第16話

「エル、来てくれたんですね」


ダル子爵家の屋敷の呼び鈴を鳴らすとグウェナエル様自身が出迎えてくれた。


「グウェナエル様、急な訪問になってしまい申し訳ありません」

「いえ、エルならいつでも大歓迎ですよ」


にこりと笑うグウェナエル様にエスコートされて屋敷の中に入る。

前に来た時は薄汚れた空気に満たされていた屋敷も今ではすっかり明るくなっていた。


「それで本日はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」


談話室に入り、ソファに座るとグウェナエル様から話を切り出された。


「グウェナエル様達にお別れを言いにきました」

「お別れ…?」

「今日村を出ることにしました」

「そう、ですか…。妻を呼びに行ってきますので少しだけ待っていてください」


グウェナエル様は立ち上がり部屋を出て行く。

そしてベアトリス夫人を連れて戻って来たので立ち上がり挨拶を交わす。


「行ってしまうのですか?」


ベアトリス夫人に尋ねられて「はい」と頷くと泣きそうな顔を向けられた。


「エル様が良ければ、ずっとここに居ても良いのですよ?」

「そういうわけにはいきません」


同じ場所に長居出来るような身じゃない。

私は出来るだけ遠くに行かなければいけないのだ。


「でも…」

「やめないか。エルが決めた事だ」


渋るベアトリス夫人を止めたのはグウェナエル様だった。

彼も複雑そうな表情を浮かべている。


「ベアトリス夫人のお気持ちはとても嬉しいです。ですが、もう決めた事なので」

「エル様…」


泣き出してしまった夫人の背中を摩りながらグウェナエル様は顔をこちら向けた。


「もう出発されるのですか?」

「はい」

「……それなら我が家の馬を差し上げます。ぜひ移動に使ってください」

「それは…」

「お礼があれだけではこちらも納得出来ませんからね」


私がグウェナエル様に求めたお礼は私が行った事を言いふらさない事だけ。

それだけのお礼では納得出来なかったのだろう。

それに馬があるのは私としても助かりますし、ここは素直に受け取っておく事にしましょう。


「それではありがたく頂戴致します」

「礼を言うのはこちらです。愚息の件、では本当にお世話になりました。感謝致します」

「ありがとうございます、エル様」


貴族二人に頭を下げられて苦笑いになった。

そういえば一つだけ気がかりな事がある。


「グウェナエル様。跡継ぎはどうされるのですか?」


バティストが罪人として差し出されてしまった以上、ダル子爵家を継ぐ者は居なくなるのでは?と心配していたのだ。

私の問いかけにグウェナエル様は「ああ」と声を上げる。


「実はもう一人息子がいるので彼に任せようかと思っております」

「もう一人?」

「ええ。実は……その、アンサンセ王国の方に留学に行っております」


アンサンセの名前を聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。

もう私には関係のない国なのに。

咄嗟に淑女教育で培った動揺を誤魔化す時の笑顔を彼らに向けた。


「そうなのですね。安心しました」

「ご心配なさらずとも二度と領民を苦しめる真似は致しません」


どうやらもう一人のご子息はまともな人らしい。

元々彼に跡を継がせる予定だったことを教えてもらった。

しかしダル子爵家の人間が来ていたとは全く知らなかった。彼も魅了の被害者だったのだろうか。

仮にそうだったとしても今は魅了が解けている。まともな思考に戻った今ならポルトゥ村は大丈夫だろう。


「そろそろ出発しますか?」

「はい」

「エル様、その格好では馬には乗れませんね」


今の私はワンピース姿だ。

確かにスカートで馬に乗る事は出来ない。

どうしたら良いのだろうと思っていたらベアトリス夫人が立ち上がり「こちらへどうぞ」と手招きをする。

別室に移動すると乗馬用の黒いキュロットを渡された。


「私からもお礼の品を贈りたくて用意させて頂きました」

「それは…。わざわざ用意してくださりありがとうございます」

「良いのですよ。大した事ではありませんから」


二人で屋敷の正門まで向かうと既に体躯の良い黒馬が用意されていた。

その側に立っていたのはグウェナエル様だ。


「またいつでもいらしてください」

「次に会えるのを楽しみに待っておりますわ」

「お二人ともありがとうございます」


私は馬に跨り、屋敷の門を出て駆け出す。


「どうか遠くまでお逃げください、ガブリエル様」


グウェナエル様の言葉は私には届かなかった。

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