第45話 悪意の町②

 アーベルとエリーが見えなくなったことを確認したリーノは、ギルドに入って行き、十分程してからギルドを出ると、町を更に南下してバルトン商会と書かれた大きな建物の前で辺りを見廻してから素早く入って行った。

 そして受付の女性に、支店長に会いたいと伝えると、ちょうどその時フロアの奥から若い女性を伴った三十歳前後の小太りで眼鏡を掛けた男性が現れてリーノと目が合った。


「これはこれはリーノさん!突然このような所まで」


 その男はリーノに向かって慇懃に挨拶をして笑顔を浮かべた。


「コリーさん。丁度良かった。少しお話が」

「そうですか......ではこちらへ」


 コリーと呼ばれた男は、秘書らしき女性に目配せをして去らせた後、リーノを案内して建物の奥の小部屋に招き入れて部屋の扉を閉めると、ドカッとソファーに座って、扉の前で立ったままのリーノを睨みつけた。


「直接来るなと言っただろう!誰かに見られなかっただろうな!えぇ?クスター」

「はい。何度も確認したので大丈夫です」


 コリーはイライラした様子で葉巻に火をつけると、フゥーッっと煙を吐き出し、再びクスターを睨んだ。


「ったく!何かあったら受付の女も始末しなきゃならんじゃないか......で、何の用だ」


 クスターにとっては受付の女の命なんてどうだっていい。

 恐縮したように頭を下げて、危険を冒してここに足を運んだ本題を切り出す。


「今夜の納品の件ですが、一日待っていただけませんでしょうか?」

「何だ?まさか失敗したのか?」

「いえ、お話してあった商品は既に確保しております」

「じゃあ何だ!わざわざ一日延ばすためにここまで来たのか!」


 要領を得ないクスターにコリーはイライラして問い詰める。


「それが、先程素晴らしい商品を見つけまして、その商品の確保のために一日待って頂ければと」


 それを聞いたコリーは葉巻を吸う手を止めてクスターを黙って睨みつけた。


「待つほどの品か?」

「はい。今まで私が納品した中でも一番上等な品物かと」

「数は?」

「一つです」


 コリーは、葉巻を灰皿に押し付けてから、高級品を買い取りそうな顧客を頭の中で探し出す。


「ソロか?」

「いえ......男が一人」


 コリーは軽く舌打ちをして再びクスターを睨みつける。


「止めておけ。足が付くぞ」

「お言葉ですが、やらせて頂ければヘマはしません」

「無駄なリスクを負うな。バルトン様に火の粉が降りかかったらお前やワシの首だけじゃ済まんぞ」

「ご心配なく。男と言ってもまだ子供でして、コリー様にご迷惑をおかけする事など無いと約束いたします」


 コリーは黙って暫く考えた後、再び葉巻に火をつけた。


「一日だけだ。値段はいつも通り物を見てからだ。裏から帰れ!」


 そう言い捨てて席を立ったコリーにクスターは頭を下げてニヤリと笑った。



 ♢♢♢



 アーガス公国には奴隷制度はない。

 廃止されて既に二十年以上たっており、奴隷売買を行うと売主、買主共に厳罰に処せられる。

 だが、それはあくまで表向きの事であって、奴隷売買自体は形を変えて現在も盛んにおこなわれている。


 孤児や貧困の為に親に売られた者、借金で首が回らなくなったものが、『臨時作業員』という名目で取引されるのだ。

 男は炭坑や危険な工事現場、男の子は地方領主や大規模農園の労働力として、若い女は娼館へ、年を取った女や年端もいかない少女は工場などの軽作業員として派遣されていく。

 以前の奴隷制度と違うのは少額の契約金が払われる事や、契約期間が決まっている事、また、契約主によってはそれなりの待遇を受けられるという事だ。


 良心的な契約主に買い取られれば、満足できる衣食住を与えられ、休みや行動の自由さえも認められる事もある。

 逆に酷い契約主に買い取られた場合は、ほぼ一生に近い契約期間で契約させられ、死なない程度の最低限の生活保障で休みなく重労働させられる場合もある。


 バルトン商会はそんな臨時作業員を仲介する事業を手掛けて急成長してきた。

 今やアーガス公国で五指に入る大きさとなり、公国全土や近隣諸国にも支店を持ち、その影響力は財界や政界は言うに及ばず、アーガス公室にまで及んでいるという噂まであった。


 ♢♢♢


 クスターとの面会を済ませ、バルトン商会エストレー支店の支店長室に戻ったコリーが上等な革の椅子に深く腰を下ろすと、先程の秘書の女がお茶を入れてコリーの前に置いた。

 コリーはお茶には手を付けず、秘書の腰に手を回して抱き寄せると、秘書の耳元に口を寄せてタバコ臭い息を吐いて何かを伝える。

 秘書の女は軽く頷いてから、腰に回されたコリーの手をそっと離すと、コリーの命令を実行するために支店長室から出て行った。


 秘書の女がコリーの愛人と言う顔も持っているように、コリーもエストレー支店長という表の顔と、非合法の奴隷売買の責任者という裏の顔を持っている。

 コリーの扱う商品は、二度と世間に戻れないような場所に監禁された上に、甚振られてから殺されてしまう運命が決まった生きたおもちゃであり、そのほとんどが犯罪で集めた若い女であり、美しさや血筋などによって値段が変わってくる。

 そしてその顧客も一時の快楽に惜しげもなく大金を出すことが出来る貴族や大商人が殆どだ。


(まったく、余計なものに目を付けおって)


 コリーはクスターが男連れの商品を狙う事について最終的には許可したが、強い警戒感を抱いていた。

 無駄な殺しをすればそれだけ足が付きやすくなるし、後始末に無駄な時間や労力が取られてしまうからだ。

 だが、クスターは小物だが、商品を見る目だけはある。そのクスターが今までで一番の上級品だという商品を、みすみす逃すのもコリーには惜しかった。


(小物は小物らしく今まで通りコソコソやっておればよいものを)


 例えクスターが目利きであろうと、飼い主の命令を聞かない犬に用はない。

 今回の商品を受け取った後、クスターには消えてもらうように秘書に指示をしたコリーは、冷めたお茶を口にしてから頭を切り替えて、その上級品を一番高値で買い取りそうな顧客を検討し始めた。


 ♢♢♢


「それじゃあ、行こうか」


 翌日、宿のロビーで落ち合ったアーベルとエリーは、雲の合間から薄日が差すエストレーの町を抜け、今回のリクエスト場所に足を向けた。

 そして二人が町を出て街道を十分程歩いた所で、前方に二つの人影が立っている事に気が付いた。


(ん?あれは......)


 その人影が徐々に近づいて来ると、彼らもアーベルとエリーの姿に気が付いたらしく、黒髪を後ろで束ねた男が頭を下げて来た。


(昨日の十級冒険者だ)


 リーノの名乗ったその冒険者は二メートル程の短い槍を持っていて、彼の隣には濃い金髪を短く刈り込んだ背の高いガッシリとした体格の男が剣を佩いて立っている。


「アーベル。あれって......」


 エリーが渋面を作ってアーベルに問いかけた時、その二人は再び頭を下げて来た。


「あの、おはようございます」


 リーノはオドオドとした様子で二人に挨拶をする。


「昨日断ったじゃない!どういう事?」


 アーベルとの、最後になるかも知れないリクエストの出だしに水を差されたエリーが声を荒げてリーノに詰め寄る。


「すみません、昨日あれからロビンと、あっ、こいつが昨日言った友達のロビンです」


 ロビンと呼ばれた短髪の男はアーベルとエリーを見て軽く頭を下げる。


「それで、どうしても諦めきれなくって帰ってからロビンと相談したんです。それでギルドに行ってあなたたちが受けたと思ったリクエストの場所を確認して......ここで待ってれば通るんじゃないかって」


 リーノは下を向いたまま申し訳なさそうに理由を説明するが、短髪の男―――ロビンは無表情で二人を見下ろすように立っている。


「わざわざ私たちのリクエスト場所を調べた?頭おかしいんじゃないの?」


 エリーにそう言われてリーノは更に縮こまるように体を竦ませた。

 エリーの言うように、確かにわざわざリクエスト場所を調べて、待ち伏せするほどの理由が分からない。

 それに、リーノはともかく、二人をじっと無言で見下ろすロビンという男が、ゴブリン数匹程度に逃げ出すようには、アーベルにはとても見えなかった。


「ごめんなさい。昨日も言った通り、やっぱり一緒に行くことは無理です」


 何か嫌な予感がしたアーベルは、そう言ってエリーに目線で合図を送ると、二人を置いて歩き出した。

 だが、アーベルとエリーが去ってゆく姿を黙って見て居た二人は、暫くするとアーベル達の後を追うように歩き出し、三十メートル程離れて付いてくる。


 そしてそのまま三十分程歩き続けても、二人は相変わらずついて来る。

 既に辺りは山里のような景色に変わっていて、地図によるとこの先は一本道で小さな村が一つあるだけだった。


「アーベル、まだついて来るわよ」


 エリーが後ろを振り返って気持ち悪そうに顔を振る。

 アーベルには二人が何処に行こうとも止める権利は無いが、これ以上自分たちについて来るのであれば断るしかない。


「やっぱり、もう一度断ってみるよ」


 アーベルがそう言って踵を返して彼らの下に足を進めると、エリーも慌ててアーベルの後を追った。

 すると、アーベル達が向かってくるのを見た二人の冒険者は足を止めた。


「あの、さっきも言ったように無理なので引き返して貰えませんか?」


 アーベルが少し強めの口調でそう告げると、リーノが少し困った顔をして口を開く。


「どうしてもダメですか?遠くから見学するだけなんで迷惑は掛けませんから」


「......見学っていうけど、僕にはお二人がゴブリン数匹に逃げ出すようにはとても見えません」


 アーベルがそう言うと、二人は顔を見合わせ小声で一言二言話をすると、リーノは薄っすらと笑みを浮かべてアーベルを見てきた。


「えっと、アーベル君でしたっけ?僕らは大して強くないんですよ。疑うんだったら少し手合わせして確認してもらえますか?」


 リーノがそう言ってゆっくりと槍を構えると、先程までのオドオドとしていたリーノの雰囲気がガラッと変わった。


「エリー!下がってっ!」


 アーベルがそう言って剣を抜いた瞬間、リーノの槍が生き物の様にアーベルに向かって伸びて来た。


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