第27話 穏やか夜、静かな夜、眠れない夜

 時刻は夜。赤土と岩石の荒野は、月の光で朧げな銀色だった。


 キーラが走ったテキサス州クエリコ近郊からの道は、荒涼とした土地にコヨーテが蔓延り、石器時代から放置れたような廃車が点在する。ポストアポカリプ文明崩壊後風情が満ちていた。

 そんな道を進み続け辿り着いたアリゾナ州も、それまでと変わりなく赤土と岩、サボテンだけの世界。


「ハンドルとかの摺動部は触らないように。グリス油で真っ黒になるから」


 キーラは、ハンドルの奥を確認し、ヴィズはタバコに火をつけた。


 青白い荒野を眺めながら、ヴィズが尋ねる。


「キーラ、あんた……恋人は?」


 キーラは不快そうな表情を浮かべた。


「いませんよ、そもそも興味ないので」


 ヴィズは、興味なさげに相槌をしてから呟いた。


「そう。私はいた、婚約者が2人もね」


 苦手な雰囲気を察知したキーラは、話を終わらせようと試みた。


「へー、そんなんですか………なんでそんな話を突然始めるんですか?」


 ヴィズは、吸血鬼の思惑など察しない。


「んーん、思い出したから。1人目はベトナムで知り合った。ライトマシンガンと筋トレの合間に私に浮気してくれるようなマッチョでさ、ある時、爆弾で靴箱一杯のサイズになって基地に戻ってきた」


 キーラは心の中で舌打ち、ハンドルを握りしめる。


「あ、あのー、聞きたくないです、そんな話」


ヴィズはその態度を鼻で笑った。


「いいから、いいから。次に知り合った男は、自称元グリーンベレーって言ってたけど、拒食症のアメンボみたいな体の男で、陰険だけど人を笑わせるやつだった。出会ったのは90年にアル中の更生施設。90年って何があったか知ってる?」


 ヴィズの質問に、渋々と答えるキーラ。


「……湾岸戦争ですか?」


「そう。私とそいつでイラクに出兵するっていうネイビーシールズの連中と喧嘩してさ、シールズどやり合ったって武勇伝を作ったの」


 キーラから見て、ヴィズはあからさまに心ここにあらずという風で、突然自殺しそうな危うさが滲んでいる。


「本当にやめませんか? ちょっと様子変ですよ?」


キーラの話を全く聞かないヴィズ。


「湾岸戦争って、どこの国が勝ったか知ってる?」

  

 キーラは、無視するわけにもいかず、怒った雰囲気を出して答えた。


「そりゃあ、もちろん、アメリカを含めた国際連合の連合軍です。テレビで逐一放送されてましたし、イラクが降伏してからはお祭りムードだったようでしたから」


 キーラの答えを、ダークエルフは皮肉げに鼻で笑い、感情の読めない無表情で続けた。


「そうね、辛かった。私たちが帰ったときは、子供殺しの連続殺人犯呼ばわりだったのに、イラクから帰った彼らは英雄だった」


 キーラは何も言えず、ヴィズは短くなったタバコを投げ捨て、吸い殻は流れ星のように荒野に消えた。


「でさ、そんな辛さを分かち合うと思って、当時、私の最愛のダーリンに会いに行ったの」


 声の出なかったキーラは、ヴィズの口から出た“ダーリン”という言葉を笑うべきだったのか迷う。

 その間にヴィズは次のタバコを咥えた。


「で、会いに行ったら、頭を撃ち抜いてた。冴えたジョークを生み出してた脳味噌が天井に張り付いてるのを見て、他人を頼る事をやめた。ベトナムでは単独の任務を多くこなしたし、生きるのは得意だからね」


 それからヴィズは一言も話さなくなり、タバコを吹かすだけの置物のようになったので、キーラは全神経を使ってヴィズにかける言葉を選んだ。


「ヴィズさん。泣きたかったら、胸を貸しますよ?」


 キーラの言葉を聞いたヴィズは、とてもひどくタバコにせる。


「ゴホッ、ゴホッ、……クソ、話すんじゃなかった」


 ダークエルフは、複雑な感情を押し流すためにウィスキーを喉へと流し込んだ。


————————————————————


 ヴィズが酒を力を借りて寝息を立て、彼女独自の理論の講話から解放されたキーラの心情は子を寝かしつけた気分だった。


 そして、空はまだ黒い。


 夜目の利く吸血鬼は、視力、動体視力、深視力どれを取っても人間やエルフの比では無いが、その吸血鬼の目を用いても、走っている道路の先は地平線への向こうへと続いている。


 キーラは、土と鉄しかない世界で、アクセルを踏み込み、V型8気筒エンジンの唸りと助手席のダークエルフの寝息に耳を澄ました。

 荒野の端まで轟きそうな排気音と未明の砂漠地帯の冷えて澄んだ空気は、この若い吸血鬼に、陶酔感をもたらし、わざとエンジンを唸らせて走らせた。

 

 道のうねりで車体が跳ね、ヴィズが目を覚ました。


「大丈夫、運転交代する?」


 顔は、寝顔を崩さないままダークエルフが尋ねる。

 もちろん、キーラは断った。


「いえ、夜が明けたらでいいですよ?」


 「そう」と短く答え、ヴィズはラジオに手をかける。


 ノイズが酷く、音声は宇宙の言語のように乱れている。


 ダークエルフが窓から身を乗り出して、屋根のアンテナを調整すると、相変わらず酷いノイズ混じり。


『ニューオリンズ郊外で、ギャングの抗争と思われる虐殺事件が発生』


「キーラ。残念だけど、このニュースは他人事じゃないと思う」


 タバコを咥えるヴィズ。紫煙が雲のようにたなびいた。


 「今宵、アメリカは泣くってね」


 キーラは、このダークエルフが、頭を回転させる時にタバコを吸う傾向がある事を理解していた。


「今夜? アメリカ? なんか有名な言い回しですか?」


「63年。テキサスで大統領が撃たれたの知らない? 

 ラジオのついてる車や電気屋に人が群がって、まるで時間が止まったようだった」


 キーラは、そもそもほとんどラジオを聴いた事がなかったので、ヴィズの話をいまいち意味が理解できない。


『殺害されたのは人間至上主義者団体のメンバーたちで………』


 ラジオを切り、ほぅと柔らかく煙を吐いたダークエルフは、そのままじっとタバコの火を見つめている。

 キーラは、ダークエルフがその仕草の裏では、ラジオニュースからの情報を組み立ているのだろうと感じ取っていた。


 ダークエルフの咥えたタバコが、口の端によせ口を開く。


吸血鬼を狩っているのか、誰を狩っているのか、知らないけど、少なくとも……誰かのキルリスト殺害計画表には、キーラ・アンダーソンの名前が載っていて、ルーリナって金持ちだけがそれに反論してるって構図が出来上がってる」


 ヴィズが煙と共に吐いた言葉は、そのまま車体に沿って後方へと流れる。

 キーラは、敢えて逸れた返答をした。


「でも、良くあるストーリーだと、実は狙われているのはヴィズさんかもしれませんよ?」


 キーラの思いつきに、ヴィズは声も出さずに笑い、タバコの灰を窓の外に流した。


「私という要素はね、捨て駒を選んだに過ぎないの。

 ……こっちでは、私は殺される程特別な人間じゃないからね、なら誰もをかけない」


 キーラはその言葉に納得し得なかった。

 というのも、本質的にキーラとヴィズでは、見ている世界の深度が異なる。

 表面的な意思疎通を除いて、未だに深い溝が存在しているのだ。その証左として、キーラは、ヴィズの言う“こっち”を聞き流して反論する。


「それだったら、私だって——」


“殺される程特別ではない”と言いかけて、ヴィズが遮った。


「えぇ、あなたはオマケ。きっと、あなたの血筋、親とか先祖に因果あるのよ」


 ヴィズは、キーラの事を表面的にしか知らないが、大の大人達が子供を殺そうとする理由には知見があった。

 その知見から発した言葉にキーラが尋ねる。


「な、何か知ってるんですか?」


かぶりを振る、ヴィズ。


「何も知らないよ。ただ、吸血鬼っていう特殊な種族の小娘に、こんな規模の陰謀がのし掛かるとしたら、いわゆる、しかないでしょう?」


 短くなったタバコを投げ捨て、続けてもう一本を取り出すヴィズ。

 タバコに火をつけ、煙で間を挟んでから、言葉をつないだ。


 「その辺は、ルーリナの胸ぐらを掴んででも聞き出してみるかな」


 暗い車内で、ラッキーストライクの火が赤々と輝き、その光はダークエルフの目の奥にも映っていた。

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