第八話 それは女用だ! 異論は認めない!!


〜 9日目深夜:王都ユーフェミア ブレスガイア城 貯蔵庫 〜


《アザミ視点》



 主であるマナカ様により産み出され、名を与えられて。


 我らの寿命が如何程かは分からないが、きっとその永さから観れば、瞬きをする間ですらもないほんの刹那の時間。


 思えば、アザミがマナカ様と一緒に居たのは、そんな吹けば飛ぶような薄っぺらな、何の積み重ねも無い、泡沫に観る夢ほどの時間。


 だと言うのに。


 胸が張り裂けそうだった。

 必要と解っていても主を独り置き去りにして隠れねばならなかったのは。


 気が狂いそうだった。

 主があの男に殴られ捕らえられるのを観せられるだけだったのは。


 心臓が握り潰されるようだった。

 連れ去られる間際に浮かべた、あの寂しげな笑顔が遠ざかって行くのは。


 苦しい。苦しくて寂しい。


 主が傍に居ない。主の傍に居られない。


 いつも笑顔だった。


 アザミ達と、配下ではなく家族のように接していた時も。

 荒唐無稽な事ばかりして、アネモネ殿にお説教されていた時も。

 魔物を殺し、命を奪う重さに歯を食いしばって耐えていた時も。

 裏切りとも取れる仕打ちを、人間から受け捕らえられた時も。


 あの笑顔が傍に居ない。あの笑顔の傍に居られない。

 それが、こんなにも苦しく、寂しく、心細い。


 頭を撫でて下さい。そして、この苦しさを無くして下さい。

 背に乗って下さい。そして、この寂しさを無くして下さい。

 傍で笑って下さい。そして、この心細さを無くして下さい。


 アザミは、どうすればいいのですか?


 あの男を殺す? それでは、王国と主の関係に決定的な亀裂が入ってしまう。

 それは、主の望みではない。


 主を救い出す? 何処に連れ去られたかも分からない。

 よしんば判ったとしても、警備は厳重だろう。


 一度脱出し、ダンジョンに引き返す?

 その間に主が何をされるか、分からない。

 あの男は、主に対して利用価値しか見ていない。主が王女にしたような、まともな扱いをするとは思えない。


 人気の無い貯蔵庫の奥深くで、鼠の姿から人の姿へと戻る。

 周囲には、主が張った結界が未だ健在だ。今こうしている間も、恐らくは主従のパスを通して魔力を供給してくれている。

 離れた位置に居るアザミに、絶えず魔力を送ってくれている。己自身が危機に瀕しているにも関わらずに。


 思わず蹲り、己の身を抱く。

 主の魔力を抱くように、温もりを抱くように。


 そして、胸元に感じる違和感。主から離れる際に、渡された物。


 取り出してみるとそれは、布に包まれていたそれは、掌程の大きさの宝珠オーブだった。


 それは、主の邸宅のリビングルームに安置されている、あのダンジョンコアに良く似ていた。


 もしやと思い至る。


 神様に祈る。主をこの世界に導き、アザミと会わせてくれた神様に。

 そして、藁にもすがる思いで、宝珠オーブに魔力を通す。


『この魔力は……アザミお姉ちゃん? 何かあったの?』


 通じた。想いが、願いが通じた。


 主の半身にして大切な妹、マナエ様の声を聞いた途端、それまでの弱気は心の奥底へと沈んで行った。


 何をしても、何があっても主を救い出す。

 そしてそのためには、主が信を置くあの人の力が要る。


「マナエ様、今すぐにアネモネ殿と話せますか?」




〜 ブレスガイア城 尖塔 〜


《フリオール視点》



「最悪な形になってしまったな……」


 閉じ込められた塔の部屋の中で、父上……陛下がそう呟きを漏らす。


 部屋はそれなりに広い。しかし、王族の個室程ではない。


 扉には錠が掛けられ、その向こうには何人かは分からないが、警護と称した見張りの兵が居るのだろう。


 王陛下の座るソファとしてはだいぶ品質の落ちるそれに深く腰を下ろし、力無く背を凭れる父の姿は、普段見せる王の威容からは、あまりにもかけ離れていた。


「陛下、申し訳の次第もございません。此度の件、情報が漏れたのは私の不覚です。」


 我の不覚……そう。この一連の動きの中、兄であるウィリアムに一報を齎すことが出来たのは、唯一人単独で動いていた、彼のみ。


 我等と離れ一人砦に行った、斥候のキースしか居ないのだ。


 仮に他の間者が潜んでいたにしても、辺境伯とキースという、どちらも並以上の使い手の密談を覗き見するなどということは、どう考えても現実的ではない。


 辺境伯の為人ひととなりは我も、王も良く理解している。

 彼が国を裏切るような事をするなど、絶対に有り得ない。


 必然、最も可能性が高いのは、キースが裏切り、兄に情報を漏らしたという推測なのだ。

 一体、いつから兄の息が掛かっていたのか……


「良い。起きてしまった事は最早どうしようもあるまい。最悪なのは、あの男を、マナカを結果として裏切ってしまったということだ。それも国としてだ。」


 あの男の顔が脳裏に浮かぶ。


 苦笑するような、しかし寂しげな笑顔を浮かべ、兄達に連れ去られて行った迷宮の主。

 一言も語らず、まるで諦めてしまったかのように力無く笑う彼の顔が、脳裏から離れない。


「ウィリアムは即座に軍を動かすであろう。マークも流石に王太子の命とあらば砦を越えるのを防ぐことはできぬ。愚息が行おうとしていることは、国の未来を断つ行いだと解っていてもだ。」


 荒らされるであろう、彼の迷宮を幻視する。


 主を質に取られている以上、彼の配下達は手を出せないだろう。きっと、兄の引き連れた騎士や軍人に蹂躙されてしまう。


 そこに加えて兄の性格である。

 きっと、彼女達は……


「何としてでも、此処を脱し彼を救い出さねば! 迷宮を手にした兄がどう出るかなど、火を見るより明らかです!」


 なまじ優秀なだけにタチが悪い。

 幼き頃よりの英才教育と恵まれた資質により、兄は文武双方に於いて一流以上なのだ。その秀でた能力が、よりあの破綻した差別主義の人格に拍車を掛けている。


「落ち着きなさい、フリィ。即座にとは言っても兵を動員するには時が掛かる。彼の従者も隠れ仰せた筈の今、余らに出来ることは、そう多くは無い。」


 そうだ、アザミ殿。彼女は、無事なのだろうか。

 騒ぎが起きていない様子から、彼女が見付かったとは考えにくい。既に城外に脱しているのならばそれで良いのだが。


 しかし、彼女の主に対する敬愛ぶりは並ではない。自棄を起こし無謀に出なければ良いのだが……


 ……まただ。

 どうしても彼の顔が頭をチラつく。どうしてこんなにも……


 思えば彼とは、良い出会いだったとは世辞にも言えない。

 初対面で、我は彼を害そうとしたのだ。まあ、その後の話し合いでは、彼に泣かされたのだが。


 酷く久し振りだった。


 飾り立てもせず、己の心情を吐露したのは。

 あまりにも久し振りに泣いたせいか、自制も効かず、一通りしゃくり上げてからは、変にすっきりしたのを覚えている。


 泣いている我を見て慌てる彼の姿は見物だったな。


 その後は……ううむ、彼に振り回されたことばかりだな……


 部下達への説明を押し付けられ、レベル上げだと魔物に追い回され、迷宮の罠での惨殺を見せつけられ、夜空高く飛ばされ……


 そういえば、殿方にあそこまで密着したのは、あれが初めてだった――――って、な、なななにを考えているのだ我はあぁぁっ!!??


 そ、そういえば、王城に突入する時も、力の限り彼にしがみついて……彼の背中に……む、胸を――――だだだから違うのだあぁっ!!?? あれは、そうせねば振り落とされてしまう故、し、仕方なく……!


「どうしたのだ、フリィ。何が違うのだ?」


「イイエチチウエ! ナンデモアリマセンッ!?」


 声に出すな我の阿呆めがあッ!!


 一旦落ち着こう。思考を切り替えるのだ、フリオール!


「そういえば……」


 必死に深呼吸を繰り返す我の耳に、父上の声が届く。


「そういえば、フリィ。お主は、彼の迷宮で幾日か過ごしたのであったな? どうであった?」


 その言葉に浮かぶのは、先程も思いを馳せていたあの光景。


「……大変、でした。罠に嵌り、目覚めて彼と話し……それからは、振り回されてばかりでした。聞いた事もない手法で魔物を狩ったり、彼と口喧嘩になってしまったり、彼が仕出かす奇想天外なあれやこれやに皆で説教したり……しかしそれでも。それでも、彼の周りは、いつも、皆笑顔でした。」


 そう、皆笑っていた。


 彼も、アネモネ殿も、マナエも、アザミ殿もシュラ殿も。

 我の部下達も、そして、我も。


「……そうか。良い処だったのだな。」


 それは、久しく見なかった陛下の、父上の穏やかな顔であった。

 幼き頃に向けられていた、父としての顔であった。


「……はい。良い処でした……!」


 ほんの数日だというのに、もう、酷く懐かしいあの光景。

 心地良かったのだと、己の気持ちに今、気付いた。


 だから。


「陛下、いいえ父上。我は、フリィは。彼を救け、彼の迷宮を守りたいです。」


 彼の笑顔のために。彼と笑顔になるために。


 彼に二度とあのような寂しげな笑顔をさせてはならないと。

 そう、決意したのだ。


「そうか。フリィよ、強くなったのだな。ならば今は伏して待つのだ。好機は必ず訪れる。共に、彼の信頼に応えようぞ。」


 そう言って、父上の大きな力強い掌が、我の頭に置かれた。

 そんな父上の顔もまた、力強く、しかし穏やかな笑みを湛えていた。




〜 ブレスガイア城 地下拷問室 〜



「っがあああぁぁぁぁッッ!!!」


 己の皮膚の焼ける匂い。己の肉の灼ける匂い。

 押し当てられた、真っ赤に灼けた鉄ごてが俺の身体を焼く。


 魔族の強靭な身体にはいつも感謝していたけど、今ばっかりは恨み言を申し上げたいね! 真っ先に参ってしまいそうなのは、寧ろ俺の精神だよッ。


「ふん。やはり腐っても魔族か。この程度の責めでは、大して痛痒を与えられんな。」


 焼き鏝を台の上に置き、手を拭きながら溜息をつく王太子。


 王太子様自ら率先して拷問とか、この国の教育方針は随分物騒ですねえ!?

 そういや捕まった姫さんも初っ端殺そうとしてきたっけ!?


 やっぱこの国怖ぇーよッ!!??


「何度も言わせるな、この塵芥が。俺に恭順しろ。隷属しろ。迷宮の支配権を俺に寄越せ。そうすれば、命ばかりは救けてやろう。」


 角を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。

 姫さんと同じ、金髪碧眼の整った顔が、醜悪に欲に塗れて歪んでいるのが視える。


「冗談……じゃねえ……! 姫さんみたいな、美人の尻に敷かれるなら兎も角……、お前みたいな下衆野郎にヘコヘコするなんざ、死んでもごめんだよ……ッ!」


 荒い息で何とか返してやる。


 身体中が痛い。


 鞭で打たれ、ナイフで裂かれ、爪は剥がされ。

 気を失えば水に落とされ、無理矢理覚醒させられてまた打たれる。


 朦朧とする視界に三角木馬が映った時は、思わず悲鳴を上げかけた。

 うん。どうやら王太子も、男を木馬に掛ける趣味は無かったらしく、そこはとても感謝した。


「ふん。やはり下等な魔族には何を言っても無駄か。仕方あるまい。ならば貴様の目の前で、配下共々迷宮を蹂躙してやるまでよ。」


 そう言って、投げるように俺の角を手放し、踵を返して立ち去る。

 しかし、部屋から出る直前に立ち止まり、少しの間を置いて。


「そう言えば、魔導師に魔族の素材を欲している者が居たな。角を切り落とせ。目玉もひとつ有れば事足りるだろう。労せずして手強い悪魔の角と目玉が手に入れば、奴も少しは俺の意に沿うだろう。」


 は? 今なんつった?!

 おいっ、ふざけんなよテメエッ!!!?


「はっ!」


 おいコラ返事すんなッ! ふざけんな離せよッッ!!


 藻掻く俺の身体が手術台みたいなのに縛られる。

 頭も固定され、顔を振ることもできない。


 口に猿轡を噛まされる。


「むがぁーッ!!? ほへ、はへろッ!!?」


 必死で叫ぶが、その音は意味を成さない。

 拷問官がを手に、これ見よがしに閉じたり開いたりしてみせる。


 目の前の視界いっぱいに拡がる開いた先端が。


 ゴリッと。俺の眼窩に押し当てられる。


「――――――――――――――――――――――――ッッッッッッ!!!!!!」


 俺の意識は、そこで途絶えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る