側の強い要請である。

 殺せないのならせめて首輪をつけろというのだ。

 しかし、隊の四割が、


『パーティにたくさん出席させて危険が無いことを証明しましょう』


 と訴えれば、それが通ってしまうのが[ハイドラ戦隊]の現状である。

 それで事実上、[ハイドラ戦隊]の活動は増えることにはならないので、彼女たち的には有りなのだそうだ。

 どうせ飛竜たちと同じく魔獣使いに全てやらせるのだろう。

 残りの五割は、自分の意見を持たない者たちである。

 充てがわれた宿舎の自分の部屋にこもってひたすら絵を書いていたり、読書をしたり、つまるところ趣味に没頭しているのだ。そういう者たちは自らの意見を述べず決定に従うとしか言わない。


 だが彼女たちはいうなれば消極的現状維持派であり、そういう意味では現状維持を求める勢力は隊の九割いると言っても過言では無い。

 ちなみに残りの一割は二番隊と十三番隊であり、騎士団として積極的に活動して隊の優位性と[古き翼の王]が良きドラゴンであることを証明すべきとのことだ。

 だがいかんせん、あまりも少数派であるためその声は無視されるであろう。

 訓練をするようになったとは言え、協調性ができたというわけでは無いのだ。


 なんだか肩に疲労を感じたミラは、二番隊隊長であるカルベローナがぎっしりとまとめた[古き翼の王]の有用性に関する分厚い書類の束を、ため息と共に横に避けながら問う。


「……パーティ、出させるんです?」


 同時に、どんどん[竜人の里]から遠のいていくのを実感する。

 何とかしてあげたいのは山々なのだが、今ここで自分が抜けたらメリアドールの仕事の量がどうなるか――。

 新しいゴーレム無理やり買えよとは言えない。

 つまるところ、ミラベルは『値段が高い』を理由にされると弱いのだ。

 すると、メリアドールも同じく盛大にため息を付く。


「……そうするしか無いだろ。断れるわけが無い。――どのみち、出頭命令は出ている」


 ミラの件で、彼女は本国から召還されるのだ。

 それが負い目となり、これ以上無理やり[竜人の里]行きたいを押し通せない。

 あの後、ひと目だが孤児院の家族たちと面会することもできた。

 皆元気で安心した。

 義姉の病気も、回復に向かっているようで以前のように時折獰猛な獣のようになることもだいぶ無くなったらしい。

 そして、新たな疑惑が浮上する。

 ……これは、ミラが貴族たちの騎士団の副団長だからこそ、漏れ聞こえ知ることができた情報でもある。


 ――リジェットは、本当に治療薬を作り、患者の病気を治して回っていたのだ。


 それは同時に、[竜化の呪い]の発生源は別にあることを意味している。

 ザカール、という名が脳裏にちらつくと、ミラは少しばかり不安になってぶる、と肩を震わした。

 [古き翼の王]の右腕。最古の魔導師。魔法に関しては最強の戦力を保持すると言われるハイエルフが束になっても勝てなかった、魔人。


 ――夢のことは、カルベローナに話してはある。


 彼女からメリアドールにもその話は伝わっており、本国にもそれは送られたそうだが――。

 ふと、思う。

 メリアドールは……どこまで知っているのだろうか。

 リジェットの話はミラの耳にすら届いているのだ。ならば、彼女も把握していることだろう。

 ザカールの名を言った時、やけにメリアドールが困惑していた様子だったのも、少しばかり気になるところだ。

 しかし、と思う。

 ……今できることは少ないのだ。

 本国からの返事と言えば、注意深く行動せよ、あるいは状況を注視せよという曖昧なものであり、結局の所打つ手がないのだ。

 何もできていないのだ。

 後手に回りすぎている。

 それを新米のミラですら痛感しているのだ。古参であるメリアドールはさぞ苦労したのだろう。

 ふと、リディルが特徴的な黒い眼でミラをじっと見てから、すぐにメリアドールに顔を向け言った。


「でさー、ミラちゃんはどーするの? パーティ出すの? 出さないの?」


「出てもらう。うちの副団長だ。……ご丁寧に、指名されている」


 メリアドールが即答しリディルが「そっかー」と納得する。

 ミラは慌てて言った。


「ちょ、ちょっと待ってください! それって――」


 つい先日、何者かが潜ませた暗殺者に殺されかけたばかりなのだ。

 だと言うのに、わざわざ――。

 これでは殺されに行くようなもの、と言いかけると、リディルがぐりんと黒い瞳を向け、ミラは思わず押し黙った。


「……行っても行かなくても、狙われるでしょ?」


 そのままミラを真っ直ぐに見据え、リディルはゆっくりと続ける。


「ミラちゃんを刺したやつ。[暁の教団]の信者だったんだけどね」


 それは、[暁の勇者]を信奉する宗教団体の一つである。

 だが実態は、現女王の血筋は[暁の勇者]の血統では無いとし、偽りの王の首を取り真の王を復活させるなどという教えを掲げ国家転覆を目論む過激な集団である。

 彼らはグランドリオ家だけでなくガジット家すらも標的にしており、宗教として人気が無いことが逆に潜伏を手助けしてしまっているため、全貌の解明に至っていない。

 つまるところ、ミラの命は信者向けのパフォーマンスに使われたのだ。

 だがそれもミラが生存している為失敗に終わったことになるのだが。

 リディルが言う。


「でもそれをけしかけた奴。

 うちに紛れ込ませた奴……利用してる奴がそこら中にいるってこと、ミラちゃんわかってる?

 ああいうのを便利だって考えてる怖い人たちは多いよ?

 ……カルちゃんのとこに入り込んでたのは、あたしちょっとムカついた」


 黒い瞳が一層闇に染まったようで、ミラは少し身震いする。

 メリアドールが言った。


「ミラベル、キミにはきちんと手続きを踏んで、我が隊の騎士として出席してもらう。

 王家主催のパーティだ、アークメイジも同行すれば、多少はマシになるはずだ。

 後は――[翼の王]が我々の道理をわかってくれるかどうかだけど……」


 すると、すぐにリディルが返す。


「大丈夫じゃない? なーんか人の言葉を話すドラゴンってよりもさ、

 ドラゴンの姿をした人間って感じじゃん?――ん、それ何?」


 ふと、リディルがミラの机の上に置かれた一枚の手紙に気づく。

 ミラははっと思い出し、慌てて言った。


「あ、これメスタ宛の手紙だって。さっき届けられて……」


「見せてっ!」


 とリディルがミラの手から素早く手紙を取り去ると、メスタが、


「おい」


 と据わった目でリディルをにらみつける。

 だがメスタが取った行動はそれだけであることから、このようなメスタに対するリディルの暴虐っぷりは日常茶飯事なのだろう。

 リディルが封を開け、手紙に書かれた文字に視線を落とす。

 メスタが、


「汚すなよな」


 とため息混じりで言いながら自分の椅子に座る。

 ややあって、手紙を持つリディルの指先がぴくりと震えた。

 メスタが怪訝な顔になると、リディルはそのまま手紙を彼女に手渡し、叱られた子供のような顔になって言った。


「メスタちゃん、ごめんね……」


「ん……?」


 メスタが手紙を受け取り、文字を視線で追っていく。

 メリアドールが目をパチクリとさせながら、心配げな様子になってリディルとメスタを見る。

 リディルの指が、そっとメスタの腕に触れる。

 メスタが微かに口を開き、小さく息を漏らし、沈黙してから言った。


「……リドル先生、死んだって」




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