第85話

「エル様」


二階に上がろうとしたところで声をかけてきたのはジゼルだった。きょろきょろと辺りを見回す彼女に「ジェドなら先に戻ったわよ」と教える。


「あのべったり人間が一緒じゃないとは珍しい事もありますね」

「ちょっとね。それとジゼルにはべったりと言われたくないと思うわ」


再会してからジゼルは私にべったりだ。そういう風に育てたのは私なので強く言えない。

不思議そうな表情で「何かあったのですか?」と尋ねられるが首を横に振る。私が悪いのか分からない。ただ昔の事を思い出した事を話した途端にジェドの様子がおかしくなったのは確かな話だ。

別に不愉快にさせるような事を言ったつもりはなかったのだけど。


「それよりも何か分かった事はある?」


部屋に入ると防音結界を敷き、ジゼルに尋ねると黙って首を横に振られた。彼女に正体を悟らせないあたりは流石と言ったら良いのだろうか。

申し訳なさそうな表情を向けられるので「気にしなくて良いから」と笑いかける。

今回は相手が悪いのだから仕方ない。


「一切の隙も見せてもらえませんでした。エーヴさんは一体何者なのでしょうか?」

「今晩分かると思うけど」

「え?」

「後で話す事になったの。ジゼルも来る?」


ジゼルを連れて行ったところで別に怒られたりはしないだろう。それどころが連れて行く事を向こうも予想しているはず。ガタンと立ち上がり「勿論行きます」と息巻く彼女に苦笑いになる。


「どうして急にお話をする事になったのですか?」

「いい加減話さないといけないと思ったからよ」


私の答えにジゼルは不思議そうに首を傾げる。

にこりと微笑み「すぐに分かるわよ」と返せば何も聞かず納得してくれた。


「どこでお話するのですか?」

「向こうに任せるわ」


エーヴさんが私の予想している人だったら話し合う場所は一ヶ所しか浮かばないけど。

ジゼルは「分かりました。何か準備する事はありますか?」と尋ねてくる。

ただ話をするだけなのに……。

敵意丸出しな彼女に渇いた笑いが漏れた。


「特にないわ。強いて言うなら厄介な事に巻き込まれる心の準備をしておいた方が良いわ」

「厄介な事ですか?」


訳が分からない表情で見つめてくるジゼルの肩を軽く叩いて「今は気にしなくて良いわ」と声をかけた。


「やっぱりエーヴさんの正体が分かっているのですね……」

「おそらく。でも、確証は無いから本人に聞く事にするわ」

「畏まりました」


着替えようとしていると「そういえば今日のお出掛けはどうでしたか?」と聞かれる。

向こうが本当に楽しめたのか別としてジェドと出掛けるのは楽しかったと思う。


「ボエーム劇団が来ていたわ」

「こちらに来ていたのですか?」

「偶然ね」

「それは良かったですね。前にまた観たいと仰っていたじゃないですか」


嬉しそうに手を叩くジゼルに「そうね……」と小さな声で返事をする。相変わらずボエーム劇団の演技、演出は最高だった。ただ内容が魅了に関するものであった事が釈然としなかったのだ。これは魅了の被害を受けた人間としての個人的な感想だけど。


「後は時計塔に登ったわ」

「あの時計塔に行ったのですか?落ちませんでしたか?」

「大丈夫よ。登るのは大変だったけどね」

「幼い頃に一度登ろうとして断念しましたからね」


昔登ろうとした際、ジゼルも一緒に挑戦してくれた。ただ私が落っこちそうになって彼女に全力で止められたのだ。そして諦める事になった。当時の事を思い出しているのか苦笑いを見せる彼女に「ジゼルも後で登りましょう」と誘うと笑顔で頷かれる。


「後は夕食を共にして帰って来たわ」

「変なところに連れ込まれたりは……」

「彼はそんな事をするような人じゃないでしょ」

「しかし暗くなった劇場で……」

「無いもないわよ」


ボックス席で密着していた件については話さない方が良さそうだ。満面の笑みを携えて「何かされたら仰ってくださいね。全力で潰しますので」と物騒な事を言ってくるジゼルからは妙な威圧感を感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る