第28話 狙撃手と異常者の心理戦

 東の地平線が僅かに白む薄暮の中、二人は、数十時間ぶりにまともな舗装路に戻った。

 道は相変わらず長大な直線が続いていて、マスタングそれまで通りに路面の砂埃を蹴散らしながら進む。


「ラテ……ラッテ………。あー、もう!

 スペイン語の地名を英語で書いてあるので、一文字消えたら、もう何も分かんないですよね」

 

 そう言って、キーラが前方の道路標識に目を細める。

 巨大な道路標識で、キャットウォーク点検通路まで設置された大型のタイプ。


 マスタングは高速で走り、荒れた路面ゆえに蛇行している。

 キーラは、バンドルを握り締めながら、標識をさらに凝視し続けた。


 そして、ある事に気がついた。地名の文字は消えているわけではなく、のだと。


 瞬間。


 フロントガラスの中央に穴が穿うがたれる。2人とも銃声は聞いていない。


 7.62ミリ口径の弾丸は、拳銃と比較にならないほど大きな銃声を出すが、発砲地点から距離があった事、荒野の風と車自体の騒音に掻き消されていて、2人が耳にしたのは、ペシッという弾丸がガラスを突き破る音のみ。キーラに限っては、それが狙撃だったという事すら分からなかった。


狙撃手スナイパー!!」


 ヴィズはベトナムで似たような事を経験していたので、すぐに身をかがめる。


 その数瞬後、フロントガラスに無数の穿孔が走った。ガラスに無数のヒビが入り、シートや内装にいくつもの弾痕が生じて、座席の中から黄色いクッション材が飛び散った。


 そして、凶弾の1発が運転するキーラの首を撃ち抜く。


「ぎゃっ———!?」


 フロントガラスを突き破ったライフル弾は、キーラ首を捉え、気管を貫き、脊椎を掠めて、後部座席へと抜けた。

 キーラの喉から血が吹き出し、血の一部は気管から肺へと流れ込み、吸血鬼の意図に反してガラガラとうがいするような喘鳴ぜいめいを立てさせる。


 吸血鬼である彼女にとって、この程度の負傷は致命傷に至らないが、彼女はあくまで一般人。

 狙撃された恐怖、血に肺が溺れる苦しみでパニックを起こし、脚はアクセルを限界まで踏み込み、腕はハンドルはめちゃくちゃに回した。


 その結果、暴走したマスタングは、狙撃地点の標識を通過した後、約150mほど先でスパイラル状のタイヤ跡を残して乱暴に停止した。


————————————————————


 強力なGに振り回されたヴィズは、不意に自分の乗っていたヘリコプターのテールローターにロケット弾を受けた事を思い出した。


 制御不能に陥った機体は、ジャングルの木々の上に墜落し、宙吊りになり、意識を取り戻したヴィズは、ドアガンナー用のM60軽機関銃に引っかかって一命を取り留めていた時の事だ。

 

 ヴィズはその時と同じ事をボヤく。


「クソッ。なんで補足されたんだ?」

 

 彼女は、キーラが撃たれた時に耐衝撃姿勢を取っていので負傷は無かったが、状況は理解できていなかった。


 それに対して、キーラは銃撃と急停車の衝撃で頭を打ち気絶していて、体は力なくハンドルにもたれかかっている。


 吸血鬼が受けた傷は既に回復し始めていて、ヴィズは早々と頭を戦場の思考へと切り替えた。


 そして、座席の足元に自身の体を押し込み、サイドミラーとバックミラーを駆使して状況を探る。

 エンストを起こしたマスタングの車内は静かで、接近してくるオートバイの2サイクルエンジンの音が良く響いていた。

 

 ダークエルフは、自分たち制圧されつつあると理解する。


「厄介なのはクソ狙撃手。こっちの頭を押さえやがって……チクショウ!」


 そして、対策を練った。


 ヴィズは、リボルバーとブーツに差したナイフを自身の身体の下に隠すと、キーラの血を手に取り、自身の顔に塗りつけて自分を死体に偽装。

 血と排ガスの濃厚な臭いが立ち込める車内に相応しい姿になって、敵を待った。


 マスタングの後方にバイクを止まり、二手に分かれる襲撃者。1人はヴィズのいる助手席に近寄り、もう片方は運転席に向かった。


 ヴィズは息を殺してタイミングを図っている。


 襲撃者たちには余裕があるのか、無駄口を叩いているのが聞こえた。

 

「あの男。恐ろしい腕だ」


「おい、変な事を言うと一緒に埋められるぜ? 

 ブルー。口が悪いのはアールをだからな」


 襲撃者3人は、無線で連絡を取り合っているらしくグループチャットをしながら、窓越しに45口径オートマッチが車内を覗く。


「予定通りボロ車に、ネェちゃんが2人。運転手は……白人だ。ブルー、生捕り対象を撃ったぞ」


「おい、こっち助手席がダーキーだ。

 事故で……背骨が折れてるな。

 理由はよく分からんが、そっちの運転手がターゲットで間違いない。吸血鬼なら手当すりゃあ助かるだろう」


 運転席側のドアが開かれ、襲撃者の1人がキーラを引き摺り出そうとするが、シートベルトをしていた為に手間取る。


「ガキ臭いが良い女だったろうに……」


 その間に、もう1人がヴィズを引き摺り出そうと右腕を掴んだ。その男は彼女の手に武器が握られている事に、まだ気がついていない。


「うぅぅ。痛い……」


 そのタイミングで、キーラが意識を取り戻し、うめくいた。


「おぉ!? 生き、生きてた!!」


 彼女を担当した襲撃者が驚いて跳ね退いた時。

 その千載一遇のチャンスにヴィズが動く。


 彼女は、迅速に左手のナイフで男の拳銃を持つ手を切りつけ、右手はリボルバーを持ったまま男の首へと回す。そして頭を自身の方へと引き寄せ、耳を打ちでもするかのようにして、男の耳をインカムごとを


「ぎゃぁぁああ!!!——」


 男の絶叫が車内に響く中ダークエルフは、左手のナイフを男の腹へと突き立てる。

 一連の攻勢は、完璧な不意打ちで男は何も対応できなかった。


「アール———」


 キーラを連れて行こうとした男が状況を理解する前に、ヴィズはリボルバーを構え、弾倉内の5発全弾をその襲撃者に叩き込む。

 弾丸は、2発が男の顔に、残りも全て彼の上半身に命中。

 撃たれた男は、“何が起きたのか分からない”という表情のまま顔から血を流し、ドアにもたれかかるように絶命した。


 そして、ヴィズはもう1人の襲撃者の後始末に移った。ダッシュボードに何度も襲撃者の頭を叩きつけた後、ナイフを腹から引き抜く。

 

「キーラッ! エンジンを掛けろ!」


 ヴィズの命令に、朦朧とする意識でエンジンを掛けるキーラ。

 襲撃者の無残な耳についた無線機から声が漏れる。


「おい! どうなってる?!」


 車内には、絶叫に無線のノイズが混じり阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている。ヴィズはナイフで襲撃者の顔を切り裂き、男の顔に、慣れた手つきでの魔法陣を刻みつけた。


 この時、ヴィズの行った人体への爆裂術式の篆刻てんこくは、もともと死体を利用したブービートラップの手法だったが、ヴィズはこれを相手は生きた人間に施した。

 この手法は、ベトナム独立戦争下の前線で密かに捕虜に行われた処刑方法で、ブービーメイドトラップ間抜けで作った罠、あるいはと呼ばれる方法だった。

 男の肉片が混じった唾を吐きながら、ヴィズは笑う。


「スコープ越しならさぞかしよく見えるでしょうね」


 ヴィズは、多くの歩兵と同様に敵狙撃手を極度に嫌う。狙撃手が、神出鬼没で致命的な精度の射撃をしてくるからだ。


 そして、ヴィズは、狙撃はとても精密な作業である事も知っている。

 放たれた弾丸が、長い距離を経て標的に命中するには、いくつもの複雑なプロセスが存在し、狙って当てるという技術は、それだけでも非常に高等な技能だと言う事を踏まえていた。


 だから、ヴィズは、その精密作業を狂わせる為に、囮を作った。


キーラがマスタングを走らせ始めた時。

 ヴィズに細工された男は、満身創痍で車外に追い出され、デコイ擬似餌にされていた。


————————————————————

 

 CIAの工作員ブルーは、軍で、“自分たちが最強”だと学び、中東の戦場でそれを証明してきた。


 利き目はスコープ越しにマスタングの車内を、もう一つの目は、マスタング全体を捉え、指は常に引き金に触れていた。


 仲間の1人が車内に引き込まれ、彼の死角から砲火が見えるともう1人の仲間が倒れた。


「おい! どうなってる?!」


 ブルーは、ここで自身の脈拍が跳ね上がった事に気がつき自制しながら様子を探った。

 すぐに引き込まれていた仲間が車から放り出され、同時にマスタングが始動した。


「ちっ。逃がさないぜ」


 狙撃手は、加速する車両に対し、狙いを定めてリアタイヤを狙う。


 距離は、測定出来ている。マスタングが巻き上げる砂塵は、風向きを測らせ、脳内に弾道の方程式が組み上がってゆく。


 その時、マスタングの加速を偏差している狙撃手のスコープに仲間が見えた。


「————あのクソ野郎!」


 仲間の1人は助けを乞うよに、狙撃手の方に手を差し出し、その姿はスコープで何倍にも拡大されて狙撃手の目に飛び込み。


 


 肉体そのものが吹き飛んだ。


 爆裂術式の性質上、人体の爆薬化は、水風船に火薬を詰めて手榴弾を作ろうとするのもので、爆薬としての効率は最悪だった。

 だが、人間が跡形もなく爆散する様は、目撃者に爆発物と同じかそれ以上の心理効果をもたらす。


 動揺を誘い、恐怖を植え付け、精神を砕く。


 仲間が、人の形を失い、骨と肉の破片となって、砂漠の道の上でシミに変わる光景には、優れた工作員にして、ベテランの選抜射者であったこの狙撃手でも硬直してしまう。


 立ち尽くし、暫くしてから我に帰った。


「あのサイコ野郎……」


 その時、既にマスタングは地平線を超えていた。

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