閑話:帝国の事情 女王

 概ね、平穏とは人を腐らせるものである。では戦火が望まれるかと言えば、当然そうではない。

 この平穏が何もしなくとも永劫続くものだという思考に至ってしまえば腐るだけのことであり、いうなればそれは危機感の欠如というものなのだろう。


 [グランイット帝国]の現女王であるフランギース・ガジットは、そういう意味では常に危機感を胸にいだいている者であった。

 だがそれは自分という器に注がれた、ガジット派の貴族たちの権力欲に対してであり、同時に腐敗したグランドリオ派の者たちにも向けられてはいる。

 そして、国の混迷を恐れ小規模な更生すらもできないでいる彼女もまた、腐敗した側の人間である。


 人の意志は、膨れ上がるものだ。

 決して手が届かないとすれば諦めが付くものの、いざその存在が身近になってしまうと途端に欲をかいてしまう。

 分家であり王家の予備として千年もの惰眠をむさぼるしか無かったガジット派にとっては、今こそがようやく訪れた本懐なのだ。

 それが、暗殺や謀殺とは全く別の理由から来ているのだから、ガジット派の忠臣たちはは舞い上がってしまったのだろう。

 天が味方をしている、天に愛されている。それこそ傲慢の産物であるが、彼らはそれを先祖代々の努力が報われたのだと気高く感じている。

 時代が巡り、ついにこの時が来たのだと。

 これからはガジット派が、ガジットの女王と共にこの国を導くのだと、そう息巻いている。


 オリヴィア・グランドリオが死んでから、十五年。どれだけ国が混乱したか。どれだけ不利益を被ったか。

 それを立て直すのに、どれだけ苦労したか――。

 だから、フランギースは内にあるその恨みと嫉妬が怨嗟になって、オリヴィアの娘に向けてしまっているのを自覚もしていた。


「無能であってくれれば、良かったものを――」


 ぽつりと言ったつぶやきは誰に聞かれることもなく自室の空気に四散し消えていく。

 なまじ、才能があった所為でこうもなる。

 悪人であってくれればどんなに良かったことか。心の底から恨める相手ならば、どんなに良かったことか。

 目立たなければ、凡庸であってくれれば、グランドリオ派も、ガジット派も目を向けようとしなかっただろう。

 彼らは決して邪悪では無いのだ。

 普通の、人間なのだ。

 才能が有りすぎた為、崇め、恐れ、双勢力の感情が爆発し極端な行動に出るものが現れる。


 同時に、娘のメリアドールの小賢しさも知る。

 彼女から届いた報告書には、事の顛末が詳細に書かれている。

 オリヴィアの娘。グランドリオ家唯一の、直系の跡取り。

 ミラベル・グランドリオが、[司祭]になった。

 メリアドールによればそれは偶然の産物、即ち事故なのだと報告には書かれている。

 [古き翼の王]の血が暗殺者の手によって倒れたミラベルに入り込み、彼女を[司祭]に変えてしまったのだと。

 そうして、ミラベルの力を封じるために[ハイドラ戦隊]で封印の儀式を行い、ミラベルの内に生まれたドラゴンの力を抑え込んだのだと。


 しかし、とフランギースは別の資料を手に取る。

 そこには、こちら側で用意した[暁の盾]からの報告が記述されており、娘からの報告とは違いがあった。

 それは、言いようによっては――小賢しい娘ならば、見解の相違と言って誤魔化せるだろう違いである。

 だが、根っこをたどれば真逆であるとわかる。


 そもそも、[司祭]を作るには、[古き翼の王]しか使えない[言葉]が必要なのだ。

 密偵には、[古き翼の王]がミラベルに[言葉]を使い、そして魔法陣で何かをしたようだとある。

 つまり、ミラベルを[司祭]にしたのは、能動的な行動なのだ。

 メリアドールの判断なのだ。

 同時に、[グランリヴァル]に現れた黒いドラゴンが[古き翼の王]そのものであることも、これで確定した。

 この時代に、新たな[司祭]が誕生してしまったことも問題だ。

 そしてそれが賢王の血族である――。


 国は、これから混迷していくだろう。

 ミラベルの存在をどこまで隠し通せば良いのか。

 それが世に出た時、どうなるのか……。

 ……不安を、グランドリオ派が騒ぎ立てるだろう。


 そもそも[司祭]になるということは、人を辞めるということである。本来ならばそれで王位継承権を失ってもおかしくはない。

 だが、残念なことにそうはならなかった。

 理由とは、後からついてくるものなのだ。

 グランドリオ家に付き従い甘い蜜を吸い続けた連中は、あの手この手で彼女を女王に担ぎ上げようとしている。

 [司祭]になったところで、それは変わらない。


 確か、[ハイドラ戦隊]の中にはドラゴンと戦う為、自らの魂を人ならざるものへと変貌させた者たちがいたはずだ。

 であれば、それを伝統として持ち出しミラベルの正当性を訴える算段だろうか。

 だが、そもそもその魂との繋がりは、国のシンボルにもなっている不死鳥であったり、ユニコーンであったりと、決してドラゴンの魂を身に宿していたわけではないのだ。

 だのに連中は、[ハイドラ戦隊]の例にもれず人を超えた魂へと昇華させ、あまつさえ復活した[古き翼の王]すらも従えたのだと息巻くのだろうか。

 ふざけている。


 前者と後者は別のものであるのに、整合性が取れないまま無理やり一つのことにしてそれを正当性へと無理やり変えようというのか。

 果ては牢獄に囚えている[古き翼の王]は正当な後継者ミラベル・グランドリオ女王の正式な従者であるから即刻開放せよなどと言うのだからたまらない。帝都市民たちの無知が、危機から国を救った良きドラゴンという扇動に拍車をかけていたが、それでも多くがフランギースの政策に支持、あるいは静観を決めてくれているのは女王についてから経済を優先し国を豊かにした成果である。


 そう言った物事に感情で沸き立つ者たち、あるいはそれを仕向ける者たちの行動がフランギースの胃をずしりと重くするが、彼女の憂鬱はそれが原因というわけではない。

 報告は既に聞いている。

 それは停滞していた時間が動き出したことを意味している。

 そうか、と口の中で呻いてから、フランギースは天井を見上げ、ぽそりと呟いた。


「レイジおじさんは、死んだのか――」


 と。

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