第83話 欲張りな写真屋

「キーラちゃん。夕方にパスポートを受け取りに行くから同行して」


「はい。ルーリナさんの容姿だと保護者が必要ですからね」


「えぇ。1人じゃ、怖くて泣いちゃう」


 日がインド洋に接した頃、ルーリナとキーラは、他のメンバーを船に残し、チャタ・ポムの街へと繰り出した。


「なんというか、青とか黄色の街灯だらけで、この街って毎晩お祭りムードですよね」


 キーラに手を引かれた人混みの中で、ルーリナは空気の匂いを確かめた。


「アジアン風のけばけばしい照明に、香辛料の匂いと香水。過ちを侵しやすい雰囲気だよね」


「ニューヨークのチャイナタウンを思い出します。ドラゴン通りの端っこに美味しいジャージャー麺の屋台がありました」

 

「エスニック料理は食べれる口なのね。チャイナタウンもここも夜の歩き方は一緒。フリードリンクのカクテルは飲まないとか、2人組の輩からはからは距離を取り、公衆トイレは使わなとかね」


「わ、分かってます。………路上強盗対策に、胸ポケットにはどれくらいの金額を入れておくべきでしょう?」


「今日はいらない。私が守ってあげるから」


 2人は、雑談を交えながら煌びやな繁華街を観光することなく通り抜け、例の色街のある区画まで進み、そこでもポン引きや客引きたちの英語での勧誘には目もくれず、目的地へと向かった。


「あっ………」


 目的地の店に向かう裏路地を前にキーラは足を止めた。通りの入り口のすぐ横に3人のラフな現地人がたむらしていたからだ。

 しかも3人で一つのタバコを回して吸っており、皆片手には酒の缶を携えていた。


「キーラちゃん。そそくさと進んで」


 キーラはルーリナを引っ張るように男たちの真横を通る。その時。ルーリナは能天気に男たちに声をかけた。


「あなたたち、楽しんでるー?」


 男たちは、微睡んでいるような目で手を引かれている少女を眺め、緩慢な仕草で手を振り、マリファナの臭いを振り撒いた。


 男たちはそれ以上の反応を示さず、キーラとルーリナは無事に個人経営の写真スタジオへとたどり着いた。

 

「し、し、心臓が止まるかと思いましたよ!? いや、2秒は止まっていましたね」


「2秒なら大丈夫。そのくらいなら吸血鬼の許容範囲だよ。

 うん。それに、あの連中はドオの用心棒ではないね」


「な、なんでそんな事が分かるんですか?」


「……逆に聞くけど、ハッパとお酒で夢見心地の連中に何が出来るのか教えて?」


「……………ウザ絡みとかですかね、ヴィズさんみたいに」


「ふふっ。さてさて裏取引といきましょう」


————————————————————


 店には、ルーリナが先導して入った。


主人ミスタードオさんミスター・ドオ。旅行関係の依頼をした者だ」


 一瞬の間の後、店の奥からガサガサと音を立てて、ビール瓶を手にした、みすぼらしい店主が顔を出した。


「OK、OK。出来てるよ………」


 比較的白いシャツに、両方の膝が露わになっているチノパンという出立ちだ。

 ドオの目線は、一瞬だけルーリナを見ると、吸い寄せられるようにキーラに向き、全身を舐め回した。


「お嬢ちゃんに………美人さん。ようこそ、どうぞ奥へ来て」


 ルーリナは、その目線と質の変わった笑顔から、ドオが“なぜ人を連れてきたのか”という警戒や疑惑ではなく、キーラの容姿に色気を見出していると見抜く。


「確認させてもらうよ」


 ドオに案内され、2人はカツラや服、撮影機材などが散らかっている、 店の作業場へと入った。


「2人は、ビールを飲むかい?」


「いいえ。いらない」


「私もけっこうです」


「オレは飲むよ」


そう言って、大きなクーラーボックスを開け、氷水に浮かぶビール瓶を取り出すドオ。

 彼は酒をあおりながら、3通のパスポートを手渡した。


「ほら、これがチップ入りのロシアとブラジルのパスポートさ」


 それぞれにレイチェル・カリフォルニアというブラジル国籍のダークエルフとリオナ・ホリハラというなのブラジル国籍のハーフエルフ。ナスターシャ・モロスキーというロシア国籍の白人女性が記載されている。


 英語話者であるヴィズには、米系の名前で、彼女の日本語通訳を兼ねるローレンシアには日系の名前を当てることで統合性を整え、キーラはロシアの会社の社員であること矛盾しないようにされていた。


「ドオ。写真とサインを書くことだけなら誰でも出来るのだが、チップはどう証明する?」


「空港と同じ機械持ってる、それで確認する」


 ドオは、自慢げに説明すると洋服ダンスの奥に隠してあった磁器読み取り装置を引っ張り出し、起動させた。


 ドオが装置を操作している間に、ルーリナはキーラに目線を投げる。


「あれ、おもちゃじゃないよね?」


「え、あっはい。本物です。あの機械のメーカーはイギリスの会社で、起動させたソフトウェアも同じ提携会社のものなので純正でした。

 あれはタイの空港で使われてメジャーなやつで、シェアの大半はそのイギリスのメーカーですので、本来使っちゃダメな人が使っている以外は問題無さそうです。どうやって手に入れたんでしょう……」


「お嬢様がた、準備出来たよ」


 パスポートのチップを機械に読み取らせると、モニターには間違いなくパスポートの記載内容と同じ情報が表示された。


「確認完了。ドオさん。見事な腕だ」


 ルーリナの賛辞にドオはサムズアップで答え、パスポートを紙袋へと放り込み、口元だけの笑顔を浮かべた。


「さて、残りの報酬を払ってくれ。まず20万だ」


 差し出されたドオの手を、ルーリナが遮る。


「ドオさん。まず、とはなんだ。それにパスポートの原本と写真はどうした?」


「お嬢ちゃん。パスポートを80万で作っただろう? 原本の保管費と保管手数料は別に100万だと………言ってあったよね?」


「ふざけるな」


 「落ち着いて、お嬢ちゃん。原本は大手の金庫に保管してあるから、お金を払ってくれれば10分で持ってこられる。私にとっても君にとっても一種の保険だよ。

 オレはあなたに裏切られないし、あなたが代金をちゃんと払えば、そのパスポートの秘密がバレることはない」


「馬鹿も休み休み言え。この辺にそんな金庫はない。今すぐ返さないと———」


「交渉は冷静に、だよ。お嬢ちゃん。お金が払えないなら………」


 ドオはそう言うながら、ルーリナからキーラに目を向け、彼女の胸を鷲掴む。 


「ひっ!!?」


粘ばつくような笑みを浮かべる男。


「2時間ほど。別のもので補充してもらいたいね」

 

 ルーリナは天を仰いで呟いた。


「はぁ………分かった。分かったよ——」

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