第250話 この世界は危うい均衡で成り立っている(後編)
ダイナーカフェの椅子から立ち上がったグレン・スティラーは、男たちに囲まれている女の軍人と
「Please stop! She’s a civilian!(やめてください! 彼女は、民間人だ!)」
だが、グレンを
「Well, well, well, Lieutenant. Will you hit me with your poor arm?(おやおや、これは中尉殿。その貧弱な腕で、殴っていただけるので?)」
「Stop it. The Lieutenant is weaker than a civilian!(やめろよ。中尉殿は民間人よりひ弱なんだから!)」
彼らは馬鹿にしつつも、ゲラゲラと笑う。
ネイティブの発音は、よく分からん。
しかし、グレンは “中尉” と言っていたのだから、目の前にいる連中よりは、上の階級っぽい。
さすがに手を出していないが、とても上官に対する態度じゃないぞ?
俺が考えている間にも、彼らの挑発は続く。
「There you go.Why don’t you hit me?(ほらほら、殴ってごらん?)」
わざとらしく
その時、妙に可愛らしい声が、休憩スペースに響く。
「Can I hit you?(殴っていいの?)」
その途端に、筋肉ムキムキの大男の顔色が変わった。
両手を前に出して、首を横に振るも、その視線の先にいるシルエットは、止まらない。
カレナぐらいの身長である、少女がいた。
フェミニンになる、グレンチェック柄のシャツワンピース。
膝下までのスカートによって、上品だ。
足元は、白い靴下と、レディース用のローファー。
腰までの長い髪は、鮮やかな赤みが特徴的な黄色。
いわゆる、
グリーン色の瞳。
胸がペターンで、とても愛らしい容姿だ。
確かに、ゾッとする笑みを浮かべている。
しかしながら、鍛え抜いた
「How dare you go to ......? How dare you do that in front of me? Don't you get it yet? Do I have to wipe this place out too? Is that still not enough? Hey? Hey,hey,hey,hey? What do you say?(よくも……。よくも、私の前でやってくれたわね? まだ分からない? ここも消し飛ばさないといけない? まだ足りないの? ねえ? ねえねえねえ? 何とか言いなさいよ?)」
陰のある笑顔で右手を振りかぶった金髪少女は、テレフォンパンチを大男に打ち込もうとして――
パンッ!
あ、思わず受け止めてしまった。
すると、金髪っぽい少女はもちろん、殴られかけた大男、周囲のギャラリーが一斉に俺を凝視する。
「悪い。あとは、手を出さない――」
「なに? 喧嘩を売っているの?」
手の平で
日本語も話せるようで、合わせてきた。
慌てて、言い訳をする。
「だから、反射的に止めただけで――」
パンッ!
またテレフォンパンチがきたから、再び手の平で受け止めた。
今度は、拳の一定の半径で周囲の光が
拳そのものが黒く、そこに角運動量をもった物質が周囲を渦巻きながら、少しずつ落ちていく。
一部の物質はジェットみたいで、垂直に勢いよく噴出。
様々な波長の光が放出されているかのように、ずいぶんと賑やか。
まるで、密度の高まりに負けた物体が、中心に向かって収縮し続けているよう。
何となく、事象の地平面、という単語を思い浮かべた。
「えっ?」
今度は自信があったのか、金髪っぽい少女は唖然とした表情のままで、俺を見た。
休憩スペースに、静寂が訪れるも――
「Attention!(注目!)」
号令が響き、その場にいた全員は一斉に “気をつけ” の姿勢になり、右手で敬礼をする。
偉そうな感じの老齢の男が姿を見せて、返礼した。
彼の横には、
そういえば、あいつも連行されていたな……。
キャンプ・ランバートで上にいると思われる上級将校は、よく分からない会話の後で、俺と金髪っぽい少女が組み手をしたままのところへ来た。
「スティア。クライブリンク中尉は、どうした?」
「知らないわ! 私の言うことを聞いてくれないし!!」
溜息を吐いた上級将校は、付き添っている士官らしき男に指示を出した。
そして、俺のほうを見る。
「君は、誰だね?」
「
返事をしたら、直立不動のグレンが慌てて言う。
「彼は、沖合の不審船の件で呼ばれました。私が取調べを行い、もう完了しております!」
「そうか」
上級将校は、端的に答えた。
大急ぎで駆けつけた士官のほうを見る。
「大尉、彼らは?」
右手で敬礼した大尉は、すぐに答える。
「配属されたばかりの新兵であります!」
老齢の上級将校は、じろりと大男たちを見た。
直立不動のままの彼らから目を離して、大尉のほうを向く。
「事情を確認した後で、関係者に謝罪をさせろ。元気が有り余っている新兵どもは、訓練をさせておくように!」
「Yes,sir!(了解しました!)」
バッと敬礼した大尉は、すぐ大男たちに話を聞く。
どうやら、俺たちが分かるように、あえて日本語で
大尉の命令で、グレンへの謝罪が行われ、とりあえず解決。
スティアに殴られかけた大男に至っては、号泣しながら、俺に感謝を述べていた。
握手をしたまま、ブンブン振られると、手が痛い。
ちなみに、彼らは、後で処罰されるそうだ。
指揮系統が違っても、あれだけ上官を侮辱すればな……。
特殊技能を持つ者だけの区画。
要するに、異能者が過ごしている場所だ。
そこまで移動した俺は、ひっついてきたスティアの扱いに困る。
「……リリー?」
「いえ。私は、咲良マルグリットよ?」
スティアは、マルグリットを誰かと勘違いしているようだ。
しきりに別の名前で呼び、その度に本人から否定されている。
俺たちと同年代のミーリアム・デ・クライブリンクも一緒にいるので、彼女に聞いてみる。
「リリーとは、誰ですか?」
ミーリアムは気まずそうな表情で、答える。
「スティアと仲が良かった、咲良さんとよく似ている女性のことよ……。ちなみに、彼女の尋問は私が担当したわ。さっきの連中は無関係だから、安心なさい。もっと早く、あいつらを止めれば良かった。ごめんなさいね?」
目を逸らしていることから、そのリリーという女はすでに死亡したようだ。
コホンと咳払いをしたグレンが、話し出す。
「いやあ、本当にご迷惑をおかけしました! 室矢君のおかげで、痛い思いをしなくて済みましたよ……。
グレン
さっきの場面では、アイと一緒にやってきた老人が基地司令で、とりまとめの大尉は中隊長だとか。
俺は疑問に思って、グレンに尋ねる。
「さっきの人たちの中に、異能者は?」
仕草で否定した彼が、説明する。
「いません。理由は、異能者を入れたら条約違反になるからです。一般の部隊は遠征をするため、こっそりと参加させたら、大変なことになりますよ……。彼らは実戦を想定した訓練で、まさに泥水を啜っています。生まれながらに異能を持っている私たちを嫌うのも、無理はないです。だからといって、私に虐められて喜ぶ趣味はありませんが」
そういえば、この世界だと “異能者の軍事利用は、自国の防衛のみ” という条約があった。
海外勢が自国から出てこないのは、当然だ。
異能者は、どの国でも特権階級の扱いで、その代わりに重い義務を果たしている。
義妹のカレナは、よく出国と入国ができたな?
それに、彼女の妹である、アイは?
俺の考えに気づいたらしく、本人が説明する。
「私の国籍は、
えっ?
そうなんだ……。
驚いていると、アイは丁寧に解説する。
「USFA海軍省のアイリス・ウェルナー
その場の空気が、凍り付いた。
ごくりと唾を呑み込んだグレンが、アイを叱る。
「深堀さん、でしたか? 冗談だと分かりますが、仮にもUSFAの基地内で、そういった発言は慎んでください……。ただでさえ、USFAの正規軍を
肩を
柔らかい雰囲気に戻ったグレンが、慌ててフォローする。
「いえ、私も厳しく言い過ぎました……。ミリー! スティアは、そろそろ戻したほうがいいのでは?」
ミーリアムは、少しだけスティアを見て、そうね、と同意した。
席を立ち、内線で連絡を始める。
グレンは俺のほうに向き直り、提案する。
「お疲れでしょう? そろそろ、基地から出る手続きと、ホテルまでのタクシーの手配をします。本日は夏休み中の旅行であるのに、このような手間を取らせてしまい、大変申し訳ございません。ここは1食5
彼の表情を見る限り、基地の食堂はシェフのお勧め料理とまでは言えないようだ。
まして、さっきの今。
再びトラブルになったら、どういう扱いになるやら……。
そして、上の許可がなければ、軍属は基地の外へ出られない。
とりあえず、グレンに返事をする。
「俺たちの疑いが晴れて、何よりです。どうか、お気遣いなく」
本音を言えば、せっかくのリゾート気分が台無しになった。
しかし、彼は仕事でやったわけだし、ここで責めるのは気が引ける。
席を立ったグレンが、どこかへ向かおうとするも、ミーリアムが駆け寄ってきた。
少し離れて、英語でボソボソと話していたが、2人とも俺のところへ。
戸惑った表情で、グレンが話し出す。
「えーと。あのですね? 1つ、提案がありまして……」
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