第33話:違和感
思考の海に落ちかけた黒竜に、ふと声がかけられる。
「また……何かを見たのか?」
同時に不思議な感覚に陥る。
まだ夢を見ているような――。どこかふわふわとした感覚。
先頭を歩いていたレリアが、黒竜のすぐそばで心配げな顔を向けている。
だが、他の者たちが誰もいない。
メリアドールの姿も見えない。
だが、場所は――。
黒竜はおもむろに言った。
「ザカール、という男の残した聖堂にいたはずだ」
レリアがくすりと笑う。
「いるじゃないか。ちゃんと」
「他のみんなはどこに……?」
本当に不思議だった。
彼女に対して敵意が沸いてこない。皆をどこへやった、という言葉すらも浮かんでこない。
まるで最初から彼女が危害を加えないとわかっているかのように、確信している。
何故だ……?
レリアがまた、優しげに微笑む。
「今はいない」
嘘は言っていない。いや、そもそも彼女が嘘を言う必要が無い。
絶対に、ありえない。
何故、こんな確信が持てるのだ……?
わからない。だが不安な気持ちも浮かんでこない。
レリアが少しばかりさみしげな表情になる。
彼女は少しばかり迷う素振りをしてから言った。
「お前は、私を信じられるのか?」
質問の意図がわからず、それでも黒竜は同じ疑問を胸に抱いていたため、ただ漠然としたまま答えた。
「……わからない」
「自分自身の、ことも?」
レリアが問う。
黒竜はすぐに答えた。
「たぶん、そう。曖昧なんだ。はっきり覚えているはずなのに、一部だけがすっぽりと抜け落ちてしまっている。……自分の名前も、顔も思い出せない。友達だって、いたはずだ――」
それが、不安の種なのだ。
自分が本当に、自分自身なのかがわからなくなる。
思いと記憶がバラバラなのだ。
また、レリアが迷う素振りをしてから、言った。
「――義父が、言っていた。[古き翼の王]は、ドラゴンに擬態しているだけの全く違う[何か]だと」
「……父?」
「そう。私を育ててくれた、義父さん。――お前を、疑えと、聞かされている。……ビアレスから」
その名を聞いた瞬間、黒竜の胸が不安でざわついた。
「俺が、敵だって言いたいのか……」
思わず不安を言葉にしてしまい、黒竜は短く息を吐く。
その息は重く、不愉快に生温かかった。
「違う、私は――」
妙に慌てた様子のレリアが何かを言いかけ、すぐに言葉を濁し、俯き、自らの感情を抑え込むかのように力なく首を振り、もう一度黒竜をまっすぐ見据える。
「……その可能性は十分にある。お前が今、人のように振る舞っているのは偽りかもしれない。すぐに[古き翼の王]が目覚め、今のお前という人格を消し去るかもしれない。お前は、自分がそういう存在だということを理解する必要がある」
彼女の声色は、冷徹というよりも用意していた文章を淡々と読んでいるかのよう。だが逆にそれが、黒竜を少しばかり冷静にさせた。
助けようと、してくれているのかもしれない。
「……俺は、どうしたら良い。何をすれば良い。何も、わかっていないんだ。――メリアドール君のおかげで、[グランリヴァル]の[書庫]には入れた。みんなが協力してくれて、色々な本を読むことができた。だけど……わかったのは、三百年前の大戦のことばかりだ。一番知りたい千年前の[竜戦争]の記録は、ほとんど残っていない……。俺はまだ、何もできていないのに……もう、三ヶ月も経ってしまった。妹はもう五年生になる。新学期を、俺が行方不明のまま迎えさせることになっちまった。父さんも、母さんも、そうだろう……? 俺がいないまま、心配させたままこんなに時間が経っちまって、だけど、俺は……まだ、何もわかっていない……」
それでも、言葉にすれば感情は溢れてくる。
不安と、いらだちと、無念さと、いくつもの感情が入り乱れ、黒竜は泣き叫びたくなる。
だが、涙は出てこない。
それが一層黒竜を不安にさせるのだ。
「家族のことなのに、泣くことすらできない……。俺は、本当に俺なのか……? なんで名前を思い出せないんだ、俺は――」
レリアは口を閉ざし、遺跡の天井を仰ぎ見る。
やがて、彼女は言った。
「私だって、全てを聞かされているわけでは無い。……義父も、知らないことなのだ」
レリアは振り返り、黒竜を真っ直ぐに見据える。
「おそらく、お前の中には数えきれないほどの[魂]が……その体の主導権を握ろうとせめぎ合っている。お前の記憶の混濁は、その余波か、今もなお続いている攻防の結果なのだろう。これが義父の立てた仮説だ」
「俺の……。俺は、喰われたのか?」
「……覚えている最後の記憶は?」
黒竜は語る。かつての街並みを、妹との買い物帰りの闇の風を。
すると、レリアはまた静かに目をつむり、「そうか」と息を吐く。
その様子がどこか悲しげなのが気になった。
黒竜は思わず、
「どうか、したか……?」
と声をかける。
レリアは、
「いや」
と首を振ってから言葉の続きを言う。
「お前は、喰われた。お前の[魂]は[古き翼の王]の餌となり、だがどういうわけか逆にヤツの体を支配するに至った。……辛うじて、かもしれないが。――それ故に、お前に対して警戒を続けなければならない。いつ、ヤツがお前の体の主導権を握るかわからんのだ」
体を、奪われる。
「その時、俺はどうなるんだ……?」
「わからない。仮説でしか無いんだ。私だって、[餌]が体の主になるなんて信じていなかった。だが、お前が現れたのだ。――お前が本当は[古き翼の王]で、人の振りをしているという疑念すらある」
「そんな馬鹿な……俺は――」
「我らの目を欺くためにあえて[餌]の人格が残されている。[古き翼の王]ならばそれくらいはやる」
「……どうすれば良い」
不安が声になる。黒竜は、その可能性がたまらなく恐ろしい。そして対抗手段が思い浮かばないのだ。
レリアは少しばかり考え、言った。
「どれもこれも、仮説でしかない」
黒竜はすぐに返す。
「それでも良い。わかることを、教えて欲しい」
暗闇の中を歩くことほど恐ろしいものは、無いのだ。
無論、進む道が間違っていることも恐ろしいが――。
「義父の――[賢王の遺産]を、見つけることだ。誰よりも、先に」
「[遺産]――本当にあるのか?」
レリアは頷く。
「ある。私は、義父が未来のためにそれを残すのをこの目で見た。義父は、[古き翼の王]は必ず戻ってくると確信していたから。――それは悲しいことでもあるが……」
「悲しい……?」
「英雄たちは[古き翼の王]を倒せなかったということになる。これでは、浮かばれない。――お前の中に、父の魂もあるかもしれないのに」
この懐かしさの正体はそれだろうか。
しかし、黒竜は人の記憶しか持ち合わせていないのだ。
「……ごめん、わからない」
「だろうな。……そう簡単に全てが丸く収まるとは思っていない。どれだけ対策を講じても、思いもよらぬところから綻びは現れるものだ。ヤツとは無関係な場所であったとしても……それは利用される」
それは、どこの世界でも同じことだ。
唐突に自然災害にみまわれることだってあるのだ。
対策をしても想像を絶する事態は訪れる。
世界の裏側で起こった事故、あるいは事件が発端となり世界中を巻き込むことだってある。
それに便乗するものもいる。
だからこそ、常に備える必要があるのだろう。
……きっと、ビアレスはずっと備えていたのだ。あらゆる可能性を想定し――。
今の黒竜の状況は、どこまでが彼にとっての想定内なのだろうか。
ふと、思考の海に落ちかけていた黒竜にレリアがおもむろに言う。
「義父は……お前が、ベル君であることを、願っていた」
それは、聞き覚えの無い名であった。
[盾]の、誰かなのか……?
だが[盾]の生存者は――帰って来た者は、誰一人としていなかったはずだ。
彼らは[暁の勇者]を守るために戦い、全滅した部隊なのだ。
レリアは少しばかり淋しげな顔をして言う。
「……あの人は、一番最後に死んだ。――帰ってきて欲しかった。お前がそうであったらと……。だが――違うようだ。お前の様子は、あの人とはまるで違う。だが、もしも――もしも、お前の中にわずかでも、彼の想いがあるのなら――」
レリアはまっすぐに黒竜を見据えている。
彼女は、言った。
「私の娘たちを、助けてあげてほしい」
「娘――?」
黒竜は問う。
彼女は穏やかな表情でうなずいた。
「そうだ。……カトレアは、誤解されがちな子だが、ヒュームの価値観に敬意を払っているだけだ。あの子は――色んな酷い噂をたてられているけど、そんなことは無いんだ。かつて自分がそうであったのと同じように、意志と、思い、願いを受け継いでくれる、信頼できる誰かを探しているだけなんだ。ヒュームの師が弟子へとするのと同じように――」
カトレア……?
さっきは、姉だと、言っていなかったか?
これは一体……?
いや、彼女は……何なんだ?
そして、そのエルフの女性は続ける。
「レリアは、苦しんでいるようだ。……私の失態だ。人と、エルフの絆を――信じすぎた。わかりあえると思っていた。だけど、それは理想でしかなかった」
「何を――言っている。貴女は……」
「行き過ぎた信頼が、盲信となった。それが歪んで、三百年前の大戦を引き起こしたのだ。人と我らでは、寿命が違いすぎる。かつての王国から去ったエルフが人の国で傲慢に振る舞い、抑えが効かなくなった。……そこを、ザカールに利用された」
「待て、キミは……アークメイジのお姉さんの、レリア嬢では無いのか……?」
黒竜の胸のうちに微かな緊張が走る。だが、同時にそれを知っていた感覚すらもあるのだ。
これが彼女の言う、[喰われた者の記憶]なのか? 彼女の父親の――。
彼女が、言った。
「私の、最後の記憶を、託す」
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