第179話 村で追い詰められた凪は自分の立場を知るー⑤

 自宅から出る時の母親の不自然な態度は、こうなると知っていたからだ。

 私だけ、何も教えてもらえなかった……。


 打ちのめされた北垣きたがきなぎは、ひたすらに泣き続ける。


 しかし、柚衣ゆいは容赦しない。


「泣いても、あんたの現状は改善せーへんでー? ウチがあんたを助けたのは、あくまで重遠しげとおの義妹であるカレナに頼まれたから。それで、今はあんたに、20万円を貸しているわけや! ウチとしては、その負債20万円を立て替えられたら、あんたの面倒を見る義理もないわけで……」


 ゾッとした凪は、反射的に顔を上げて、柚衣を見た。


 癒し系の可愛らしい顔と声だが、言っている内容は、このまま泣いているだけなら、アンタはさっきの村へ逆戻りやで? ということだ。


 村の中で資産を持つ人間が、その20万円を払うと宣言した瞬間に、自分を守ってくれる存在はいなくなる。



 あれだけ大騒ぎになった以上、1人でノコノコと戻れば、もう部屋に鎖でつながれるか、閉じ込められてもおかしくない。


 その前に殴る蹴るの暴行を受けかねないし、まともな抱かれ方も期待できない。

 村へ来たばかりの時は自由に動けたが、今となっては柚衣たちが暴れた分まで、詰め腹を切らされてしまう。


 男たちの性欲処理をする代わりに生活必需品やサービスを受け取るか、自分が選んだ村の有力者に囲われる立場から、村の中でも最底辺の奴隷に墜ちる。

 自分の意思が完全に無視されて、最低限の衣食住すら確保できない。


 凪は自分が知らない間に、底のまた底へ落ちたことを自覚した。

 だからといって、先ほどの露天風呂で回されることが望みだったわけでもない。


 決意した凪は、自分の手を握りしめながら、柚衣に頭を下げる。


「あの! もう一度だけ、室矢むろやくんに会わせてもらえませんか? わ、私、彼にお願いしたいんです!!」


 凪が人間としての尊厳を取り戻す道は、もはや室矢むろや重遠しげとおの庇護を受けるしかない。

 遅ればせながら、彼女はようやく行動に移った。


 けれども、柚衣は冷たく、言い返す。


「虫のいい話やなー? まだ綺麗だった止水学館しすいがっかん演舞巫女えんぶみこだった時なら、いざ知らず……。こうして、監獄の村に閉じ込められてからのお願いかー。もう男たちに汚された身体で?」


「私は、まだ処女だよ! それは柚衣だって――」

「ウチが見たのは、露天風呂でヤラれる寸前のあんただけ。それ以前に男のを上下でくわえ込んでいないことは、証明できないやん……。牢名主ろうなぬしである村長への挨拶の時に、さっそくまみ食いでもされたんちゃう?」


「されていないよ!? ま、膜はあると思うから、それで確認して!! 血も出るだろうし!」


 必死に頼み込む凪は、悲痛な声を出し、普段では考えもしない言葉で説得する。


 ここで柚衣に見捨てられたら、比喩ではなく人間であることを辞めるか、いさぎよく自決するしかない。



 ジッと凪の顔を見た柚衣は、静かに質問する。


「ほんまに、村長の挨拶で処女を散らしてへんの? 上のお口でもか?」

「そうだよ!!」


 追っ手である村人から隠れている事実も忘れ、思わず絶叫する凪。


 凪から顔をらした柚衣は、両腕をそれぞれ反対側の袖口に突っ込んで、考え込む。


「……それは、妙やな」

「妙って、な、何が?」


 問いかけてくる凪に答えず、柚衣は思考にふける。


 到着したら、村長に挨拶をしたはずだ。


 牢名主は、この村の支配者。

 まさに何でも許される立場で、必要なら囚人の間引きも行う。


 新入りはその挨拶で『命のつる』という『金目の物』を出し、自分の立場を保証してくれるように頼むのが決まりだ。

 それを出せない新入りは、通過儀礼として悲惨な目に遭わされる。

 村長は外部の人間と接触できるため、他の村人とは違い、金銭を使えるのだ。


 好みはともかく、これだけの美少女を差し出されたら、とりあえず裸にして、抱くはず……。


 凪の顔を見た柚衣は、ポツリと尋ねる。


「村長への挨拶の場に、誰かおったん?」

「え?」


 自分が聞かれるばかりで不満そうな顔をした凪だが、柚衣の迫力に負けて答える。


「お、桜技おうぎ流のエージェントの菅原すがわらさんって、20代ぐらいの女性が同席していたよ……」


 それを聞いた柚衣は、難しい顔になった。


 ますます、おかしい。

 普通は、ここに到着した時点で放り出され、あとは自力か、周囲にいる連中が村長のところへ案内する流れのはず。


 短時間とはいえ、わざわざ村に留まったんか? 

 それも、若い女が?



「ね、ねえ! その菅原さんが、どうかしたの?」


 興味深そうに問いかけてくる凪に対して、柚衣は何も言わず、思考を続ける。


 目的は、村長が凪に手を出さないように牽制けんせい

 だが、それをしたところで、遠からず――


 そういえば、凪にてがわれた部屋には、家具家電が多かったなあ。

 ひょっとして、この村に滞在させたうえで、しばらく時間を稼ぎたかった?


 食糧と家電があれば、少しの間ぐらいは、村の男たちに身体を許さずに済む。

 この娘はアホで、自分から襲われに行ったけど。


 そこを抜きにして考えれば、“北垣凪という少女を処罰しながらも、彼女が身を守れる環境を整えた” という事実だけが残る。



「そういえば……。私が『御刀おかたなをいつもらえるか?』と菅原さんに聞いたら、『準備ができたら連絡する』と言っていたなあ……。その後、すぐに村長の屋敷から出て行ったけど」


 ふと思い出したのか、凪が独白した。


 黙っていられず、柚衣は質問する。


「あんた……。その菅原という女の発言について、どう思う?」


 分からない凪は、ただ混乱する。


「え? な、何が?」



 こいつ、ほんま救えんなあ……。


 呆れ果てた柚衣は、説明する気も失せた。

 チラッと横目で凪を見たら、気になる様子で自分のほうをうかがっているが、無視した。


 ここが異能者を捨てる村だと知っている桜技流のエージェントが、と言ったんやで?


 村に到着した時点で、嘘を吐く理由はどこにもない。

 凪が暴れても、傍にいる村長があっさりと制圧しただろう。

 とぼけたいのなら、私は知らないので、後は村長に聞いてください。と言えばいい。


 仮に、その場を乗り切るための方便だったとしても、少しは考えてみるべきだ。


 けれど、この女は観光気分でほっつき歩いたうえに、自分から男たちに大きな借りを作り、同じく自ら据え膳になって、肉体的な林間合宿をされかかった。

 その時は分からんでも、村の様子を見て、自分が放置されていることで、少しは警戒するだろうに……。


 こんなに回りくどい方法を使って、アホ娘を守ろうとする。

 つまり、仲間であるはずの桜技流の連中にも知られないよう、密かに動いてるんか。

 となれば、アホ娘がここに送られた罪状、つまり重遠を斬ったことにも裏があるわけやな……。


 目の前の少女が桜技流の暗部に関係していそうだと悟った柚衣は、溜息を吐いた。


「頭が痛いわー!」


 凪が、心配した。


「だ、大丈夫?」


 あんたのせいやでー? とも言えず、柚衣は無言をつらぬいた。



 テクテクと歩いてきた桜帆さほが、ペシッと柚衣の頭を叩く。


「柚衣、イジメすぎ!」


 痛そうに手で頭をさすった柚衣は、桜帆の顔を見た。


「ええやん、桜帆……。ウチは、他の予定を投げ出して、こんな山奥まで来たんやで?」


「それは、私とすいも同じだから! ……柚衣の言うことは、話半分に聞いておきなさい!! ただし、あなたが自分の身の振り方をどうするのか? は、こいつの言う通りね!」


 柚衣の言葉をさえぎった桜帆は、そろそろ交替よ! と宣言して、彼女を見張りに向かわせた。


 ぶつぶつ言いながらも素直に立ち上がり、洞窟の出口へと向かう柚衣。


 それを見た凪は、この小さな女の子はそんなに発言力があるのか、と感心した。



 クリクリした目で凪を見た桜帆は、角帯かくおびに挟んでいた小太刀こだちを外して、地面に座り込んだ。

 小柄なため、彼女が持つと、普通の大刀だいとうにも見える。


 その朱塗りのさやを見た凪は、おずおずと話しかけた。


「ええと、桜帆ちゃん……だっけ?」

「そうよ!」


 元気のいい返事で、凪はさっきの柚衣とのギャップに戸惑った。


 しかし、これは貴重なチャンスだ。


 そう思った凪は、思い切って訊ねる。


「桜帆ちゃん達は……。その……。やっぱり、千陣流の妖刀ようとう使いなの?」


 桜技流が千陣流の妖刀を憎んでいることは、凪ですら知っている。

 彼女に差別意識はないものの、いざこうして対面すると、やはり緊張してしまう。


 ところが、桜帆は腕を組んで、小首をかしげた。


「んー。妖刀といえば、そうだけど……。たぶん、あなたは勘違いしているわね? 要するに、私たちが南乃みなみの隊――ああ、うちの妖刀使いが集まっている隊のことよ――と言いたいのでしょ? 違うわ! 私たちは、彼らとは別だから!」


 途中で不思議そうな顔をした凪のために、桜帆は丁寧な解説を行った。


 そして、頭からピョコンと飛び出す獣耳。


 びっくりした凪は、思わず飛び上がった。


「私たちは白狐びゃっこが1つ、仙狐せんこを目指す飛濃ひの一族! 平たく言うと、ぎつね!!」


 凪の眼前がんぜんでピョコピョコと揺れる狐耳。

 後ろには、フサフサした尻尾も見える。

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