第75話

「エル、どこに行きたい?」


アーバンに滞在を始めてからもう少しで三週間だ。回りたいと思っていたところは既に回っている。

どこに行きたいか聞かれても微妙なところだ。かといってジェドの好意を無駄にするわけにもいかないし、どうすれば良いのだろうか。

何か良い案はないかと辺りを見回すとある貼り紙が目に入る。


「ジェド、観劇に行きませんか?」

「観劇?あれは貴族が観るものだろ?」

「行くのは平民向けの観劇ですよ」


観劇の広告が書かれた貼り紙を指差す。


「ボエーム劇団…?」

「世界中を渡り歩いている劇団ですよ」


ボエーム劇団。

所属している団員数は約五十人。五歳から七十歳までと幅広い年齢層で構成されており出身地も大きく異なる珍しい劇団だ。

元々は五人しか居ない劇団だったけど世界中を渡り歩いているうちに今の人数になったらしい。

一つの町に滞在する期間は一週間と短め。

劇の内容的には貴族に好まれないものだ。そもそも劇団が狙っている客層は平民なのだから仕方ない。


「詳しいな」

「一度だけ観に行った事があるので」


アンサンセ王国に居た頃、シリル殿下と城下町に出掛けている際に立ち寄ったのが偶然来ていたボエーム劇団の劇だった。

内容的には平民の青年が民を苦しめる暴虐王を撃ち倒し国を治めるという話。戦闘場面が過激で特に王が殺される場面は目を逸らす人が多かった。内容的にはすっきりする話だけど貴族には好まれないだろう。

シリル殿下は観終わった後に「こんな劇に付き合わせてすまない」と謝っていたけど個人的にはかなり面白かった。

内容はともかく役者の演技に心を奪われたのだ。もう一度観たいと思うくらい素晴らしい劇だった。

ただ滞在期間の短い彼らは次に城下町に行った時に去っており、二度目はないと思っていたのに。

まさかアーバンで出会えるとは思って居なかった。


「もうすぐ始まるな。席は空いているだろうか」

「付き合ってもらって良いのですか?」

「勿論だ」


前を歩き始めるジェドに続いて歩いていく。

中央広場にある劇場にはそれなりの人が集まっており、空席があるか心配になってくる。

列が進み、中に入るとチケット販売のところまで辿り着く。

初めて来たからかどうすれば良いのか分からない様子のジェドを横に一歩前に進み販売員に声をかける。


「すみません、今日の分のチケットってまだありますか?」

「ボックス席になってしまいますがよろしいでしょうか?」


ボックス席という事は通常席より値が張る事になる。

ただここは貴族が来るような高級劇場じゃない。それほど高くないだろう。

私は良いとしてジェドはどうなのだろうか。

彼を見ると「そこで良い」と勝手に決めていた。


「畏まりました」


予想通り料金はそこまで高くない。ただ私基準なのでおそらく平民だと手を出すか迷う金額だ。

だから余っていたのね。

アグレアブル公国の平民はお世辞にも稼ぎが良いわけじゃない。躊躇してしまうのも無理はないのだ。


「私が払いますよ」


何食わぬ顔で全額出そうとするジェドの手を止める。きょとんとした表情で「気にしなくて良いぞ?」と言われてしまう。

前々から思っていたけどジェドは働いていないわりにお金を持っている。

やっぱり皇族関係者なのかしら。もしくは実家が普通にお金持ちとか。

人の事を言える立場じゃないが彼もかなり金銭感覚がおかしい。


「とにかく私が誘ったので私が出します」

「それなら俺はエルの分を出す。エルは俺の分を出してくれ」

「すみません、これでお願いします」


付き合ってられないと全額支払うと飲み物の引換券を渡された。どうやらボックス席の人には配られているらしい。

ジェドは申し訳なさそうに「良いのか?」と聞いてくるが今日の目的は彼へのお礼。それなのに観劇に付き合わせてしまうのだ。お金くらいは出させてもらわないとこちらの気が済まない。


「気にしなくて良いですから。それよりも飲み物を取りに行きましょう」

「飲みながら観ても良いのか?」

「ボックス席ですから咎める人も居ませんよ。静かな場面で音を立てるのは良くないですけどね」

「そうか」


珍しそうに引換券を眺めるジェド。

良いところの子供だったら観劇くらいは観に行った事があると思うのだけど。

やっぱり勘違いなのだろうか。もう分からなくなってきた。

二階に向かうとバーカウンターに到着する。


「酒を飲めるのか」

「ええ、何を飲みますか?」

「そうだな…」


一応病み上がりの身なのだ。

もしお酒を飲んだ事をジゼルに知られたら怒られるだろう。


「ジェド、お酒の事はジゼルに秘密にしておいでくださいね」


お酒を片手に持つジェドに声をかけるとよく分からなそうな表情で頷かれる。疑問はあるみたいで「構わないが何故だ?」と首を傾げた。


「叱られるからですよ」

「そうなのか。分かった」


余計な詮索をしない人で良かった。

引換券を渡して注文するカクテルは見た目の爽やかさに反して度数が高いもの。十五歳で成人を迎えてから劇を観る際はいつもこれを飲んでいた。

つい癖で注文してしまったのだ。


「劇を観るのにそれ飲むのか?」

「大丈夫ですよ、酔いませんから」

「それなら良いが…」

「じゃあ行きましょうか」


久しぶりの観劇に鼻歌を歌いながら席に向かった。

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