第200話 世界で一番可愛い沙都梨ちゃんにS勝利した

 他よりも大きな千陣せんじん家は、まさに昔の上屋敷かみやしきだ。

 屋根瓦やねがわらを載せたへいで囲まれた武家屋敷の中で最も広く、渡り廊下による離れ、別邸もある。


 主屋おもやの奥座敷に入らず、別邸にある来客用の表座敷。

 その横に位置している、小さな和室に案内された。


 武家屋敷は広い部屋をふすまでいくつかのブロックに仕切っているのだが、こちらは近年に建てられたようで、プライバシーを重視した造り。


 正しくは “いおり” であるものの、それにしては立派だ。

 やはり、“別邸” と言ったほうが、しっくりする。


 普段は茶室として使えそうなほど、落ち着いた雰囲気。

 外に面した縁側は開放的で、四季折々しきおりおりの中庭を見られる。

 まるで、料亭の一室のようだ。



「千陣流の御宗家ごそうけが、お越しになります! 皆様方みなさまがた、お迎えの準備を」


 お付きの宣言で、俺と南乃みなみの詩央里しおりは下座で、両手の親指を広げ、人差し指と中指の三本でひし形を作り、その真ん中に鼻をくっつけるように畳の上で礼。


 これは、平伏している最中にいきなり上から頭を押さえつけられても、自分の指で鼻を守りつつ、肘の反動で即座に頭を上げられる護身でもある。



 襖が開けられる音と、人が入ってくる気配を感じる。


 り足で歩いた人物は、上座にある一段高い場所の座布団に座った。

 さらに、もう1人も。


おもてを上げろ」

「「ハッ!」」


 重々しい男の声が響くも、俺と詩央里は、まだ頭を下げたまま。


「面を上げろ」


 ここで、ようやく頭を上げる。


「御宗家におかれましては、ご壮健で、何よりでございます。室矢むろや家の当主、重遠しげとお。ただいま、到着いたしました」

「千陣流を率いる御宗家のお姿を拝見できて、光栄です。南乃みなみの家の娘、詩央里でございます」


 ゆっくりとうなずいた男は、威厳のあるたたずまいで応じる。


「長旅、ご苦労だった……。時間も時間だ、食事をしながら話そう。ぜんを持て!」


 親父の号令によって、予め用意されていたであろう膳が、人数分だけ運ばれてきた。



 時代劇のような一汁一菜いちじゅういっさいに加えて、おかず、漬物が、行儀よく並んでいる。

 当たり前だが、親父たちのほうが豪華なメニューだ。


 千陣家の当主である千陣ゆうはしを取り、口をつけた時点で、隣の千陣清花きよかも食べ始める。


 それを見た俺たちも、箸に触った。


 ……板長、やっぱり腕がいいな。



 俺のお袋である清花が、親父の勇に催促する。


「あなた……。先に、お話されては?」


 同意した親父は、俺に話しかけてくる。


「そうだな……。重遠! お前が呼ばれた理由は、分かっているな?」


 首肯した俺は、すぐに答える。


「はい、宗家さま。俺が、真牙しんが流のベルス女学校で、『千陣家の者である』と名乗った件についての説明です」


 箸を置いた親父とお袋が、俺の顔を見た。


 一呼吸をした俺は、自分の運命を決める発言に入る。


「その時点で最良の選択である、と判断したからです」


 親父は何も言わず、仕草で続きをうながした。


「ベルス女学校では、不可解な現象が頻発していました。詳細は先方せんぽうとの約束によって秘匿しますが、妖怪とも違う、この世ならざる物がどんどん出現していたのです。ゆえに、詩央里すらいない俺は、『自分の身分として千陣家の名前を出すのが一番だ』と考えた次第です。その時は、敵の拠点に突入する寸前で、長々と説明する暇もなかったゆえ……。誓って、千陣家を簒奪さんだつする意思はなく、室矢家として御宗家にお仕えする所存です」


 腕を組んだ親父は、品定めする目つきになった。


 廃嫡されたはずの俺が再び、千陣家の頂点に返り咲くつもりか?


 今回の焦点は、ひとえにそれだ。

 千陣家の血筋であることを示したのも罪だが、そちらは絶対に秘するほどではない。



「……嘘はないようね? 信用してもいいわ、とりあえず」


 和室の外、縁側のほうから、可愛らしい声が上がった。

 スッと障子が開けられ、1人の美少女が視界に入る。


 室矢むろやカレナぐらいの身長で、やや癖がある黒髪のボブに、薄い紫の瞳。

 暑いらしく、浴衣ゆかたを着た少女は手に持っている団扇うちわで自分を扇いだ。


 親父とお袋への挨拶の場にいきなり現れた少女は、宗家の前だというのに、突っ立ったまま。

 怖いもの知らず、と思えるが、実際には――


「さとり妖怪だから……」


 お願いだから、俺の心の声に続けないで?


 えーと……。


沙都梨さとりちゃんでいいわ。前も、そう呼んでいたでしょ?」


 それっきり、沙都梨は黙りこくった。



 親父は千陣家の当主としての威厳を見せつつも、結論を出す。


「お前に反意がないことは了承りょうしょうした! 次の当主会で、俺の口から皆に伝える……。さて、次の話だ。お前も、ようやく式神を手に入れたそうだな?」


 どうしよう。

 今、カレナいないよ?


 あいつ、間に合わせるって言ったのに……。


 よし、ここは!


「はい、宗家さま。実は、そこにいる沙都梨ちゃんが、俺の初めての式神です!」


 どうしよう。

 ものすごく、ピリピリした空気が流れているよ。


 親父は真顔のままだし、お袋も同じ。

 詩央里は、えっ? という顔で、俺を見つめている。

 沙都梨ちゃんも、じーっと俺の顔を眺めている。


 よし。

 次はネタばらしで、この場の空気を和ませよう!


「なーん――」

 ゴスッ!


 スタスタと近づいてきた沙都梨ちゃんのフルスイングで、俺は正座をしたまま、横に倒れ込んだ。


 痛い、痛いよ。


 俺の嘆きに構わず、沙都梨ちゃんはお膳から汁物のおわんを取り上げた。

 これから飲もう、と思っていたのに。


「あ、それは俺の――」

「宗家さま! 私は、これにて……」


 沙都梨ちゃんは、無慈悲にも言い放った。


 親父のほうを向き、優雅に礼。

 お椀を抱えたままで、静かに和室を出て行った。


 俺の吸い物が……。



 ◇ ◇ ◇



 しずしずと主屋の廊下を歩く沙都梨は、忙しそうに行き来する仲居の1人を呼び止めた。


「こ、これは、沙都梨さま! 何か御用でしょうか?」


 怯えを隠せない声で、その仲居が応じた。


 千陣家の当主に仕えている沙都梨は、妖怪でありながらも、くらいが高い。

 人の心を読むスキルゆえ、式神の契約はしていないが、十家に近い待遇だ。


 少し顔を歪めた沙都梨は、お椀を抱えながら、構わずに言う。


「これを運んだのは、あなた?」


 さとり妖怪に嘘を吐いても、意味がない。

 しかし、呼び止められた仲居はとぼける。


「いえ、何のことだか――」

「飲みなさい」


 心地よい声だが、明らかな命令。


 言い終わった沙都梨は、お椀のふたをカパッと開けた。

 そして、繰り返す。


「飲め!」


 対する仲居は気後れしたのか、無自覚に後ずさりする。


「私は……ゴフッ! ガハッ!!」


 先読みした沙都梨は、瞬間的に接近して、お椀の中身を開いた口に叩き込んだ。

 一部を飲み込んだ仲居は、途端に苦しみ出し、その場に倒れる。


 バシャッ、カランと、吸い物の残りやお椀が、床へ落ちた。


「……片付けておきなさい。罪状は、です」


 誰もいないはずの廊下で、はい、と小さな声がした。



 ◇ ◇ ◇



 気まずい空気の中、俺は起き上がり、残された料理を食べている。

 南乃詩央里が吸い物をくれたので、ありがたく飲む。


「ところで、重遠……。お前の式神の話だがな?」


 やっぱり、その話題に戻ってくるんだ。

 仕方ない。

 正直に、言うか。


「申し訳ありませんが、今は別行動をしております! もうすぐ、宗家さまへのご挨拶のために直参する予定でございます」


 ふむ、という顔になった親父は、雰囲気を変えた。

 そのまま、話しかけてくる。


「この場に、他の者はおらん。前のように話して、構わんぞ?」


 息を吐いた俺は、口調を変える。


「カレナが、『日本の半分ぐらいを支配する予定の化け物がいる』と言ったので、別行動をさせているんだよ。今回の挨拶で『一緒に来る』と、言っていたのだけどなあ……」


 真剣な顔の親父は、すぐに聞いてくる。


「お前の式神は、西洋人形の九十九神つくもがみだったな? 紫苑しおん学園で占いをしていて、人気者と聞いている。しかし、ユニオンの黒真珠は、かなりの有名どころだ。信用できるのか?」


「大丈夫だ。俺の言うことは聞くから……」


 本当はカレナを呼び寄せ、この場で沙都梨ちゃんに調べさせるつもりだったのか。

 海外の有名人が、わざわざ海を越えてきたわけだしなあ。


 そう思っていたら、目の前のお膳に、コトッとお椀が置かれた。

 美しい指を辿っていくと、沙都梨ちゃんの姿がある。


「……取ってきてあげたわよ」


 なら、さっき持って行ったのは?


 しかし、心の声が聞こえているのに、沙都梨ちゃんは無視してすみで控えた。


 そうかそうか!

 なら、こっちにも考えがあるのです。

 恨むのなら、人の心を読める、自分の能力を恨め!


 まず、心の中で沙都梨ちゃんを想像します。

 いきなり強い刺激を与えないように、服の上から満遍まんべんなく撫でます。


 指の腹で、全体をよーく馴染ませて。

 味も、ちゃんと確かめてー。


 チラッと見たら、沙都梨ちゃんの顔が赤くなり、さらに呼吸が荒くなってきた。


 可愛いよ、沙都梨。

 世界で一番可愛いよ!


 絞り出すように、しごいて―。

 逆に、周りを優しくなぞってー。

 それで、こなれてきたら、グリュグリュと潰すように……。


 沙都梨ちゃんは赤面したまま、涙目になってきた。

 指をり合わせて、立っているのも辛そう。


 ほら、我慢しなくていいからね?


 ひっくり返し、指を一本、中でクイッと曲げて――

「ご、ご当主さま。そろそろ、退席させていただきたく、存じます」


 ものすごくつやっぽい声で、沙都梨ちゃんが親父に許可を求めた。


 許しを得た彼女は、涙目で俺をキッとにらんだ後に、楚々そそと下がる。

 首筋まで赤くなっている顔のため、迫力ゼロだったが……。


 勝った。

 我が軍のS勝利です。チャッ、チャララー


 俺の横から視線が突き刺さっているが、無視だ。


 詩央里。

 想像するのは、自由なんだよ。

 俺たちは翼をはためかせて、どこまでも飛んでいけるんだ。



「……とにかく、そのカレナが到着したら、沙都梨と会わせる。いいな?」


「分かった」


 一連の出来事をスルーした親父は、何事もなく続けた。

 さすが、千陣流を背負って立つ宗家だ。


 ……うん。吸い物、美味しい。

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