4 第一回捜査会議(2)


 ゲームの世界とはいえ、人間が生活している以上、そこに生きるひとびとの歴史があり、社会があり、日常がある。


 ケインやディアナが魔法学園に入学するまであと八年はあり、最低でもそれまでこの世界で生きていかねばならないとすれば、この世界の一般常識なり知るべき情報は山とあった。それに、魔法が存在する世界なら、百目木と接触せずとも、元の世界に戻る術を見つけることもできるかもしれない。

 ……見つけられたとして、あの女をこの世界に野放しにはしておけないが、それは今考えても仕方のないことだ。


 そんなわけで、僕らはまず、書斎にある歴史書を紐解くことにした。

 幸い、グローリア家の書斎には膨大な蔵書がある。歴史書も通史から、各国、各地域に特化したものまで様々あった。

 社会常識については、いったん後回しだ。ケインもディアナも子どもだから、多少常識外れなことをしても誤魔化しがきくし、そもそも家庭内で教育が行われるのもこれからだろう。


「……なるほど、ローマ帝国分裂後のヨーロッパがモデルなのか」

「みたいですね。でもそれにしては文化レベルは近世に近いですし、多神教国家なのでだいぶ違いがありますが……」


 午後の時間を読書に費やした結果、僕らが辿り着いた結論はそれだった。


 かつてこの大陸には、大ガロリア帝国という広大な領土を誇る大帝国があった。砂漠を越えた東の果てにある黄龍国とも活発に通商を行い、様々な文化や芸術、魔法の発展をもたらした大ガロリア帝国は、千年の間大陸を支配したのち、東西に分裂した。東側は神聖ロゼリア王国を名乗り、西側はガロリア皇国を名乗るようになった原因のひとつが宗教である。


 大ガロリア帝国末期に大陸中にひろまった聖ロウェ教。唯一神ロウェを祀る一神教で、砂漠から広まってきた宗教だ。

 元々土着の神々を信仰していた大ガロリア帝国では、はじめのうちは新しい神がやってきたくらいに認識されていたのだが、だんだんと布教が進むや問題が発生してきた。聖ロウェ教は一神教なので、多神教を認めないのだ。それで、信者が増えるに従って、各地の神殿と対立するようになっていった。


 もちろん分裂にいたるまでには政変や気候変動、飢饉による暴動、他部族との争いなども影響しているが、最終的に神聖ロザリア王国は聖ロウェ教を国教とし、国教会が大きな力を持つようになった。反対に、大ガロリア帝国の継承国家として名を改めたガロリア皇国は、現在も多神教の国で、宗教的な規範は比較的緩いようだ。


 ガロリア皇国の神々は、名前を見る限りギリシャ・ローマ神話の神々をモチーフにしているのだろう。ヨーロッパ風の世界に多神教が生き残っているというのは、なんとも不思議であるが、思い返してみれば、「皇国のレガリア」にはハロウィンもクリスマスもあった。なんとも無節操だが、そのゲームの設定を現実に落とし込んだ結果が、日本のように宗教ちゃんぽん国家、となってしまったのかもしれない。


「北の山嶺の向こうに住まう魔獣の大群が南下して、グローリア辺境伯領北方のノースエン渓谷で衝突した災禍が五百年前。そのとき魔獣たちを退けたのが聖なる乙女と聖剣の加護か。これが【レガリア】というわけだな」

「そうです。この聖なる乙女……聖女の操る聖魔法というのが、魔獣の纏う瘴気を浄化できるって設定です」

「もしかして、その瘴気とやらの影響で、魔獣は凶暴化したりしているのか?」


 歴史書に眼を落としたまま、大神警視から鋭い指摘が飛んだ。


「ご明察です。警視、もしかしてアニメか何か見ました?」

「いや、物語の展開としてありそうなものをあげただけだ。聖魔法に目覚めたマリアベルが、皇国のレガリアである聖剣で、魔獣の女王となったディアナを倒し、瘴気を浄化し魔獣すら救うというのは、実に王道のパターンだろう」

「ははは、確かに。皇国のレガリアは王道展開が大いに受けたゲームですからね」

「ということは、北の山嶺の向こうに、魔獣が凶暴化するような何かがあり、それを聖魔法で浄化することで恒久的な平和が得られるようになるということか。……魔獣はもとは普通の動物か?」

「ええ。世代を重ねることで別物とはなってますが。魔獣だけでなく魔族も瘴気の影響で狂うと正気を失って、手当たり次第に周囲を襲うようになります」


 この世界では、人型で知性と理性のある魔属性の生き物を魔族、それ意外を魔獣と呼ぶ。魔獣を使役することができるのは、闇属性魔法だが、大量の魔獣を統率するとなると、禁忌となる古の大魔法を行使する必要があるのだ。

 その大魔法、相当な魔力を必要とするし、媒介となる魔道具アーティファクトも必要だ。それこそ皇国のレガリアとして、代々皇室に受け継がれている聖剣エクスティアなみの。うん、エクスカリバーが元ネタなのは間違いないけどそこは流そう。


「……グローリア辺境伯の祖はガロリア皇国の始祖ライオネス一世の末の弟か。領土の広さといい、与えられている権限といい、相当な信頼を寄せられていたようだな」

「そうですね。これまでも数代に一度は皇室から皇女が降嫁しているようですし。ディアナの祖母も皇女です。侯爵と同等以上の地位と権限があるだけでなく、血筋の上でも皇室の血のバックアップとも言える家ですね」

「貴族名鑑は……これか」


 最新の貴族名鑑を引っ張り出し、ざっと眼を通す。各貴族家の歴史はこのさい置いておいて、グローリア辺境伯家と対等、もしくはそれ以上の家をピックアップしていく。もちろん、あくまで僕の持つゲーム知識と、領地の規模や歴史の古さから割り出したものだが。


 皇国の南部一帯を支配するのはアゼルタイン公爵。現皇妃の実家だ。この家はライオネス一世の子息が興した家である。

 西部一帯を支配するのはノルエン公爵家。

 東側一帯はランカスター侯爵家。侯爵位の家では最も大きく、神聖ロザリア王国と隣接していることから国防の要所を担っている。魔獣からの護りはグローリア辺境伯、隣国からの護りはランカスター侯爵の領分ということだ。


 ガロリア皇国の西側は海洋に面しており、島国がいくつかあるが、いずれも小国であり皇国に牙を剥くほどの国力はないようである。

 実質的にガロリア皇国の中枢を支配するのは、皇室と二公、一侯、一辺境伯ということになるだろう。もちろん他にも公爵家が六家、侯爵家が二十家あるが、いずれも勢力規模が劣っており、権力の中枢を握っているとは言い難い。

 そのような情勢であるから、ゲームでディアナが皇太子アーサーの婚約者となっていたのも何も不思議なことはなかった。


「ふむ……。現時点ではまだ婚約は成立していないようだったが……。自室に魔法書や、文字の書き取りをした冊子が何冊もあったから、このお嬢さんが文字の読み書きができたのは間違いないだろう。ラスボスになりうるほど優秀というのはあながち間違いではなさそうだな」

「え、そんなものがあったんですか」

「ああ。自室の書棚には子どもが好むような本は一冊もなかったぞ」

「なんとまぁ……」


 ディアナ嬢の部屋には、僕はまだ入ったことがないのだが、なるほど、ゲームのディアナは子どもの頃から神童と名高い優秀な令嬢だったという描写があった。ケインの方はどうだったのだろう。荷物はクローゼットに衣類があるのを確認しただけで、この子の個人的な趣味嗜好が伺えるものは目につかなかった。もしかすると、まだこの城に来たばかりなので、そういった私物は持っていないのかもしれない。


「まあ、ディアナ嬢がその年で魔法書を自室で読むような子どもであったなら、僕らが図書室に籠もっていても不審には思われないでしょうね。ケインくんはここに来たばかりですし……。しかし、大人の前では子どもの振りをするべきですよね」

「いや。言葉遣いを整えるくらいならいいが、それはやめておいた方が良い」

「え、何故ですか?」


 いずれ元に戻ることを目指すのなら、戻ったときのことも考え、周囲に中身が入れ替わっていることは伏せるつもりであると思っていたのだが……。大神警視ははっきりとその考えを否定した。


「ひとつに、我々はこの世界の『子どもが持つ知識』の平均を知らない」

「あ」

「ふたつに、短期間ならばともかく、長期にわたって人前で常に演技をするのは危険だ。ただでさえ長期間別人を演じるのは精神を病みやすいのに、この状況でやってみろ。自己が揺るがない自信があるか?」

「……ありません、ね」


 僕らの身体はまったく別人の子どものもの。

 僕が佐藤一馬で、目の前にいる女の子が大神蓮である、だなんて。今はまだいい。この状況になったばかりで、僕らはまだ互いが誰であったかをはっきりと認識できている。だけどこの状況が長く続けば続く程、その認識は揺るぎかねない。

 そんな中で子どもの演技をする。ケインとディアナになりきる、というのは……。なるほど、確かに危険だ。


 今頃気付いたが、大神警視が二人きりの時だけとはいえ、僕を「佐藤くん」と呼ぶのは、互いの自己認識を保つためだったのだろう。


「私とて、短期の潜入ならば女児の真似くらい誰にも怪しまれずにやり遂げる自信はあるが、何年、下手をすれば何十年と続くかも解らない状況でそれをする愚はおかせんな」

「そうすると、対人関係で演技はしない、という方針でよろしいのですか? もしも元に戻れたとき、子ども達の方が周囲に不審に思われないでしょうか」

「その懸念はあるが、まあ、人間何かのきっかけで別人のように考え方や言動が変わることもあるからな。最初は戸惑うだろうがすぐに慣れるだろう」

「まあ、それはそうですね。……あ、じゃあ、日記でも書きましょうか」

「日記?」

「活動報告のようなものですよ。いつ何があって誰と会った、とか。記録が残っていれば、後から子ども達が確認することができるでしょう」

「なるほど。それはいいな」


 ふとした思いつきであったが、大神警視は僕の提案に納得し、同意してくれた。

 紙が貴重なものであろうというのは解っているが、便せんの束は図書室の机の中にも三つほど入っていたので、それぞれ一つずつ分けて部屋に持ち帰ることにする。


「君の持つゲームの知識も、覚えている限り書きだしておいてくれ」

「承知しました」


 ゲーム知識が役立つのは魔法学校に入学してからだろうけど、持ってる情報はなるべく共有しておいた方がいい。今夜から早速レポートにまとめよう。……パソコンがあればなぁ。


 ひとまずその後も陽が暮れるまで書斎でガロリア皇国の歴史書を読みあさり、それぞれ気になった本を自室にも持ち込んで資料の読み込みに時を費やした。夜間は暗くて本など読めないかと心配したが、流石に貴族の城である。それぞれ自室に暖炉があり、光源は確保できた。

 ある程度満足するまで本を読み、暖炉の側で日記もとレポートを途中まで書いて、眠気に襲われたところで就寝。

 そうして翌日、僕らは目が覚めてもケインとディアナであることにまずがっかりした。寝る前に、目が覚めたら元に戻っていて、全部夢でした、というオチにならないものかと淡い期待を抱いていたのだ。




 ――残念ながら翌日も、翌々日も、悪夢のような現実からは逃れられなかったが。

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