第8回

第四章



千年王城――誰が呼んだか、京の都の別名である。

 平安の都と冠され、武士というものが生まれるよりもはるか昔より存在するこの都市は、その名に反し、激動と策動の中心地として、日本史に名を残す。

 源平の合戦、応仁の乱、戦国乱世、そして幕末という時代においても、この都は、やはり「渦の中心」となっていた。

 そして、裏につけ表につけ、つねにその渦の中には、妖怪たちがひしめいていた……。


「ほう、あの山猿どもがなぁ」

 京の都の一角にある、とある山荘にて、一人の妖怪が、興味深そうにうなずく。

「そうなんですヨ! おかげでワタシは、随分とハジをかかされました!」

 その妖怪の前にいるのは、一人の西洋商人。

 先日、新選組と泉に、一杯食わされた男である。

 名を、グラバーという。

「このコト、チョーテイはどうフォローしてくださルのですカ? ワタシ、大変フユカイですヨ!」

 先日の旭屋では、通訳越しに話していたグラバー。 

 彼は決して、日本語が話せないわけではない。

 それなりに……それこそ、芸者を口説ける程度には習得している。

 なのになぜ、かの時は日本語を話さなかったかと言うと、単純な話である。

「黄色い猿」と見下している者たちに合わせることは、彼のプライドが許さなかったのだ。

「せやけどなぁグラバーはん? アンタも、ちょいとばかし、羽目外しすぎましたからなぁ」

「う……!」

 妖怪の言葉に、グラバーは言葉を失う。

 彼が妖怪――この日本人に、きちんと日本語で対している理由は、単純である。

 相手の方が、立場が上だからだ。

 たとえ、英国王室の権威を用いても、少なくともこの国の、この都の中では、この男にはかなわない……だからこそ、へりくだり、相手の使う言葉に合わせている。

「し、しかし……その……」

 グラバーは商人である。

 故に、プライドを捨てるべきところでは、躊躇なく捨てられるのだ。

「いいんデスか? 彼らは、アナタたちにとっても、好まざるガイズでは?」

 ましてや、自分に恥をかかせた者に復讐ができるのならば、それくらいの態度にはなる。

 目の前の妖怪と呼ばれし男なら、それができるのだから。

「かなんなぁ、グラバーはん」

 しかし男はニタリと笑うと、グラバーの心中全てを見通したような声と顔で返した。

「勘違いしたらあきまへん。朝廷は、別に幕府と事を構えようなんて、一度たりとも思てまへんで?」

 心から、「心外な」とばかりの顔で、男は言う。

(どのツラで……!)

 あまりにも堂々とした物言いに、グラバーは言葉を失う。

 目の前のこの男が、この国の裏側で暗躍し、様々な形で影響を与えていることは、この国の者ではない彼でも知っていることだ。

 だが、それを指摘できる者はいない。

 なぜなら、この男は徹底して自分が関与した証拠を消している。

 おそらく、百年後の時代でも、彼の暗躍は半分も明らかにされていないことだろう。

 そしてもう一つは、彼をわずかでも敵に回せば、自分もまた同様に、彼の「暗躍」の標的となるからだ。

 病死か、事故死か、もしくは自分の荷物の中に、「いつのまにか」海外持ち出し禁止の地図などを忍ばされ、入国資格を剥奪されるかも知れない。

(こういう奴はどこにでもいるな)

 肌の色の違いなど関係ない。

 敵に回すべきでない人間は、どこにでもいる。

「とはいえまぁ、ご事情は理解いたしました、こちらとしても、それなりに対処はいたしましょ……ただ、グラバーはん? 痛い目見たのもええ経験や、今後は、やんちゃは少し控えなさったほうがよろしいで?」

 男の耳にも、グラバーら訪日外国人の粗暴な振る舞いは耳に入っているのだろう。

 やんわりと、釘を刺される。

「は、はい……」

 言われれば従うしかなく、グラバーは不服そうな顔をしながらも、頭を垂れた。

「この問題はこちらで聞き入れましたんで……もうコレ以上は、アンタ方は、あまりお騒ぎにならんように……ええですな?」

「は、はい……」

 これで話はおしまい――と暗に告げられ、グラバーはただそれを受け入れ、その場を離れるしかなかった。

「やれやれやなぁ……」

 グラバーが立ち去ったあと、男は、仕方ないなぁという風に息を吐く。

 彼の要求は、新選組への直接的な報復措置だったのだろう。

 可能なら彼らを解散させ、京の街から排除する……それ自体は、男の権力を使えば可能である。だが……。

「下手に事を荒立てたら、会津中将を敵に回すしなぁ」

 彼らはただの浪人の愚連隊ではない。

 一応は、幕府より京都守護職を命じられた会津藩主松平容保預かりの部隊なのだ。

 その中将の頭を超えて、朝廷の権力と権威で無理矢理に事を進めれば、幕府側とのやりとりに面倒を生むことになる。

 グラバーの体面を守るためだけに、そんな危うい橋は渡れない。

「でもまぁ、気になる話やねぇ」

 手中の扇子を弄びながら、男はつぶやく。

「あの山猿どもが、なんや変な動きしてきたんやったら……こっちも相応の手は打っとかなアカンなぁ」

 ただの武辺者ぶへんものの集まりなら、どうとでもできる。

 だが、「ただの」でないのならば、その力をある程度測っておかねばならない。

「ってなわけや、聞いとったな?」

 男は、ただ独り言を言っていたのではない。

 隣室に控えた、一人の男に、語りかけていたのだ。

「はっ……」

 障子越しに、その男は応えた。

「あんさんのやり方でかまへんから、ちょっと探り入れといてんか? 場合によったら、場合によるからな」

「かしこまりました……」

 不気味な笑いに、男はややけだるげな声で返した。

 妖怪――京の街で、千年に渡り跋扈ばっこする者ども。

 人は彼らを、「公家」と呼んだ。

 武力もなく、兵力も持たぬ者たち。

 だがそれにも関わらず、この国の政治権力の中に食い込み続けてきた存在でもある。

 江戸幕府開祖、家康の政策によって、かなりの力を削がれはしたが、この動乱の幕末において朝廷の存在が大きくなるに従い、そこへ仕える彼ら公家の存在も再び、大きくなりつつあった。

 その中でも特に、「狡猾こうかつ」と呼ばれたその男の名は―――



 泉が新選組の賄い方になってから、さらに日がたった。

 今日は、市中に買い出しに出かけている。

 江戸期最大の商業都市である大坂を近場に持ち、また千年の長き間に培った文化も持つ京の街は、食のレベルも高い。

 江戸にも存在しない珍しい食材も並び、様々目を奪われる光景であった。

「稲葉くん、これ見てみなよ。珍しいものが並んでいるねぇ」

「そうですねぇ、周平さん」

 今日、この市に訪れているのは、泉だけではない。

 新選組隊士の一人、近藤周平こんどうしゅうへいも同道している。

「あの~……周平さん、今さらなんですけど、良いんですか? ボクと一緒に来てて」

 近藤――の名が示すとおり、彼はただの隊士ではない。

 局長近藤勇の息子である。

「そんな構えないでください、僕はただの、局長の養子に過ぎませんから」

 近藤には、武州多摩に置いてきた妻との間に、子どもがいる。

 だが、その子どもは女の子であった。

いつその身になにがあるかわからぬ武家の者としては、いざという時に跡継ぎとなる者が必要……そういった判断から新選組隊士の一人、七番隊組長、谷三十郎の弟である周平を養子として迎えたのだ。

「と言ってもなぁ……」

 言われて、泉は困惑する。

 周平本人に問題はない。

 むしろ彼は、穏やかで温厚な人物だ。

 年齢も泉と変わらない。

 この時代に来て、かつ新選組で働くようになり、アレな人やコレな人と接する中、ようやく出会えた数少ない常識人の部類である。

 しかし――

「いいですか稲葉くん、周平くんになにかあったら、わかってますよね?」

 笑顔の人斬り、沖田に言われた。

「テメわかってんだろうなコラ?」

 ヤンキー風味な人斬り、鍬次郎に言われた。

「稲葉殿、わかっているでゴザろうな?」

 ニンジャな監察方、山崎に言われた。

「いいな? わかってるな?」

 あげくに、土方にまで言われた。

(そりゃあ近藤さんの養子……つまり、近藤家の後継ぎなわけだからなぁ。慎重にもなるよなぁ……でも……)

 ふと、疑問に思う。

 近藤は新選組の局長だが、新選組という組織自体は、近藤のものではない。

 もっと言えば、「近藤家の者でなくば、局長にはなれない」という組織でもない。 事実、新選組の前身であった壬生浪士組、さらに新徴組しんちょうぐみでは、局長は三人おり、他の二人が死去したため、現在のように近藤が筆頭となって治めることになったという経緯がある。

(それ以外にも理由があるのかな?)

 なにか、記憶の中の彼らの顔に妙な空気を感じ、泉は思案する。

「見てくださいよ稲葉くん、ひばりです。これは骨ごと砕いてつみれにしたら美味しいですよ。あ、こっちにはカブがある! これと一緒に煮たら、酒にも合いますよ。義父上もお喜びになる」

 そんな泉の困惑も気づかず、周平は笑顔で、市場の品々に目を輝かせている。

(屈託のない人だなぁ)

 血はつながっていないのに、そういうところは、近藤に似ていた。

 この時代、実はそこまでではないが、それでも「男子が厨房に入るなどけしからん」と考える者はいなかったわけではない。

 泉が預かる厨房でも、主に働いているのは元町人などで、生粋の武家は少ない。

 対して、周平は生まれの谷家も、養子に入った近藤家も、武士の格を持つ家だ。 

 周りのあの反応は「分をわきまえろ」という意味なのだと、泉は思った。

「それにしても、人が多いですねぇ」

 この時代、常駐としての市場もあるが、期間を限定しての、催事としての面も強い「いち」も多く存在していた。

 しかも、ここは日本の中心である京の都である。

 集まっている品々も、それを見に来た人々も、まさに日本中から集まっているのではないかと思うほど種々雑多であった。

「稲葉くん、歩くときには気をつけるんだよ」

 それまで、あちらこちらに目を奪われていた周平が、思い出したように言った。

「鞘に当たったら、武士じゃなくても大事だからね」

 現代でも、険悪な状況となり互いににらみ合う構図を「鞘当て」などと言うが、これはすれ違いざまの鞘の接触が、武士同士の街中での諍いの原因となる最大の理由だったことから転じた表現である。

「江戸とこっちは、習慣が違うみたいでね。よく、他の隊士も騒動を起こすんだ」

 武士の街である江戸では、すれ違う際に鞘をぶつけないように左側通行が基本となっている。

 対して、公家文化の京や、商人文化が強い大坂などでは、利き腕をかばうため右側通行が基本となっている。

 それ故か、この時代の京の街では、国許から訪れている武士たちの間での、鞘当てをきっかけとした騒動が多発していたのだ。

「特に、いま京にはいろんな人たちがいるから………」

「いやぁー!! やめて! やめてください!」

 と、そこまで周平が話したところで、女の叫び声が響く。

「え――?」

 声のした方に向くと、質素な姿をしたはかなげな雰囲気の娘が、武家の男に腕を取られていた。

「貴様ァ! 武士の魂たる刀の、その鞘にぶつかっておいて! ただで済むと思うとるのか!!」

 まさに今そこで、警告された通りの騒動が起こっていた。

 周りの町人たちも、どう対処していいかわからず――というより、かかわり合いになるのを恐れてか、距離を空け、見ないふりをしている。

「こいつは、誠意を見せてもらわんといかんのう! 女子にコケにされては、ワシらも体面があるからのう!」

 武家の男は一人ではなかった。

 もう一人の連れが、薄笑いを浮かべながら娘の髪を乱雑に掴む。

「申し訳ございません……どうか、お許しを……!」

 娘は涙目で許しを請うが、武家の男たちはむしろそれに嗜虐的な喜びを見出したか、獲物をいたぶる獣のような表情で、彼女をねめつける。

「ちょ、ちょっと! 止めましょうよ!」

 思わず、泉は声を上げてしまった。

 義侠心――というのとも少し違う。

 考えるよりも先に口が出てしまっただけだ。

 これが現代ならば、せいぜい相手はヤクザかヤンキーである。

「なんだコラァ……」と言われ、殴られるのが関の山だろうが、それ以上はそうは起きない。

 だが――

「なんじゃコラァ……」

 刀を帯びていない泉を見るや、町人風情がなんの用だとばかりに、武家の男たちは因縁をつける標的を彼女へと変える。

 それどころか、かなり血気が盛んなのか、早くも刀の柄に手を当てている。

(ひええええ!?)

 そう、ここは幕末である。

 下手に手を出せば、殴られるどころか、斬って捨てられる可能性のある時代なのだ。

「あの、いや、その、そんな……立派なお侍さんが、二人がかりで女の子をどうこうするって……その……アレじゃないですかぁ?」

 それでも、泉は必死で愛想笑いを浮かべ、ことを穏便に済ませようとするが……

「アレとはなんじゃアレとはぁ!!」

「舐めとるんか貴様ァ!!」

 却って、そのヘラヘラ顔が癪に障ったか、男たちは怒り声を上げる。

(ダメだ話が通じない⁉)

 これならまだ、ヤンキーっぽい鍬次郎のほうが、もうちょいマシかも知れない。

「まいったなぁ………」

 泉が心中で悲鳴を上げていると、隣にいた周平が、心から困ったような声で言う。

「なんだ貴様……貴様も文句があるとか?」

 泉と違い、新選組の隊服こそ着ていないが、刀を帯びた立派な若侍である周平。

 その彼が声を上げたことで、男たちもわずかに警戒する。

「しゅ、周平さん……ダメですよ……!」

 慌てて、止めようとする泉。

 散々、周りの者達から言われたのだ、「わかっているな」と。

 以前、彼が屯所内の道場で撃剣の鍛錬をしている姿を、チラッと見た時のことを泉は思い出す。

 まるで、お遊戯のようであった。

 他の隊士が打ち込もうとしても、周平はのらりくらりとかわすだけ。

最後は相手をポンと叩いて、打ち合いは終わっていた。

 試合にもなっていない。

 気の抜けた戦い方であった。

(それに……周平さんのお兄さん……谷三十郎、だっけ?)

 隊内で、何度か姿を見たことがある。

 でっぷりと太った小者という感じで、他の隊士から話を聞くに、腕はあまり立たないらしい。

 組織での世渡りの上手さで、七番隊を任されているような人物だそうだ。

(お兄さんがそれってことは……周平さんの実力も、推して知るべし……?)

 おそらく、局長の近藤の養子ということで周りに気を使われまくっている、というのが、彼の実態なのだろう。

(そんな人が、本物の武士二人相手に勝てるわけないじゃないか⁉)

 もしここで周平に何かあれば、自分の責任になる。

 いや、させられる。

 とくに、ことあらば自分に突っかかる沖田&鍬次郎の人斬りコンビが、喜々として首切り役を買って出るだろう。

「やめて周平さん! ボクがヤバイですから!」

 ここはもう、土下座でもなんでもしてことを収めるので、下がっててくださいと泉は懇願する。

「う~ん、でもほっとけないじゃないですか」

 だが当の周平には通じない。  

 それどころか、まったく緊張感のない声で返す。

 隊士としての外出でなくとも、京の治安を守る新選組局長の息子が、乱暴狼藉らんぼうろうぜきをはたらく者を捨て置けないという、大変立派な使命感もあるのだろう。

 しかしそれは、相応の実力がある者が言えるセリフである。

「えっと……あ、すいません。これ借りますね」

 だが、周平はそんな泉の気など知らず、それどころか、そこらの店前の掃き掃除をしていた商家の小僧さんからホウキを借りている。

「え、なにやってんすか……?」

 周平がなにをしたいのかわからず、尋ねる泉。

「だって……真剣だと、ケガさせちゃうじゃないですか」

 笑顔で答えると、周平はホウキを正眼に構え、武家の男たちに対する。

「どうぞ」

 その言葉に、からかいや嘲りはなかった。

「貴様……⁉」

 ただ純粋に、「真剣を抜いたらお前らを斬って傷つけてしまうから、ホウキで相手をする」と、言っているのだ。

「言ってくれるのう……!」

 あからさまな挑発よりも、なおも凶悪で強力な侮蔑に、男たちの顔がみるみる赤くなる。

 そこに浮かぶのは怒りである。そして殺意であった。

「舐めるな―――」

 男の一人が、刀を抜こうとした。その寸前――

「っ――⁉」

 なにが起こったか、泉にはわからなかった。

 さっきまでしずかに構えていた周平のホウキが、一瞬で、刀を抜こうとした男の手を打ち据える。

「がっ!」

 刀身を見せることすらままならず、男は手を押さえ膝を突く。

「なにっ―――ぐはっ⁉」

 驚きに目を見開くもうひとりの男だったが、事態に対応する前に、その喉笛にホウキの鋭い突きが食らわされる。

「うううう………」

 まさに一瞬。目にも留まらぬ早業としか言いようのない斬撃で、二人の武士は倒された。

 もしこれがホウキではなく真剣であったならば、一人は手首を斬り落とされ、もう一人は喉を貫かれ、辺り一帯血の海となっていただろう。

「もう、これで終わりにしましょう」

 息も乱さず、周平が告げる。

 彼我の戦力差を明確に示し、無用な争いは終わりにする。

 まともな神経なら、ここで文字通り刃を納め、立ち去るのが得策と思うだろう。

 しかし、世の中にはそう思わない、思えない人間というものもいる。

「……ざ、ざけるなぁ!!」

 なおも怒声を上げる男たち。

「こがいなことで引き下がって、面目が保てるかぁ!!」

 言うや、あっさりと刀を抜くと、周平へその切っ先を向けてきた。

「抜けぇ! 殺し合いじゃあ!!」

 男たちの顔にあるのは、ただの怒りではない。

 公衆の面前で恥を晒され、死んでも一矢報いでもしなければ収まりが着かぬという、極限状態の者の顔であった。

「そんな……!」

 周平の顔に、狼狽の色が浮かぶ。

 相手がここまで理屈が通らない人間だとは思わなかったという、驚き……だけではない。

 それ以上の、なにか、のっぴき成らぬ理由で、彼の顔から血の気が失せていた。

「抜けぇ!」

「抜けぇ!!」

 男たちは、周平に刀を抜けと、自分たちと殺し合いをしろと要求してくる。

(周平さん……まさか…?)

 ここに至って、ようやく泉の頭に、「わかっているな」と、沖田や土方らが告げた理由が見えてきたような気がした。

「あの、ホントすみませんでした! 勘弁してください!!」

 周平と男たちの間に割り込むように身を投げだすと、泉は躊躇なくその場に額をこすりつけ、土下座をした。

「ああン! なんじゃお前! 邪魔じゃ、下がってぇ!!」

「すいませんでした! もう許して下さい!」

 案の定、怒鳴りつけられるが、それでもなお必死で許しを請う。

「稲葉くん……」

 突然の泉の行動に、周平も驚く。

「…………………」

 騒動の発端である少女も、やや拍子抜けしたような顔でその様子を見ていた。

「どうか! もうお許しください!」

 そんな中で、なおも声を上げ、泉は土下座を続けた。

 彼らは、体面を重んじるがゆえに殺し合いまでしようとする者たちである。

それなら、哀れなまでに許しを請えば、さすがに問答無用で刀を向けることはやめるだろう、と泉は考えていた。

だが――

「ええい、邪魔じゃ!!」

 そんな思惑は通じず、男たちは泉に向かって、刀を振り上げた。

「そんくらいでよかろう」

 その時、声が一つ増えた。

「へ?」

 その声は、まるで、大山の鳴動に似ていた。

「なっ……なんじゃ、おんしは……?」

 いきなり現れたのは、山のような大男であった。

 否、そこまで、大きくはない。

 大柄ではあるが、常識を無視した巨体というわけではない。

 しかし、なんといえばいいのだろうか……

(デカい……!?) 

 顔を上げ、男の姿を見た泉の頭のなかに、その感想が何よりも先に浮かぶ。

 ただ、全てが「大きい」男。

 そこにいるだけで見る者を圧倒し、否応なく自分の小ささを実感させ、その相対効果によって、実態よりも巨大に見せる――

 それだけの、強烈な存在感の持ち主だった。

「あ、アンタは……」

 そのあまりの「大きさ」からなにかを悟ったのか、武家の男たちの動きが固まる。

「そんくらいで勘弁しちゃれ……のう?」

彼は、決して相手を威圧していない。

 むしろ朗らかに笑い、相手に寄り添っている。

 しかしそれだけで、「言うことを聞かねばならない」と他者へ感じさせる迫力があった。

「まさか……アンタは、西――」

「菊池じゃ、おいの名は、菊池じゃ」

 菊池と名乗った男は、ニッコリと笑うと、どんと男たちの肩に手を置く。

「ならぬ堪忍をするが堪忍、というがじゃろ? ここはのう、おいも頭を下げるから、堪忍しとうせ」

 そして、大きな体の、大きな頭を、ゆっくりと下げる。

「う、あ、う……」

 この男にそこまでされれば、聞かぬわけにはいかない。

 そんな空気が、あたりを覆った。

「わ、わかった……アンタが、そこまで言うなら……」

「お、おう……」

 あっさりと、武家の男たちが刀を納める。

「おお、そうかそうか!! いや、ありがたい! すまんのう、いやホント、すまん!」

 快活に笑うと、菊池は手に提げていた竹包を、男たちに突き出す。

「こいは、わびの印じゃあ。おいが今しがた買うたまんじゅうじゃ。うまかぞ~……甘いモンでも食うて、気を休めとうせ! の!」

「お、おう……」

 普通ならば、「ガキじゃあるまいし、菓子を渡されたくらいで!」と、却って怒りに火を注ぐ場面であったが、不思議なことに、この男にされれば、むしろ喜びすら感じさせる力があった。

「それでは、我々は……」

 怒りの火をあっさりと消され、武家の男たちは、その場を去っていく。

 その姿を、誰も笑いはしない。

 菊池と名乗った男、この男に頼まれれば「しょうがない」と、誰もが共通に認識してしまっていた。

「あ、ありがとうございます……!」

 助けてくれた男に、泉は礼を言う。

「いやぁ、侍同士の諍いなんてのう、口出しする気はなかったんじゃが」

 楽しげに、菊池は笑う。

「連れのために土下座までしようモンを見捨てるのは、後味が悪か」

「あ……」

「そこな若侍、刀を抜くのが苦手……いや、抜けんモンのようじゃの? おんし、それを気づいたんじゃろ?」

 笑顔のまま、菊池は「全てわかっている」という風に言った。

「連れのために、刀ももっとらんモンが、命を掛けとったんじゃ。そりゃのう、見捨てられんわい」

 大笑いすると、菊池は背中を向け、その場を立ち去ろうとする。が――

「お、お待ちください!」

 そんな彼を、留める声。

 事の発端となった、娘であった。

「あの、お助けいただき、誠にありがとうございます! 是非に、お礼をしたく思うのですが……」

「ん? 礼なら、そこの若モンらに言えばよかろう。おいはただの通りすがりじゃあ」

 この男にとっては、この程度のことは礼を言われることでもないというのか、足を止めることなく、さらに離れようとする。

「ええ、ですから! そちらの方々も! えっと、その……あ!」

 どうしても菊池と、そして泉らに「礼」をしたいのか、娘は名案を思いついたような顔になる。

「先ほど、お持ちのまんじゅうを手放されてしまいましたね……そのお詫びをさせてください! 我が家で、甘味の一つでも召し上がっていってください!」

「ほう?」

 甘味、という一言に、菊池の足が止まる。

「ふぅむ……それは、心惹かれるのう?」

 なんとも屈託のない、子どものような笑顔であった。

「なら、お言葉に甘えて呼ばれようかのう? おまえさんらも、一緒に行こう」

 命の恩人の誘いを断れない――だけではない。

 その男の「一緒に行こう」という誘いには、断れぬ者はいないのではないかという、不思議な引力にも近い魅力が溢れていた。

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