第115話 現代の魔法使い達による盤外の戦いー⑤

 時系列は、りょう愛澄あすみたちが指定された高級レストランの個室にいる時間までさかのぼる。

 とある場所には、本来なら愛澄たちとの話し合いに向かうべき人物がいた。


 ビーッ


「くそっ、どうして入れない……」


 翡伴鎖ひばんさ中将は陸上幕僚本部の機密区画で、自分を拒んだカードリーダーに悪態をついた。


 陸上幕僚本部は、いわゆる陸軍参謀本部のことで、陸上防衛軍の中枢だ。

 統合幕僚本部、海上幕僚本部、航空幕僚本部と併せて、四幕よんばくと言われている。


 愛澄は陸上防衛軍の准将じゅんしょうであるものの、出向する形で統合幕僚本部の所属だ。

 そのため、査問委員会では、主に統幕とうばくから責められていた。



 たった今、翡伴鎖中将が入ろうとした部屋は――


 防衛省の庁舎で、日本全国に配備されている兵器と人員に関する資料がある機密区画だ。


 北米のUSFAユーエスエフエーと連携している、最新の艦対空ミサイルによる軍艦。

 自走式のミサイル車両。

 地面に隠しているミサイルサイロ。


 その他にも、“今後の主力戦車や戦闘機の開発状況とその問題点” などが詰まっている。

 俗に言う、最重要の軍事機密がある部屋ばかり。



 コピーを取るわけにはいかないので、撮影用のデジタルカメラの機材で撮影か、手早く目を通す予定だった。

 だが、その資料の大半には手を付けられない。


陸幕りくばくのエリアにも入れないか……」


 自分の権限で入れるはずだが、なぜかエラーに。

 そのままでは目立ってしまうことから、急いで立ち去る。



「これ以上は、危険だな……」


 かばんを抱えたものの、その中には自分の執務室から持ち出してきた書類や記録デバイスしか入っていない。


 急いで防衛省の庁舎から出て、わざわざ最寄り駅まで歩き、乗り場で待機しているタクシーの後部座席に乗り込む。

 防衛省のすぐ傍にある乗り場や流しのタクシーを使わないのは、自分を捕らえようとする罠を避けるため。


 翡伴鎖中将が目的地を告げると、運転手がタクシーを発進させる。



「私だ! 予定と変わったが、持てるだけの物は……。そうだ、今向かっている」


 スマホの通話を切った翡伴鎖中将は、タクシーの後部座席で長い息を吐いた。



 これまで辣腕らつわんを振るったことで、多くの関係者から恨まれている。

 陸上防衛軍の上級将校であるうちは、そう簡単に手を出せないが、その庇護がなくなったら話は別だ。

 おそらく数日中に、交通事故か強盗の被害に遭うだろう。


 本来であれば、退役する前に完璧な立場を築き上げ、それを足掛かりに悠々自適の生活のはずだったが……。


 今となっては、反マギクス派から除名されてしまった。

 せめて、その通知ぐらいは、欲しいものだ。


 ここから逆転できそうな手段を持っているのは、ベルス女学校にいる繁森しげもり仁子さとこだが。

 メロドラマではあるまいし、このタクシーでそのまま行こうにも、住所すら分からない。

 ……やはり、彼女は正体に気づかれて、内々で始末されたか。



 翡伴鎖中将は、仁子にかなりの信頼を寄せていた。

 魔術師であったとは知らないものの、自分にとって便利な存在であったからだ。

 彼女が自分を裏切るはずがない、という、あまり根拠のない自信を持っている。

 はたから見れば、占い師を妄信する様子に近い。

 ともあれ、彼は途中経過をすっ飛ばして、仁子が殺された事実に辿り着く。


 タクシーの後部座席に座ったまま、無言で窓の外を見る翡伴鎖中将。

 夜に特有のネオンの灯りが、現れては消えていく。

 光と闇が交互に彼を包み、まるでこの世の空間とは思えない雰囲気。


 翡伴鎖中将は己の運命を悟りつつも、諦めきれない表情だ。

 膝の上で鞄を抱きかかえている両手に、力が入る。


 彼とて、数々の教育課程で優秀な成績を収め、今の立場まで順当に駒を進めてきたエリート。

 現状を理解できないわけがない。




 ある意味で、翡伴鎖中将はもう1人の室矢むろや重遠しげとおとも言える。

 なぜなら、魔術で願いをかなえてくれる女がいたからだ。

 重遠との違いは、その女魔術師は悪意のみで、さらに南乃みなみの詩央里しおり千陣せんじん夕花梨ゆかりに相当する女がいなかったこと。


 カレナを動かして、自分の思い通りにしない重遠のほうが異常だ。

 転生の際に、原作の【花月怪奇譚かげつかいきたん】というゲームの全ルートを疑似体験したことを差し引いても。

 いや、だからこそ恨み骨髄に入って、この世界や千陣せんじん重遠しげとおを陥れたキャラクターたちに復讐してもおかしくないのだが……。




 翡伴鎖中将は、タクシーの運転手に停めさせて、現金で支払う。

 ここからは、歩きだ。


 都心部にしては暗く、あまり人通りのない道を突き進む。

 周囲には、緊張した空気が漂っている。

 迷い込んだ観光客や散歩をする人間もいない。


 日本の警察官は、神経質に巡回している。

 なぜなら、高い塀に囲まれた大使館が点在するエリアだからだ。


 その一方で、周辺には高級住宅街として豪邸が建ち並び、高級外車のディーラーも見かける。

 最寄駅は1つのみで、新しいオフィスビルやデパートが営業。

 横道に入れば、いかにもセレブが通いそうなレストランから昔の商店までが混在している。



「まさか、こんな形になるとは……。せめて、あの女だけでも始末しておかなければ、やりきれん」

 コツコツコツ


 プルルル


「私だ。ローマン、首尾はどう……何だと!? お前のところの特殊部隊は、そんなに脆弱ぜいじゃくなのか?」


『使ったのは、傭兵だよ。こんな急に、うちの特殊部隊を用意できないって! というか、彼女たち、強いねえ! こっちは全滅しちゃったよ……。やっぱり、スペツナズを出さないと無理か……』


 妙に明るい声で話す、ローマン。


 それに対して、翡伴鎖中将は怒りを抑え、問いかける。


「もうすぐ、そちらに着く! 亡命書類は、準備できたな?」


『あー、うん。それは大丈夫だけど……。えーと、ミサイル配備の資料がないことに間違いは?』


「だから、『用意できなかった』と言っている! 心配するな! 私の頭の中にも機密情報はある!」


Хорошоクラアショ(分かった)……. 我が友、翡伴鎖に言っておくことが1つあるんだ』



 翡伴鎖中将は、ようやく目当ての場所に辿り着いた。

 引き続き、スマホでローマン・ウシャコフと話しながら、自分が入れる場所を探しつつ、高い塀に沿って歩く。



 ガラララ ガシャン



 重い物の動く音が、夜の闇に大きく響いた。


 翡伴鎖中将は嫌な予感がして、小走りから全力疾走に。


 久々の走りに呼吸が荒くなった翡伴鎖中将の目に飛び込んできたのは、『シベリア共同体』の大使館。

 その正面ゲートは、完全に閉鎖されていた。



「おい……。これは何の真似だ、ローマン!!」


『悪いね、翡伴鎖! 私も頑張ったが……。うちでかくまわれて亡命するには、少しばかり好感度が足りなかった! こわーいお友達も、後ろについているようだし……。次に会ったら、美味しい煮込み料理を奢ってあげるよ。これでも、私は友人を大切にする性格だからね? 健康には、くれぐれも気をつけて。До свиданияダスビダーニャ(さよなら)!』


 ツー ツー


 別れの言葉の後には、通話が切れた音だけが続く。

 呆然とした翡伴鎖中将だが、すぐに我に返り、正面ゲートの鉄柵を両手で掴み、ガシャガシャと鳴らす。



「入れろおぉ―――!! 私をここに入れるんだあぁ―――!! 話が違うぞ、ロオオオオォマアアアァン――!」



 大声で叫ぶも、『シベリア共同体』の大使館に反応はない。

 なぜかゲートの詰所に警備員がおらず、夜とはいえ、妙に静まり返っている。

 敷地内には、全く人の気配がない。


「こうなったら……」


 切羽詰まった翡伴鎖中将は、自分が持っている鞄を上から投げ込んで、無理やりにでも大使館を巻き込もうと考えたが――


 ドタッ


 いきなり足を刈られて、翡伴鎖中将は仰向けに倒れ込んだ。

 かろうじて後頭部を強打することを免れたものの、続けて何者かの爪先であごを蹴り上げられ、脳が揺れたことで意識が朦朧もうろうとする。


 襲撃してきた男は、すぐに翡伴鎖中将の右手を蹴り飛ばし、その痛みと衝撃で彼が投げ込もうとしていた鞄を遠ざけた。


 翡伴鎖中将をひっくり返しながら、その両手を後ろに回し、手際よく拘束する男。

 続いて、舌を噛み切れないように猿轡さるぐつわ

 護身用に隠し持っていた銃も、取り上げた。


 翡伴鎖中将を制圧した男をよく見ると、素顔でありながら、特徴がない。

 次に会った時、すぐには思い出せない印象だ。



 ザッ

「青山より主任へ。ターゲット確保! シベきょうの大使館、正面ゲート前です。……はい。大使館より遠ざかりつつ、待機します。……いえ。敷地内への発砲や荷物の放り込みは防ぎました。あちらも様子見のようですね? 念のために、視線と射線を切ります」


 青山と名乗った男は翡伴鎖中将の手首の関節を決めて、下から上に突き上げる。その痛みによるコントロールで、彼を歩かせていく。

 これは逮捕術の一種で、人体の構造を利用している。



 『シベリア共同体』の大使館は、塀の上に監視カメラがある。

 彼らの動きを追っているが、それ以上の変化はない。



 闇夜から現れたバンに翡伴鎖中将とバッグを放り込んだ男は、周囲を警戒していた別の男たちと一緒に乗り込む。

 いずこかへと去っていった。


 尾行を警戒して不自然な経路を辿ったものの、バンは陸上防衛軍の特別行動局、その第二群の拠点の1つに入っていく。

 彼らのフィールドは市街地で、このような活動も行っている。

 むろん、陸防で選抜され特殊な訓練を受けてきた精鋭が、この大捕物を担当した。


 スパイに国際法の適用はなく、また人権もない。

 あれだけの醜態を晒したら、敵に恭順した振りのダブルエージェントも不可能だ。


 翡伴鎖中将は、軍事機密の情報漏洩、外患誘致などで、数回は死刑になる罪状。


 表向きには陸上幕僚本部の一部署に過ぎない、単なる作戦立案の研究チームである特別行動局。

 彼らが動いた以上、手段を選ばずに今回の騒動を明らかにすることが分かる。


 文字通りに全てを失くしたオッサンの末路は、いちいち記述する必要もないだろう?

 可愛い美少女スパイならともかく、誰得だ。

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