第112話 伏兵

 黒髪に青いカラーコンタクトの虹彩。顔たちはゲルマン系の美形であり、それにおごるように真一文字に閉じた口と淡麗と冷酷を同時に秘めた目は、典型的なスラブ人のそれだ。


 ジンドウの営業社員がそんや扱いに難い客人をもてなす。


「え〜〜。モロンスキー様、し、少々、この部屋でお待ちください」


 モロンスキーの人間味のない眼差しが、護衛兼通訳のオートマトロンに向けられ、翻訳された言葉をもって会話が成り立つ。


「はい」


 淡白に答え、再び口が固く結ばれた。


「え〜〜。それでは失礼します モロンスキー様」


 半ば逃げるように営業担当が部屋を出て行く。手動で開けられた扉が、手動でゆっくりと音が一切しないように閉じられた。


「……ふっふっふ」


 モロンスキーとは、キーラが取得した偽造パスポートの名前だ。

 モロンスキーことキーラ・アンダーソンは、応接室の艶やかな革のソファに深々と腰をかけ横柄に構え、背後に立つ狗井に話しかけた。


「私って完璧なロシア人じゃないですか?」


 機械に偽装したサイボーグが答える。


「私には、お前のロシア人の真似が上手いかどうかは分からない。ただ、無口で気難しい奴だという事は分かる」


「必ず上手く行きますよ。ロシア人がどうやって冷戦時代にジェットエンジンの技術的難所を解決したか知ってます?

 イギリスの工場に見学しに行って、その時にこっそり靴の裏に機密部品をくっつけたんですよ」


「そう言った事があったから、ここの警備は厳重なんだ。私は。ここは厳しいよ」


「まぁ、少しここで待機です。の方が上首尾に終われば、ここでのパーティーが始まります」


 虎視眈々とタイミングを見定めている2人に、時計の秒針の音が時間を測らせた。


ブー、ブー。


「おっ!」


 マナーモードの携帯が、キーラのポケットの中で震え、慣れた手つきで追加情報を得る。


「……東京の方は成功したそうです。さて、行動を開始しますか」


 そう言って、狗井に持たせていたカバンからノートパソコンと磁気記録媒体書き込み装置を取り出させた。

 

「さぁ、私のスキルをフル発動です。この会社のフリーパスを作りますよー」


 キーラがパソコンを手に取るのに合わせて、狗井が彼女を守るように部屋の出入り口に立つ。


 カチカチと作業の音だけが、延々と続いた。


「おい、誰か来るぞ」


 見張り役の狗井が、外部の足音を聞き分け、警告を告げる。


「後ちょっとです」


 パソコンのファンが一際大きく唸り、次に静止。


「よし、完了です」


 すぐさまパソコンを仕舞う作業に移る。


 キーラは、今しがたヴィズたちが東京のサーバーから盗み出した、最高クラスのアクセス権限のデジタルデータを受け取り、そのデータを磁気情報のカードキーとして実用性を与えた。


 素早く全ての物を元に戻して、キーラ自身もすまし顔で“ビジネスマン”の皮を被る。


 座り直したソファが軋むと同時にジンドウの社員が血相を変えて舞い戻った。


「え〜〜。大変長らくお待たせしました」


 その謝辞に、は手を小さくあげるだけで答える。


「え〜〜。モロンスキー様。………大変身勝手ながら弊社の方にトラブルが発生したしまい………その……この先の予定を明日に変更してもらえないでしょうか?」


 通訳のラグの後、キーラは予定通りにモロンスキーとしての立場の意見を伝えた。


「いいえ、この機会を逃したくありません」


「そうだ。この機会を逃すべきじゃない」と狗井が通訳ので答えた。


 その真意を見抜き損ねた社員は、客の無愛想で身勝手な要望に、顔の汗を拭った。


「え〜〜〜。相談してきます………少々、少々お時間をください」


 眉を傾け、困り顔で椅子から腰を浮かせる社員。

 その動作に呼応するように狗井が素早く動き、立ち上がって社員をエスコートさながらに背後に回る。

 その動きに合わせたようにキーラが“やってしまえ”とばかりに指を鳴らした。


「え?!」


 サイボーグの手が社員の首に巻きつき、気道と頸動脈を一絡げに閉塞。


「!?!?」


 社員の顔は、茹でタコの如く紅潮しながら一瞬の抵抗を見せたが、筋肉が弛緩を起こし、体は自重で床へとしなだれた。

 

 昏倒させた男をソファに横たわらせ、ネクタイを剥ぎ取りそれで両手を縛る。


「ふぅ……。すごい手際……あれですね。“ツレを起こさないでくれ、死ぬほど疲れてるんだ”ってやつです」


「別に殺してない。こいつにはのびててもらうだけだ」


「それで十分です。スマートにいきましょう」


 キーラは大きく息を吸い、応接室を出た。


 ジンドウの社内だけあり、目に映るすべての人間がジンドウ・コーポの関係者なのは当然で、統一された服装、細部まで注意の払われた身だしなみ、全員が全員、忙しそうな雰囲気を醸し出している。


「すごい場所ですね。これだけの人数がいるのにサボってる人がいませんよ」


 人の流れに飲み込まれるように廊下を歩くキーラ。その後ろにはピタリと狗井が並ぶ。


「巨大企業。私なんかよりよっぽど人間味がない連中だ。ほら、あの張り紙を見てみろよ」


 狗井が指差したのは、天井を徘徊する蜘蛛型監視カメラに吊るされた垂れ幕。


「休み時間には社訓を読みましょうだってさ」


 機械の蜘蛛は、オフィスの天井から社員の勤務態度を監視している。


「変わったルールですね」


 キーラの呟きに、真っ黒なバイザーの裏から感情的な言葉が漏れる。


「アオが私の頭ん中のバグを探すのと同じ事を人間にも同じようにやっているだ」


「狗井さん。クールにいきましょう」


 婉曲えんきょく表現で社愛心と同族意識を啓発する社訓が唱えられている環境でありながら、明らかな異物である2人は排除されていない。

 正規の社員たちには2人が見えていないかのようになんのお咎めもなく社内を歩き回った。

 

「それにしても、お前も対した度胸だ。こんな場所でも平常運転ができるんだからな」


「木を隠すなら森の中ってね。ゲームだとこう言うシチュエーションは結構あるから慣れているんですよ」


 1人と一機は何食わぬ顔で社員用エレベーターに乗り込む。


 部外者が乗り込む前にドアを閉めた。


「利用者を見張るなんて、いやらしいセキリティですね」


 そう言いながら、ニヤニヤと笑うキーラは、エレベーター内に設置している乗員識別用カメラを有線で自分のパソコンと同期させる。


「私たちが向かっているような重要区画だと、カメラを通してその区画の担当者に降車許可を得ないといけないんですけど、私たち不法侵入なので、ちゃちゃっと細工します」


 キーラが細工した結果。

 監視カメラの映像は2人を写していたライブ映像から巻き戻り、約1週間前に椿がこの階に降りた時の映像が映った。

 

 「たかだか、エレベーターを乗り降りするだけでひどい手間だな」


「馬鹿馬鹿しいように見えて、なかなか馬鹿にならないセキリティですよ。相手が私じゃなければね」


 キーラは、ドヤ顔でカメラに割り込ませた映像と動きが重なるようにエレベーターの階層パネルを押す。


 行き先を指定されたパネルが点灯し、続いて監視カメラに中継開始を示す赤いランプが灯った。

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