第五話 拝啓先輩方。自重して下さい。


「あ"あ"ぁぁ〜。瀕死の身体にお湯が染み渡るぅ〜♪」


 紆余曲折を経て、俺は遂に目標のお風呂に入ることに成功した。


 今までの凄惨な戦いの記憶が頭を過ぎる。

 ダメージソースは主に自滅とお仕置だったけど。


 ……よく考えたら、俺ってあの瀕死のHPでなんであんなに元気だったんだろう?


 まあ、いっぱいいっぱいでずっと必死だったから動けてたのか、若しくは自動回復スキルが取れちゃったかかも?

 だって初っ端から立て続けにダメージ受け過ぎだもん。


 身体にこびり付いた血も洗い流し(シャンプーは3回した)、一軒家にしても随分と広々とした湯船で身体を伸ばす。


 うん、四・五人くらい入れそう。

 一体なんのために……?(ごくりっ)


「マスター、お湯加減はいかがですか?」


 不埒な妄想を始めたところに、不意に声を掛けられてビクッと震える。

 アネモネが様子を伺いに来たみたいだ。


「うん、大丈夫だよ。凄く気持ちいいよ。」


 脱衣所から急に呼び掛けられてビックリしたが、メイドさんだもんな。

 そりゃ声くらい掛けに来るよな。


「良かったです。お着替えが有りましたので、此方に置いておきますね。私はこれから、20分程作業をしてきますので、どうぞ寛いで休んでいて下さい。キッチンに冷蔵庫も在りましたので、しっかりと水分も補給して下さいね。」


 うーむ、なんだか新婚さんになった気分だね。

 甲斐甲斐しく扉の向こうから様子を伺う妻……アリですね!


 そして男子垂涎の【お背中お流ししますねイベント】は、どうやら無いらしい。残念……いや、仮に有ってもビックリだし困惑しちゃうか。


 でもちょっとくらい期待したって良いじゃない!? 男の子だもの!


 さて、身体も温まったし、心做しダメージも抜けたように感じる。

 逆上せても不味いし、上がりますかね。


 脱衣所に戻り用意されたバスタオルで身体の水気を拭い、つい先程アネモネが用意してくれた衣服に袖を通す。


 うん、サイズピッタリだね。


 デザインも普通にカジュアルで、日本に居た頃に着ていたような七分袖のシャツ、Tシャツ、チノパン。靴下は……いいや、家の中だし。


 そしてリビングに向かおうと扉に振り向くと、扉の脱衣所側には大きな姿見が嵌め込まれていた。

 うん。入る時は気付かなかったよ。


 そして転生してから今までで、ようやくまともに自分の姿を確認する。


 うん、先ず目に付いたのは耳と角だな……って角生えてるッ!?

 黒髪のミディアムショートくらいの長さでアシンメトリーな前髪の髪型。


 短い揉み上げの後ろで主張する長い耳と、そのさらに後ろくらいから捻れて額の上辺りに向かって生えている二本の角。

 先端は鋭く、そこだけまた捻れて天を衝いている。


 いやー、目で見るまで全く気付かなかったわぁ。

 いやだって、違和感全く無いし、重くも無いし邪魔にも感じないんだもん! 気付けないって!


 次に耳だな。うん、長いな。

 ファンタジー定番の耳長なエルフよりは短いだろうけど、明らかに人間の耳よりは長い。そして先端は尖っている。


「こういう長い耳なら、男でも垂れ系のピアスとか着けても違和感無さそうだな〜。」


 むしろ物語の中のエルフさん達も、非金属ばかりだけど耳飾りとか着けてるのよく見たもんね!


 そして……おおーっ!

 角も耳も、根元から先端まで触れるとしっかりと触れられている感覚があるぞ!


 そういえばアネモネも耳長かったよなぁ……

 触ったら怒るかな?


 お願いすればなんとか………………いや、やっぱりとりあえず今日は止めておこう。

 HPが回復する前にまた【真日さんお仕置機能】の攻撃おしおきを受けたら、今度こそ流石に死んでしまう気がするし。


 他に変化は……あれ? 眼の色が……?


 鏡に顔を近付けて観ると、瞳の色が紫になっている。

 この透き通るような紫は……宝石のアメジストだ。あの色にそっくりだよ。


 そして今気付いたが、瞳孔の形も違くね?


 なんて言うか……猫目?

 あんな感じの縦に細い瞳孔になってる。

 うん。魔族っぽいね!


 鏡とじっくり睨めっこする趣味はあまり無かった筈だが、前世の自分との差異を見つけ出すのは、間違い探しみたいで面白いな。


 さて、他には……


 肌の色は、前より黒っぽいかな? 夏に日焼けしたくらいの黒さだな。

 体格は、やっぱり心做しがっしりしてるよね。


 そう、身体を洗っている時に気付いたのだ。


 なんと綺麗なシックスパック!! 全男性羨望の細マッチョだよ!!

 そして別に背は伸びておりませんよっと。


 こんなところかな?

 デーモンって悪魔だから、てっきり翼や尻尾も生えてるかと思ったけど、無いみたいね。


 思う存分今生の身体を確認した俺は、脱衣所を出てリビングへ向かう。


 玄関から延びる廊下の突き当たりの部屋がリビングだ。

 つまり帰宅後は必ずリビングを通らざるを得ないアットホームな設計なのだな。

 ちなみにその廊下の途中に、トイレ、風呂場、物置が配置されていた。


 ドアを潜ってリビングに足を踏み入れる。


 そのリビングだが、中央から壁に向かって逆三角形の形に一段下がっていて、来客でも想定してか、それとも大家族用なのか、大きなソファが三角形の手前側の頂点から二辺に沿って並べられている。そしてその中央にはソファのサイズに合わせられた低いテーブル。

 そして残りの一辺は壁であり、その中央には壁に据え付けられた巨大なテレビと嵌め込み式なのかな? 各種AV機器とオーディオサウンドシステム。テレビの下には暖炉。あ、これ電気式だ。炎の映像が3Dで投影されるやつ。


「はぁーっ。見事過ぎるホームシアターだわ。しかもテレビこれ何インチあるんだよ? 60インチは軽く超えてるよな? ヤバい、早くも俺の定位置が決まったわ。離れられそうにないな。」


 横目に確認しながらダイニングテーブルを避ける。

 さり気なくダンジョンコアが安置されてるな。


 そしてアイランドタイプでありながら対面式のカウンターキッチンの奥へと向かう。


「うわ、キッチン設備も凄まじいな。全部上流階級向けのモデルじゃねえか。バリスタに、ワインセラーまで完備かよ。」


 業務用も霞むような巨大な冷蔵庫をあちこち開けて飲み物を探す。お、瓶ビールがいっぱいあるぞ!! ア〇ヒ、キ〇ン、エ〇スにプレミアムなのまであるよ! ヤバい嬉しい!!


 思わず手を伸ばしたが、咄嗟に思い止まる。


「アネモネは今も何か俺のために働いてくれてるんだよな。一人でさっさと酒飲んでて良いわけねえよな……」


 好物ビールの入ったエリアの扉を断腸の思いで閉め、対象をソフトドリンクに絞って探す。

 そしてようやく見つけた麦茶を取り出し、今度はコップを探す。


「食器棚まで立派だなぁー。てかこんなに食器有ってどうすんだ? 使い切れねえだろ。」


 丁度良いサイズのコップを取り出し、麦茶も持ってリビングへと戻る。

 中央のテーブルに麦茶とコップを置き、ソファへと身体を預けたのだが――――


「なん……っだこのソファ!!?? ヤバ過ぎる! ダメになる!!」


 思わず飛び起きてしまった。


 ソファに手を着いて丹念に感触を確かめる。

 ヤバいよこれ。魔族ヒトをダメにするソファだよ……!


 堅くなくそれでいて柔らか過ぎず。反発もしないが沈み過ぎもしない、絶妙に身体を包み込み姿勢まで保持してくれる。


 ヤバいこのソファ、クッションなんか要らない! 不要! むしろ邪魔!!


 こんなもん前世で買ったら一体いくら掛かるんだよ……!?


 前世で社会の荒波に揉まれ、少なくない経験をしてきた自負が多少はあるが、転生して種族まで変わっても尚衝撃を受ける初体験。


「俺の生きてた世界なんて、まだまだちっぽけだったんだな……」


 感動に身を浸し、感激する鼓動を宥め、改めてソファに腰を下ろす。


「あぁ〜……らめぇ〜……ダメになりゅうぅぅ〜…………」


 至福、であります。

 そしてこのソファに座りながら飲む麦茶……


 うん、控え目に言って最高です。


「何が駄目になるのですか? マスター。」


「んごぶっ!!?」


 鼻に! 鼻に麦茶が入ったよッッ!!!?


「マ、マスター!? 大丈夫ですか??!!」


 苦しむ最中に視線を巡らせると、驚いた様子のアネモネの姿が映る。

 うん、俺も驚いてるんだよ!?


「ゲフッ!! ごふんっ!! ゲホゴホッッ!?」


 ち、ちょっと待ってね!

 たった今、鼻から麦茶を出す訳にはいかない男の戦いが始まったところだから!!


 見兼ねたアネモネが背中を擦ってくれる。


 そうそう。叩いちゃダメだよ?

 あれはムセて吐き出す力の弱い人に、ムセを誘引するために叩いてるんだからね。絶賛ムセてる人の背中叩いちゃったら、いつまでもムセが治まらないからね?

 コツは肩甲骨の間辺りを、水を掻く手の形で空気を挟むようにして叩くこと。イメージは乳児にゲップを促すトントンが近いかな?


「ゲホンッ! ん"っ、ん"ん"っ! …………ふぅ〜、ありがとうアネモネ。危うく負けられない戦いに負けちゃうところだったよ。」


 ようやく一心地着き、隣に座って背中を擦り続けてくれたアネモネに向き直り、感謝を告げる。


「負けられない、戦いですか……流石ですマスター。どのような時でも常に戦いの心を忘れない、常住戦場の心得ですね。」


 ……なんかかっこいい方に勘違いしてくれたからこのまま流してしまおう。そうしよう。


「はははは……それより、おかえりアネモネ。お風呂もありがとう。気持ち良かったよ。それで、何処で何をしてきたのか、訊いてもいいかな?」


 よし。これで確実に誤魔化し切れただろう。


「はい。私は一旦玉座の間に戻り、このセーフハウスへと繋がる扉を隠蔽してきたところです。図らずもマスターがダンジョンコアも此方に移して下さったので、あの扉さえ隠蔽できてしまえば、残るは何も残っていない広間と決して動かせない玉座のみです。


 私の隠蔽で誤魔化すことが出来る程度の輩であれば、広間まで踏み入ったとしても死んだ迷宮と誤認し、引き返して行くでしょう。」


 なるほど、安全対策をしてきてくれたのか。

 ていうかあの玉座って動かせないんだ。初めて知ったよ。


「ありがとう、助かるよ。流石はアネモネだ。ということは、よっぽどヤバい奴が来ない限りは安心して此処に居ればいいってことだよね?」


 先のドタバタから多少なりとも不安を感じていたが、これで一定ラインの安全は確保されたことになるな。


「肯定します、マスター。これで多少なりとも、この状況に余裕を持てたことになります。」


 よし。

 転生してから割とドタバタしてきたけど、やっと一息つけそうだな。


「それじゃあ、お風呂も入ってようやく落ち着けたことだし、状況整理したいと思うんだけど、頼めるかな?」


 ダイニングテーブルに安置されたダンジョンコアを横目に見遣ってから、少しでも今後の役に立てるために、話を聴こうと居住まいを正す。


「承知致しました、マスター。それでは状況確認を行います。先ず第一の前提として、現世でマスターが生を受けられたこの世界は、【アストラーゼ】と呼称されています。マスターもご承知の通り、魔力に満ち魔法が飛び交い、魔物や魔獣が跋扈し、騎士や冒険者が剣を振るう、所謂ファンタジー世界です。」


 うん、期待通りだね。


「次にマスターの転生した現在地です。大陸の名を【ドラゴニス大陸】と呼びます。神代に落命した古の偉大なドラゴンの亡骸が大陸と成った、という伝説が残されています。


 このダンジョンの所在地は通称【惑わしの森】。魔族が他の大陸より攻め寄る足掛かりとして支配する【魔界】と、周囲を大小様々な国に囲まれながらも魔族の侵攻をたった一国で塞ぎ止めている強国【ユーフェミア王国】。そのふたつを隔てるように拡がる深く、広大な大森林地帯が此処です。


 魔素が非常に濃く、常に魔力に干渉を受けるため開拓もままならない難所として有名で、そこに蔓延る魔物や魔獣は、他の場所のそれとは一線を画す強さと凶悪さを持つ、と言われています。


 因みにこの森は【魔界】へ、つまり北へ向かう程難易度が高くなるそうで、それも相俟って魔族の侵攻を防ぐことが出来ているようです。」


 ふむふむ。

 大陸が【ドラゴニス大陸】で、俺が居るのが【惑わしの森】ね。


 で、隣接するのが【魔界】と、【ユーフェミア王国】かぁ。

 国境線であり緩衝地帯ってところかな。

 まあ魔物や魔獣にいつ襲われるか分からないってんじゃ、怖くて軽々には戦争も出来ないよね。


「因みにこのダンジョン、魔界と王国のどっち寄りに在るの?」


 今後の重要な要素だよな。

 どっち寄りかで俺の立ち位置が変わってくる。


 他国からの干渉も頭に入れて、これからの計画を練らねば。


「このダンジョンは、【惑わしの森】の中央より大分南側に位置しています。つまり、【ユーフェミア王国】側です。」


 まじかー。


 魔族とたった一国で戦ってるんだよね? しかも周囲を他国に囲まれながら。

 何その国、強過ぎじゃない?


「【ユーフェミア王国】は、大陸第三位の大国です。特徴的なのは騎士団と魔導師団の他に、【冶金工兵団】などの特殊兵科を揃え連携を取る、独特な軍の構成です。


 中世の戦術と近代に近い戦術とが混ざり合った形で、それを王国最強の【魔導騎士団】が纏めており、戦略の幅の広さで戦での負けはほぼ無い、【常勝軍】と他国から恐れられています。」


 うん、早速先輩異世界人の痕跡を見付けちゃったよ。


 そりゃ強いよなぁ近代戦術。で、それをこの世界独自の魔法技術やらと組み合わせて練り上げたわけだ。


 内政チートってやつかな? 政治家でも転移して来たの?


 で、魔族と戦争を繰り広げるそんな強大な国が、魔族である俺のダンジョンのお隣さんと。

 あれ、これ詰んでね? ハードモードどころかヘルモードじゃね?


「マスター、どのような方針を取りますか?」


 状況は悪い。控え目に言っても絶望的だ。


 幼女かみさまも忠告してくる訳だよ。

 同じ異世界人が、その影響が敵方に回るとこうも恐ろしいとはね。


 うん。でも、決めた。

 自然と口の端が釣り上がってくるのを感じる。


「アネモネ。改めてこれからよろしく頼むよ。かなり大変だろうけど、俺も精一杯頑張るからさ、力を貸してほしい。」


 そう言った俺に対し、アネモネは微かに微笑んで一礼して応えてくれる。


 方針?

 そんなの決まってる。


――――【生き抜く】。


 走り回って、這いずり回って、砂を噛んででも泥に塗れてでも。

 胸を張って、生き抜いてやる。


 生き抜いて生き抜いて生き抜ききって――――


 この生を楽しんでやるよ。



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