そーいえば、すーさま


 淡い小さな光が集まったかと思えば、それは束になって弾けた。

 そこから姿を現したのは、人の手の平に乗ってしまうくらい、小さな小さな女の子だった。

 服を模した花弁を身にまとい、背からは水面の色が美しい蝶の翅。

 しばらく新緑の瞳が彷徨いスイレンを見つけると、そこに喜色が滲んだ。

 彼女が口を開けば、それは小鈴を転がしたような可愛らしい声だった。が。


『すーさまああああっ!!』


 開口一番。凪いだ水面に投石がなされたが如く。

 ミナモはスイレンへと飛び付いた。

 否。顔へと張り付いた。

 自身の頬をぐりぐりと擦り寄せ、顔を涙で濡らしていた。


『すーさまひどいですううう……。みなもちゃんを置いて行ってしまうんですからあああ……』


 おいおいと泣きながらスイレンへすがるミナモ。


『喚んでくださらないとみなもちゃん、すーさま見つけるの大変なんですよおおお……』


『はいはい、悪かった』


『気持ちがこもってないですよぉぉぉ』


 ミナモはすがり寄っていたスイレンから離れ、くすん、と鼻を鳴らしてみせた。

 スイレンの空の瞳が面倒くさそうに瞬き、くいと何かを示すように顎を動かす。

 その動きに倣ってミナモが視線を滑らせれば、目を丸くする一同にようやく気付く。

 あっと開けて口に手を添えて、目一杯の驚き。

 新緑色の瞳が慌てたように泳ぐ。


『挨拶』


 スイレンのその一言にはっとし、またもや慌てて花弁の服を整えた。

 忙しい奴だ。スイレンの嘆息は無視する。

 そして、服の裾をちまと小さくつまみ上げて。


『すーさまの眷属、みなもちゃんと申します』


 ちょこんと可愛らしく礼。

 所々妙な部分もあるが、まあ、及第点だろうとスイレンは思った。だが。

 そう。だが、なのだ。

 その後すぐに、どうですかどうですか、と褒めて欲しそうに振り向くのはやめろ。

 期待に満ちた視線がかゆい。

 はあ、と。疲れたように深い息を吐き出したスイレンだった。




   *




『ミナモ。この場限りだけど、俺の権限の一部を渡しておくな』


『えっ……! すーさまの一部を、みなもちゃんに与えてくださるのですかっ!!』


 つまりは、と。

 ミナモは頬を仄かに朱に染めれば。

 その頬に手を添え、恍惚したようなうっとりとした表情を浮かべた。


『みなもちゃんは、すーさまの一部になるということですね……』


『――……語弊のある言い方はやめなさい』


 そんなやり取りを繰り広げながら、スイレンとミナモの間に権限の貸し与えが行われているようだ。

 ようだ、というのはとある騎士の談。

 ひそひそからざわざわへと喧騒が広がる騎士達。

 彼らの間で交わされるのは、あれはなんだ、精霊なのか、そんな討論。


「精霊なのか?」


「精霊って、下位の……?」


「いや、下位精霊はまだ姿を保てない。精霊としては幼い存在のはずだ」


「けどよ、人に似た姿もしているよなあ」


「んー……。中位精霊は人の姿は持っていないから、上位……?」


「…………上位?」


「それに……しては……何と言うか……」


「小さいな」


「それだっ!」


 というのは、その中の一部の会話。

 ちょうどそれは、パリスの耳にも聞こえてきて。

 みんな好き勝手言ってるなあ、と呑気に思う。

 彼は完全に蚊帳の外な心境だった。

 たぶん、自分が関われる範囲は超えているのだろうと察してはいる。

 あとは事の成り行きを見守るだけだ。


『パリスよ。どうかしたのかえ?』


 そんなことをつらつらと考えていれば、うにょと頭をもたげた蛇がパリスの視界に飛び込んでくる。


『あ、ヒョオ』


『何かまた問題かえ?』


 ヒョオの瞳に剣が宿ったが。


『いや、違う。ただ、あの自称みなもちゃんがどんな存在かって、みんなが好き勝手討論してるのが何だか面白いなあって』


『そんなことかえ』


 それはパリスの応えですぐに霧散した。


『あれは自然霊であろう』


『えっ!? あの子、自然霊なの!? オレ、初めて見た……』


『幼精が自然霊へと昇華する際は自然の成りをまとうものだが……ミナモとやらは精霊の眷属だったゆえに、ヒトの想いにも触れてあのような姿になったのであろうよ』


 ヒョオの言を受けて、パリスはへえと声をもらす。

 自分の知らないことがまだまだあるのだなあと思った。

 これは、この討伐が終わった際に学び直してみるのも楽しそうだ。

 と、ちょっと思いを馳せて小さく笑った。





「――では、みなもちゃん様。よろしくお願いします」


 と、隊長はミナモへ騎士の礼をとった。

 みなもちゃん様。

 彼はふざけているわけではない。

 彼女はスイレンの眷属なのだ。失礼があってはならない。

 と、この上なく真剣だ。

 そして、当のミナモはというと。


「はいっ! このみなもちゃんにおまかせくださいっ! すーさまの眷属としてがんばっちゃいますっ!」


 どんと胸を張って宣言する。

 どうやら彼女、隊長のことを気に入ったようで。

 先程から彼の周りをぐるぐると飛び回っている。

 ミナモが扱う言葉が先程と違うのは、相手に合わせているから。

 スイレンに連なる存在ゆえに、言葉の使い分けも容易なのだ。

 権限の貸し与えとやらは無事に終わったらしい。

 少し離れたところ。パリスの隣に座るスイレンは、どこか遠い目をしていた。


『……どーかしたッスか? スイレンさん』


 パリスの調子はすっかり普段通りになっていた。

 そこに上位精霊に対する敬意も何もない。


『あー……いや、何でもないよ』


 ははっと笑う姿は、何でもないという様子ではなかった。

 ただ、疲れたような笑いだけが妙に響く。

 だけれども、スイレンの気持ちも、何となく察することができるパリスである。

 スイレンがぼんやりと見つめる先を、パリスも倣うように視線を向けた。

 その先には真面目な様子の隊長と。

 その周りをびゅんびゅん飛び回るミナモ。

 みなもちゃん様と呼びかける隊長と。

 すーさまを敬う気持ち、すごくわかりますっ、と。

 その周りをびゅんびゅん飛び回るミナモ。


『妙な光景ゆえな』


 冷めた目をするヒョオが呟く。


『隊長も真面目っスからね……。たぶん、あの呼び方は直らないっスよ』


 パリスが同情するような眼差しをスイレンへ向けた。


『……彼の精霊に対する敬う気持ちは感じている。だから、たぶん……ミナモもそれが嬉しいのだとは……思う、けど……』


 はあ、と深い息を吐き出して。


『ミナモが調子づくのは、煩くなるだけだ……』


『ふんっ。最初から小煩い小娘ゆえ、今更であろう』


 容赦のないヒョオの言葉がスイレンに突き刺さった。


『ああ、ああ。そーさ、そーだけどねー』


 きろっとスイレンがヒョオを睨みつける。


『やるときにはやるさ』


『やるときにはのぉ……』


『普段はあれだけど、俺の立派な眷属だからな』


 一歩下がった様子のヒョオと。

 何だかんだと、少しばかりむきになっている様子のスイレン。

 ちょっと面白いなと傍観者に徹するパリス。そして。


『すーさま……みなもちゃん感激です……』


 突如、にょきと顔を出したのは。


『ミ、ミナモっ!』


 先程まで隊長の周りを飛び回っていたミナモ。

 あれ、隊長はどうしたのか、とパリスが視線をめぐらせれば。

 騎士隊の皆に指示を飛ばし始めている様子。

 そろそろ事の成り行き見守りも終わりか。

 自分も動き出すべき頃合いだなと、ちらと隣の喧騒を見やる。

 きゃっきゃと騒ぐミナモに、鬱陶しそうなスイレン。

 これを眺めるのも楽しそうで、少し、いやかなり名残惜しい。

 が、本来の自分の役目を見失ってはならない。


『パリスよ、行かぬのか?』


 そんなパリスを訝ったのか、ヒョオが覗き込んできた。


『あー……うん、何だか面白そうで、名残惜しいなあって』


『ふんっ、ただ煩いだけであろう』


『ヒョオは冷めてるなあ』


 苦笑しながら、パリスは隊へ戻るために足を向ける。


『まあ、オレはオレの役目を――』


 果たすだけだよ、と。

 彼の足が浮き始めたとき。


『――あ。そーいえば、すーさま』


 きゃっきゃと騒いでいたミナモが急に大人しくなり、何かを思い出したというような声を紡いだ。

 その声に足を縫い留められたパリスは、好奇心に負けて振り向く。

 スイレンもその声に何かを感じ、両の耳がミナモの方へと向いた。


『みなもちゃんがすーさまの行方を探しているとき、マナの揺らぎを感じたんです』


『マナの揺らぎを……? どこから?』


『えーと……精霊の森の、奥深くから』


『……奥、深く……』


 スイレンがついと見上げ、彼の目元に剣が宿る。

 この場も精霊の森の奥深くなのだ。

 そのさらに奥となれば。


『大樹付近、か』


 大樹を睨むように、スイレンの空の瞳が細められた。

 だがしかし、と。スイレンの胸中に疑問がうまれる。


『俺は何も感じなかった』


 魔力感知には自慢ではないが自負がある。

 なのに、その自分が何も感じ取れなかった。


『すーさまほど感知は得意ではありませんから、みなもちゃんの勘違いかもしれません……』


 沈んだ声音にミナモを見やれば、しゅんと翅が力なく下がっていた。


『揺らぎといっても、あれ? マナが揺れたかな? って感じでしたし……』


 下がった翅は動く勢いもなくなり、浮力を失いつつあるミナモがどんどんと地へ近付いていく。

 が、彼女が地へ足を付ける前に、ふぁっさと白くて温かいものが掬い取る。

 それがスイレンの尾だと気付いて彼女が彼を見上げれば、空の瞳が見下ろしていた。


『いや、ミナモの感知は間違っていないと思うな。大樹付近は、一層ヒトは寄り付かないだろうし――』


 精霊を神聖視している面も少なからずあるヒトだから、精霊の森を神聖の地と定めた。

 そして、その王が住まうと伝えられている大樹ならば、まずヒトは恐れ敬い近寄らない。

 ヒトの足が途絶えるということは、自然と精霊も寄り付かない。

 ならば、その付近のマナ溜まりの濃度はいかほどか。想像するのも嫌になる。


『ヒトが寄り付かないとゆーことは、精霊も寄り付かない。なら、そこのマナ溜まりの濃度は?』


 はっとしたように、ミナモの新緑色の瞳が見開かれた。


『……マナの揺らぎも、覆い隠されて微弱に?』


『そーいうこと。だから、近くにいたミナモが、その揺らぎに気付けたんだろうなー』


 スイレンの瞳が柔らかく笑う。


『報告どうも、ミナモ』


『――……っ、すー、さまぁぁ……』


 新緑色の瞳がじわと潤み始め、その目尻に透明なそれが溜める。


『……仕方ない奴だなー』


 やれやれ、と。

 ため息をついたかと思えば、スイレンはミナモへ顔を寄せて、舌で彼女の小さなそれを一舐め。


『俺は浄化もあるし、その揺らぎも確かめないといけない。この場は任せるぞ、ミナモ』


 ぐいっと小さな手で目尻を拭ったミナモは、包まれていたスイレンの尾からどびゅんと勢いよく飛び出して。


『はいっ! みなもちゃんにお任せくださいっ、すーさまっ!』


 びしっと真似事。

 なんちゃって騎士礼で決めてみせた。



   *



 その場で転移していったスイレンを見送り、パリスが大樹を仰いだ。

 ヒョオもそれに倣って共に仰ぐ。


『パリスよ。何か気になるのかえ?』


『いや、何もないといいなあって思っただけだよ』


『うむ。……確かにな』


 さあと風が彼らの横を吹き抜け、ふわと木の葉を舞い上げた。


『ぱりすさま、ひょーさま。たいちょーさまのところに行きますよぉーっ!』


 ミナモの呼び声に振り返り、今いくよ、とパリスは声を上げて駆け出した。

 そんな彼らを見下ろす大樹がざわと大きく身を揺らしていた。

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