第48話 旧支配者の系譜

イタリア領ディ・ポスカロテ島


 ルーリナは、その島の土を踏むといつも圧巻された。

 その島は、徒歩で一周3時間程度の規模があり、なだらかな草原地帯と小さな港、一つだけ“城”と呼んでも差し支えない立派な豪邸があるだけの土地で、この島は個人の持ち物だった。


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 ルーリナは、その古くからの友人の住む豪邸に尋ねると食事に招かれた。


 通されたのは白い石材の広間、蝋燭の間接照明、調度品はイタリアのルネッサンス期後期の物か1600年代初頭のトルコ(オスマン帝国)の物が織り交ぜられていて、その持ち主が、地中海地域の文化を愛している事と、それを骨董品で表現できるだけの財力を持っている事を表していた。


 開け放しの窓からは、穏やか潮風が届き、その向こうには、彼の有名なシチリア島とイタリア本土の朧げな灯りがきらめいていた。


「お久しぶりです。義母おかあさま」


 そして、この会食の主催者は“世界でも最も成功した吸血鬼”の1人グレイス・スカレッタ。ルーリナをしても彼女のコネクションは把握出来ていないが、少ないともヨーロッパの文化圏でこの吸血鬼にNOを突きつけられる人物はほんの一握りしかいない事は確かだった。

 

 グレイス烏の羽を思わせる艶のある黒髪をきれいに背中に流し、パーティー用の真紅のドレスを着込み、ドレスの紅よりも深く透き通った赤い目でルーリナに挑戦的な目を向けていた。

 若く野心を秘めた吸血鬼の視線の先には、二つのワイングラスがあり、それぞれに鮮やかな色の赤ワインが注がれている。


「どうぞ、比べてみてください」


 グレイスの勧めを受けたルーリナは、まず右のグラスを手に取り、匂いを味わった。

 樽のフタを開けたまま放置したのかと思うほど匂いは薄く、そこから想像する味にもあまり期待は持てない。

 金髪の幼い容姿の吸血鬼は、ゆっくりとグラスを口に運び、舌、口内、鼻腔でその風味を吟味。


 結論は、“悲劇的”だった。


 この赤い色の汚水から、まず感じたのは、無駄に強いブドウの臭い。この匂いだけで言えば腐ったブドウの汁のよう。続けて訪れたのは原料のブドウの質に起因した中途半端なコクと深みの無い酸味。

 総じて雑と吐き捨てるべきおぞましい物だった。

 残った余韻は、質の悪い皮付きブドウの腐った汁そのもので、これを消すためならシャネル香水でも飲めるだろう。


 ルーリナは、その一連の不快感を澄ました顔で隠し通し、口をリセットに付け合わせのオリーブに手を伸ばした。


 ルーリナの様子をじっと観察するグレイスは、成熟した女性の美貌と妖艶な仕草とは不釣り合いなほど浮ついた好奇心に目を光らせ、とてもこの状況を楽しんでいるようだった……。


 ルーリナは、それに気がつかないフリをさして、もう一つのグラスに手を移した。


 最初のワインの不味さは完全に隠し通した自信があったが………次のワインは完璧な代物で、演技をする必要は無かった。


 ルーリナは対面を取り繕いながら2種の味見を終えると、グレイスも緊張をほぐす様に椅子に座り直した。

 

「ルーリナ様がお気に召したのは、54年物のミレータですよ」


「なるほどっ! 通りで!」


 有名なだけに美酒で、さらに54年物は傑作の名高いワイン。ルーリナは頬を緩ませながら、心には“飲み過ぎない事”としっかり注意書きをした。

 グレイスも同じワインを嗜み、息を呑むほど妖艶にうっとりとした表情を浮かべた。


「そして、ルーリナ様が最初に選び、ゲルニカのような顔をなさった方は、私のところで醸造したワインです」


 ルーリナは、決まりが悪く目を伏せ、グレイスは悪戯心をひた隠しにルーリナを責めるような目で見つめた。


「お気になさらず。……私は大変心を痛めていますが、配下からイエスマンを見抜くために使ってるくらいですから」


 グレイスは、自らのお手製ワインの臭いを嗅ぎ、身震いを起こした。


「愚弟は、“イケる”と言ってましたけどね、元々鼻詰まり声の馬鹿舌でしたが、アメリカではチーズバーガーだけを食べているのでしょう」


 ルーリナは、苦笑いを浮かべてアメリカ吸血鬼の犯罪王であるソニー・スカレッタの顔を思い浮かべた。


「設備や勉強だけでは普通のワインすら作れない。ワインとは素晴らしい文化ですよ、全く」


 ルーリナは、目の前の偉大な吸血鬼がいつになく饒舌だと気がついた。


「グレイス、あなたらしく無い。飲み過ぎじゃないかしら?」


グレイスはつまらなそうに目を細めた。


「ルーリナ・ダァーゴフィア・ソーサモシテン様の来訪となれば飲みますよ、心筋梗塞を起こしかねないほど緊張しますからね」


 グレイスは、そう言いながらさらにグラスを傾ける。


「それに、こうやってとゆっくり話せるのは久しぶりですから」


「やめてよ、グレイス。私は……そんなんじゃない、それにあなたの本当の母親、アリーチ・スカレッタに失礼で、不敬よ」


 グレイスは、ルーリナの言葉に真っ向から反論する度胸を持っていた。


「私がこの組織を運営して、繁栄させているのは本当のお母様への最上の敬意の表し方です。

 そして、私がこの地位にいるのは紛れもなくルーリナ様のおかげではありませんか。否定はさせません」


 グレイスの言葉に淀みはなく、シンプルに彼女の本質を表していた。

 彼女は、どの世界でも支配者に上り詰める技量と支配者としての器を持ち、その証拠に経済界の重鎮として真っ当に振る舞いバチカンからは聖者として洗礼され、政府からは名士として叙勲されている。

 それと同時に、邪魔する者を1人も生かしていない。

 グレイス・スカレッタは、狂気に取り憑かれる事もなく、正気に枷をつけられる事もなく、その両方を使い分け能力を持っていた。


「じゃあ、今夜は泊まろかな?」


「大丈夫ですよ。必要ならシャンパーニュから酒樽を盗ませますから」


 グレイスが塩漬けオリーブをカリッと噛み、ルーリナは、ゆっくりとワイングラスを傾けた。


「じゃあ、まず軍用の小銃用弾薬と、もし可能ならトレンチガンが欲しい」


 グレイスは、一瞬だじろいだがすぐに笑顔を見せた。


「トレンチガンなら連合軍が置いってった物がここだけでも50丁は残っています。お時間をくれれば梱包してリボンを付けます。

 弾の方は……今日、明日というわけにはいきませんが、2週間あれば用意できます。もちろん、違反行為は無しでね」


「さすがね」


「何をおっしゃいますか、あなたが教えてくれたことを覚えているだけですよ。

 武器生産国は、自国の需要の範囲に生産量を抑えることが出来ないので、余剰が常に出回る事、そして、条件を揃えれば、非常に儲かる合法的な商売だとね」


 ルーリナは、自身の先見の明よりも、世界の普遍性を嘆いてワインを煽った。


「それに、ルーリナ様。私は武器はどう使われるか選べませんが、武器をどう使うか分かる連中にしか売らないというルールも守っています。

 おかげ年間優秀武器商には載れませんけどね」


 ルーリナとグレイスはお互い敬意と畏怖を抱きながら、家族のように酒盛りを続けた。

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