問題
アンゴラス帝国 帝都キャルツ 軍務省
軍務に関する事案のみを扱う軍務省の大法廷は長らく使われておらず埃まみれだったが夜通し掃除が行われ、まるで竣工したてのように綺麗になっている。そんな利用頻度の低い部屋にも関わらず巨大な円形の天井画、数百人が入れる傍聴席などが存在し軍務省の威容と異様な見栄の張り方を示している。しかし今回ばかりは傍聴席は満員で、立ち見している者もいるほどだ。傍聴人の殆どがデザイル防衛に当たった兵士であり、一般の兵士の傍聴は士気低下を防ぐため制限されている。
「これより、査問会議を始める。」裁判長が鳴らすのは鎚ではなくゴングのような器具で、日本人には多少違和感があるだろうが帝国ではこれが当たり前である。
「このランベルト将軍は、戦力が十分に存在しているにも関わらず任務を放棄し撤退を行った。これは明らかな利敵行為であり、帝国軍人として看過できないものである。よって将軍の更迭を要請する。」憲兵がそう言うとランベルトはすかさず反論する。
「待ってください。船も使えず敵との距離が詰められない中、こちらの射程距離外から一方的な攻撃を受けることが…」
「チーン」ゴングの音が響く。
「許可をとってから発言するように。」
「異議あり。」そう言うのはランベルトの弁護人、ではなくランベルト本人である。機密保持の観点から弁護人をつけられないと言うのもあるが、長らく植民地勤務であったため本国にコネがないというのも原因である。
「発言を許可をする。」
「船も使えず敵との距離が詰められない中、こちらの射程距離外から一方的に攻撃を受ける状況で撤退以外の何ができるというのでしょう?」
「裁判長、証人の召喚の許可を。」憲兵が言う。
「許可する。」
連れられてきたのはでっぷりと肥え、頭も禿げ、なにより全てを見下すような目を持ったいかにも上級貴族という風貌の男であった。
「氏名、及び所属を。」憲兵が聞く。
「ザカリー・ベールだ。中央防衛線の司令をしている。」傍聴席が騒がしくなる。
「静粛に!」再びゴングが鳴る。
「貴方がもしデザイル軍港の司令であったなら、このようなことが起こったでしょうか。」
「ありえません。必ずや全ての敵を打ち倒してみせたことでしょう。」ザカリーは自信ありげに微笑を浮かべる。
「どうやってだ!」ランベルトは吠える。しかしそれはゴングの音に打ち消される。
「異議あり!」このやり取りを面倒だと思いながらも、ランベルトは仕方なくそれに従う。
「異議を却下する。」
「なぜだ、私はできるかぎりのことを…」
「チーン、チーン」裁判長は後ろに連れた裁判官達を見渡すと、ゴングを二回鳴らす。
「どうやら議論は尽くされたようだ。採決に移行する。」どうやらランベルトだけに知らされていない筋書きがあるようだった。
「ランベルト将軍の全指揮権の剥奪、及び人事部付きへの移動と処す。」傍聴席が再び騒がしくなる。しかし裁判が終わったからか、裁判長はゴングを鳴らさない。
「ふん、下級貴族が本国の司令になんてなるからこうなったのだ。身の程を弁えろ。」ザカリー将軍がランベルト将軍に言い放った一言が、傍聴席に火をつけた。
「ふざけるな、何の代替案も出せねぇくせに、偉そうな口聞くな!」
「司令は犬死にするはずだった、俺達の命を救ってくれたんだ!」
「ハゲ、チビ、デブ!」
傍聴人、ランベルトの部下だった兵士達は次々と柵を越える。
「衛兵、衛兵!」その剣幕に押されたザカリー将軍は情けない声を上げるが、完全防音の部屋の外には聞こえない。
数分後、裁判官が衛兵を連れて来るまで彼へのリンチは続いた。ザカリー将軍はリンチに参加した兵士への極刑を希望したが、実戦経験がある貴重な兵をこんなことで失ってはいけないという他の高官からの圧力により、防衛線の前での任務へと移動となった。
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日本国 東京 とある蕎麦屋
ずるずるずる、と麺をすする音がする。その豪快な食べ方はまるで味わっていないのではないかと思える。まさしく、その通りなのだが。
長谷川官房長官はSPと秘書らとともに、行きつけの蕎麦屋で食事を取っていた。官房長官が10分もしないうちに蕎麦を食べ終えてしまうので、彼等はそれより早く食べ終わらなければならない。
「松江くん、次の会談は誰とだったかな?」官房長官は第一秘書に訪ねる。松江はメモ帳を開くことなく淀みなく答える。
「午後2時30分より、三伊C&Sと新規LCAC開発についてです。」
「そうだった、そうだった。年をとると忘れっぽくなっていかんね。」官房長は、はははと苦笑する。そして、蕎麦の最後の塊を官房長は口に入れる。そしてそれを確認した松江が、会計のため席を立とうとする。官房長が蕎麦を吹き出したのはそのときだった。
「どうされました?そこまで、面白かったでしょうか」松江はむせる官房長に水を差し出す。
官房長は一気に水を飲み干すと、指を神棚に置かれた小さなテレビに向ける。
「あれだよ、あれ!」店の他の客も短い休憩時間で食事を詰め込むことに精一杯なのか、誰も気に留めない。音も雑騒に書き消され、もはや何のために存在しているか分からないいそれでも、映像だけは正確に伝達させる。
「どうやら、会談はキャンセルになりそうだね。」
秘書に着信が入るには、一分とかからなかった。
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日本国 首相官邸
プロジェクターに映るのは燃える街。日本の街ではない。海の彼方の敵国の街である。しかしそのインパクトは首里城や、ノートルダム大聖堂の火災とは比べ物にならない。一つの建物が燃えるのではなく、一つの街が燃えるのだ。それに訳知り顔のコメンテーターの解説が引っ付くと、燃えるのは民事党だ。
「どこから漏れたんだ」総理の怒号が響く。
「説明しろ!」環境相が乗っかるが、今回ばかりは周囲から誡められることもない。
「現在、調査中です」集中砲火を浴びる防衛相が浮かべるのは困惑。全くもって、自分でも何がなんだか分からないという風だ。
「漏洩元は特定できそうなのか!」
防衛相は頼りない視線を、お供の官僚に向ける。
「本来であれば作戦従事中に甲板上で動画を撮れる乗組員は限られているのですが、陸上自衛隊員の救助作業には部署を問わず多くの自衛官が従事しました。特定には時間がかかるかと。」官僚が渋い顔を浮かべて説明する。
「長日テレビ側から辿れないか?」国土交通相が思い付きを口にする。ただ、その口振りは諦めが混じったものだ。
「それは無理というものです。大臣も長日の政府嫌いをご存じのはずです。」総務相が言う。
うーむと総理は腕組みをして唸る。
「世論がどう動くかも問題です」官房長が言う。
「戦争が始まって一年以上経つというのに、終戦の兆しはいまだなし。国民には嫌戦ムードが広がっています。今回の損失、そして映像もそれに拍車を掛けるでしょう。」
「まったく、外務省は仕事をしているのか!」環境相は怒鳴り散らす。
「外交官を敵地のど真ん中に送れと?冗談じゃない!」外務相は鼻で嗤う。
「こちらの外交儀礼もわからないんです。蜂の巣にされるのが関の山でしょう。」
この後もしばらく会議は続いたが、決まったことといえば記者会見の日程だけあった。
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