第九話 天地無用も割れ物注意もあったもんじゃねえ。
〜 10日目昼過ぎ:王都ユーフェミア 外壁門前 〜
「これより我等は【惑わしの森】に発生した、新たな迷宮を討伐するため出立する! 此度の戦いは我等が王のため、祖国のための聖戦である! 北方面の新たな脅威を取り除き、我等が祖国に、我等が民に安寧を齎すものである! 諸君、胸を張るが良い! 諸君等は今日この時より、このユーフェミア王国王太子、ウィリアム・ユーフェミアと共に祖国の英雄となるのだ!!」
飛ばされた檄により、大地が震えんばかりの歓声が上がる。
招集された騎士、兵士達が上げる鬨の声が、王都のどこまでも届けと言わんばかりに轟き響く。
王太子の号令により、僅か半日で王都外壁前に招集されたその軍団の規模は、およそ一個大隊。
総勢1000余名から成る、討伐隊としても破格の規模であった。
内訳は、一般兵400名、騎士150名、魔導部隊80名、工兵100名、斥候100名、輜重兵120名、魔導騎士50名で1000名。
そこに更に、近衛騎士一分隊20名が、王太子の身辺警護に付いている。
そして王太子の周囲には、現在巻き起こっている王位継承争いの中心とも言える貴族の派閥、その貴族家の子弟達が、取り巻くように、侍るようにして付き従っているのだ。
「全軍、目標北方、惑わしの森! 進軍開始だ!!」
大地が轟く。
地響きが唸る。
隊列を組み王都を背にし、目指す先は辺境の地。
魔族の住まう魔界との境界線にして、他に類を見ない凶悪な魔物蔓延る魔境、惑わしの森。
北を目指し、何処までも続くと錯覚しそうなほど長い人の列。
その列のほぼ中央付近。
他より一層警戒を強められたそこには、複数台の馬車が並ぶ。
かなり手の込んだ造りのその馬車列は、王太子の取り巻きである派閥貴族の子弟達が乗り込んだ物だ。
馬車の内ではその子弟達が、此度の遠征の暁のことを、下卑た笑い声と共に早々に皮算用しているようだった。
そして、その馬車列の中でも一際豪奢で頑丈に造られた一台に、ウィリアム王太子が乗車していた。
彼もまた、迷宮を手にした時のことを夢想し、己の明るい展望に思いを馳せていた。
「これで名実共に王位は然るべき者に齎される。更には巨万の富も付随してな。そうしたら、先ず手始めに邪魔な弟達を排除せねばな。そしてそれを担ぎ上げた愚かな貴族共も粛清せねば。間抜けな連中だ。この俺に牙を剥くからそうなるのだ……!」
一人笑いを噛み殺し、その容赦のない苛烈な企てを練り上げる王太子は、揺れの少ない王族専用の馬車で寛ぎ、酒を呷り始めた。
その王太子の乗る豪奢な馬車のすぐ後ろに、他の物と比べると格段にみすぼらしい幌馬車が一台、追走していた。
良く見ればその幌の内側は鉄格子となっており、ただの荷車を改造しただけというような粗雑な造り。
当然、揺れを軽減するサスペンションのような仕組みも組み込まれておらず、路面に足を取られては、その荷台に載せられたモノが右へ左へと転がり回る。
そのモノが、蠢き、呻き声を上げた。
「あっ……があっ! ……くそっ! 痛ええぇぇッ!」
満足に身動きも取れない程に拘束された身体で、それでも何とか衝撃に対して受け身を取ろうとする。
しかし良く見ればその身体は、拘束云々より以前に、満身創痍であった。
身体の目に見える箇所には全て包帯が巻かれ、少なくない箇所に血が滲んでいる。
頭部も全体的に包帯を巻かれ、辛うじて見ることが出来るのは隙間から覗く紫色の右眼と口周りだけだ。
そしてその頭部と左眼の有るだろう箇所は、他と比べ物にならない程、ドス黒い真っ赤な血に染まっていた。
「くっそ! さっきの歓声や地鳴りの規模から言って生半可な数じゃないよな……! それだけの人数での行軍なら当然足も遅い。マジかよ……森に着くまで一体何日掛かるんだ……? それまでずっとこの状態とか、軽く死ねるぞっ……うぐぁッ!」
思うように動かない身体で、車輪の跳ねる衝撃に耐える。
彼は、迷宮の主であるマナカ・リクゴウは、鉄格子と幌の隙間から見える憎らしい程青い空を睨み、歯を食いしばる。
「やっぱり姫さんに事後承諾でも良いから、キース君捕まえとくんだったなぁ……まあ、今言ってもしょうがないけどさっ。はぁ、詰めが甘過ぎる。所詮は一般人の浅知恵って訳か……ッ!」
自らがこのような状態に陥った原因を思い返すマナカ。
運悪く王女率いる部隊に己のダンジョンが発見され、生かして捕らえることには成功するも一人取り逃した。
王女に国との橋渡しを依頼し、承諾してもらい、実際に辺境伯とは繋がりを得た。
そしていざ国王との極秘裏の会談に臨み、盟約を取り交わすまであと一歩というところで。
王太子に情報が漏れており、妨害され、捕らえられた。
王と王女は下手に動かれないよう幽閉されてしまったのだろう。
情報漏れの原因は、最も可能性が高いのが、ダンジョンより一人脱出を果たした斥候のキースという男。
その可能性に思い至らなかった過去の自分を殴り倒したい、と。そんな詮無いことを考えても事態は一向に良くならず。
手酷く拷問され、痛め付けられた状態のまま、こうして粗末な荷台に載せられ運搬されている。
「もうアザミとのパスも途切れちまったか。無茶してなきゃ良いけど……でも逃がせられて良かったな。俺が渡した物、上手く使ってくれよ……ッ!」
跳ね上がる荷台に翻弄されるマナカ。
彼の願いにも似た呻き声は、誰の耳にも届かずに、車輪の上げるけたたましい音にかき消されていったのだった。
〜 ダンジョン 六合邸 庭園 〜
振るわれる剣に、風が引き裂かれる音が重なる。
しかし、その剣が獲物を断ち切ることはない。
それを追うようにして、短剣が、戦斧が、そして魔法が振るわれ、飛び交う。
唯ひとつの目標であるその燃えるような赤い髪へと向け、横合いから、背後から、時には正面からも降り注ぐが、躱され、逸らされ、時には打ち払われる。
「かかかっ! そんなものかのう? それでも王女直属の部隊かの? これならば、主様一人だけの方が余程手強いのじゃ!」
その赤髪が嗤う。
口元を吊り上げ、瑞々しい褐色の肢体を踊らせ、11名からなる精鋭部隊の怒涛の攻撃に身を晒し、嗤う。
「くっ! 単発の攻撃では効果は無い! 騎士は前列に! 互いの攻撃の隙を補え! 斥候はガッツを援護し撹乱しろ! 兎に角当てて行動を阻害するのだッ!」
隊のリーダーであるアグノイトが指示を飛ばす。
その指示に、隊として一糸乱れずに連携が取られる。
フリオール隊の精強足る所以である。
「おお、良いぞ良いぞ。その調子じゃ。ほれ、儂を追い詰めてみせい!」
吹き荒れる赤い暴風。
常に複数人で当たる騎士達を、横薙ぎの蹴りで弾き飛ばし、速さを活かした短剣の一撃は、それを追い越す疾さで摘み逸らし、唸りを上げ迫り来る戦斧は、それその物ではなくそれを振るう腕を取られ
そうして群がる隊員を蹴散らし、包囲の輪から飛び出す赤髪――シュラは、部隊の心臓部とも言える司令官、アグノイトへと一直線に突き進む。
その速度を拳に乗せ、放たれた豪打に対してアグノイトは、自身が持つ大盾を突き出す。
間合いを計り、拳の威力を計り、逸らすのに最適な角度と威力を経験から直感し、壁のように迫り来る
相手の打撃力をも利用したアグノイトが必殺とするカウンター攻撃は、しかし掠ることもせず空を切る。
盾を持つ左手に違和感を感じる。そこには、激突したまま盾に張り付くようにして、逸らしの動作に同調し死角に入ったシュラの赤髪がチラリと見える。
次の瞬間、己の腕に固定された盾ごと捻り投げられ、地面に倒れ伏す。そして顔を上げると、目の前に仁王立ちするシュラの姿。
「今の連撃はなかなかじゃったのう。並の者なら弾かれ、貫かれよう。じゃが、同格以上の者に相対すには、死角を増やす大盾は向かん。ま、今後の課題じゃの。」
そう言って手を差し出される。
それは、手合わせの終了を意味していた。
「…………」
そんな訓練を、ダンジョンコアの化身であるマナエと共に見守っていたアネモネは、マナエに気付かれないよう、そっと溜め息を漏らす。
(焦れていますね。マスターの危機だというのに、動くことのできない自身を責めているように感じます。
内容だけ観れば完勝と言えるシュラを、そう評するアネモネ。
だが焦れるのも無理は無いと思う自分も確かに居るのだ。寧ろ良くあそこまで自分を抑えている、と逆に感心までしていた。
それだけ、
『退かぬか、アネモネよ! お主が動けぬなら儂が討って出る! 王国だか亡国だか知らぬが、我が主を害した者がどうなるか、目に物見せてくれるわ!! 彼奴等のその血で、大事な国土を染め上げてくれようぞッ!!』
『そうしてマスターに期待された此処の守護を放棄すると言うのですか? そうしてマスターが目指され望まれた平和への道筋を、貴女が断ち切ると言うのですか?』
速度で上回るアネモネが先回りし、辛辣な言葉を投げてまでして、ようやく止まったのだ。
下手をすれば配下同士での戦いにまで発展しかねなかった。
それを思えば、彼女は本当に良く耐えていると、アネモネは自身を省みる。
(焦れているのは私も同じですね。現時点でダンジョンに居る我々には打つ手はありません。出来るのは、ダンジョンの護りを固め、時が稼げるよう戦力の底上げを図るのみです。護りにしても、ダンジョンを操作する権限はマスター以外にはマナエしか持たないですしね。)
そんな内心のまま傍らのマナエを見下ろせば、玄関の階段に腰を下ろした格好で、真剣な表情で何かを操作しているようである。
ダンジョンメニューは、そのダンジョンを支配するダンジョンマスターにしか見えず、また扱えない。
しかし、名付けによって自我を持ち、肉体を持って現界したコアの化身である、この少女ならば、ダンジョンコアが持つ権能を、己の意思で発揮することが出来るのだ。
そんな少女の手が止まる。
何らかの作業を終えたのであろうか。
「マナエ、どうかしましたか?」
アネモネがすかさず声を掛ける。
声を掛けられたマナエは、悩ましげに眉を顰め、アネモネへと振り返る。
「うん……お兄ちゃん、大丈夫かなって……こうやってお兄ちゃんの代わりにダンジョンを操作して、ここを守ることは出来るけど……あたし、お兄ちゃんのために戦えるアネモネ達が羨ましい。」
俯き、衣服の裾を強く握り締める。
そんなマナエの頭に、ポンと手が置かれた。
「なんじゃ辛気臭いのう。マナエよ、くだらん事で悩むでないわ。それでもお主は、儂らの主様の妹御かのう?」
揶揄うように頭をワシワシと撫でるシュラ。
ムッとしたマナエが、反射的にその手を払い除ける。
「シュラには分かんないもん! シュラは強いから、いつも守られてるあたしの気持ちなんか分かんないよっ!」
今にも噛み付きそうな剣幕で、心情を吐露するマナエ。
しかし、そんなマナエを、シュラは優しくその胸に包み込んだ。そして、語る。
「そうじゃの、儂には分からん。戦うしか能のない儂にはな。では逆に訊ねるがの。ダンジョンの操作など、お主を置いて他に誰に出来るのじゃ? 儂にもアネモネにも出来んのだぞ? お主しか出来ぬのじゃ。
もちっとその無い胸を張らぬか。主様に留守を任されたのは儂か? アネモネか? 違うであろう? 儂ら全員が託されたのじゃ。それを忘れてはいかんぞ?」
そう言われてしまうと、二の句を継げなくなってしまうマナエ。
ムスッとした顔に頬まで膨らめて、シュラの腕から逃れようと藻掻く。
「変わりましたね、シュラ。とても、激昂してダンジョンから飛び出そうとしていたとは思えませんよ。」
飽くまでアネモネは賞賛したつもりである。しかし受け止めたシュラからすれば、それは嫌味以外の何物でもなく。
「そう苛めるでないわアネモネよ。昨夜の事は悪かったと謝ったじゃろうに。」
嫌そうに手を振り、マナエを解放する。マナエは素早く逃げ出し、アネモネのスカートの陰に隠れる。
「そのようなつもりはありませんよ。事実、マスターにあの時諌められてから、貴女は己を律し、自身を磨こうと努力しているではないですか。」
己を盾にしてシュラを威嚇するマナエを宥めながら、そう指摘する。
「根も葉もないことを吹聴するでない! 何故儂が主様に小言を言われた程度で、己を改めねばならぬのじゃ!」
そう言い捨て、逃げるようにして家の中へ入って行くシュラ。
それを見送るアネモネは、思わず苦笑を漏らす。
「そんなことありませんよ、シュラ。貴女は気付いてないのですか? マスターの呼び方が、『小僧』から『
返事は閉じる玄関の扉のみである。
アネモネは、自主訓練へと移行した王女の部下達へと視線を移し、囚われの己が主と、王城に潜む同胞に思いを馳せる。
「マスター、お傍で力になれない私をお許し下さい。どうかご無事で、待っていて下さい。必ずや、お助けに上がります。」
鍵は、今尚王城に身を潜めるアザミ。彼女がアネモネの指示を全うできれば、主を救い出す算段は整うはず。
そう意気を新たにし、訓練相手を務めるため、庭に足を踏み出す。
「頼みましたよ、アザミ……」
マナエの声援を背に受けながら呟いたその言葉は、靡くその長い髪のように、風に乗って流れていったのだった。
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