第157話 俺の義妹は『薄々mm』の箱を常備しているようだ

「この度は室矢むろや家のご当主に多大なご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません。止水学館しすいがっかんの学長である私、根川ねがわ里絵りえが、深くおび申し上げます。何卒なにとぞご寛容くださいますよう、よろしくお願いいたします」


 高級ブランドのスーツを着た30前後の女性が、立ったまま、お辞儀をした。

 90°まで深く頭を下げた、最敬礼だ。


「同じく止水学館の高等部1年、組の担任である高津たかつ明奈あきなです。申し訳ございません」

「こ、高等部1年の北垣きたがきなぎです。申し訳ありません」


 学長の里絵よりも貫禄がない大人の女と、数日前に斬りかかってきた凪も、流れでお詫びを言ってきた。


「室矢家の当主、室矢重遠しげとおです。はじめまして……。とりあえず、そこにおかけください。俺の返答は、そちらの話を全てうかがってからです」


 3人の女が、向かいのソファに座った。


 俺も座ると、その後ろに室矢カレナが立つ。

 今日の彼女は、護衛だ。


 俺たちは紫苑しおん学園の制服を着ていて、ここは自宅のリビング。


 正式な謝罪は、先日のように千陣せんじん流の施設で行うべきだ。

 しかし、加害者が個人的にお詫びに来たことで、非公式に。


 俺の自宅であれば、友人や知り合いとして、たまたま遊びに来ただけですよ? と言い訳できる。



 カチャリと、南乃みなみの詩央里しおりが各席にティーカップとお菓子を置いていく。


 給仕が終わった彼女は、俺の横に座った。


「では、話し合いを始めます……。結論から申し上げると、俺の治療費を全額負担のうえで相応の慰謝料をいただければ、不問にして構いません」


 事前に決めていた条件を告げたら、対面の3人が弛緩しかんした様子になった。


 真牙しんが流のベルス女学校とは違う、世間一般で名門の女子校と聞いた時に思い浮かべるイメージ。

 目の前にいる彼女たちは、まさにそれだ。


 桜技おうぎ流は巫女の一種で、男子禁制の敷地における全寮制。

 独自の剣術と御刀おかたなを扱っていて、そこに選ばれるだけでも大変な名誉。


 一般にも門戸を開いていて男子もいる魔法師マギクスとは、全く違う。

 普通の授業でも神前に礼をするらしく、その実態は謎に包まれている。


 演舞巫女えんぶみこは、御刀で神楽かぐらのように舞う役職。

 彼女たちはあやかしを滅する退魔師だが、世間のイメージを良くするために柔らかい表現が選ばれた。


 警察の一部として特権階級になっており、公務で帯刀を許されているのが大きな特徴。


 千陣流と桜技流は、かなり仲が悪い。

 なぜなら、けがれを式神として扱う千陣流と純粋に穢れを払っていく桜技流は、いたるところで衝突するからだ。


 一番の確執となっている部分があるのだが、それは別の機会に話そう。



「室矢さまのご厚意、誠にありがとうございます! 治療費の全額負担はもちろんのこと、ご納得いただける慰謝料を後日に提案させていただきます。その件でのご担当者は?」


 里絵の問いかけで、詩央里が名乗りを上げる。


「私です! 千陣流の十家が1つ、南乃家の長女、詩央里と申します。以後、お見知りおきを」


 詩央里が自己紹介をした途端に、再び空気が緊迫した。


 そこで、彼女は付け加える。


「私は、式神使いです。どうか誤解のないよう、お願い申し上げます。こちらが私の連絡先です」


 学長の里絵が、すぐに返事。


「失礼しました。……数日後を目途に、具体的な金額をお知らせいたします」


 説明を後にする、とした直後に、いきなり衝突するなよ。



「……北垣さん、何か言うことがあるでしょう?」


 学長の里絵がうながしたことで、北垣凪は俺の顔を見た。


「あ、あのっ! ごめんなさい!! 私、あの時、訳が分からなくて……。け、怪我は大丈夫ですか?」


 凪の視線は、俺の肩から吊り下げられている右腕に釘づけだ。


 ここで沈黙しても、心証を悪くするだけ。

 とりあえず、状況を教えておくか。


「じきに治ると主治医から聞きました。その点は、ご心配なく……。北垣さんこそ、怪我をしていませんか?」


 俺が気遣うと、凪は笑顔になった。


「はい、もう元気です! 私、身体は頑丈なので……」


 おかしい。


「私、あなたのことが心配だったので、今日お会いできて嬉しいです!」


 なぜ、この2人は、凪の会話を止めないんだ?



 まるで友達を相手にしているように、延々と話し続ける凪。

 彼女の様子を不審に思っていたら、学長の里絵が口を挟んだ。


「北垣さん、そろそろ時間です。は、ありませんか?」


 キョトンとする凪。


 俺の後ろで控えていたカレナが、リビングのテーブルの上に0.01mmの箱を置く。



 部屋の時間が止まった。



「うむ! これは、『薄々mm』というものでな! コンビニで買ったら、それはもう店員からジロジロ見られたものじゃ……。よくよく自分の姿を見たら、紫苑学園の制服を着たままでな? とっさに出た言い訳が、お、お兄様に頼まれたので――」

「お前、何言ってくれたの? 俺を社会的に抹殺するRTAアールティーエー(リアル・タイム・アタック)をいきなり始めるなよ?」

「別に、私とお兄様で使うとは、一言もいっていないのじゃ!」

「それ以外に、どう思われるんだよ!?」

「私はお主がいつも見栄を張っていたことで、密かに心を痛めていた。ああ、どうして素直に小さいサイズを選ばないのか? とな」

「勝手に心をいためていればいいだろ! ソースもつけておくから!! いっそのこと、白いシーザードレッシングにしてやろうか?」


 いきなり始まった掛け合いに、学長の里絵は手で口を隠しながら笑い、逆に担任の明奈は頭痛がしている顔になった。


 同じように笑っている凪に対し、カレナが話しかける。


「ところで、凪?」


 急に話しかけられた凪は、驚いた顔でカレナを見る。


「う、うん……。じゃなくて、はい!」


「お主、今ここで重遠に抱いてもらったら、どうだ?」


「はい! …………え?」


 条件反射で答えた凪の目が、丸くなった。


 カレナは妙に優しい声で、話を続ける。


「重遠は女の扱いが上手くて、優しいぞ? 心配なら、私か詩央里が立ち会ってもいいのじゃ! むろん、個室でな」


 思わぬ提案に、凪は指で自分のスカートをいじりながら、悩む。


 彼女はさして時間をかけずに、結論を出す。


「い、いえ……。え、遠慮しておきます……」


 凪の返事を聞いたカレナは、急に雰囲気を変えた。

 リビングのテーブルの上から『薄々mm』の箱を取り、自分の後ろに隠しながら、ポツリと言う。


「そうか……。ならば、これ以上は言わないのじゃ」



「本日はお時間を割いていただき、恐縮です! 順番が逆になってしまいましたが、どうぞ皆様でお召し上がりくださいませ」


 ソファから立ち上がった学長が、風呂敷の包みから和菓子の箱を出してきた。

 包装紙を見たら、老舗の名店。


 一緒に立ち上がった俺の横にいる詩央里が、ありがとうございますと言いながら、受け取る。


 玄関で靴を履いた3人は改めて頭を下げ、退出した。




 詩央里と一緒に片付けをした後、いただいた和菓子を食べる。


 すると、カレナが話しかけてきた。


「重遠……。さっきの娘、どう思う?」


 意図を読み取れなかった俺は、逆に聞き返す。


「どういう意味だ? まあ、何事もなくて良かったと思うが……」


 ソファから立ち上がったカレナが、詩央里を手招きした。


「そもそも、さっきの発言は――」

「~~~~?」

「はあ……。どう返事をするのかは――」


 しばらく話し込んだ後に、2人は帰ってきた。


「疲れているところ申し訳ないが、そろそろ千陣家への訪問の打ち合わせをするのじゃ!」


 カレナの提案で、俺たちは次の予定に集中する。

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